電車の中

多くの日本人が感じていることのひとつに、電車に乗ってくる中国人(あるいは外国人)はうるさい、というのがある。


当然静かにしている中国人はそもそも目立たないので、実感はある程度バイアスがかかっているだろうが、少なくとも日本人が特段静寂を好んでいることは間違いないだろう。



最近はめっきり少なくなった気がするが、5年くらい前には大挙した中国人が日本の電車で大声で話すというのは珍しくなかったし、それに文句を言っている日本人は何人も見かけている。


このような事情によって形成された中国人イメージは、中国人留学生たちを多少なりとも苦しめている。留学生たちは日本人の思考をある程度理解したうえで、自国のイメージを背負って生活している。ゆえに、公共空間でのふるまいにはかなりプレッシャーを感じている人は多い。特に中国人ステレオタイプの影響で、日本人ならさして問題にならない声量で話しても、「中国人がまたうるさい」というレッテル貼りを受けてしまうのだ。


幸い、最近は比較的中国人旅行客のふるまいも「改善」された気がするが、日本の習慣を事前に学んでから来る体制ができたのだろうか。それとも私の贔屓目によるものだろうか。

事情を知っている方がいれば教えて欲しい。



私はついこないだ上海に行ってきたのだが、やはり日本よりは「うるさい」と言える。上海弁のおばちゃんは大声で会話するし、イヤホン無しで音楽を流している人もいる。


しかし、それを気にしている人はいないし、私自身も特にイライラしたりはしない。

ある程度の音量までであれば、音自体が気に触っているというよりは、「規範に触れている」といつ感覚が日本人をイライラさせるのだろう。だからこそ、そのような規範の存在しない空間では、日本人である私も特に「義憤」を感じないのである。


もちろん、これは私の考え方によるところが大きいし、隣で耳をつんざくような声で喋られたら困るので、程度の問題でもあるが。



逆に、中国人が日本に来た時に日本の電車の中の静寂さに驚いたといった話も聞く。

私の聞いた話では、その中国人観光客は「日本人は人間ではないのか!?」と感じたとか。電車の中で誰一人として話そうとしない様を見て、その人は日本人から人間味を感じ取れなかったらしい。


日本人に人間味があるかどうかはともかくとして、とにかく「他人に迷惑をかけない」という教育に関しては日本人はかなり徹底されているのだなと感じた。


公共空間においてはできるだけ目立たず主張せず、という行動パターンがある気がする。日本人はこの事実を誇りそうであるが、中国人から見ればこれは必ずしも良い文化には思えないようだ。

ある友人は、日本人はもっと「寛容」になるべきだという。つまり、人間は必ず他人に迷惑をかけてしまうのだから、規範でがんじがらめにしてそれへの抵触に腹を立てるのではなく、お互い迷惑をかけながらも自由で「寛容な」社会を作るべきだという主張である。


私はここでどちらが「良い社会」かは判断できないが、このような観点は日本人が自分たちの文化を考える上で参考にしてもよいように思う。

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