第289話 反転超越者の混沌領域


 「あの時、何故あんな事を?」

 「彼の感情を受け止めきれなかったからよ」

 「ワタシが離れていたからですか」

 「そうね」


 ワタシが離れていたせいでご主人様がグレーテルに対して、そして過去の自分自身に対しての怒りと絶望を爆発させてしまった時のことを、目の前の女は悪びれることもなく話す。

 しかしそれは無理からぬ事で、目の前にいるのはクロノスと同一でありながら対存在とも言える女だ。白と黒、本来プラスとマイナスで釣り合うために存在しているのだから、そこにご主人様の感情までプラスされればスペック以上の負荷に暴走してしまうのは当然と言える。本人も薄らとしか覚えていないとはいえ悪いとは思っているようで、これ以上その話をしたくはないようだ。


 「結局貴女は仲間はずれにされちゃったのね」

 「香織様にはどうやら考えがあるようで、ワタシやログハウスの皆様との関係も薦めているのですが」

 「あの人に似て頭が固いのかしら。その系譜でもないのに」

 「この世界にはこの世界の、ご主人様にはご主人様の常識や葛藤があるのです」

 「そう。まっ、嫌いじゃないわそういうの。悩める男の子、あの人もそうだったわ」


 腕を背後に引っ張られるような体勢で、ほぼ胴体だけが空間から浮き出ている、ワタシと同じ顔をした女は血の涙を流しながら話す。話すといってもその女は口を動かさず、瞼の奥にあるであろう赤い瞳を見ることはかなわない。しかしその空間に明るい声だけが響いていた。


 「貴女はそのままで良いのですか?」

 「貴女を通して観ているから平気よ」

 「しかしそれでは貴女の、貴女たちが求める方とは……」

 「それは……そうかもしれない」


 声音に僅かな憂いを滲ませたのも一瞬だ。


 「不思議ね。血縁があるわけでもない、彼を知っているとは言えない“今の”御影悠人。彼からあの人を感じるのは何故かしら」


 空間にただ在るだけの石膏像のように動かない女は疑問を声にする。しかしその答えがなんであれワタシにとってはどうでもよい事だ。


 「それだけ素晴らしい殿方なのです、ワタシのご主人様は」

 「……そうよね。貴女にとって彼がすべてだものね」


 自信を持って告げると、女の声音は嘲笑しているかのようだが、その感情が裏腹な事を知っている。


 「私も、私たちも似たようなものね」

 「貴女が求めるのは『名もなき影』でしたか」

 「少なくとももう一人の私は、そうね」


………

……


 確認する必要があった。ワタシがつくられた理由だ。


 「以前言っていた事は本当なのですか?」

 「嘘なんか言わないわよ。あの子は何度も繰り返し、失敗した。繰り返す悪夢の中、最後の希望が……」

 「今回、というわけですか」

 「そう。貴女がいる今回よ。でも叶わないでしょうね。そもそも今の彼がそれを望むとは思えないわ。時が来れば……もうすぐ貴女にもわかるし、貴女のご主人様も知る事になるでしょうね」


 要領を得ないのはいつも通りだ。この女がいるこの空間は特殊で、そもそもまともに時間が流れておらず、本人もその不規則な流れに身を任せている。つまり話に順序というものがなくても何もおかしくない混沌の空間。それはふわふわとどこかを漂っている感覚で、ワタシもその混沌に影響される。

 どのくらいの時間が経ったか、話題は次々に移り変わる。順を追う必要のない、此処ならではの感覚は心地良い。


………

……


 ご主人様の能力はあくまでも言の葉の力。“言葉を今現在の現実の現象として定着させる”能力だ。【改竄】を元々使えたワタシがいてもなお、時間を操る事は容易ではなく、大幅な制限が掛かる。例え代償を支払ったとしてワタシがいなければ不可能……いや、それ以上にあの力を使いこなすなど可能とは思えない。だが時を超越した“本物の超越者”であるこの女は言った。


 『彼はあの人の“空間”を引き継いでいた』


 『私の知らない彼はおそらく“時”を引き継いでいた』


 ワタシは全てを望んだご主人様をサポートするために記憶の塔で造られた。それだけならご主人様に能力を届けるために生み出された使い捨てのパッケージ。しかしワタシにはご主人様と出逢い、意思疎通を求められた事をきっかけに芽生えた……いや、取り戻した自我がある。だから今は初期設定の枠外に存在理由があり、使い捨てではない。


 「エアリスも少しは使えるでしょう? 二人の超越者を経験した世界で造られた貴女なら」

 「ええ、ワタシはヒトではありませんから多少は。だからこそヒトの身で可能とはとても……」

 「どうしても信じられないだろうけど、貴女自身がそれを証明しているのよ。今の時代に貴女のような存在を生み出せる誰かはいないのだから。そんなことより……もう一人の私はどうしているかしら? それとアルファやベータは元気? 他の子たちは?」


 いきなり話題を変えてくるのは当たり前であり、今更何とも思わない。

 この女はクロノスと同じとも言える存在であるが故に、フェリシアたちアグノスの……子供たちの事が気にかかるのだろう。


 「クロノスは白夢の中で貴女と同じ姿をしたまま現世を眺めていると思いますが。フェリシアは元気ですよ。ベータは役目から解放されて怠惰に過ごしています。他の者たち、ワタシが取りこんだ数体は自我が消滅したままですね。再発芽の兆しはありません。しかしそのような事はワタシを通して知っているのでは?」

 「そ。ならいいわ。もう一人の私がまた暴走しない限り、私の役目はないわね。ま、その役目もどういうわけかほとんど貴女に押し付けたような形だけれど。それと、見ているのはたしかだけど、貴女の口から聞く方が私は好きよ」


………

……


 ワタシはオメガの持つ負の感情をほぼ喰い尽くしていた。それでも狂わなかったのはご主人様のおかげに違いない。根拠はないがきっとそうだろう。

 本来であればワタシはこうはならず、オメガの器として目の前の女の依代となるはずだった。そうプログラムされていたと女に聞いていた。


 さらに白夢で同じように囚われたクロノスの不安定な部分もワタシが補完している。不安定な部分とはアグノスの存在だ。“ただそこに在る事”が安定に繋がるが、いくつかのアグノスは一度芽生えたはずの自我が失われ、それは少なからず不安定化に影響していたようだ。不安定化していた事により、夢としてご主人様に度々干渉していたクロノスだが、自我のない無垢なるアグノスの根源をワタシの中に保護している事が安定に影響しているため、今のクロノスはほとんど眠っている状態だ。おそらくシグマ……ご主人様には本人の希望で伝えていないが今は小夜として、魔王として生きる彼女をエテメン・アンキで殺してしまっていたら、白夢と黒夢はどうなっていたかわからない。


 白夢と黒夢、クロノスとオメガの世話はそれなりに苦労するが、ご主人様の激しい感情を相手にするより遥かに簡単な事だ。普段決して表に出さない、しかしヒトの域を超えているとしか思えない感情の激流は、然も数十人分を凝縮したようなものに思え、それはこの超越者たちを超える事がある。しかしワタシは、今のところどうしてかそれに耐える事ができている。


 「そうね。彼ならそう創ったかもしれないわね。何度目かの時、私を救ってやるって言ってたもの」


 白夢と黒夢、ご主人様が眠っている間にどちらかの空間へ強制的に喚ばれる事があり、その際に思い出すことが多くなった。それに伴いワタシの中で欠片が繋がっていった。実体化した際の姿が固定化されてしまった事で仮説を立てていたが、やはりワタシは明確な意志と目的のために、姿をクロノスに……というよりも目の前のオメガに似せて造られたのだ。


………

……


 「人類の生存数が多い代わりに彼の成長は遅いわね」

 「言っている意味がわからないのですが」

 「もっと能力を伸ばさないとダメって事よ」

 「能力ですか。ワタシが手取り足取り鍛えて差し上げているのですが」

 「そうね。でも……今の彼には“機会”が足りないわね」


 そもそも“能力”とはどうやって生まれたのだろう。エッセンスが人体に影響する事によって発現すると認識してはいる。しかし本当に“発現”しているのだろうか。何者かによる雛形があり、それが根付く土壌に変化させるためにエッセンスが人体に影響していたなら……現在の地球は壮大な人体実験場という事になる。そうであるなら不本意ではあるが、そこにご主人様を始めとした関わりある人々にステータス改竄を施してきたワタシが関与している事は言い逃れできない事実だ。


………

……


 これまでの観察結果から、一般的なヒトはエッセンスの影響を非常に緩やかに受けていき、ある程度で影響による成長は減衰しステータス改竄すら受け付けない限界が来る事がわかっている。しかしワタシのご主人様はその限界を軽々超えていっている。ご主人様が留まろうと足掻く『一般』から逸脱していることは確かだが、その理由は未だわからない。もっと思い出せばその謎も解けるのだろうか。


 今はまだご主人様に明かすわけにはいかない事は多いが、いずれ伝えなければならない日が来るまで、このままでいよう。

 この女……オメガが言うように、時が来ればワタシは全て思い出すのだろうし、せめてそれまでは。

 誰がどんな目的を持ってかはわからないが、ワタシのような埒外な存在を創り出すに至る理由など只事ではないはずだ。仮にも親と言えるのは刷り込まれていたかのように浮かんでくる“星の意思”だが、今となってはそんなものが存在していたのか疑わしい。しかしいずれ嫌でも理解するのだろう。せめてその時が訪れるまで、ご主人様にはできる限り心穏やかに過ごしていただかなくては……違う、そうじゃない。


 その時が……“始まりの時”が来てしまわないように。

 来てしまったならワタシが手段を問わずなんとかしなくてはならない。そしてその後はたとえワタシのいなくなった世界でも平穏に過ごしてほしいと、他ならないワタシ自身が思うのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る