小名浜の異変と棚倉落城

 小名浜おなはまの港を如何にか苦戦しながらも守り切った砲兵隊は、小名浜の代官である森孫三郎もりまごさぶろうよりその奮戦を評価され、酒一樽を振舞われた。また後に老公、安藤信正あんどうのぶまさよりも褒賞を得る事になるが、これは主題ではない。問題はその夜にすぐに起きた出来事だ。


 中ノ作に仙台藩が平藩の砲兵部隊と共に詰めていたように、当然、小名浜にも仙台藩の兵士が詰めていた。その仙台藩の兵士を率いる村岡惣太郎むらおかそうたろうより、平藩の砲兵隊を率いる緒形善右衛門おがたぜんえもん桑原重左衛門くわばらしげざえもんは驚くべき事を聞かされた。


「今、何と申された?」


 緒形は顔を顰めて村岡を見据えて問うと、村岡は微かに視線を伏せたがはっきりと伝えた。


「我が小名浜守備隊は中ノ作に引き上げる。また、村に備蓄された石炭は敵の船の動力にもなりうるので燃やすと申した」

「少数故に、そう仰せだが、我らは如何にか敵船を退けている。少数で在れども、如何にか持ち堪える事は出来る。ならば、退く必要はありますまい。それに石炭を燃やすなど、経済的な損失は如何な物か? それに平民にとっても重要な代物を燃やすなど、それがどれ程残酷な行いか……」


 緒形の声は硬い。これは怒声とならなかったのは、相手が仙台藩の者であるからだ。もし、同藩の者であればかなりの物言いとなった事だろう。村岡は、しかし、持論を曲げようとはせず話が平行線に突入する。桑原は不毛とも思えるやり取りに肩を竦めながら、一度外の空気を吸おうと屋内に出る。すると……石炭小屋の方が妙に明るい。


「まさか……」


 呻く桑原を前に部下が急ぎ走り寄って伝えた。


「お伝えします! 石炭が、石炭が燃えております!」

「緒形殿! 石炭が燃えておるとの事、わしは急ぎ村の者達の安定を図る、貴殿は消火の指揮を!」

「なっ……くそっ!」


 緒形は一度だけ村岡を睨み付けたが、それ以上言葉を発さず、急ぎその場を後にする。村岡は形ばかりの一礼をしてその場を離れると、後に桑原が書くには、何処かに去っていった。彼の足取りについては、筆者も知る事は出来なかった。別の前線に移ったのか、仙台藩に戻ったのか。


 この一事がとある出来事に大きく影響を与えたかも知れないと思うのは、後世からその事実を知り得た者特有の予感であろう。後に小名浜の目明役めあかしやくであった若松鉄五郎わかまつてつごろうとその息子である誠三郎せいざぶろうが新政府軍の参謀、堀直太朗ほりなおたろうと通じ、地の利の伝達のみならず道案内まで買って出ている。大きな二つの陣営に挟まれた時、片方が火を掛けて逃げ出す様な行いをすれば、もう一方に靡くのは当然である。磐城平藩だけで如何にかできる程の戦いでは既にない事は、誰もが知っているのだから。


 一連の出来事は人心の掌握と言う点でマイナスではあったが、緒形も桑原も民を落ち着かせることに成功する。だが、そんな彼等にも、仙台藩は信用できるのかと言う不安を抱え込ませるには十分な出来事であった。


 慌ただし一日が過ぎた六月十八日、桑原の元に飛脚がやってくる。中ノ作で守備に付いている壱岐一郎いきいちろうと合流し、湯本の防衛に付けと言う命令を携えて。


「内陸の戦況も芳しくないのだろうが……」

「命令であれば行くしか無かろう。小名浜は何とか我らで持ち堪えよう」


 そう告げる緒形に別れを告げて、中ノ作に戻る桑原。それは命令に従うと言うよりは、話を聞いてくれそうな人物に心当たりがあったからだ。仙台藩士である壱岐一郎、彼を説得できれば、この決定も覆させる事が出来るかもしれないと桑原は考えた。


 中ノ作に戻れば、桑原は急ぎ兵を纏めていた壱岐と軍議に入る。


「壱岐殿。中ノ作、そして小名浜が落ちれば、敵は要害らしい要害も無い浜街道を通り矢田村に至り、一路、たいら城へと向かいましょう。さすれば、それは当藩の終わり。だが、中ノ作、小名浜さえ健在であれば、敵が湯本を抜けたとて、要害の多い慣れない土地。堀坂ほっさか辺りで挟み撃ちも可能だ。如何に湯本が苦しくとも、ここの兵を湯本に戻すべきではないと考えるのだ」

「確かにその意見は至極当然。だが、命令を無視して良い事にはならない。出立の準備を進めながら、参謀にお伺いを立てるべきだ」

「無論それしかありますまい」


 壱岐はよく話を聞いてくれる。或いは流されやすいだけなのかもしれないが、此方の意見を受け入れて、上役に伝えてくれるのだから桑原としてはこの上なく有難い人材だ。桑原の意見を纏めて、本陣がある湯本に意見書を先に送り出してくれた。後は、上の沙汰を待つしかないと兵を纏めながら桑原は思うのだった。



 六月十九日、植田の戦いを生き延びた騎銃士隊とそれを率いる鍋田治左衛門なべたじざえもんは、湯本を離れ、平城の北に位置する神谷かべやに来ていた。この地は、新政府軍に与する笠間藩の飛び領地である。大きな戦いの前に背後を突かれる可能性がある為、叩きに来たのだ。


「平時であれば、良好な関係だったが……」


 呟く治左衛門。平藩とは距離も近い事から良好な関係を作って来たが、より大きな力の前ではそんな物は消し飛んでしまった。新政府軍にせよ、列藩同盟にせよ、大きな力の間に翻弄されるのは、力弱き者達なのだと今更ながらに骨身にしみていた。


 結局、神谷かべやは一日で落ちた。が、その夜には、再び神谷陣屋で不穏な動きありと、治左衛門の部隊が出向き、砲や銃を押収している。だが、治左衛門が一息つく暇もなく事は動く。新政府軍は二十日には第二陣を平潟ひらかたに上陸させ、総勢力千五百に達していた。だが、まだ磐城に兵を展開するには少ないと第三陣、第四陣を待っていた。


 そんな最中の六月二十四日。植田と泉を結ぶ山道がある新田山に新政府軍が兵を繰り出してきた。いわば威力偵察で在ったのか、程なくして戦いは終わったが、その日は大きく時流がうねりを上げた。棚倉の地で、板垣退助いたがきたいすけが棚倉城を落としたのだ。

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