第223話 揺籠


 ベッドの上で人の形をとり始めた霧はやがて見覚えのある人物、時の魔女クロノスへと変化した。勝手に現れた時と同じ薄手のローブのような衣装、髪は金糸で先は青い。青の中に模様にも見える金色が混じった虹彩、表情はなく視線は天蓋を見つめたままだ。彫像と言われても疑わないかもな。

 なんていうか目の色が人類じゃあり得ない気がする。少なくとも俺はこんな瞳を見たことがない。


 ーー クロノスが生きていた元の世界ではどうだったのでしょう ーー


 そういえばエアリスも似た雰囲気だったよな。アークで呼び出した時は違ってたけど。やっぱオメガっていう共通点があるからかね。


 ーー 自ら顕現できるようになった際、現在のクロノスとそっくりな見た目に固定されました。現在のワタシはどうやらクロノスの青い部分が赤になっているようですね。差別化出来て何よりです ーー


 「母様……?」


 フェリシアが呼びかけても反応を示さないな……うーん、なんか間違った?


 ーー やはりオメガと切り離した事が影響しているのでしょうか ーー


 エアリスの考えではオメガ因子ってやつが本来のクロノス、その“核”になっていたと。想像するならそれは“心”や“魂”のようなものだろうか。

 もうひとつ、白夢にいるというクロノス。そちらも“核”の可能性がある。思い出した記憶によると俺はエアリスの分体と偽るクロノスに白夢の管理者として任命させられた。エアリスが白夢に入れるようになったときにある程度のことをエアリスに伝えたようだ。内容の全てをエアリスは教えてくれないが、その後クロノスは白夢と同化し何も話さなくなってしまったらしい。本当なら白夢のクロノスを喚び出したいんだが、それが出来ないのも同化の影響だ。そうなると黒夢の中でオメガと同居しているクロノスを喚び出してみるしかなく、それは成功した。できれば少しくらいフェリシアを覚えているクロノスとして喚び出したかったんだが……


 ーー そのためにフェリシアの記憶も使ったのですが……記憶は戻りませんか ーー


 まぁエアリスだって最初は機械的だったのに寝て起きたら変なやつになってたんだ。クロノスにもそういうのが起きるかもしれないし様子を見よう。

 『変だなんてヒドイ……ヨヨヨ』などと嘘泣きするエアリスは放っておく。それよりも望んだクロノスではなかっただろうフェリシアになんと言えばいいか。


 「ごめんなフェリ」

 「ううん、ボクにはわかるんだ。母様はちゃんとここにいる」


 頬を濡らしながらも嬉しそうなフェリシアの視線の先には、心なしか目尻を下げたように見えるクロノスがいた。

 新たに誕生したようなものかと思ったが、もしかすると全くの白紙ではないのか。白夢のクロノスが身代わりとした時点ではある程度記憶があり、だからこそ時間を巻き戻すなんて事ができたはずだ。その代償で俺は一度ダンジョンが出来てからの記憶を失いはした。本来、それだけでは済まなかったのでは? 俺に残っているものがあったのはクロノスが自身の全てで肩代わりしてくれたからか……?

 そうだとするならひとつの仮説が立つ。もう一人の俺は『ここから出られない、クロノスも』と言っていた。クロノスが本来消えるはずだった俺と同系統の存在になっていたなら、元が同じ存在のエアリスを通して黒夢に隔離されたクロノスにも何か残っているのかもしれない。黒夢はアークを内蔵しているから本来消えていたなら逆に可能性があるはず。


 こんな事でも考えておかなければ聴こえる声に意識を持っていかれそうだ。


 「ありがとう悠人ちゃん。それにボクを覚えてなくても好都合だよ。今の元気でかわいいボクを覚えて貰えばいいからね……」

 「かわいいとか自分で言うか……まぁ否定できないけど」


 緑の髪はボサボサになっていて瞼も腫れている。いつもとはまるで別人だけどそれでも見た目偏差値が異常に高い、それがフェリシアだ。


 そういえば忘れてたけど、クロノスって時間を操れるんだよな? 野放しにするの危なくないか?


 ーー 心配はないかと。例えクロノスが行使しようとも、召喚主であるご主人様の許可がなければ大したことはできません。ワタシのように代行権限もないのですから ーー


 エアリスが言うならまぁそうなんだろう。とりあえず完璧には程遠いけど希望は持てるからサプライズは成功って事で。超越種について何も聞けていないけど、今日のところはお邪魔虫の俺は退散しよう。


 部屋に二人を残し外に出るとクロがキラキラとした目を向けてくる。


 「フェリ様チョット元気になったみたいダネ!」

 「あぁ、なんとかな」

 「じゃあもう一枚!」

 「じゃあってなんだよ全然繋がりねーよ。でもまぁ」


 若干クロが痩せた、というかやつれている気がする。本当は大食らいなのにそれを我慢してフェリシアと一緒にいたんだろう。ご褒美は必要だよな。


 「先に行って待ってな。好きなだけ、焼いてやるから」

 「ヤッター! おにーちゃんちゅきちゅきー!」

 「本音は?」

 「肉……焼いてくれるおにーちゃんちゅきちゅき……?」

 「はいはい。無理矢理足さなくていいから、先行ってな」

 「どっちも本音だってー! じゃ! お肉シクヨロ!」

 「あぁ……すぐ行く」


 クロが廊下の角を曲がったのを見届け、我慢していた異変に膝をつく。


 ーー ご主人様!? どうしたのです!? ーー


 エアリスも気付いてなかったんだな。俺の演技力もいよいよプロ級になったか……なんて冗談は置いといて。エアリスが気付いていなかったのは左手の青い石、白夢の中にいるからだろう。つまり白夢と黒夢は隔絶されていて、俺との間にも壁があるって事か。


 自ら顕現したエアリスがすぐそこにある俺の部屋へ俺ごと転移する。この部屋の鍵は誰もいない時は星銀の指輪で代用できるが、俺が持つ【空間超越の鍵】が優先される。中に入ってドアが閉まっている間は外部に音や振動、気配すらも漏れることはない。そこに運んでくれたエアリスは珍しく空気読んだんじゃないだろうか。


 「誰にも知られたくないのでしょう? ワタシはこれでもずっとご主人様と共にいたのですからわかりますよ」

 「はは……だよな」

 「一体何が……いつからなのです?」

 「さっきクロノス呼んだ時から。でも大丈夫だ。たぶんすぐおさまる……『大丈夫だ』」


 自分に言い聞かせるよう【真言】が進化した【神言】を意識するとすぐに動悸は収まり眩暈めまいもなくなった。


 「ご自身にも効果が……?」

 「いやまぁ……うぐっ!?」

 「また異変が!?」

 「いや、大丈夫だ。手がチクッと……なんだこれ」

 「……おや、ご主人様、これはまさか」


 右手の甲に赤い石がニョキ……というよりモコっと顔を出していた。中では何かが渦を巻いているように見え、中心にあるのは真黒で小さな点だ。


 「今度は黒夢ですか。しかしなぜ……」

 「これが黒夢?」

 「白夢が現出している事でアークをもとにした黒夢が影響を受けたのかもしれません。もしくはアークの特性だった“曖昧あいまい”が現実に干渉してしまったか」


 左手の青い宝石、白夢が現世に現れたそれは【不可視の衣】によって隠していた。右手のこれも隠しておいた方が良いよな。手に石がくっ付いてるなんて変だしな。


 「先程の【神言】、ご自身にというよりもオメガに……?」

 「……ずっと聴こえてたんだ、誰かを呪いながら求める声が」


 たぶんそれがオメガなんだろう。クロノスを分離させた事で覚醒しかけた、ってところだろうか。本当に【神言】が効いたのかはわからないが、落ち着いたようだし問題ない。

 そういえばクロノスはあの時、時間を戻してくれる前に何か言っていたはずだが……代償が感情とか記憶だった事以外全くと言っていいほど思い出せない。エアリスもわからないようだしお手上げだ。ほんの少し記憶の欠落があるように感じ、逆に知らないはずの記憶が断片的にある状態。知らないのではなく繋がりを忘れているだけかもしれないけどな。あの空間はハフク・バベルという正体不明な場所の中に俺の右手にたった今現出した黒夢、その基となったアークが在った。それらがどう作用したのかはわからないが、消費されたはずの記憶がもう一人の俺として存在……いや、もしかすると本当の代償は過ごした時間そのものだったのか? アークの特性が代償に含まれるものを無作為に曖昧な存在に変化させた……? うーん。わからん。ともかく戻った記憶があるのはクロノスと運の成せる業だったのかもしれない。一応ステータスのLUCはかなり高く調整してあるからそれが影響した、なんてことだったりして。


 「とりあえず今はクロに肉焼いてやらないと」

 「……また何かあった際は伝えていただきたく。香織様にすら言えなくともワタシに隠し事は、気遣いは不要ですので」

 「わかったわかった。さあて焼くぞ〜」

 「本当にわかっているのやら……ところで焼くといえばご主人様、露天風呂も見事に焼けましたね」

 「ぁー……作り直しか」

 「次はもっと大きくしましょう」

 「そうだな。せっかくだ、岩風呂とかどうよ」

 「良いですね。ワタシと二人でお酒を飲みながらあたたまり……そしてその後、酔った二人は離れで思う存分——」

 「はいはい『戻れ、エアリス』」


 ーー まったくご主人様ったら ーー


 「はいはい。肉焼くお仕事にいくぞ」


 ーー では焼いている間、収集した情報の共有をいたしましょう ーー

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