習慣の話

中国人は麺をすするのか

東京五輪を控えている昨今、麺をすすって音を出すのは外国人に対する「ヌーハラ」であり、自粛すべきだという声がある。


インターネットではよく、「日本人以外は麺をすすらない。そんなことをするのは世界でも日本人だけ」というような言説をみかける。



このようなネガティヴな意味での「日本ガラパゴス論」は麺をすする話だけでなく、日本の習慣を「糾弾」するために様々な場面で持ち出される。



多くの場合「日本ガラパゴス論」は「欧米の習慣 = 世界の常識(グローバルスタンダード)」とそれから外れている日本という図式で語られる。

つまり、「海外では~」と語る時の「海外」や「世界」は得てして欧米、それも欧米の一部の国を想定しているに過ぎない。



「反証」「反論」のためとまでは言わないが、ここでより議論を深めるためには「非欧米」諸国の例を考慮することが非常に重要だろう。



もちろん、「非欧米」の価値観が無条件に認められるべきだと言っているわけではない。しかし、「日本と海外(欧米)」という単純な二項対立から脱し、ひとつの価値観から日本を断罪することを避けるためにもこの観点は必要である。


日本を含む「非欧米」世界の多様性(あるいは「欧米」のなかにおける多様性)は、我々に「文化相対主義」という概念がなぜ生まれたのかを思い出させてくれる。




一口に「非欧米」といっても様々であるが、特に中国という存在は、日本の近代が始まって以来、欧米モデルを相対化するために幾度となく「利用」されてきた。


近代日本では、欧米列強と肩を並べると同時にアジアを権益を得る場とみなす「脱亜入欧」が叫ばれたりもしたが、同時にアジアの一国であろうとする言説も存在し続けた。


アジアの連帯を唱える「アジア主義」はその典型で、中国由来の「東洋」の価値観を持ち出した結果、独善的な「大東亜共栄圏」につながる思想となってしまうこともあれば、「反帝国主義」の旗印になることもあった。


特に第一次世界大戦後の日本では、「西洋文明」の失敗と限界が指摘されるようになった。「西洋」の「お家芸」であった帝国主義的植民地支配や国際秩序、科学技術が、結果的に未曽有の殺戮を生んだと考えれば、この風潮はまったく不思議ではない。

当時の一部の日本人は「物質文明」への反省から、「東洋」古来の精神・思想を見直すことで「世界の平和」に貢献しようとしたのである(その後の欧米の価値観・国際秩序の否定が第二次世界大戦につながったことは指摘せねばならないが、少なくとも1920年代は「東洋文化」が国際連盟を基軸とする国際秩序になじむものとされた)。



戦後日本においても、中国は欧米世界の「相対化」に大きな役割を果たした。冷戦期は自由・資本主義を掲げる西側と社会主義を掲げる東側に世界が分かれたが、知識人を中心に米ソどちらでもない発展モデルとして中国は注目を集めた。

もちろんその期待は文化大革命の実態が知られることで一度崩れたが、現在中国の経済発展を背景に「特色ある中国モデル」が「非欧米」諸国でにわかに説得力を持ち始めている。



こんな具合で、中国は日本が日本を自己認識する際の「もう一つの鏡」として機能してきた。

日本がどうなっているのか、どうあるべきなのか、という問いは、欧米と中国(アジア)それぞれとの距離から導き出されてきたのだ。

現在においても、日本の文化や習慣を語るうえで中国についてを知っておくことはひとつの「方法」として有効だろう。




さて、いろいろ無駄話をしてしまったわけだが、問題は中国人が麺をすするのかということである。


なんでこんなことを思いついたのかというと、あるYouTubeの動画で中国人本人が「中国人は麺はすすらない」という発言をしていたからだ。


私はこれを聞いて麺食らってしまった。



というのも、私の中国人の友達はだいたい麺を音を立ててすすっていたのである。

武漢滞在時もそれなりにすすっていた人はいたと記憶している。


調べてみると、同じく「ヌーハラ」問題に関連して「韓国人や中国人も音をたててすすらない」という主張をしているネット記事も出てきた。




あまりにも気になったので、さっそく東北人Yさんと四川人Cさんに聞いてみることにした。


すると、Cさんはすすらないらしいが、Yさんは気を使わなくていい環境ならすするとの回答だった。両者の答えは割れたが、共通するのは食事中に音を立てるのは礼儀としてはあまりよろしくないということであった。


Yさんは、友達と一緒にいる時は気にせず音を立てるが、目上の人と一緒にいる時や初デートの時(!?)は音を立てないように気を付けるらしい。初じゃなければいいのか。

それはともかく、中国社会では音を立てない方が行儀がよかろうという空気は共有されているようだ。後から来た湖北人Wさんも家族のあいだでは音を立てるが、フォーマルな場ではすすらないように気をつけるらしい。


Yさんは「すすったほうが美味しい! 爽快! といった感じがする」とも言っていたので、そういう感覚を持つ中国人もいるのだろう。



ここでちょうど、ドイツ人Aさんが乱入してきた。彼女が言うには「ありえない」らしい。

食事中に音を立てるということはドイツにおいてまず許されない。かなりこの点は厳格だ。

おなじ「すすらない」という回答でも、中国人のケースとはかなり程度が違うようだ。



以上は、身近な友達に聞き取りをした結果だが、ちょっとサンプルが少ないようなので、皆さんのご意見にも期待したい。




いずれにしても私は、日本人が「すするべきだ」「すすらないべきだ」と断定する気はない。


ただ、このような文化・習慣の問題を議論するうえで、「欧米」とされる特定の国だけでなく様々な国や地域を参照するほうがよいだろうという程度の話である。

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