Retrace:13 密偵・リッカ
暗い工房。
その部屋を満たすのは、窓から射し込む判然としない月明かり。
ゆらりとカーテンを揺らすのは、窓から吹き込む夜風である。
普段開けられる筈の無い窓。
しかし、私はとある来客を迎えるために、あえてその窓を開放していた。
「うんうん。へーそうなのね」
窓際に立ち、私は彼女の話に相槌を打つ。
「ピーピー!」
可愛らしい鳴き声。
思わず聞き惚れてしまいそうな美声を響かせるのは、私の手に止まった一羽の小鳥だ。
「え? ――が現れたって、それは本当なの?」
「ピー! ピッピッ!」
「召喚された訳ではない――って、つまりどういうことかしら?」
首を傾げた私。
そんな私の様子を、ちょうど部屋に入ってきたセレンが目撃し、沈痛な表情を浮かべた。
「おいたわしや、姫様……。研究に行き詰まってしまったが為に、遂に小鳥と会話するまでに心を病んで……」
さめざめとセレンは袖に顔を埋めた。
そんな彼女に、私は慌てて反論する。
「ち、違うわよ! 私は心を病んでなんかいないんだから!」
「では、一体何をされていたのですか?」
「何って、決まってるじゃない。今日は月に一度の定期報告の日よ」
私は呆れ顔と共に、そう口にした。
すると、手に止まった小鳥がピョンと床に飛び降りる。
そして地面に着地する寸前に、小鳥は瞬く間に黒猫の姿に変化した。
「ニャア」
「……」
可愛らしく喉を鳴らした黒猫。
しかし、その愛らしい姿をセレンは冷徹な瞳で見下ろし続ける。
黒猫はもう一度と言わんばかりに、再び鳴いて見せた。
「ニャア」
「……」
しかし、セレンは無言のままだ。
そんな彼女の反応に痺れを切らしたのか、黒猫は遂に人の言葉を喋り出した。
「も、もしかしてセレン姉、本当に私のこと忘れちゃったんすか!?」
「ああ、貴方はリッカだったのですか……。余りに久し振りだったので、完全に忘れてました」
「やっぱり忘れてたんすか!?」
愕然と声を上げた黒猫。
しかし、次の瞬間にはその姿を変化させていた。
そして、次に変化したのは小鳥でも黒猫でもない、一人の少女の姿だった。
その少女の状態こそ、彼女の本来の姿である。
ショートの淡い金髪に、小動物のような愛らしい容貌。
身に纏う衣装は、シーフのような軽装だ。
その背丈は私より頭一つ分低いが、歳は私と同じ一五歳である。
紹介しよう。
彼女の名前はリッカ。
私の忠実なる部下の一人だ。
「それにしても、本当に久し振りな気がするわね。月に一度の報告も、手紙で送ってくることが殆どじゃない?」
「そうっすね。姫さんにこうして顔を見せるのも、かれこれ一年ぶりくらいな気がするっす」
そう言って、リッカは快活に笑った。
一年ぶりってのは大袈裟過ぎるが、彼女と直接顔を合わせるのは本当に久し振りだ。
私の直接の部下の中では、一番会う機会がないのがリッカだろう。
まあ、それも彼女の職務上、仕方のないことではあるのだが。
何せ私がリッカに任せている職務は、外の世界の情報収集だ。
つまり、密偵という立ち位置である。
私は殆どこの部屋から動かない。
その為、外の世界情勢を知る方法として、リッカにあらゆる国の情報を探ってきてもらっているのだ。
「それにしても、やっぱり便利な能力よね。リッカの『固有魔術』って」
私が素直にそう言うと、リッカは頬を染めながら頭を掻く。
「姫さんにそう言って貰えるなんて、光栄っすねぇ~」
照れるリッカだが、彼女の『固有魔術』は本当に凄い。
『固有魔術』――それはこの世界の人間ならば、誰もが魂に一つだけ宿している術式のことだ。
この魔術は、魂に刻まれた術式をそのまま入力することで行使される為、通常の魔術のように複雑な術式の構成が不要なのが利点である。
けれどもこの世界では、『固有魔術』に目覚める者は少数だ。
しかし人間ならば誰しもが、この能力を一つだけ宿して生まれてくるのだ。
そして、そんなリッカの『固有魔術』は、『
それは文字通り、あらゆる動物に変身出来る魔術である。
彼女が変身可能な動物には特定の条件があるものの、大小様々なものに変化出来るこの力はまさに万能と呼べる能力だ。
「でも動物になれる能力って、ただ便利なだけっすよ? ネズミや小鳥に変身して、潜入するくらいしか能がない能力なんすけど……」
リッカの言葉に、私は言う。
「十分過ぎるわよ。そんな力を持ってる人なんて、どの国を探しても見付からないわ」
私の言葉に、セレンも頷く。
「そうですね。姫様の言うように、貴方の能力は我々の中で一番万能なのです。それは誇るべきでしょう」
セレンが褒めるなんて珍しい。
横で聞いていた私もちょっぴり驚いた。
「セレン姉も大袈裟っすよぉ~。実際私はこの中で一番弱いですし、『固有魔術』だって姫さんやネルファ姉には太刀打ち出来ないんすから」
まあ、否定はしない。
リッカの言うことは概ね正しい。
単純な戦闘力で言えば、彼女は私やネルファ、それにセレンにだって遠く及ばない。
それに『固有魔術』に関しては、私やネルファの持つ能力はそもそもスケールが違うわけだし、リッカのものと比べるのはお門違いだ。
でも、私はリッカの力を頼りにしてるし、彼女無しでは今の生活はあり得ない。
私が安心して引きこもりを続けられるのも、リッカが各国の動きを調べてくれているからなのだ。
「そう言えば姫さん、セレン姉にもあのことを伝えていいっすか?」
リッカの言葉に、セレンは眉を潜めた。
「あのこと……ですか? それはわざわざ貴方が帰って来たことに関係が?」
「はいっす。このことは直接姫さんに伝えるべきだと思いましたんで」
「リッカ、このことはネルファも呼んでから話しましょ? ほら、噂をすれば」
「ノルン様! ノルン様はご無事ですか!?」
ドンドンドン――とネルファがドアを叩く音が響いた。
「ネルファ、私は無事よ。だから入ってきなさい」
私がそう言うと、大人しくドアを開けてネルファが入ってきた。
そして、彼女はホッとした様子を見せる。
「無事だったようで何よりです。――それよりリッカ、これからノルン様に会う時は、必ず入り口から入ってこい。でなければ、私が侵入者として排除するぞ?」
「は、はいっす……」
真剣な眼差しで告げたネルファに、リッカは青ざめた表情で頷いた。
「ネルファ、あまりリッカを責めないであげなさい。彼女は私が招き入れたの。責任なら私にあるわ」
「左様ですか……。それならば今度からは必ず私を通してから、部屋に入れるようにして下さい。警護の関係上、ノルン様に大事あってもすぐさま助けに入れませんので」
「そうね。ネルファの苦労を考えてなかったわ。今度からは気を付けるわね」
「はい。お願いします」
実は私の研究室であるこの工房には、様々な警備が敷かれている。
たとえば、結界。
私が組み上げた魔術の結界は、部屋を要塞のように変貌させている。
そして、それを管理しているのがネルファなのだ。
つまり、私がリッカを窓から招き入れた行為は、この部屋の警備上不都合の多いことだった。
そのことはしっかり反省しつつ、私は口を開いた。
「さて、久々に全員揃ったわね」
クッションのようにラムに腰掛け、私は皆を見渡した。
この場には、私直属の部下が全員揃っている。
セレン、ネルファ、リッカ、ラム。
私を含めたら、この四人と一匹が仲間というわけだ。
「ノルン様、これから何を始められるんですか?」
今来たばかりのネルファが一人だけキョトンとしているが、面倒だし始めてしまおう。
「それじゃあ、リッカ。貴方が掴んだあの情報を皆にも伝えてあげて」
「はいっす」
リッカは頷き、そしてその口を開いた。
彼女の口から出た言葉。
それは――
「帝国に勇者が現れました」
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