第290話 新たなる厄介事


 年が明け三月。

 まだ昨夜の寒さが残る午前、地上にある迷宮統括委員会本部での会議を終えた俺は都内をぶらついていた。

 今日はいつもの面子の他に防衛大臣とか偉い人がたくさんいたんだが、幕僚長がいつも以上にガチガチに緊張してたのが少しおもしろかった。大臣に質問されるより俺が話しかけた時の方がしっかりとした対応をしていたように見えて、もしかすると一般人に対しての対応も評価に繋がるんだろうか、なんて思ったりもした。


 いつもなら迷宮統括委員会地下にある一室からすぐにログハウスへと帰るんだが、今日は一人と一匹で散歩したい気分だったんだ。……統括が最近お気に入りらしい喫茶店のクーポン券をくれたから、今度香織ちゃんとくる時のために下見しとくのも吝かじゃないし。


 実家周辺とはまるで違い、ダンジョン内のログハウス生活でも当然あり得ない光景……高層ビルが乱立し、真下から見上げるとこちら側に覆いかぶさるような錯覚さえ覚える。圧巻の一言だ。

 いやー、見上げると首が痛い痛い。


 「チビ、すごいな都会は」

 「わふ〜?」

 「すごい人はいっぱいいるし、変な人もいっぱいいておもしろいとこなんだぞ〜」

 「わふぅん」


 溜め息にも似た鼻息をフンと鳴らしある方向を一瞥したのは、現在進行形でこちらを窺う“変な人”に気付いているからだろう。俺みたいに周辺の情報を得るために【索敵】やら【神眼】やら、さらにはエアリスの眼という超小型監視カメラがない状態にもかかわらず、その感知能力はログハウス随一だ。なにせ空気に溶け込んだ俺に気付くくらいだしな。

 チビはダンジョンのモンスター、シルバーウルフだった存在だ。名前の通り狼だけあって犬のように『ワンワン』と吠えることがない。そう考えると普段は大型犬にしか見えないのに体のつくりはちゃんと狼なんだなと思う。


 「わぁ〜! おっきいわんわん!」

 「わふん」


 親子連れとすれ違い様、買ったばかりだろうピカピカのランドセルを背負う、小学生になったばかりに見える女の子が不用心に走り寄りチビに手を伸ばす。焦った母親が少女の手を引こうとし、俺もチビのリードを持つ手に力を込め引き寄せようと思ったが、チビからは余裕が垣間見えたためそれ以上前に出られないようリードを張る程度にとどめた。舌を出し『私は犬です』とばかりに無害アピールをするチビは少女にモフられるお仕事を立派にやり遂げ、何事もなくホッとする俺を褒めて欲しそうに見上げていた。


 「やっぱ異常に賢いよな」


 出会った当初小さかったチビの体躯はいまでは俺を超えているが、大きさを変えることができるため今は大型犬に収まるサイズで俺の隣を歩いている。

 不思議なことに街中を飼い主に連れられ散歩中の犬たちは、チビに気がつくとその場でお座りをし、少し鼻先を上に向け過ぎ去るまで微動だにしない。頭の中で待機中のエアリスによると犬たちの認識ではチビは王なのだと言う。会ったこともないのにわかるのかと思ったが、そこは動物的な勘や野生の勘といったものが働いているとかなんとか。実際ログハウスで香織の背もたれになっている時とは違いどこか凛々しく誇らしげに鼻を高くしているように見えるチビだが、俺は知っている……街中の美味しそうな匂いに鼻をヒクヒクさせ続けていることを。


 という事で何か食べ物をと思ったが、海外ならともかく日本という国はそもそも屋台が少ない。ここがファンタジー小説の世界なら串焼きなんかが簡単に手に入るんだろうけどな。それに人間用の味の濃い食べ物は動物に与えるべきではない。チビが実はモンスターだから多少味が濃くても普通の犬が食べられない成分が入っていても問題ないとはいえ地上では単なる犬扱いなわけで、つまり往来でタレや塩胡椒で味付けした焼き鳥を食べさせている様子を見られる事が良いとは言えない。愛護精神と正義感溢れる方々になんて見つかってみろ、無駄にでかい声でご注意されるぞ。


 「帰ったら肉やるから我慢してくれな」

 「わふぅ……」


 がっくりと肩を落とした雰囲気のチビが何かに反応するかの様に鼻先を上げる。視線を送らず周囲を探るとその理由がわかった。


 「あ、あのぉ! しゅ、しゅみましぇん!」


 先程からこっそり後をつけてきていた人物が声をかけて来た。迷宮統括委員会を出て少し経った頃からいかにもな不審者ムーブだったから、近寄り難いようにそちらへ向けてちょっぴり圧を向けていたんだが、気の抜けた一瞬に近寄って来ていたようだ。どこかで見たような気がして首を傾げていると、首に巻いたマフラーから爬虫類が顔を出す。それを見てどこで見かけたか思い出した。


 「あっ! もしかしてギルドの……」

 「ひゃ、ひゃい! と、ととと遠目でしか見た事ないのに、しし知ってるんですね……」

 「そりゃあトカゲのモンスターなんて連れてたら、ね」

 「きき気付いてたんですかっ!?」


 チロチロとセンサー代わりの舌を出す様子は、普通の人ならモンスターと言われても信じられないくらいのトカゲっぷりだ。でも俺の【神眼】には別のものもしっかりと映っている。それを説明することはしないが、普通のトカゲじゃない事は確かだ。


 「ところでそのトカゲ——」

 「ゴンさんです!」

 「へ?」

 「この子の名前はゴンさんです! 今年で八歳になります! よろしくおねがいします!」

 「お、おぅ……八歳のゴンさんね、よろしく。それでそのゴ——」

 「あっ、あああししし失礼しましたっ! わわ私は田村といいます!」

 「あっはい。俺は——」

 「ぞぞぞ存じ上げております! みみ御影さんですよね!」

 「ソウデスヨ」


 他人のことは言えないがあまり人付き合いが得意ではないんだろうか、変な勢いがある。

 普段対人慣れしているログハウスメンバーと接していたから、御影さん的にこういうのって新鮮だ。

 で、往来でっていうのもなんだし統括おすすめの喫茶店に入り、その田村さん家のゴンさんについて聞いてみるとおもしろい話が聞けた。


 飼い主の田村さんは迷宮統括委員会の職員だ。公務員からの転属の他に一般採用枠があって、そこに一般応募したらなぜか採用。仕事内容は探検者に発行したダンジョン絡みの依頼の処理と、迷宮統括委員会本部地下にあるプライベートダンジョンの間引きをする子飼いの探検者の管理マネジメント業だった。黙々と仕事を過ごす毎日だったが、今日もがんばるぞと鞄を開けたところゴンさんが出てきたらしい。居合わせた女性職員はほとんどが悲鳴を上げ、それに驚いたゴンさんはというと……地下にあるダンジョンへまっしぐら。つまり脱走である。入り口は厳重に閉じられているため普通は入れないが、ちょうど間引きを終えた子飼いの探検者が扉を開けた隙に入り込んでしまった。田村さんがその報告を受けて一月後……


 「ごごゴンさんが帰ってきたんですっ!」

 「へ、へぇ〜」


 小声ながら捲し立てるように、どこで息継ぎしてるんだという勢いで話し終えた田村さん。満足げにドリンクバーのメロンソーダをごきゅごきゅと喉を鳴らしてストローで吸い上げた。


 「ぷぁ! それで帰ってきたゴンさんとの間に絆みたいなものを感じるようになってですね……なんと! 簡単な会話ができるようになったんです!」

 「そりゃすごい」


 簡単に信じてしまったのはその簡単な会話を店に入る前に目の前でやってみせたからだ。もちろんトカゲであるゴンさんが声を出してというのはできないみたいだから人間の真似をするように頭を上下に振り肯定を示していた。しかも田村さんが声を出さずともその指示通りの動きをすることもできる。つまり声を出さずに意思疎通できているということで、俺がエアリスと脳内会話ができるのと似ている気がした。

 田村さんの手首に嵌っているダンジョンで初めてモンスターを倒した際に手に入る白い腕輪は、腕輪というよりも派手なギャルが付けていそうなお洒落なリングのような細いもので、そこから本人たちにしか見えない糸で繋がっているらしい。ちなみにそのリングは帰ってきたゴンさんを抱き上げた時に現れたんだとか。

 モンスターを倒してもいないのに現れた腕輪ってのは初めて聞くし、地上で腕輪が現れたってのも初めて聞いたな。


 「そそそれでですね……」

 「ひとついいですか?」

 「ひゃいい!? なななんでしょかっ!」


 ゴンさんの話をしている時は吃(ども)らないのに、普通の会話では吃る。まぁ稀によくいるよな、たぶん。


 「ゴンさんの変化について、機密とかそういう気配がするんですが」

 「とと統括さんから、『クラン・ログハウスになら言っても問題ないよ』って許可は貰ってます!」


 なるほどつまり機密なのでは? 本部内で話すならともかく、ここ喫茶店だし。俺に対しての信用として受け取れはするけど、俺たち以外には知られるなとも聞こえるし厄介事の気配がすごいし。

 だってこの話って“飼っている動物のモンスター化”って事だ。野生ではあるけど動物がモンスター化、それ自体は地上がダンジョン化した地域、マグナダンジョンでも起きてはいるんだが、一般的に常識ではない。さらにモンスター化する以前と変わらず……もしかするとそれ以上に飼い主に懐いているわけで、おまけに念話的な会話も可能。こんな話は聞いたことがない。そうだなぁ、ゲームやファンタジー小説風に言えば……


 「ブリーダー……いや、テイマー?」

 「て、ていまー?」


 そう。モンスターをスキルで手懐ける……動物ならビーストテイマー、昆虫ならインセクトテイマーといった類の能力。ラノベなんかでは最強の魔物やらドラゴン、果ては魔王なんかも使役しちゃうアレだ。そういった話においては伝説の職業と言っても過言ではないかもしれない。

 ……伝説とか言っても現実世界はついこの間ダンジョンができてファンタジー味が出てきたとこだから歴史が浅すぎて伝説もなにもないんだが、まぁ伝説なんてのはこれからできていくものだろう。

 ともあれエアリスからテイマーの存在は聞いたこともないし、希少なのかも。表立ってないだけで、実際はそういうネットワークやらコミュニティみたいなものはないんだろうか。


 「ペットとか……例えば犬と一緒にダンジョンに入ったりする人っていたと思うんですけど、そういう人たちはどうだったんですかね。何か知りません?」

 「わわ私が知るかか限りでは、おおお同じようになった人を知らないです……ととというか御影さんは違うんですか?」


 田村さんの視線が足元のチビに向く。俺も同じだと思ってるみたいだが、チビは元からモンスターだし、餌付けはしたけど俺の能力でテイムしたわけではない。田村さんとゴンさんみたいに他の人には見えない糸で繋がってるわけでもないしな。とはいえ違うと言うのも説明が面倒だし濁しておくか。


 「俺の場合は……いや、まぁ似たようなもんですかね。それで、どうして俺に話したんです?」

 「こここんなご時世なので、ひひひとりで秘密を持つのが危険かもしれないというか、ここ怖いと言いますか……みみ御影さんならいろいろ知ってると思うからって聞いて」

 「誰が言ってたんです?」

 「とと統括さんが、です」

 「統括ぅ……さっき何も言ってなかったじゃんか……」

 「そそそれであの……ししし師匠になってもらえませんかっ……?」

 「師匠……?」


 何か勘違いしている田村さんの隣に置かれたキャリーケース、その中を【神眼】で視る。犯罪まがいだが視えると知られていなければ問題ない。エアリスがよく言っているが、バレなきゃ良いのだ。それにここで見たものは持ち主に対してさえ知られないように配慮する、安心と信頼の御影お荷物チェックサービスだ。

 着替えに歯磨きセット、洗顔料にメイク道具一式などなど。あとはトカゲの餌用G……うん、これ完全にお泊まりセットだ。計画的犯行だなぁ。

 つまり最初から仕組まれていた、と。さっきの集まりは北の国対策の話をするだけじゃなく、田村さんと接触……というか連れて行かせるためでもあった、と。そして仕掛け人は統括、と。


 ……おん? するってぇとアレかい? 非常に珍しいケースで、地上じゃ事件に巻き込まれないとも限らないからログハウスを巻き込もうとしてる……? 好意的に考えれば護衛任務って事だろうが、現時点機密だから書類にも残さない、と。当然大っぴらにそんな事は言えないし、誘拐やら危害を加えられる可能性を本人になんて伝え難い事だから、俺に弟子入りしてこいとでも言ったんだろうな。香織ちゃんと迷宮統括委員会に行く時はよくチビやおはぎも連れてきたりするから説得力はあるし、さぞ簡単に唆せただろう。

 そんであのいつもの統括室でも言わなかったのは……まさか盗聴とか監視されてるかもしれないからか? これは俺に対して『察しろ』と言ってるに等しい。察してしまったが最後、断るなんてできないってとこまで織り込み済みなんだろうなー。


 やってくれるじゃねーか狸ジジイ。帰ったら近頃新しい武器開発ばかりしてるログハウスのお姉さん的存在、つまり現役のスペシャリストを付けてやるから安心しやがれ。だから報酬はしっかりお願いします。依頼書も契約書もないけど。


 「誰が聞いてるかもわからないし、それは向こうに行ってからにしよう」


 口を×にしてコクコクと頷く田村さんに懸念を直球で伝えるのはやめたほうがよさそうだと考えながら、先ほどの統括室での出来事から思い返した。


 広範囲にダンジョン化した大陸の国に対し侵攻を始めた北の国。制圧が完了するのは時間の問題というのが偉い人たちの見解だ。だからそうならないように最低限遅滞が必須らしく、偉い人たちに『もしもの時はペルソナに強く要請してほしい』などと頭を下げられた今回の会議。正直こちらが萎縮してしまうんだが、それはやはり俺が一般人だからだろう。

 いつものようにすぐに帰らず、気分転換に散歩をしていたら書面にもできない厄介事が舞い込んだ。というか作為的なものを感じるんだが、そうしなきゃならないくらい切羽詰まってたりするのかもな。例えば今現在テイマーの情報を得たい誰かが田村さんを誘拐しようと画策してるとか。その辺りのことは帰ったらエアリスに調べてもらうが、とりあえず田村さんをログハウスに匿えばいいんだろうな。

 統括が関与していないなら話は変わってくるから念のため今のうちに【神言】を使って聞き出してもいいけど……田村さんに裏があるようには感じない。まぁそれは帰ってから統括に電話で聞いてみればわかるだろう。


 喫茶店から出た俺たちは人気のない路地裏へと入り込み、実体化させた特殊な鍵で開いたログハウスへの直通の扉を潜った。

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