三、ルブラン公爵邸

 私はボロボロのドレスを身に纏ったまま公爵家の馬車に乗り込んだ。出発した馬車に揺られながら窓から街灯に照らされた夜の街を眺める。

 この街の風景も見納めだ。あまり街中を歩くことはなかったけれど、唯一幼いころお母さまと歩いた祭りの思い出だけは懐かしい。


「もう来ることはないかもしれない……」


 街を眺めながら小さな溜息を吐いてしまった。無意識に腕をさすると、風の刃で切られた傷がまだ痛む。私は痛みを堪えながら大人しく屋敷に到着するのを待った。

 屋敷に帰宅したあと、馬車を降りて入口の扉から中へ入った。誰の出迎えもない。もはや公爵家の人間ではないということなのだろう。とはいえ、今までもいないものとして扱われていたのだけれど。


「誰もいないか……」


 屋敷の使用人たちはお父さまと妹だけに従い、私のことは同列にすら見ていない。それどころか透明人間のような扱いだ。

 食事すら出してもらえないから、私は勝手に調理場へ入って自分で食事を作って食べている。使用人たちには疎ましく思われているようだけれど、流石にその行為をたしなめようとする者はいない。

 積極的な嫌がらせをされるわけではないので、生活する分には何の問題もない。身の回りの世話をしてもらえることはないけれど、自分のことを自分でやればいいだけだから。


 けれどそれももうお終いだ。今日、私はこの屋敷を出なくてはならない。

 今からお父さまにお会いしてご挨拶をしよう。この屋敷にはお母さまとの思い出が詰まっているけれど、どうせそれ以外は寒々しい思い出しかないのだから。

 偶然廊下を歩いていた侍女を見かけたので尋ねることにした。


「お父さまはどちらにいらっしゃるのかしら?」

「……書斎に」

「そう、ありがとう」


 侍女は足を止めることもなく、前を向いたまま面倒臭そうに答えた。幼いころから大体いつもこんな感じだ。無視されないだけましだ。今さら無礼だとも思わない。

 八才のときにお母さまが亡くなってからは、ずっとこうだ。用事を頼んだら一応は「承知しました」という返事が返ってくる。けれどそれっきりだ。

 私は使用人に頼るのを諦めて、屋敷の中で自由に過ごすようになった。


 これまでの屋敷での生活を思い出しながら、お父さまに会うために書斎へと向かった。扉の前でノックをすると、内側から返事があったので中へと入った。

 お父さまは執務机の椅子に座って書類仕事をしている最中だ。私が向かい側に立っても、手元の書類に目を向けたままだ。


「お父さま、ただいま帰りました」


 私がそう言うと、お父さまはペンを置いてようやく私を見た。まるで路傍の石ころでも見るような眼差しだ。そして面倒臭そうに溜息を吐いて口を開く。


「まだいたのか。この家はもうお前の家じゃないのだ。さっさと出ていくがいい。そして二度と足を踏み入れるな」


 このようにぼろぼろにされた娘の姿を目にしても、労わりの言葉すらない。お父さまの心の中には私など存在していないのだろう。

 このルブラン公爵家の屋敷は元々お母さまのものだった。けれど男子しか爵位を持てないこの国では、入り婿のお父さまが公爵位を継ぐことになった。


 一方屋敷そのものはグリモワールの正当な継承者が受け継ぐものと昔から決まっている。恐らくこのままいけば、自らを正当な継承者だと主張しているミレーヌがこの屋敷を受け継ぐことになる。

 けれどミレーヌはレオナール殿下と婚約することになっている。そうなれば実質的な屋敷の持ち主はお父さまということになるだろう。


「お父さま、いくつかお聞きしたいことがあるのですが、よろしいですか?」

「……なんだ」


 お父さまは口を開くのも面倒臭いと言った様子で横柄に答えた。


「お父さまは、なぜありもしない事実を王太子殿下に証言なさったのですか?」

「ありもしないか……。だがミレーヌはお前に虐げられてつらいと泣いていたぞ」

「私が虐めていたところをご覧になったわけではないですよね」

「ミレーヌが言うのだから間違いないだろう。違うと言うのなら証拠を持ってこい」


 ミレーヌの言葉には証拠が要らないのに、私の言葉には必要なのか。


「虐めていた証拠だって存在しないではないですか」

「ミレーヌの証言こそが証拠だ。ミレーヌとお前のどちらを信じるかと問われれば、この屋敷の者は全員ミレーヌと答えるだろう。無論私もだ」


 言っていることが滅茶苦茶だ。あまりに理不尽な理屈に思わず溜息が零れてしまった。


「分かりました。もう結構です。最後にもう一つだけお聞きしてもいいですか?」

「……さっさと言え」

「お父さまは私のことが憎いですか?」

「……」


 お父さまはしばらく黙り込んだあと、無言で書類仕事を再開した。答えてくれる気はないようだ。私は最後にお父さまの言葉でお父さまの本心を聞きたかった。

 お父さまの本心を知ることは、もう一生ないのかもしれない。きっと歩み寄らなかった私にも責任があるのだろう。いずれにせよ親子関係はもう破綻している。これ以上家族を続けるのは無理だ。

 いい頃合いだったのかもしれない。これほどまでに断絶しているならば何の未練もなくここを去ることができる。


「お父さま、この世に私という命を授けてくださってありがとうございました。そして今までお世話になりました。どうぞいつまでも元気でお過ごしください。……ご機嫌よう」

「……」


 お父さまは最後まで顔を上げることはなかった。私は少し悲しくなったけれど、綺麗なカーテシーをしてお父さまの前を辞した。

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