918の歴史

「歴史」という言葉を聞くとみなさんは何を思い浮かべるだろうか。


歴史は学校で勉強する教科・科目であり、覚えるのがめんどくさいという印象を持っている方も多いだろう。


また、大事なのは未来であって、過去は振り返らないと言う人もいるだろう。



しかし、極端に言えば、現在も未来も直接観測することは不可能なものである。

一秒前だろうが、10年前だろうが、直接体験していない千年前だろうが、いずれも過去であり、未来を見た人はいないし、現在は認識した瞬間にはすでに過去になっている。


私たちが現在や未来について考える行為、それはつまり過去の膨大なデータと対話する営為なのである。



現在の社会を評価するうえでも、歴史は欠かせないものだ。現状が良いものか悪いものか、なんのためにこのような仕組みになっているのか、そしてこれからどこに向かおうとしているのか、すべては歴史との対話であると言ったら言い過ぎだろうか。



日本の日常生活では特段歴史の「役割」を意識することが少ないが、社会における歴史の役割が突出している国もある。



中華人民共和国である。



今日は柳条湖事件(満洲事変勃発の日)が起こった1931年9月18日であり、中国では特に重要な日とされているから、中国の歴史観について満洲事変に関する記事とからめて紹介したい。





9月18日は中国にとって特別な日であり、屈辱の日である。


1931年9月18日、南満州鉄道をはじめとした日本の権益を守るために満洲(現在の東北部)に駐留していた関東軍が、謀略によって突如として軍事行動を開始し、満洲を広範囲にわたって占領したのである。


これに対して、満洲の実力者であった張学良は無抵抗のまま撤退し、中国国民政府は全面戦争ではなく国際社会の世論を喚起することで日本に対抗しようとした。


満洲奪回の実現こそ日中戦争終結の1945年まで待たねばならないものの、この事件をめぐって日本が国際連盟を脱退したことからわかるように、中国は国際的に多数の支持を集め、日本は孤立を深めていった。



戦後に国民党は台湾に追いやられ、中国共産党による中国大陸の支配が始まったが、その後も屈辱の歴史として歴史教育で教えられている。

現在も地域によっては9月18日にサイレンを鳴らし、この事件を胸に刻んでいるようだ。





こういう日であるから、日本にいてもWeChatのモーメンツ(朋友圏)を見れば、すぐに満洲事変関連の記事を見つけることができる。



私のモーメンツでは新華社の「勿忘!勿忘!勿忘!(忘れるなかれ!)」という記事がシェアされていたので、さっそく読んでみた。


国営メディアであるから、当然唯一の執政党である中国共産党の考え方が反映されている。


この記事には、満洲事変は「日本軍国主義」による侵略であること、それに中国が抵抗したということが書かれていて、それ自体は特に新鮮なものではない。



しかし、これを近年の中国の歴史教科書の記述変更と照らし合わせると、興味深いことが見えてくる。



2017年、中国の歴史教育において「抗日戦争」の定義が変更され、日本の日中戦争の定義と同じく1937年から1945年までの戦いを指すものから、1931年の満洲事変勃発から45年までの戦闘を指す用語へと変更された。



なぜ、わざわざそのようなことをするのか?



2017年1月10日付産経新聞「中国が「抗日戦争」期間を「延長」 教科書で8年間から14年間に 1931年の柳条湖事件を起点に」を読むと、


「習政権には歴史教育を通じ、対日姿勢を一段と強める狙いがありそうだ。」


とその目的を説明しているが、この解釈はややピントがずれている。



日中の「歴史戦」という対決姿勢を前提として掲げている記事だから、こういう解釈にしかならないのも無理はないが、実際は日本との「対決」はあまり眼中にない。この記事は自意識過剰である。


習政権にとって重要なのは共産党支配の「正統性」を強めることだ。



ここでさきほどの記事「勿忘!勿忘!勿忘!」を読むと、やはりこの記事も同様に31年を起点として「14年の長きに及ぶ奴隷的使役と植民統治が始まり、抗日戦争の幕が開けた」と述べられている。



そして、中国側のなかでも「国民党」と「共産党」を対照的に描いて見せている。



つまり、国民党はまともな武力抵抗ができない情けない存在であり、共産党こそが愛国心に満ち溢れ日本の侵略に武力抵抗した英雄であるとする歴史観である。



もし1937年以後のみにクローズアップすると、国民党が全面的に対日戦闘を開始し、共産党の活躍はお世辞にも多いとは言えない。



37年以前の共産党の抗日ゲリラがどの程度日本軍に打撃を与えたかは議論の余地があるが、すくなくとも国民党との違いがより鮮明に描けるのは31年から37年までの間であると考えられたのであろう。


共産党こそが国を愛する党であり、抗日戦争で大きな役割を果たした中国を代表すべき存在であると「人民」に知らしめることは、現在の政権の統治のためには不可欠の行為である。



逆に言えば、国民党を高く評価することは、共産党の存在を相対化し、統治の正統性に疑念が生じることにつながりかねない。


特に「抗日戦期」において国民党の役割を「持ち上げる」ことは批判の的となり、「歴史虚無主義」(歴史の意義や価値を否定する行為)というレッテルを張られてしまう。


国民党による抵抗の側面がまったく描かれないわけではないが、蒋介石を中心とする国民党はあくまで37年までは共産党を迫害しながら日本と妥協している勢力であり、抗日の「中流砥柱ちゅうりゅうしちゅう」として描かれる必要がある。



習近平の国家主席就任以降の共産党は、歴史研究を厳しく監視しており、中華人民共和国成立以前の歴史である「民国史研究」はかなりデリケートなものになった。


当然、共産党に都合の悪い史料の閲覧は制限され、中国国内では研究するのが難しい状況である。





ここまで述べたように、歴史というものは常に現状の「正統性」を左右しうる。


政府が「言論の自由」「学問の自由」を制限してまで守ろうとするもの、それは歴史に由来する統治の「正統性」である。


人々の現状への認識は歴史認識をもとに形作られ、それは人々の行動を左右しうる。


すくなくとも中国共産党はそう考えているようだし、あながち間違っていないだろう。












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