第222話 怨嗟の声


 「やっぱりお兄さんから目を離しちゃダメなんすよ!」

 「わたしの自慢のタックル、受け止めてくれたのよ?」

 「それっすよそれ!」

 「それ?」

 「いいっすか小夜ちゃん。小夜ちゃんのタックルはログハウスの壁を貫通するっすよね」

 「悠人しゃんが本気を出せば受け止めるくらいどうという事はないの」

 「それって本気ならっすよね? さっきのお兄さんに本気感じたんすか?」

 「愛を感じたの。それに強い悠人しゃん、好きなの」

 「うんうん、香織も小夜ちゃんと同じく!」

 「ダメっすねこの二人……久しぶりに帰ってきたら小夜ちゃん受け止められるくらいカッチカチってことなんすけどねぇ」

 「香織、悠人しゃんカチカチなの?」

 「う、うん……」

 「そういう意味じゃなぁーいっすよぉ! ってーか香織さんばっか独り占めでズルいからわけるっすよ! お裾分けしろっす!」


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 なんだかリビングが騒がしいな。何を言ってるかまではわからないけど、小夜と香織が喧嘩してないといいな。


 「さて……」


 悠里たちが作ってくれた二人分のスープとおにぎりを盆に載せたまま、不安を隠すように軽快を意識してドアをノックする。すぐに開かれ、クロが顔を出した。


 「おにーちゃん、さっさとそのブツだけ置いて帰るんだヨ!」


 いきなりだなぁ。まぁ原因はわかってるんだけど。フェリシアは俺が帰ってきたのにクロノスが一緒じゃない事に気付いていたんだろう。もし一緒に帰ってきていればその時に部屋から飛び出してきていただろうし。それにクロがなんだか怒ってるように見えるのは実際怒っているからだろう。フェリシアを悲しませている原因を作った俺に対してな。


 「チョット! 聞いてル!? じゅるり」

 「聞いてるけど話が——じゅるり?」

 「コッチにはないの! フェリ様が泣いてるの、ダメおにーちゃんのせいジャン! じゅるりっ!」


 クロはフェリシアに付き添っていたんだな、腹が減ってるのを我慢してまで。クロにとってフェリシアは自分を作ったベータと同格の存在で、言うなれば神だ。腹が減ったくらいどうという事は……あるようだ。


 「涎垂れてんぞ」

 「仕方ないジャン!」


 仕方ない、か。じゃあそうだな、取引といこう。知る限りダンジョン内で手に入る肉の中では最も高級肉の味がするコイツでな。


 「わかった。じゃあこれクロにあげるから中に入れてくれないか?」


 隠していたワイバーンステーキを見せつける。もちろん調理済み、焼きたての状態だ。カリカリのガーリックチップを載せてあるから余計にそそるだろうとクロを見る。口の片端から垂れていたクロの涎が両端になっていた……勝ったな。


 「そ、そんな餌に釣られなドラゴンだし!」


 言うて目がステーキに釘付けなんだよなー。釣られドラゴンだったな。


 「そっか。じゃあチビにあげてこようかな。チビもこれは特別好きだからなー」

 「ううぅ〜! おにーちゃんの鬼! 超越種!」

 「そんなに褒めんなって。じゃ、そゆことで……」

 「えっ!? ま、まってヨ! フェリ様に聞いてアゲルから!」

 「良い返事を期待してるぞ」


 腹を空かせた黒銀の神竜はチョロい。それよりもフェリシアはすぐそこにいるから聞こえてるはずなのにな。まぁショックは大きいか。俺には考えられないくらい長い間探し回って、自分をエアリスに吸収させてまで復活を期待した相手、やっと会えた母親とすぐ離れ離れだもんな。その原因みたいな俺の顔なんて見たくないか。

 そろそろ諦めて食事を置いて戻ろうかと思ったとき、唐突にドアが開く。


 「お許しが出たヨ! さあ、それをコチラに!」


 ドアを開け放ち両手でステーキの皿を受け取る姿勢を取るクロ。よほど好きなんだな。ところでワイバーンって見ようによってはドラゴンっぽいんだが共食いにならないんだろうか。生まれ方が違うだろうしならないか。

 ステーキを受け取ったクロは今にも踊り出しそうなくらいご機嫌に見える。夏の青空のような活力に満ちたその顔を見ていると、これも非日常になった世界の、俺にとっての日常の一部なんだなと感慨深いものがある。おっと、良い笑顔だけどそれを見にきたわけじゃなかった。


 「フェリ」

 「悠人ちゃん……」


 クロを廊下に放ったまま窓から星の明かりが差し込んだ薄暗い部屋に入る。途端に空気が変わったように感じた。さっきまで夏だったのにいきなり冬の曇天どんてんに迷い込んだかのような冷たさだ。

 食事をテーブルに置くと天蓋てんがい付きのベッドに腰掛けたフェリシアが弱々しく口にする。


 「母様は……やっぱりダメだったの?」

 「クロノスはなんでかあの空間から普通には出れなかったみたいでさ。で、その件でちょっとな」


 出来るだけ軽く言ってみたつもりだが失敗だっただろうか。普段なら『そんな言い方をするって事は〜』なんて言われそうなもんなのにな。でもフェリシアにとっては……余裕ないよな。


 「やっぱりダメなんだ……もう会えないんだね」

 「いやぁそれがな」

 「そうだよね。わかってるんだ」

 「いや、だからさ」

 「でも逢えた。短い……短すぎる時間だったけど、ボク嬉しかったよ。ありがと、悠人ちゃん」

 「そうじゃなくてな? 聞け?」

 「ボク、一人になりたいから今は……」


 なんとなく気まずい。言外に出て行けと顔を逸らすフェリシア……前髪の隙間から泣き腫らしたのが窺えた。いつものフェリシアはそこにはいない。俺たちに見せない色々な想いを抱えていて、本当はずっと心で泣いていたのかもしれない。もしかすると人間よりも人間らしいくらいに。俺はそれを知っていたはずだ。魔王の一件の後、この部屋で全てではないが話を聞いていたからな。なのに『話を』なんて焦らすような真似をして、余計にフェリシアを落ち込ませただけだ。そんな様子を見ているとこっちまで沈んでしまうな。こうして考えてみると隠された思いがあるだろうにそれをどうこうしてやれもしないで、なのに俺は普段からフェリシアに、みんなに甘えっぱなしだと自覚する。


 もしエアリスもいない独りきりでダンジョンに入る生活をしていたら俺という人間はどうなっていただろうか。いつも死と隣り合わせ、興味を引いた場所に行っては何かを捨てながら暮らし、人知れず死んでいたかもな。一人で探検者業をしている人は大勢いるけど、俺はそこまで大人でも人間ができているわけでも、守りたいものを自覚してすらいなかっただろう。無くしたくないものが多くなければ、自暴自棄にもなっていたかもしれない。そんな俺がこうしていられるのはみんながいたからだ。なら上手くいくかはわからなくてもやるだけやってみないとな。

 とはいえ……俺自身の心の準備を兼ねた前置きをしようとしてもまた遮られる気がするな。


 ーー フェリシアの手をお取りください ーー


 エアリスの声の通りに手に触れるとフェリシアはビクリとする。相変わらず小さくて華奢きゃしゃな手だ。これでよくもまあ鬼神化した香織、その背から生えるように現れた鬼神面阿修羅によって投げられたハンマーを受け止めたもんだ。クロノスによってあの空間の時間が戻されたから知ってるのは俺とエアリスだけだけど。


 「え!? どうしたの悠人ちゃん。もしかして……こ、こんなグズグズなボクと子——」

 「フェリの知ってるクロノスを想い浮かべてくれ」

 「え?」

 「いいから」

 「うん……」


 瞼の裏に何かが、モヤモヤとしたものが見えている。でもそれが何なのかわからない。言うなればいろんな色の霧が見える感じだ。大きいのと小さいの、小さいのはどんどん増えていく。やがて一番大きかった霧は黒くなっていき……消えた。


 ーー どうぞご主人様 ーー


 「フェリ、失敗しても怒るなよ?」

 「悠人ちゃん一体なにを——」


 本当にいいのか。そんな迷いのようなものが過ったが、たとえ間違っていたとしてももう決めた。泣き顔が似合わないフェリシアの言葉を最後まで聞かずに、俺は【神言】を発動する。


 『黒い夢から目覚めろ……クロノス』


 右手に違和感を覚える。これはなんていうか……左手が疼くことがあった、あの感覚と同じだ。

 フェリシアはキョトンとしていて、でも俺が何をしたのか理解したその碧瞳へきどうには期待が浮かんでいた。さすがのフェリシアもこんなの思い付かなかったんじゃないか? ……ってこともないか。思いついたとしてもできるとは限らないだろうしな。これが出来るかもと思えたのは召喚なんて事ができるようになったからだし、エアリスの存在がヒントになっている。俺がエアリスを召喚の形で顕現させると、どうやら自分自身で顕現するのと違いエッセンスを使い切らない限り存在し続けられるらしい。しかもほとんど俺の中にいる時と変わらない状態で。それにクロノスはエアリスと共通する部分があるみたいだ。だから飲んだくれの神々のように契約していなくとも俺が召喚すれば……


 右手から溢れたなにかはエッセンスのはずだ。でもいつものように黒くはなく、それ以外の色が絡み合い混ざり合う。それは瞼の裏に見た霧の色と同じだった。

 エッセンスがこんな大量に抜けたら俺がまた気絶しそうなもんだけど全く問題ないな。ってかこれ本当に俺のか……? それにこのドロドロしたのは、声か……?

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