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日本食がまずい

最近、明治末期を舞台に中国人留学生に関わる小説を書き始めたので、史料や研究書をよく読んでいる。


その中でも、特に面白いものは当時の中国人留学生がつけていた日記である。



辛亥革命の立役者の一人である宋教仁の日記をはじめ、意外と留日学生の日記は残っていて、読むとかなり興味深い。



お堅い専門的な文脈がなくても、生々しい一人の人間の日常を覗き見ることができるので、直感的に面白い。



そして、どうやら当時から留学生は今と同じように慣れない日本のあれこれに苦しんでいたことがわかる。



当時の日記のなかでもよく見られるのが、日本食が口に合わないというパターンである。


現在でも中国人留学生が日本食は甘すぎるとか味がないとか、あるいはしょっぱいとか、とにかく文句が多い。


私の知り合いである四川から来た学生は、日本料理は味がなくて困るといって、めちゃめちゃ辛い麻辣烫屋さんに通っていた。


なお、彼は半年もすれば日本食に慣れたようである。



話を元に戻そう。


現在私は『清国人日本留学日記』(東方書店、1986年)という書籍を読んでいる。

これは、1905年から1912年日本に留学した黄尊三という人物が記した日記の翻訳版である。彼は帰国したのちに民国大学の教務長(副学長に相当)にまで上り詰めているが、日記には失礼ながら大物になるとは思えないような繊細な心情が率直に記されている。


やはり、彼にとっても日本に関する最初の愚痴は食事である。


日本上陸初日(旧暦5月24日)の記述を少し抜粋してみよう。


高野屋という食事処で昼食

「日本の食べ物は、すこぶる簡単で、一汁一菜、味は至って淡白。」


学校の宿舎にて

「夕食は汁と卵、飯も小さな箱に盛り切り。初めて食べてみると、具合が悪い」


ひどい言われようである。


当時の中国の料理がどんなものであるかは知らないので想像になるが、おそらく辛さ満点湖南省出身の黄には、日本の料理は「味がない」ものに感じられたのだろう。


食べきれないほどの食事を出す中国と比べて、日本の宿のこじんまりした飯もケチ臭いものに映ったに違いない。


もちろん、留学生のために用意された宿舎などはかなり安く、食事も粗悪だったことは考えなければいけないが、中国人留学生たちは故郷の味を求め神田の中華料理屋に足繫く通っていたという。



当の黄は、このあともしばらく、慣れない環境による精神的ストレスが原因と思われる腹痛や、悪夢に悩まされることになる。


当時の留学生たちが住む宿の質も良くないことを考えると、すぐにでも国に帰りたくなるような生活であったのかもしれない。






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