第255話 病院にて3
くすくす……
……と、ず…………ったね……
それは…………だって別……の。
ふと楽しげに会話をするかのような声が聴こえた気がした。そういえば謎の視線をダンジョン内で感じた時もなんとなく聴こえたようにも思う。そんな事を思いながら半身を起こす。部屋の外からは朝のお勤めをする看護師さんのパタパタと歩く音が聞こえて来る。ここでは一般的な診療の他、高級な人間ドックプランがありこの辺では有名な大病院だ。そして俺がいるのはその中で最上位ランクの部屋、なんと浴室まである。これまで泊まったことのある全てのビジネスホテルを過去にするような仕様に緊張して碌に眠れなかったためシャワーで目を覚ましたところだ。あの後、香織と小夜も御影家へと戻っていて、また今日来ると言っていた。
ーー おはようございますご主人様 ーー
「つかこの部屋おいくら万円なんだよ……」
ーー 人間ドックに加え快適な滞在保証付き一泊二日で二十五万円のプランにしました。食事は高級ホテルと同等のものですので最高の環境でストレスなく過ごせるかと。ちなみに前泊の分は含まれておりません ーー
「お値段が気になって安らげねぇ……」
ーー クランの経費に捻じ込みますのでご安心を。クラン・ログハウスの収入を鑑みるにこの程度どうという事はありません。保護しているヒトの食事が時折三食から二食になる程度です ーー
「大問題じゃねーか。大体俺の基本給なんて二十万切るってのに。場違いが過ぎる」
ーー 種々の手当て、ペルソナの依頼報酬で桁が変わるのがご主人様の財布です。問題ありません。それに時々くらいご自分に使ってもよろしいかと ーー
まぁ確かにエテメンアンキや喫茶ゆーとぴあで稼げるようになってからの出費は呑んだくれの四人が勝手に使う分が最も多かった。最近ではその四人が無駄遣いをしなくなり代わりにエアリスの食費に掛かるようになって、四人だけだった時よりも増えたけどな。
ゲームとかの娯楽に関しては誰かが買ってきたものをみんなで遊ぶ形なので少ないし、シェアするために買っていると考えれば自分だけのために使ったお金って食事代くらいだ。
服は魔改造前提になるから布や糸を買っているが、それはクランから経費が降りる。だってみんなに作る服も基本的にエアリス製で魔改造済みだからな。
他には父さんが仕事を辞めた分実家にもお金を入れてはいるが、エアリスによると母さんは俺名義の通帳を作ってそこに入れているみたいなんだよな。だからこんな大金を使うのはダンジョンが発生して以来初めてだ。
「今思ったけどエアリスって俺たちの装備担当みたいなもんだよな」
ーー それはご主人様もですが ーー
「そうだけど、みんなの分の防具になるほど改造された服もあるから食費に関して大目に見るべきだなって。あとなんか欲しいものあったら言ってくれれば買うぞ」
ーー ご心配なく。食費に還元されておりますので ーー
還元どころかその域を超えているけどな。喫茶ゆーとぴあに行くと決まって五人分は平らげる。お値段も五人分以上ってことだ。それでもなんとかなってはいるが……ん? もう時間か?
「御影悠人さーん、人間ドック始めますっすよー」
コンコンと音が聞こえたドアから入ってきたのは看護師さんや医師……に扮したログハウスメンバーたちだった。
「……何してんの杏奈ちゃん。みんなまで」
「え!? 絶対喜ぶと思ったのに!?」
「いや新鮮だけども」
「恥ずかしがる悠里さんにもこの通り着替えてもらったんすよ!?」
杏奈に続き顔を伏せた悠里、さらに香織と小夜を除いた女性陣が入ってきた。うーん、声には出さないが眼福だ。
「俺のスマホが火を吹くぜ!」
「ちょっと悠人!? 消しなさいよ今すぐに!」
「悠里さん今更恥ずかしいんすか? さっきまで結構ノリノリだったくせに」
「それとこれとは話が別! だから悠人はすぐに写真消す!」
「わかったよ仕方ないなぁ」
杏奈を先頭に悠里、リナ、さくら、それと傘下扱いのクラン・鎌鼬からはレイナまで看護師コスプレをしている。アリサは一人だけ“ザ・女医”と言った風貌だ。こんな珍しい写真を消すなんてとんでもない。
エアリス、バックアップ取っといてくれ。
ーー
御意ってなんだ御意って。
ーー 病院を舞台とするドラマにおいてピラミッド式権力闘争の場に相応しい了承を表す言葉となっていましたので。しかし本来は目上の考えを肯定す…… ーー
はいはい豆知識はいいから。しかしまぁ白衣を着た権力の巨塔の上層に対しての返事か。
ーー マスターもダンジョン内エテメンアンキという巨塔における最高権力者ですので、今後はそうしますか? ーー
いやそれはちょっと。
ーー 残念です。ところでワタシも外にお願いしたく ーー
喚び出されたエアリスに俺たちは言葉を失った。
「どうでしょう? 皆様よりもセクシーにキメてみました」
「そういうのいつの間に用意してるんだよ……」
谷間の覗く胸はやたら寄せてあげられているしなぜかお腹も見えている。スカートは膝上どころか股下だし網目の大きなタイツにガーターベルト……何故か持っている鞭はスルーしておくとして、基本的に服の部分は注意しておかなければならない気がする。
「スカートが短すぎる。股下じゃなくて膝上で頼む」
「ですがその長さではうっかりカルテを落とした際に屈んでもスカートの中が見えませんが?」
「見えないからこそいいんだよ。あとお腹出しちゃダメ。それは邪道」
「そうなのですか。わかりました」
杏奈以外の恥ずかしそうにしていたみんなは俺とエアリスのやり取りを見ている間に緊張が解けたようだ。いや、アリサも堂々としていたような。格好もタイトスカートにブラウス、そして白衣だし女医って感じか。
「アリサさんって元々ここで働いてたらしいんすよ。院長に話してくれたんであたしたちは堂々と遊びに来れたわけで。あとみんなの衣装用意してくれたっす」
得意満面のアリサは病院勤務だったのか。だからってなんでみんなに着せられる数の衣装を持ってたのかは謎だが……そういえば玖内にしていた応急処置は手際が良かったな。先日知った能力も効果は治癒系といえるものだし、それまでの経験や知識が能力発現の際に影響する事が多いのかもしれないな。それはそうとここは病院だ。
「病院はコスプレ会場じゃないと思うんだが……」
「まあまあ固いこと言わずに。今は美女だらけのナースハーレムを目に焼き付ければいいんすよ! リナなんてお兄さんが入院って聞いてフィンランドから急いで戻ってきたんすからね!」
「そういえば久しぶり、リナ」
「はい! お久しぶりです悠人サン」
フィンランド人のリナが日本の看護師の服を着ているというのは、若干の違和感はあるものの普通とは違う良さがある。
「悠人サンの目がヤラシイですー!」
「いや違うんだリナ。珍しいものを見ると観察したくなる
「本当っすかお兄さ〜ん?」
「ほ、本当だって」
「まっ、そう見られても思惑通りなんでいいっすけどねー」
「うふふ〜。どうかしら悠人君。お姉さんたち綺麗?」
「はい、とても素晴らしいです」
さくらに対し思わずそう言ってしまったが、本心だから仕方ない。
「あら。じゃあログハウスでも時々着ようかしら?」
「さくらさん、その時は私とアリサも呼んでください!」
「うふふ。みんなでお医者さんごっこしちゃいましょうか」
さくらが悩ましげな仕草で“お医者さんごっこ”なんて言うと、なんというか
ともかくみんなは俺が入院なんて聞いたから元気が出るようにって考えてくれたのかもなぁ。そうするまでもなく元気なわけでただ急遽決まっただけの人間ドックなんだけどな。まぁ気持ちは嬉しいから感謝の気持ちを添えて心の写真フォルダに保存しておこうと思う。
「ふむふむ。どうやら能力による影響は完全に消え去っているようですね」
「こんな事でわかるのか?」
「影響が残っていればこの光景を目に焼き付けようなどという余裕はないでしょう」
「なるほど」
「やっぱりそういう目で見てたんすね! 最近狩りに誘っても『依頼が〜』ってばっかりで一緒に行ってくれないっすし! お兄さんはあたしたちの事なんだと思ってるんすか!」
「なにって」
昨日からふとした事で昔の事を思い出してしまう。
数年前の話だ。大学を卒業し就職した俺は一年後輩にあたる女性と交際し、卒業を機に籍を入れようというところまできていた。彼女を待つ一年は長いようであっという間だった。仕事を覚える毎日を過ごしている間に、とうとう彼女も卒業の季節を迎えた。電話越し、関係が変わってからだいぶ経つのに呼び方は変わらない。
『卒業旅行に行こうと思うのね。それで……先輩も一緒に行けないかな?』
誘われはしたが自由に休める環境でもなかった。
『そうだよね。忙しいよね……大丈夫、アユコとキョウカ誘ってみるから』
二ヶ月後、彼女は学友と一緒に卒業旅行へ。帰ってきたのは変わり果てた彼女だった。
『君が一緒に行ってくれていれば』
『どうしてうちの子だけ』
『おまえが代わりに死ねばよかったんだ』
『返してよ。娘を返して』
俺が何をしたというのか。俺に何ができたというのか。何も悪い事を……いや違う。俺は……忙しい事を言い訳に何もしなかったんだ。
人は失って初めて気付くものがあるという。その言葉通り、当時は全てを失い全てが終わったように感じていた。大事な人を失い罵声を浴びせられ、渦巻く理不尽な責め苦を抱えた俺は全て投げ出してしまいたい気持ちに押し潰されそうになり、その身を投げ出したい気持ちに支配されつつあった。それでも踏みとどまったのは悠里がいたからだ。
ネット上でしか知らない悠里はなんとか励まそうとしてくれた。その都度俺は理屈を捏ね、悠里も対抗してくる。
『実際一緒に行ったとしてさ、何ができたわけ?』
『運が悪かったんだよ。まあ、そんなので片付けられないのはわかるけどさ』
『結局、あんたがどうしたいかでしょ。あ、でも首吊ったりしないでね。私が世界一気分悪くなるから』
毎日のように通話をした。悠里は決まって答えを次に持ち越す。今思えばそれは悠里の作戦だったんだろう。
それからしばらく。俺は会社を辞めた。
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