第256話 人間ドック
「何ってそりゃあ……家族と同じくらい大事だよ」
誰から漏れたか困惑するような『え?』が聴こえた。
何か変な事を言っただろうか。沈黙に違和感を覚え顔を上げると、揃いも揃って鳩が豆鉄砲を食らったような表情をしている。
「ほらほらみんな、まだ悠人はここがちょぉ〜っと具合悪いみたいだから飲み物でも飲みに行こうよ」
“ここ”と言いながら自分の頭を指先でトントンとする悠里。みんなに出ていくよう言ったのは気遣いからだな。だって自分でもわかるくらい苦い顔をしているだろうから。悠里は昔から心配しているというのをあまり知られないようにする割に照れ隠しだけは下手くそなんだ。
病室から出ていくみんなの最後尾、悠里は歩を止め振り向く。
「さっき一瞬、昔の悠人に戻っちゃったみたいだったよ。また変なこと考えないでね」
「大丈夫だ。それよりもあれからずっと俺に構ってたばっかりに婚期を逃してたかもしれないよな。ごめんな」
「いきなり何よ。あと自惚れてんじゃないわよ。まったく」
そういうつもりでもないんだが……まぁこういう気安い会話ができるんだ、こいつは。
「そもそも彼氏できてないもんな」
「それだけ言えるなら平気そうだね。じゃあ控え室にいるから」
憎まれ口を叩き合う事もしばしば。でも俺にとってそれは間違いなく癒しになっていた。
ところで昨日も香織と小夜が言っていたが、控室ってのは自由にできる場所なんだろうか?
「言い忘れていましたが、この人間ドックプランにはオプションがありまして。追加料金で家族用に個室を貸し切れるのです」
「え、それっていくら……」
「四万円と良心的な価格設定です」
「無駄な出費を……」
エアリスに手続きをさせるとこうなるのか。自分でやるか節約というものを覚えさせるか……どちらかをする必要がありそうだなぁ。今更キャンセルなんてできないし今回は勉強代って事で……諦めるしかないか。
「悠人さん、おはようございます」
「悠人しゃん、ごきげんようなの」
やっと落ち着けるかと思いきや、香織と小夜がやってきた。こう賑やかだとここが本当に病院なのか疑わしくなってくるな。それはそうと、リアルな『ごきげんよう』を初めて聞いた。これが小夜の演じている“御影小夜”か。
「二人ともおはよう」
「隣の控え室に荷物を置きに行ったんですが、みんなコスプレしてたんです。悠人さんに好評だったって喜んでましたよ〜?」
香織のこの表情はどういう意味なんだろう。怒っているようなそうでもないような。言葉にすれば『むぅ〜』といった感じだろうか。
「香織様も着てみたいのですか?」
「そ、そんなこと……でも悠人さんが見てみたいなら」
「見てみたいです!」
「わたしも着たいのよ。お姉様、ちょうだいなの」
「では控え室でお待ちください。すぐにお持ちいたしますので」
香織と小夜は出ていったが、エアリスは製作を始めない。材料がないんだろうか。
「どうしたんだエアリス。作るんじゃないのか?」
「いえ、こんな事もあろうかと作成済みです」
普通に考えて、こんな事はあろうはずがないと思うけど。でも持ってるなら渡せばよかったのにな。二人ともすぐにでも着てみたい気持ちが顔に出てたし。
「仕方のない事です」
「いきなり何を……」
「ワタシはマスターの記憶を引き継いだ存在でもあるのですよ。ですから……思い出してしまったのでしょう? あの事を」
どうやらエアリスにはお見通しらしい。
「ですが……酷すぎます。マスターは何も悪い事をしていないというのに」
「でも彼女の両親も辛かったんだ。俺くらいしか責める相手がいなかったんだろうし」
「卒業旅行の同行者はマスターのように責められたのでしょうか」
「さぁな。無事帰ってきたらしいって事しか知らないな」
「調べますか?」
「いやいい」
さすがにそれを知ったからといってどうにもならない。
「マスター、辛い時期を乗り越えてくださってありがとうございます」
「乗り越えられたかはわからないけどな。それに礼なら悠里に言ってくれ。あいつのおかげなんだ。それより早く持ってってあげてくれ」
「はい。ではお二人に届けに行って参ります」
部屋に残されたのは俺一人。ようやく病室らしい静寂が……
「おはようございまーす!!」
勢いよくドアを開け入ってきたのは白衣を着た初老の男性。なかなか落ち着けないのはなにか呪いにでもかかっているんだろうか。
「
「あっはい。御影悠人です。お世話になります」
「いやー! はっはっは! ホンモノ! ホンモノの御影悠人さん! いやー、実にすんばらしいッ!」
何が素晴らしいのかよくわからん。ってかこんなうるさい人が本当に院長なんだろうか。
「ア・ナ・タ? 病室でうるっさいわよ?」
「あっ……ははは。あっ、こちら妻です」
「変な人でごめんなさいね。でも院長以外はちゃんとした病院ですから安心してください」
続いて入ってきたのは院長夫人で看護師長だ。院長とは対照的に淡々とした印象を受けるが、二人のやりとりから尻に敷いている事は明白だった。
「本当は今回の費用を当院の宣伝も兼ねて無償にしようと思ったんですがね……妻に怒られちゃいまして」
「当然でしょう? いくら芸能人や名だたる著名人に来て欲しいからという理由でこんな部屋を作ったとはいえ、費用をタダにするなんてもっての
「でもやっと来てくれた有名人第一号なんだよ? いいじゃんいいじゃん」
「ダ・メです」
院長はミーハーだった。確かにこんなお高いプラン、普通に生活してたら一生縁がないよな。
……あれ? 有名人第一号って言ったよな。動画サイトで覚えられたりクラン・ログハウスのついでに名前を知った人はいるだろうけど、ダンジョンに縁がなさそうな人にも知られてるとは。
あれあれ? って事は……そうなりたくないから作ったペルソナという謎の人物の意味は……いや、今となってはペルソナは一般人の枠を超えた存在として認知されているし、御影悠人としてその立場にいなくともよくなっているのはそのおかげのはずだ。意味はある……と思いたい。
「それでは御影さん、採血しますね。少しチクッとしますよ」
「あっはい。大丈夫です」
「そうですわよね。普段からダンジョンでお仕事なさっているんですものね」
「まぁ……いでっ」
手際良く消毒をし迷いなく刺しこまれた針は痛かった。通常の注射針よりもほんの少し太い程度らしいんだが、これほど差があるとは。
「よぉし! 解析しちゃうからねぇ!」
俺が血を抜かれている間もウキウキしている様子だったし、まぁ一種の変態さんなんだろう。院長が足取り軽く俺の血を容れた容器を抱えるようにして行った後に看護師長が言っていた事によると、最新の機材を個人で所有する奇人らしい。自分の夫を奇人と呼ぶ妻というのもなんだかおかしなものだなぁと思ったが、初対面の俺でさえそれには賛同せざるを得なかった。院長は解析と言っていたけど……どういう結果になるんだろうか。
看護師長と入れ替わるように戻ってきたエアリスに俺はそれを聞いてみることにした。
「前言ってたよな。俺の遺伝子配列って普通だって」
「正確には『ほとんどヒト』です。一部変異と思しき箇所があり、霊長類とはその点が異なります」
「ダンジョンって遺伝子まで変化させるのか? それとも……」
「お察しの通り“超越種”となった事が原因かと。エッセンスへの適応深度をより高められるよう変異しているのではないかと」
「じゃあフェリが言ってた、もしかしたらモンスターみたいな姿になるかもってのはあながち間違いじゃなかったのか」
「しかしマスターはヒトである事を選んだのかと。万物の
エッセンスは万物の素か。エアリスは最初からそう言ってたな。もしかすると人間じゃなくなる人もこれから出てくるのか? いや、適応深度ってのが関係してるならそう簡単なことでもないのか。エアリスが言うには俺は特殊らしいしな。どう特殊なのかイマイチわからんけど。
エアリスと話していると気配が。
「悠人さん、どうでしょう……?」
「悠人しゃん、
「小夜は時々変な言葉使いをする……な……わお」
着替えた香織と小夜に俺は眼福した。香織はやっぱりたわわなわけで、そこが若干強調されている。ボタンで止めている前の部分が少しパツパツになっているにもかかわらずしっかり包み込まれていて溢れる事はないだろうな。具体的には袋が付いている感じで……うーん、セクシャル。対照的に小夜は可愛らしい看護師さんだ。
「香織様の衣装のサイズについて、一部若干合っていないように調節しました。『いっけなぁ〜い! また育っちゃったテヘペロ!』という感じです」
「さすがだな、エアリス……!」
「小夜は無理をさせず正統派ですが、だからこそ清楚感があるかと」
「二人とも白衣の天使だなぁ」
「白衣の天使? じゃあこれでカンペキなのよ」
「香織も!」
二人の衣装は背中から翼を出せるようにされていた。小夜は三対、六枚の黒い翼を。一方の香織は白い翼を顕現させたが……二対、四枚に増えていた。そういえば香織は“超越種”になりかけているんだったか。エッセンスに対する適応深度も他のみんなより深いようで、どうやらそれは俺の影響もあるっぽい。俺がダンジョン腕輪に吸収したエッセンスが香織に流れ込む事が当たり前のようにあって、それが関係しているように思う。
「マジ天使」
「さすがワタシ作。完の璧、完璧です」
その後、本格的な人間ドックが始まった。
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