第272話 グレーテル2


 その声はどこか懐かしかった。


 「これはね、私のハジメテなの。ダンジョンが出来る前だったのに、再現できるようになったのよ」


 “彼女”の声で嬉々として語るグレーテルは、大人の女性というにはあまりにも幼く変わっていて、ブロンドの髪は茶色になっていた。


 「確かこんな髪色で、顔は……こういう感じだったかしらぁ。東洋人の顔はいくつかあるけれど、どう混ぜればイイのかしらァ。あの時は声を出させないように必死だったからじっくり見れなカッタノ。声を出せないようにしたかっただけなのに気付いたら死んでたのよねェ」


 グレーテルが変化させた顔はどことなく昔の恋人に似ていて、そして声はそのものだった。ひどく懐かしく、息苦しい。視界が歪む。


 「ハジメテだったのが残念よぉ。死んだあの女の目が怖くて逃げちゃったもの。もっと余裕があれば少しずつ切り刻んで、犯して苦痛に歪むその顔を愉しめたのに」


 頭が沸騰したような、それなのに冷え切っているような。

 目の前が真っ白になったような、それなのに深淵を覗き込んだような。

 赤と青、白と黒、相反するかのようなものが思考を飲み込んでいく。


 「ダンジョンが出来て能力を手に入れて、それからあの女が頭の中でうるさいから調べたのよねぇ。そうしてユートを見つけたの。それが目を付けていたクラン・ログハウスの御影悠人だったなんて、運命よねぇ?」

 「調べた……? 俺を……?」

 「そうよぉ? あの女、私の一部になったのに煩いんだもの」


 グレーテルは……こいつは何を言ってるんだ……?

 初めて出力を気にせず【神言】を使ったからだろうか。聞いてもいない事まで何の警戒も疑問もなく、羽のように軽くなった口でグレーテルは語る。『聞きたい』『聞きたくない』相反する二つが鬩(せめ)ぎ合い、しかしそんな事はお構いなしとばかりに聞かされる。


 「大変だったのよ? 『センパイセンパイ』って。だからまずはセンパイの意味から調べて……日本という事しかわからなかったのよねぇ。そういえば殺した時も言ってタわねェ……“センパイごめんなさい”って」


 そうだ。彼女は名前で呼ぶのが照れくさいと言ってずっと先輩呼びだった。俺も対抗して後輩と呼んだ事がある。機嫌を直してくれるまで大変だったなぁ……。


 「でも“あの人”と出逢ってからは簡単だったわぁ。あの時の記事を探してあの女の名前から特定して」


 名前で呼んでくれたら名前で呼ぶなんて言ってみたけど、意地の張り合いは俺の負けだったな。卒業旅行から帰ってきた時、これは悪い夢で明日になったらいつも通り呼ばれるのかなって思いもした。でも現実は残酷で、彼女の抉れて無くなった喉も、体温も戻る事はなかった。

 それからの俺は犯人を探し、もしも見つけたら……なんて考えていた。だというのに、ダンジョンが出来てから、正確にはエアリスに出会ってからか。俺は彼女の事を忘れるようになった。今にして思えばたぶんその記憶に準ずる感情をエアリスが喰らっていたから、記憶から感情へ、感情から記憶へっていう循環が上手く働かなかったんだろう。それとは別に今の今まで諦めていた。つい最近、もしも見つけたら、なんてエアリスと話したけど、現実的ではなかったはずだ。それなのに……


 「……そして見つけたの。やっと見つけたのよ、ユート」


 俺も……やっと見つけた。


 「“彼”はすごいのよぉ。でも趣味が合わないのだけが残念ね。彼ったら合意を求めないから」


 特級クリミナルの犯行と思しき写真群には趣向の違いが見受けられ、大まかに二種類に分けられる。冴島さんはそう言っていた。なぶった挙句に死んだか、じきに死ぬように傷を付けられたか。どちらも死に至る過程をたのしんでいたと推察された。


 「でもユートは特別。合意はあった方が良かったけれどダメそうだから……私の中で一緒にしてあげようと思ったのよぉ」

 「合意……?」

 「そぉよぉ。いつもなら魅了を使わなくても少し迫れば受け入れてくれるのぉ。なのにユートったら……ショックよぉ」


 粘着くように顔を歪め無理矢理に造られた笑み。嗜虐的な表情はどういった趣向であれ肌を泡立たせるに充分な上、濁ったその瞳は殺意を孕んでいた。


 「だからいつもは合意なのよぉ? でもユートは特別。死んでも煩いあの女のへの復讐にもなるし」


 合意なんてそんなわけあるか。これまで首を縦に振った人たちは、振るしかなかっただけだろう。だってのにそれを嘲笑うかのように、最後は殺したのか。


 「復讐……そう、復讐よぉ。これまでず〜っと煩かったから……あの女の大事な大事なユートを今度はちゃあんと念入りに、穴を増やして死ぬまで突っ込んであげるから……だから、だからもう静かにしてよぉぉおおおオオオ!!」


 頭を抱えたグレーテルの口が再び裂ける。髪は半分ほどが抜け落ち、顔は原形を留めないほどに変わり果てていた。エテメン・アンキのゴブリンを凶悪な化け物にしたような顔だ。それなのに、声は懐かしい彼女のまま。


 「ねェセンパイ! タスケテセンパイ! 嗚呼ァァああア!!」


 大きな口が開かれ、刃物のように鋭い無数の歯が首か肩に向かって襲ってくる。それに対し居合のように銀刀で迎え打とうとした時、嫌な予感がした俺は銀刀の背に足の裏を添えるようにした。予感は的中、グレーテルはその鋭い歯で銀刀とかち合い、一瞬力負けしそうになるが、添えた足を蹴り上げ力任せに弾き飛ばす。次の瞬間、慣れない動きをしたせいもあり体勢の崩れた俺の首に、グレーテルの鋭い歯が突き立てられていた。

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