七本松の戦い、そして再び磐城平の戦い
現代においてもいわきには
だが、もし生命に関する脅しだけであったならば若松鉄五郎は突っぱねた可能性がある。彼は侠客肌の男であったと言うのだから。では、他に何かあるのだろうか? 無論、小名浜防衛に当たっていた仙台藩士の村岡が撤退する際に石炭に火を掛けた事実はある。磐城平藩の
結局、新政府軍に協力した理由は定かではない。ただ、鉄五郎の息子誠三郎は
その偵知の力が発揮されたのが、列藩同盟が砲陣をしいた鹿島七本松での戦いである。
暁七つ半、今で言えば午前五時に若松親子に案内されて薩摩藩私領一番隊は山を越えた。そこは鹿島の七本松の背後であった。列藩同盟の兵士が砲を守るように警護している様子を確認すると、敵砲台の正面に向かっていた外城番兵一番隊と時刻を合わせ挟み撃ちを行う。まさか背後からも攻撃が来るとは考えていなかった警護の兵は大いに慌てて、最後には砲台を置き去りにして散り散りに逃げた。薩摩藩の二部隊が七本松の砲陣を占領したのは、今で言う所の午前十時ごろだった。砲を破壊した彼等は、城への進軍に備えるために再び小名浜へと戻った。兵力は、既に二千を優に超えていたし、更に鳥取藩より大兵力が増員される見通しになっていた。兵力は整い、
翌日七月十一日には、両陣営にちょっとした出来事が起きた。
新政府軍の平潟勢に来客があったのだ。白河方面軍から棚倉支軍司令官である
「磐城平城の存在は我ら白河方面軍にとっても、後背の不安要素。必ず落とさねばならぬ」
「無論だ。その為に兵力は揃えたし、明日には鳥取より更なる兵が増員される。必ず落とす」
そう硬く約束した平潟勢の参謀たちは、板垣が帰った後に軍議を開き十三日に磐城平へと進軍することを決定した。必ず城を落とさんと言う決意のもとに。
一方の磐城平城では、磐城平藩の隊長である
「この時期に何ゆえに城を離れるのだ?」
「大隊長、江口縫殿右衛門様の命により四ツ倉に行かねばなりません」
四ツ倉とは磐城平を北へ十数キロほど進んだ場所である。そこには相馬中村藩や仙台藩の兵士に混じり、米沢藩の三小隊が待機していた。大隊長である江口縫殿右衛門は計六小隊を指揮する立場にあり、上杉景勝公の旗本衆である五十騎組に数えられる江口家の末。そんな人物が、大事の前に何故兵を引き上げさせるのか、神谷には分からなかった。ただ、江口には再三にわたり入城するように求めていたのだが、彼は銃声がすれば駆けつけると言うばかりで入城していない。
(臆したか? いや、そんな筈はない……敵と通じているか、兵力の温存を図るかのどちらかでは……)
重要な火力であった米沢藩の小隊が引き上げるのは辛い。だが、無理に留める事など出来るはずもなく、結局は見送るしかなかった。
そして、運命の七月一三日を迎える。
必勝を期した新政府軍は、進行部隊を三つに分けた。一つは十二日の時点で海岸沿いへと向かい、僅かに内陸に進んだところで一泊して磐城平城を狙う為に野営する部隊。
一つは七月一日の戦い同様に磐城平の南の谷川瀬に向かい、そこから城下に進入する部隊。
そして最後は湯本より磐城平に向かう部隊だ。
これらの部隊を迎え撃つ動きを列藩同盟も行っていたが、全て破られてしまった。そして、磐城平に侵入を果たした新政府軍は、その兵力を存分に生かして、多岐に渡って城下に攻め入ったのだ。新政府軍の目標は無論、磐城平城ではあったが、先の戦いで散々煮え湯を飲ませてくれた稲荷台への攻勢も激しさを増していた。そして、遂には稲荷台も新政府軍の手に落ちた。磐城平藩の藩士、
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