男の行方

 鼓動が落ち着けば、脳に酸素が回る。そうすれば思考にも余裕ができる。余剰の事象に裂く分の余裕が。

 即ち件の男は何処にいるか、だ。少なくとも、彼女の視界にその影は無い。周りには山道の常というべき木々が立ち並んでいるが、まさかそこに足を踏み入れはしないだろう。冬の山の危険性を知らない人間がいるなど、山間部の村で生まれ育った少女には想像すらできなかった。

 その想像は地面を確認する事によって補強される。足跡が残るほど湿ってはいないが、雑草は其処彼処に生えていた。その小さな草に踏まれた形跡は無い。木立の中へ隠れたのであれば、踏まれた跡があって然るべきだ。故に、男は木々に隠れていないと言える。

 これ以上先には何も無い。そして男が去って行った気配も無い。御堂の中を観察していたとしても、気付かないとは考え辛い。ならば、男が向かった先は一つだろう。

 即ち、墓場。そう考えて踵を返し、御堂の隣の墓場を見上げた。現在の住民の数からすれば過剰な数の墓石が鎮座するそれは、少女の育った村が嘗て繁栄していた証拠でもあった。多くの先人達が、ここに眠っている。

 少しずつ視線を上げれば、人影が視界に入る。

 あの男だ。スケッチブックに何かを書いているように見える。見上げている少女に気づいていないのか、リアクションは無い。

 それならば、と普段よりも足音を立てないように墓場の階段を登る。石で出来た階段は経年劣化で脆くなっていて、剥離した破片が所々散らばっていた。住民が掃除しているものの、完全に除去は出来ていない。

 純粋に踏んで転ぶと危ないというのもあるが、踏んで砕ければやはり音がする。足音を立てないようにしている最中には、なるべく踏みたくない物の一つである。

 さりとて、そう避けられる物では無い。避ける努力はするが、踏んだ時に極力音を小さくする必要があった。簡単に言えば、ゆっくり歩く必要がある。

 逸る気持ちを抑え、努めてゆっくりと階段を登った。墓場の道は複雑では無い。碁盤の目のように並んだ道は、全て最上段まで続いているし、左右に貫く道も墓場全体を貫いている。特に何も考えずとも、男の元へ辿り着けるはずだ。

 その予想通り、全く迷う事なく少女は男のいる区画までやって来た。息も上がっていないし、疲れている様子も無い。しかしながら、その体にはジンワリと汗が滲んでいた。不審者を目の前にしているという緊張が、彼女の体に纏わりついている。

 少女は大きく息を吸って、男に近づいた。

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光の果て 相沢唯愛 @235971bne

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