第212話 最後のおたのしみ


 霧が晴れる。そこはこれまでで一番地面が荒れていて、激しい戦闘があったかのようだ。いや、実際あったんだろう……鉄臭いような……血のにおいが漂っている。

 こちらへ背を向けている旅装の人物、その向こうに座り込む悠里が見える。隣には杏奈が倒れていて、その前に立ち塞がるリナの服は簡単には破損しないよう作られているにもかかわらず、所々破れて手脚を血が伝っていた。


 「悠人サン……!」


 リナが気付き悠里もこちらに気付く。一瞬安堵したような、しかしすぐに唇を噛み締め目を逸らす。俺にはその意味がわからなかった。


 「悠人さん……?」


 香織の声がする。どこからだと思っていると微動だにしなかった旅装の人物が崩れ落ちた。その向こうには顔の半分を真っ赤に染めた香織。


 「香織……?」

 「悠人さん……来てくれたんですね!」


 香織は真っ赤なまま満面の笑みを浮かべこちらへと駆けてくる。その手に薙刀・撫子を握ったまま。


 「悠人ダメ!」


 悠里が叫び香織はピタリと止まる。振り返り「どうして止めるの?」悠里に冷たい視線を向けた。


 「香織、今何をしようとしてた……?」

 「何って」

 「その薙刀、今度は悠人に向けるつもりだったでしょ」


 悠里は何言ってるんだろう。香織がそんな事するわけが……


 「そうだよ? おかしい?」

 「おかしいに決まってんでしょうが!」

 「アハハ! 変なゆーりぃー」


 聞き間違いかと思ったし俺は旅装の人物が“大きな気配”の主だと思っていた。でも違う。

 ふとリナが倒れた旅装の男ではなく香織に意識を集中していることに気付く。それはつまりそういうことだろう。


 「じゃあ先に悠里……ユーリ……コロスネ」

 「香織、あんたほんとに……っ!」


 香織が音も無く悠里に向かう。さすがに冗談ではない事くらいわかる。

 この二ヶ月の間、香織と何度も手合わせし、【神眼】で捉えることはできても対応できるかは別だと知っている。無意識の隙間に入り込み、無音で接近する歩法・うつろ。そこから放つのは“閃華せんか”、目の前にいても不意を打つ香織の薙刀の技、その奥義だ。

 【拒絶する不可侵の壁】は薙刀・撫子なでしこで斬り裂かれてしまうため使えない。撫子を無視すれば体を止める事はできるかもしれないが、投げつけられてしまうかもしれない。全身を囲ってしまえば一瞬止めることはできるだろうが、手合わせをした時に見せてしまっているし破られてもいる。通用はしないだろう。香織を追えば遅れを取るのは必至、だが向かう先が分かっているなら話は別だ。しかし先回りに有効な【転移】はこの空間で発動するかわからないから当てにしない。じゃあどうするか。決まってる、俺にはステータスの暴力がある。


 「有って良かった——」


 香織を追うのではなく直接悠里に向かい間に入るくらいなら出来る距離。あとは薙刀を止めなきゃならないが、気合いでなんとかするしかない。

 いける、俺なら間に合う! 止められる!

 呼応したのか励起したのか、銀刀にミソロジー棒から継承した虹色の光が纏う。


 「——ミソロジー!」


 硬質なものがぶつかり合う澄んだ音が鳴り、止められた香織が不思議そうに首を傾げる。まともに受ければ銀刀が欠けるかもしれないが、かといって受け流すのは悪手だ。そんな事をしても香織はすぐに力の向きを修正するだろうし。だから完全に止めるためには弾かないように正面から刃をぶつけるしかなかった。そんな不安とは裏腹に刃が欠けていないのは刀身が虹色の光を纏っているからだろうな。どうやらエッセンスに対して絶対的な優位を持つだけでなく、単純に強度が増しているようだ。でもこれはまだ思い通りに使いこなせないな。すぐに光は消えてしまった。


 「悠人さん……すごぉい」

 「速さには自信があるからね」


 とりあえず余裕っぽくしておく。警戒してくれれば少しくらい時間を稼げるかもしれないからな。

 一体何があったんだろうな。香織がこんな状態になっているのはなんでだ。とにかく香織が正気に戻るように会話をするのがいいだろうか。……いや、ダメな気がする。そんな事をしても正気に戻らないかもしれないけどそれよりも、なぜかはわからないが『自覚させてはならない』、そんな気持ちが大きく膨らんだ。じゃあ香織を気絶させて連れ帰って……根本的な解決にはならなそうだ。考えても俺にはわからないし、エアリス、なにかわからな——


 「夜も早いですもんね?」


 え? 普段あまり出さない全力を出しているのに? もしかして不満だったのか……いやいやいや、たとえその日機嫌が良くなくても次の日の香織はいつもより五割り増し上方修正されてる気が。でも女性は演技をするって聞いたこともあるし……


 「え……け、結構頑張ってない……?」

 「朝まで頑張ってくれますし香織は満足してるんですよ? でももっとも〜っとおかしくなるくらい悠人さんを感じたいナって……もっともっと深く強ク……コンナ風ニ」

 「……え?」


 何も危険を感じなかった。なのに胃の上あたりが燃えるように熱い。音も無く差し込まれた刃物がひねられ、息を吐く事ができない。


 「悠人さんは最後のオタノシミですよぉ。大人しく待っててくださいねー」


 腹からの生えた俺だが、嬉々とした表情ですぐ横を通り過ぎようとする香織に背中からしがみつく。香織を抱き寄せるようにしたせいで刺された刃物が肺のすぐそばで暴れたように感じ自然と力が入ってしまう。


 「もう悠人さんったら。胸をそんなに強く掴むなんて、今すぐシたいんですかぁ?」


 確かに掴んでいるがそんなつもりじゃない。とにかく捕まえようとした結果だ。そんな事より香織がどういう状態なのかわからない。香織の能力なら時間が経てば元に戻るはずだが具体的な時間はわからないからアテには……なら【真言】で命令してでも……。香織には普段ほとんど効果がないけどこんな状況だ。ダメ元でやるだけやってみなきゃな。


 「か……ぉぃ……もど……」


 呼吸がまともに出来ず声の出し方を忘れた気分。これじゃ伝わらず【真言】も発動以前の問題だ。集中出来ていれば意思が反映されるかもしれないが香織のような相手には当然効果は薄く、そもそも散漫になるなというのは無理がある。変な角度で刺された刃物を抜いても平気なのかわからないけど賭けるべきか。でもこの手を離したら香織はすぐにでも悠里に刃を向けるかもしれない。


 「え? なんです? はっきり言ってくれないとわかりませんよぉ。あっ! 包丁が刺さったままだからですよね? 一度抜いてあげますね〜」


 腕の中でするりと反転した香織は刃渡りの長い細身の包丁を抜き腕をぶらりとさせた。空気が漏れているように感じ荒く息を吸ってもまるで足りない。明らかに酸素が足りない……やばい、急に痛くなってきて死にそう。


 エアリス、なんとかならん? 好きな相手に殺されるって物語的には浪漫ロマンがあると思うんだけど、現実的に今死んだら洒落しゃれにならんしいしか残らんのだが? せめて夜の件について何とかしてからがいいんだが。はよ何とかしてくれないと死んじゃう……


 ーー このままでは……マスターの天敵と言える存在が香織様ですからね。取り敢えず【不可逆ふかぎゃく改竄かいざん】で塞ぎましょう ーー


 余裕がなかったというかありえない出来事に混乱して忘れていたというか。

 傷を塞ぐと香織はすぐに気付いたようだ。向かい合って抱きついている状態で、至近距離からうっとりと見つめてくる。


 「悠人さんって反則ですよね。そうやってすぐ治しちゃうんですから。なんだかアツくなってきました……これならどうですか?」


 香織の背中から生えるように現れたのは腕が六本もある異形。根源的な恐怖を掻き立てるその形相には尋常ならざる怒りがあった。


 ーー これは……阿修羅あしゅらですか ーー


 阿修羅? たしか香織の祖母、初枝さんと手合わせした時に覗いた能力がそれだったよな。じゃあつまり、香織がこうなってるのは初枝さんの能力を模倣もほうしたから?


 ーー 模倣できるような類ではなかったはずですが……それに初枝様のものは自らを強化するタイプと認識しています。このように姿を顕現けんげんするたぐいのものではありません ーー


 香織は小夜の元になった天使の見た目をした存在に触れた事でその翼を背に顕現させる事が出来るようになっていた。もしかしてそれが影響しているのか? それならこの顕現体をなんとかすれば……なんとか出来る類のものなのか……? そもそもこれを出す前から香織はおかしかった。

 ……考えても俺じゃわかんね! エアリスなんとかならないのか? なんかこう、ファッとしてパァ! みたいな。得意だろ? そういうの。


 ーー なりません。この空間の性質も相まって、ほとんど同化してしまっています ーー


 そういえばエアリスはここに来た途端に知識が流れ込んできたみたいだったな。そのエアリスが言うならそうなのかもな。でもなんかあるんだろう? そうだ、【不可逆の改竄】はどうだ? 無理矢理書き換える事だって——


 不意に、倒れた旅装の男の横に膝をついたレイナに気付く。


 「お兄ちゃん……?」

 「れな……麗奈……?」


 あの男、生きてたみたいだ。たぶん玖内が言ってた危険な男があの旅装だろう。男が言った麗奈れなはレイナの本名でそれを知ってるって事は本当に兄妹……? そういえば他に何人かいるって言ってたが……もしかしてその辺に転がってるのって……。まさかこの惨状は香織が……? 状況的にそうだよな。もっと早く来ていれば香織にこんな事を、人を殺させずに済んだはずだ。


 「余所見ですかぁ?」


 再びの金属音。空中に【拒絶する不可侵の壁】で固定された予備の銀刀二本、その刃が欠けている。阿修羅が薙刀・撫子を横薙ぎに振るい、首を狙って来ていた。


 「また防がれちゃいましたね」


 ーー 勝手ながら介入しました ーー


 助かった。香織を捕まえるので両手が塞がっていたからな。香織が阿修羅なんてものを出すなら俺はエアリスだ。でも完全に武器性能で負けている。撫子は刃毀はこぼれひとつなく、一方の二本で受けた予備の銀刀は欠けている。このままでは銀刀が尽きるのは時間の問題だな。


 「カイにい……どうしてこんな事……」


 ……カイにい?


 「気付いて、ないのか? 御影悠人は……“ユウにい”だぞ……」


 ユウにい? 脳裏に俺をそう呼ぶ女の子が浮かぶ。でもあれは昔の話だ。ずっと前にその一家は引っ越して……


 名前が珍しい事でいじめられている男の子がいた。俺は『いじめてくるやつより強くなれば何もされない』なんて事を言って居合道場に連れて行った。それから暫くして俺は行かなくなって、時間が合わず滅多に遊ぶこともなくなり……あいつが引っ越したのを知ったのは数年後たまたま家の前を通り掛かると更地さらちになっているのを見た時だった。


 「カイト……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る