第271話 グレーテル1


 「え? グレーテル?」


 呼び掛けに返事もせずガジガジとしている。でも服の上からじゃ噛み切れないだろう。ミスリル糸をふんだんに編み込んだ、所謂強化服ってやつだし……と思っていたのは完全に油断だった。


 「いでででで!?」

 「ン〜〜! ン? カタイ」


 そりゃそうでしょうよ。一瞬遅れたけど久しぶりに発動したわ、星銀の指輪の【不可侵の壁】。いつもは勝手に発動しないようにしていたんだが……エアリスの仕業だろうな。まぁそのおかげで食い込んでいた歯を押し返し俺の服と肩は無事だ。

 ってか口が耳まで裂けて刃物みたいに鋭い歯が何十本も生えたグレーテルに齧られてるってのに案外冷静だな、俺。


 「えっと……どういうつもりか聞いて良いか?」

 「エッ!?」


 その質問にギョッとしたような表情で距離を取ったグレーテルが、その大きな口を動かし言葉を発する。


 「どういうつもりって……効いてたんじゃなかったの!?」


 それは魅了の香りの事を言ってるんだろうか。だとしたら返答は否だ。


 「魅了なら俺には効かないんだ」

 「そんなハズは……さっき効いてルって言ってたジャナイノヨ!」

 「それは……気功マッサージの事で……」

 「キコウ? ナニよソレ」

 「いや知らんけど」

 「もぉ! バカにシテ!」


 馬鹿にしてるつもりなんてない。本当に気功マッサージってのがわからないだけだ。エッセンスは多少見えるようになったのに、菲菲が言う氣の流れとかはうっすら湯気が立っているようにしか見えないからな。それだって湯気みたいなもんかもしれないし。まぁそれはいいとして。


 「さっきの、どういうつもりだったのか……教えてくれないか?」


 こちらを警戒するように少し距離をあけたグレーテルに対し、威圧的な態度で疑問を投げかける。いきなり噛みつかれて困惑してはいるけど、それよりも若干の害意と本気の捕食を感じた。つまりグレーテルは俺を“食べ物”として認識し、実際に喰らおうとしていた。星銀の指輪の【不可侵の壁】は自動発動だが、発動が遅れたのは噛み付いた時点で害意がなく、ただの捕食だったからか。しかし……それがわかっていても何かの間違いではと考えてしまう。


 「ドウして正気でいられるのヨッ!」

 「だからそれは効かないからって」

 「今まではウマくいってたノニィ!」


 今までは……? これが初めてじゃないってことか? 悔しがるように大きな口を歪め睨みつけてくる。そこに感じるのは、明確な敵意だ。


 「この能力ヲ手に入れる前よりモ……」


 俺は何か思い違いをしていたんだろうか。魅了は偶々暴走気味になってしまっただけで、悪意のあるものではなかったと思っていた。いや、もしかするとそうだと思いたかったんだろうか。


 「絶対にバレないって言ってタのに!」


 だんだんと冷めていくような感覚がグレーテルをしっかりと認識させていく。

 エアリスは今、俺たちの後方をついて来ていた人たちの様子を見に行っているから離れていて、エアリスの眼による映像は見ることが出来ない。でもそれは俺が能力を使う事が出来るという事でもある。だから確認するには……本人に聞くしかないな。


 「『質問に答えろ』……全部で何人喰った?」

 「ッ!! ……覚えてないワ。日本にキテからはオイシイところだけ七人ヨ」

 「いつからだ?」

 「ハジメテは……三年以上前にナルワ」


 そうか。ほんの数日前だが、知り合ってから変わったわけじゃなかったんだな。


 「その時はどうやったんだ?」

 「押さえつけて喉を噛みチギったの。そうすると叫び声も命乞いの懇願もキコエナクなったのよ」

 「押さえつける? その細腕で?」

 「結構力持ちなノヨ」


 細く白い腕を少し捲るようにし力瘤ちからこぶを作ろうとする。しかし次の瞬間、着ていた服の肩から先が内側から破れた。腕は何倍も太く肥大化し、そこには確かに血管の浮き出た力瘤が出来ていた。


 「なんだそれ……」

 「アラやぁだぁ! 恥ずかしい!」

 「どういう仕組みなんだ……?」

 「恥ずかしいけどユートにだけ教えてアゲルわね? 実は私、元々こんな見た目じゃなかったノ。ダンジョンが出来るまでオトコだったのよ」


 龍神や元がドラゴンのクロがいるから、人外が人化するってのは俺にとって身近な事だから受け入れ易い。じゃあグレーテルはモンスターとかその類だって事だろうか。いや違うな。ダンジョンが出来る前の事も言っていたし。それに今の顔は人間というより色々なものが混ざったようにも見える。


 「じゃあそれは能力って事か?」

 「そう。喰らった相手になる事が出来るノヨ。すごいでしょう? だから……ほら、こんなにキレイになっちゃった」


 裂けていた口は元に戻り、そこにはグレーテルの顔があった。


 「見て見て。この唇良いでしょう? 先週見つけたの。ユートはこっちの方が好みかなぁって思って、今日はこっちにしたのよ」


 「他にも……」そう言ったグレーテルは目や耳、肌の色や胸の大きさまで変化させていく。それだけの数の人を、その部位を喰ったと……?


 「声も変えられるのよ? ユートは日本人だから、日本人の声が良いわよね? ……アーあー。どうかしら?」

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