幕間:3 勇者アイク

 息苦しい協議から逃げ出すように、俺は部屋を後にした。


「はぁ……」


 あんなに緊張したのは久し振りだった。

 疲労を感じ、思わず溜息が漏れる。

 そんな俺の耳に、澄んだ声音が響いた。


「もう話は終わったのですか……?」


 そう俺に話し掛けてきたのは、華麗なドレスに身を包んだ少女だった。


「……ティアナか。まだ会議は続いているけど、俺の役目は終わったみたいだから、先に退出させて貰ったんだ」


「そうだったんですね。お疲れ様でした。人見知りのアイクには中々ハードな会議だったでしょ?」


「ああ。ティアナが練習に付き合ってくれてなかったら、俺は噛みまくりだっただろうな」


「ふふっ……」


 その言葉に、彼女はその場面を想像したのか笑みを溢す。

 ティアナ――彼女は、俺がこの城内で唯一自然に話せる人物である。


 ただ親しい間柄と言っても、俺と彼女には埋められない身分の差があった。

 何せティアナは、あのゼウルス陛下の愛娘である帝国の姫君なのだ。


 帝国の美姫・ティアナ。

 彼女の名は二つの理由で有名だ。


 一つ目は、その端麗な容姿である。

 緩やかにウェーブの掛かった茶髪に、愛嬌のある大きな瞳。

 その身を華美な桃色のドレスで包み、装飾品のネックレスやイヤリングにも余念はない。


 二つ目に、魔術の研究者としてティアナの名は有名である。

 彼女の持つ『固有魔術』・『魔術解析アナライズ』。


 魔術の術式を解析するという能力を持ち、彼女は多くの魔術を開発してきた。

 弱冠一七歳にして、魔術開発の分野で彼女の右に出る者はいないだろう。


「アイク、廊下では人目もあります。よければ話の続きは私の部屋で、お茶でも飲みながらしませんか?」


 彼女の提案に、俺は迷わず快諾した。



 ◆



 俺はティアナの自室に赴いた。

 そこで彼女は開口一番にこう言った。


「アイク、私も貴方の旅に同行させてくれませんか?」


「え!?」


「アイクが正式に勇者として認められれば、各国を巡る旅に出ることになるんですよね?」


「……そうだな。魔女を倒す為には、俺の実力ではまだ足りない。だから修行の旅に出ることになるだろうな」


 俺の『天賦の如才オールマイティー』は、教えられたことはすぐに身に付けられる能力だ。

 それを生かすならば、各国の協力を得て、様々な技能を習得する必要がある。

 ティアナは俺の目を見て言った。


「お父様は私から説得します。駄目でしょうか?」


「……」


 突然の言葉に、俺は黙り込んだ。

 彼女の目は真剣なものだった。

 けど、俺は……。


「ティアナ、これは世界を救う旅になる。絶対に失敗は許されないんだ」


「勿論、分かっています」


 ティアナの表情は変わらない。

 とっくに覚悟は決まっているのだろう。

 だが、そんな彼女の覚悟に、俺は怖いと思ってしまった。


「……悪い。俺はティアナをこの旅に連れて行くつもりはない」


「どうして……ですか?」


 彼女が息を呑む音が明瞭に響く。

 どうして彼女を連れていけないのか?


 その理由は単純だ。

 俺は彼女を守り抜けるだけの自信が無い。

 それだけなんだ。


「今だから言う。俺はティアナを大切だと思ってる。だから、君が傷付くのが怖いんだ。もしかしたら死ぬかもしれない戦いにティアナを連れて行きたくない」


 俺がそう言うと、ティアナは絞り出すように口にした。


「私だって同じです……。私もアイクを大切だと思っています。だから、私の知らないところで貴方が傷付くのが嫌なんですっ!」


「ティアナ……」


 彼女の本音。

 俺がティアナに傷付いて欲しくないと思うように、彼女も同じ気持ちだったのか。


 そんなことを俺は分かっていなかったようだ。

 ティアナは言った。


「そもそもアイク、忘れていませんか? 貴方に魔術を教えたのは、一体誰だったのか?」


「え、えーと……ティアナ先生です」


 ティアナはこの国でもトップクラスの魔術師である。

 俺の魔術は殆ど彼女に教えて貰ったものだ。


「なら、私がそこそこ強いってことはアイクも分かっているでしょう? アイクは私の実力でも、足手まといだと思いますか?」


「……いえ、とても心強いです」


 目の前でティアナに凄まれれば、自然と俺は敬語になってしまう。

 尻に敷かれているなんて、また色々な人から笑われてしまうな。

 そんなことを思った俺に、ティアナは笑い掛けた。


「もう一度聞きます、アイク。私は貴方の旅に必要ですか?」


 俺は答える。


「ティアナが傍にいてくれるなら、これほど心強いことはないさ。俺と一緒に、旅に着いてきてくれ」


 その言葉を待っていたのだろう。

 彼女は俺の手を握って、強く答えた。


「勿論です! アイク、一緒に世界を救いましょう!」


 俺の勇者としての旅に、魔術師であり姫でもあるティアナが加わった。



 ◆



 コンコンと部屋がノックされ、ティアナの側仕えのメイドが顔を見せた。


「姫様、お客様が参っております」


「入っていいと伝えなさい」


「分かりました」


 ティアナがそう言うと、軍服を着た一人の少女が部屋に入ってきた。

 肩口で切り揃えられた薄紫の髪に、真面目な顔をした彼女。

 その背は低く、軍服姿はまるで仮装でもしているのかと思えてしまう。


 軍の人間なのだろうけど、一体誰だろうか?

 俺が首を捻っていると、少女は俺達の前で敬礼をした。


「お初にお目にかかります。帝国軍情報部所属、アミィ・オルブライトン少尉と申します。どうぞお見知り置き下さい。それでは失礼は承知で、急ぎ連絡事項を申し上げます」


「急ぎの連絡ですか?」


「はい。急ではありますが、先程の会議でこれからの勇者様が行うべきことの方針が纏まりました。まず勇者様には、南の小国であるトキリス公国に向かって頂きます。出立は明日の早朝になりますので、急ぎ支度をお願いします」


 トキリス公国か……。

 帝国とつい最近まで、度々揉めていた国の一つだ。


「けど、明日の早朝って……。急な話だな」


 俺がそう漏らすと、アミィ少尉は少し気を病むように言った。


「……申し訳ありません。ですが、これは『勇者特権』に関わる事項なので」


 アミィの口にした言葉。

  『勇者特権』とは、勇者という称号に課される特権のことだ。

 魔女と戦う勇者には、国家の枠組みを越えて特別扱いをしなければならないという、古くからの盟約なのである。


「アイク、こればかりは仕方のないことみたいですよ」


「そうだな」


 俺がそう答えると、ティアナはアミィに視線を向けた。


「アミィ少尉、もしかして貴方も着いてくるんですか?」


 すると、彼女は答えた。


「はい。私に与えられた任務は、勇者様の旅の安全を保証することです。帝国軍情報部を代表して、私は勇者様の旅のお手伝いをさせて頂きます」


「そうですか。なら、貴方も私達の仲間ということですね。よろしく、アミィ少尉」


「はい。こちらこそ、よろしくお願い致します」


 再び綺麗な敬礼をし、アミィはそう口にした。

 こうして、彼女も仲間として加わることになった。


 俺、ティアナ、アミィ。

 今ここに、勇者パーティーは結成した。

 俺達の肩に世界の命運が託されている。

 そう思うと、心の中に不安が沸き上がってくる。

 だが、俺達に失敗は許されない。


「ティアナ、アミィ、一緒に世界を救おう!」


「もちろんです」「お供します」


 俺の台詞に、二人は決然と言葉を返してくれた。

 正直なところ、まだ俺の勇者としての自覚は薄い。

 けれど、今はとにかく前に進むしかない。

 こうして、勇者となった俺の冒険が幕を開けた。

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