中国人留学生の新型コロナへの態度と温度差

私のバイト先である日本語学校では、現在授業は全面的に映像授業に移行している。


もちろん2月29日の首相の休校要請がおこなわれたことが映像授業移行の決め手になったわけだが、中国人留学生を対象とする提携先の進学塾は、それよりも一週間ほど早く映像授業への移行を始めていた。


たかだか一週間程度であるが、この差には中国人と日本人の新型コロナウイルスに対する危機感の違いが表れている。


というのも、2月中旬には中国人の学生から「まだインターネット上の映像授業に移行しないのか」といったクレームが、日本語学校と進学塾に一定数寄せられていた。それだけでなく、両親が子どもに登校しないよう言いつけたため、授業に出席しない学生も増えていた。


日本人が主体となっている日本語学校は、事態を静観していたが、中国人の先生たちによって運営される進学塾はすぐさま手を打ち、首相の要請に先立ってインターネット映像授業に移行した。


やはり、これには家族や友人から母国の惨状を生々しく聞いている中国人たちの危機感が非常に高かったことが影響しているだろう。


中国のインターネットでもそうだったが、中国人の友達から「日本の対策はこんなに緩くて大丈夫なのか?」とよく心配される。


学校も会社も休んで家に引きこもり続けた中国人からすれば、「今は一致団結して耐え忍ぶべき時なのに、日本人はなにをしているのか?」という感覚なのだろう。


私は日中どちらの対策が優れているとかを言うつもりはないが、中国人との日頃の接触から、なんとも言えない温度差を感じるのである。


中国のインターネット上では、日本や欧米の新型コロナウイルス対策が手ぬるいと批判する声が高まっている。特にいわゆる西側諸国は広範な意味での「人権」に配慮するがゆえに、対策が後手に回っていると考えられがちなのだ。

3月17日の人民日報日本語版では、行動の制限などの中国の思い切った対策こそが、人命を重視する人権擁護姿勢の体現であり、この方法が功を奏していると主張した。


つまり、人権に対する社会の姿勢に関して、日本やアメリカ、西欧諸国よりも中国モデルが優れているとするのだ。



日本の新型コロナ対策が吉と出るか凶と出るか。

この結果は、中国人の日本社会に対する認識を左右するだけでなく、中国社会のモデルの評価にも関わるだろう。


公衆衛生は人類共通の課題であるため、科学的見地から対処されるべきであり、政争の文脈をむやみに振り回してはいけない。しかし、各国の対策がどの程度成果を上げるかということが、中国人の自国に対する認識を左右するに違いない。

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