真冬室
堀川士朗
真冬室
「真冬室」
堀川士朗
令和弐年の真夏の事で御座います。
ギラギラ太陽が燃える真夏の神田神保町で御座います。
オイソレ出版社の話で御座います。
❄❄❄❄❄❄❄❄
整然と棚に並べられたゴスっ娘向け雑誌の間をタチバナが往く。
力の限りに押し歩くカートに、雑誌「週刊ゴステーション」最新号を満載しながらタチバナが往く。
今年は猛暑なのに在庫置き場には冷房はおろか扇風機一台とてないのでかなり堪えるが、社内のはるか坂の下には、
「真冬室」
という救いがある。
あの部屋の存在を唯一の心の拠り所として単純肉体労働激務作業こなす。
タチバナ。
あたしの上の名前。
下は内緒。
オイソレ出版社二年生。
割と美形OL。
だのに、二の腕の筋肉。
かなりやばい。
束ねられた雑誌をおんな砲丸投げ選手よろしく片手でムンズと掴んで棚に放擲(とうてき)する。
紙の果てしない重さは絶望的で、それを毎日実感し、嗚呼またあたしはおんなじゃあなくなっていく。
週刊ゴステーションを棚の上段の空きスペースに置く、てか完全に放物線を描き投げ棄てる。
週ゴス。今週の表紙は井上ブタジョだ。マッコリのCMで、妙にエロい飲み方をして人気に火がついた在日三世のゴス女優である。
でもあたしは彼女の整形し過ぎた顔が気にくわないので雑誌の扱いも殊更雑になる。ドッカと投げ棄てる。
「週刊ゴステーション」
・人気の雑誌です。
・三号目までは部数も微々たるものでカストリ雑誌の如く消える運命と書いて「サダメ」と読ませました。
・が、しかし、ある日宇宙から届いた怪光線により、原宿及び渋谷及び秋葉原のゴスっ娘人口が爆発的に増殖した為、発行部数が右肩上がりに伸びました。
・これは出版不況が叫ばれる昨今、神様が与えてくれた奇跡です。
(俺のWikipedia調べ)
在庫置き場に話を戻す。
最後の一束を「チェストオオアアアアアア!!」とベルセルクのシラットさんよろしく投げ棄てる。
包んでいるビニールが裂けて雑誌の角がアウトな程に破れたが、あたしは気にしなくて。
きっとこれを読む者どもにとっては破損状態など小さな問題だろう。
要は自分の顔面に著しく類したゴスっ娘モデル達が、読者の脳内にある便利な鏡の中に反照し、
「あたしもいつか読モ(毒藻)になりた~イ!」
という幻想を抱かせれば、週ゴス的には大成功。はいどうも、最高潮、性格の悪さ大統領。BY、DOTAMA。
にしても暑い。
ほほに一条二条三条汗が伝い流れ落ちる。
次々。一向(IkKO)に止まない。どんだけ~。背負い投げ~。プリピャチ~。ヨルムンガンド~。
嗚呼こんな作業、人間のする事じゃあない。
アメリカのバック転とか出来る単価の高そうなロボにやらせておけば良いのに。
人間にはもっと、まるでそれを見た赤ちゃんが自然に微笑む様な、真心が介在した仕事が与えられて然るべきだとあたしは思う。
例えばお年寄りの介護とか?
拾った流木でオブジェ創るとか?
超朝早いパン屋の仕込みとか?
燃える様なセクスとかな。
(個人の想像です。これはイメージです。想像上の演出です。想像には個人差があります。特別な許可を得て想像しています。)
ホコリ臭いクソみてえな在庫置き場に鍵をかけて、カートの上にヒールで乗っかり、あたしは長い長い下り坂になっている廊下を滑り降りる。
最初が肝心だ。リノリウムの床を蹴って、徐々にスピードに乗る。デスクとか段ボールとかに当たんない様に体重移動するのは愉しい作業。天井の蛍光灯が速さでひと繋ぎに見える。
にしても暑い。
ネバネバした粘度の高い汗が無遠慮に出ては出ては出ては出る。この地獄暑から一刻も早く逐電したい。
早く、あの、憧れの、真冬室に。
長い長い廊下。飛ばしているのにまだ着到しない。 つまらない時間の経過とカートの振動が、ただただ亀の様にけだるい。
ふと背後に気配を感じた。チラと後ろを見やると、大昔に亡くなった祖母が粋な市松格子のチェッカーフラッグを激しく振ってあたしを応援していた。
嗚呼おばあちゃん……。
介護施設に預ける前は、三体のバービー人形を突然夜中の三時に祖母がけしかけてきたりして、よく遊んでもらってたっけ……。あれには面食らったけど、なついなぁ……。
祖母効果であたしはテンションが上がってアイルトン・セナみたいに視線をハンサムげに真正面に戻して体重を乗せてカートの速度をマシマシに増した。
床のワックスの剥がれ跡を轍とし、まるで帝政ローマの戦車馬車を駆る的なニュアンスと心意気で。力の限りにカートのバーを握る手。うーん、これ豆だよねどう見ても豆だ。豆が出来ている。
その感触が憎らしい。嗚呼またおんなじゃあなくなっていく。
掌の豆から視線を正面に戻した。
目の前。
真冬室。
数センチ。
刹那。
真冬室。
両開きドア。
ぶつかる。
衝撃。
火花散る。
マズルフラッシュ。
ぶべら。
はべら。
首を持って行かれそうになったが、孫想いの祖母がしわくちゃの手でそっと頸椎(けいつい)をガードしてくれて事無きを得た。
その瞬間、嗚呼またおばあちゃんの作る味噌おにぎりが食べたいなぁっていう手遅れの領域を乞い願った。
カートを折りたたんで真冬室の横の廊下に立てかける。踏ん張った足に痺れがある。
ヒールをペッペッと脱いで、生まれたての子鹿みたく不安定に覚束ない足取りになる。
そう言えばあれだったっけか、コムアイが昔、水曜日のカンパネラのライブで鹿を解体してかなり面白かったんだけど最近行ってないなぁ。
真冬室。両開きの重い扉を開く。
❄❄❄❄❄❄❄❄
耳をつんざく豪雪があたしを包んで冷却に同化して乙だ。
肌に張り付いた汗の塩分が一気に凍てついてまるで淫靡(いんび)なウェディングドレス姿な乙だ。
極寒があたしにダイレクトに伝わって乙だ。
睫毛(まつげ)に白いマスカラが盛って盛られて乙だ。
ふと去年の冬に別れた恋人の事を思い出して涙の数だけ強くは絶対になれない永遠に乙だ。
ざくざく。
ざくざくざく。
ざくざくざくざく。
雪を踏みしめ歩く。
気分的にはかわいいキツネの坊やみたく帽子屋さんで手袋を買いに行きたかったのだけれども、真冬室にはそれがないので、奥に奥にただただ進んだ。
先客がいた。
オイソレ出版社八年生、先輩お局OLのハタノ女史だった。
あたしは固唾(かたず)を飲んだ。ええとなんだろね?なんで固唾ってさあ固いつばって書くんだろね?たまにオエッてくる、あのなんか変な酸っぱい奴が固唾なのかなぁ。兎も角もそれを飲んだ。
ハタノ女史は有給休暇を効率良く消化し、真冬室でのんびり優雅にカチンコチンに凍り付いていた。
目が合ってあたしは会釈したが、ハタノ女史は無視してその身を吹きすさぶ豪雪に委ねていて、一ミリも動かなかったので、そういう無礼な所が嫌いなんだよな、このおんな。
ブルッと震えた。
ちょっと自分の未来を投影しちゃったん。
さびー。さびー。
耳朶(じだ)に雪の音がかまびすしい。
今日はもっと冒険して向こうの、はるか向こうの、奥の方まで行ってみようかな。
一歩、踏みしめる。
冷たい埋没がすぐ来た。
ざくざく。
ざくざくざく。
ざくざくざくざく。
終
(2007年8月の初稿を改稿して今回発表しました)
真冬室 堀川士朗 @shiro4646
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