第148話 最速のドラムロール


 先日ログハウスに新たに加わった住人、というか住猫は今日も元気にミルクを強請る。にゃぁにゃぁとしか声を上げないが、数日間見続けていたこともありだんだん何を要求しているのかわかるようになってきた気がする。みんなもわかってきたようでログハウスにいるときは子猫の要求を今か今かと待っているような状態だ。過度に構い過ぎないよう努力はしているが、みんな構いたくて仕方ないのだ。そして俺もその一人である。


 「よーしよし。まだ目が開かないか〜。早く開かないかな〜」


 「普通の猫と違って成長遅いんすかね?」


 「あら、それならかわいい時間が長くてお得ね? うふふ〜」


 「目が開いてもかわいいでちゅよね〜?」


 「ねえ香織、私最近知ったんだけどさ」


 「なぁに悠里?」


 「香織って赤ちゃん言葉になるんだね」


 「え? そうなの?」


 「「「「気付いてなかった!?」」」」


 香織は赤ちゃん言葉で赤ちゃんをあやしちゃうタイプなのか、悪くない。などと思っているとクロが突拍子もないことを言い出す。


 「ねね、お兄ちゃん、この子あーしに預けてよ! 絶対強くなるよ!」


 「そうなのか? でもかわいいだけで十二分すぎるんだが?」


 「強くて損なことなんてないっしょ?」


 「そりゃそうかもしれないけど」


 「あーしは地下闘技場で修行したからね! お兄ちゃんと戦った時みたいにちょっと痛いのなんてなんでもないくらいに強くなったんだよ! そんなあーしが鍛えれば、きっとすごーく強くなるよ? ウケるっしょ!」


 ほぉ。少しくらい痛い程度問題ないのか。

 ならば試してみようと思いクロにデコピンをする。指を弾くと同時に空を切る音、ほぼ同時にクロのおでこからは良い音が鳴り盛大に仰け反った。それにより極端に短いスカートが捲れ……水玉か。


 「いっっったぁぁぁぁああ!?」


 「大丈夫になったんだろ?」


 「うぅぅ……少しって……いっだじゃぁぁん!!」


 「ふむ。まだまだだな。この子を預けることはできん」


 人化している状態ではドラゴンの時と違い人間とあまり変わらないとは言え、これでは預けることはできんな。それにこんなにかわいいのだから、別に強くなくてもいいし。

 みんなが若干引き気味な顔で俺を見ている気がするがそんなの気にしない。仮にも親代わり、そう簡単に手放すわけにはいかないな。


 「うーん。それにしてもすごくなんていうか、かわいいんだが」


 「かわいいでちゅね〜」


 腕に抱きかかえた子猫を覗き込むように香織がずいっと体を寄せ子猫に向かって赤ちゃん言葉を発する。実際のところ赤ちゃんはそんな言葉を使わないんじゃないかと思ったりするが、なんとういうかこうグッときてしまうな。だから俺がそれに釣られてもなにも不思議はないのだ。


 「うん、かわいいでちゅ。それで、こういう感覚が以前もあったんだけど……」


 その事を知っている悠里、香織、杏奈、さくらが神妙な顔つきになる。

 もしもこれがダンタリオンのような存在であれば、俺たちは漏れなく術中に嵌っていることになるのだ。しかしその不安と警戒は、瞳に仄かな緑光を灯して覗き込んだフェリシアによってあっさりと否定される。


 「んー、この子は正真正銘森の猫二代目だから警戒しなくても平気だよ。“大いなる意志”であるボクが保証するよ! うれしい? うれしいね?」


ーー ワタシも問題ない事を保証いたします ーー


 フェリシアが言うのであれば大丈夫なのだろう。

 それにそもそも、エアリスはあの時の経験から人心を操るなどの効果に対しての耐性を得ていてそれが俺にも影響しているはずだ。そのエアリスも問題ないと言うのだからダブル保証で安心もダブルなのだ。


 「それなら安心して愛でることができるな!」


 それはそうと、俺にはやらなければならないことがあるため真っ黒な毛並みの子猫を預けエテメン・アンキの宝箱用アイテムの作成をする。

 近頃海外勢はもちろん、ますます日本の探検者も増えた。再起不能の大怪我をする人もいなくはないが、逆に後続にもかかわらず快進撃と言える結果を残す探検者も何組かいる。その探検者たちの好みや装備の傾向、好きなデザインなどをエアリスが違法な手段を用いて調査、それを反映したようなものを作ったりして遊ん……おしごとしている。


ーー マスターにとっては遊びなのですけどねぇ ーー


 「全然否定できないんだけど、みんなはそれも必要な仕事って言ってくれてるし、一応仕事のテイでやらないとな」


ーー 実際得るものがなければエテメン・アンキは多くのヒトにとって必要のない場所ですからね。そう考えれば遊び感覚であっても立派なお仕事かと。事実、クランの収入に寄与していますし ーー


 すると作業を覗きに来た杏奈が話しかけてくる。


 「あたしたちを追い抜いていく人たちも出てくるんすかね?」


 「かもしれないし、実は知られてないだけでもういるのかもよ?」


 「そうなんすかねー。でもあたしはともかく、お兄さんよりも強い人がいるとは到底思えないんすけど」


 「どうだろうなぁ。俺って結局エアリス頼みなところあるし」


 「そこは……わからないでもないっすけど賛同できないっす。でも良いアイテムをばら撒いたら、それこそ追い抜かれてクランが困ったことになったりしないっすか?」


 「なったらみんなには謝るしかないけど、まぁなんだろう、俺の自己満足っていうか……うまく言葉にできないんだけどさ。(本当はできるんだけどしない方が正解だろうな)」


 「ふ〜ん、でもいいっすよ? あたしはお兄さんが楽しそうにしてるの、好きなんで」


 「そりゃどうも。とにかく、自分たちだけで考えるアイディアには限りがあるし、傾向が偏るだろうからね。そう考えると先人を追い抜こうっていう人たちが出て来てくれるのは良い事だよ」


ーー 贔屓のように見えるかもしれませんが、良い刺激をくれたご褒美、というわけですね ーー


 「ご褒美っていうとおこがましいかなぁ。だから“ささやかな贈り物”ってとこかな。しかもそれ自体じゃなくて、それを得る機会ってだけだし。実際は当人たちがどれだけがんばるかだよ」


 「ふ〜ん? なんだか裏がありそうな感じっすね?」


 「裏表のないことに定評がある、俺です」


 「あやしいっすね〜……ところでエアリスは裏じゃないんすか?」


 「んー、エアリスは……エアリスも表じゃないかな?」


 「コインならそれってイカサマじゃないっすか〜」


 「ははは、そうかもね」


 杏奈の言うことはあながち間違いではないんだよな〜。と思っていた時、フェリシアの瞳が向けられている事にその時の俺は気付いていなかった。


 アイテム類の件について、特定の探検者たちに合いそうなものを作った場合、それを得る手段は限ることにした。その手段とは、地下闘技場へご招待コースだ。3階以上の階層ボスを倒した際、そのボスよりも一段強いモンスター、もしくはモンスター群と戦える権利が発生する。そして勝利条件を満たせばそのパーティの装備一式が手に入るということにしている。全ての探検者を対象とするのは不可能なため、そこは俺やエアリスの興味を引いた探検者たちだけとなる。知られてしまえば不公平と思われても仕方ないが、それこそ仕方ない。素材を集める必要もあるし、俺の体はひとつしかないのだ。


ーー 提案なのですが、エテメン・アンキの住人に作らせるというのはいかがでしょうか? ーー


 「そういえば絵に描いたドワーフみたいな見た目の人がいたな」


ーー はい。アレの他にも幾人かいますし、使えるものは使ってしまいましょう ーー


 「住人たちに不満がないようにするならいいんじゃないか? まぁまともに交流したこともないけど」


ーー それは問題ないでしょう。どうせ現状では暇を持て余しているだけの存在ですし ーー


 「暇か。そういえばエテメン・アンキの内部時間的に数年に一度しか攻城戦が開かれていないような感覚なのか?」


ーー 以前はそうでしたが、現在はそのあたりもコントロールできるようになりましたので経過速度は等倍にしてあります。ご希望であればいつでも変更できますが。説明は必要ですか? ーー


 「いらん、どうせわかんないし。とりまこっちとなるべく同じにしといていいんじゃないか? 何もすることがない時間が長すぎるのも辛いかもしれないし」


ーー では基本は等倍に設定し、必要に応じて加速することとします。ところでマスター、少々ライガーの毛皮が不足気味なのですが ーー


 「ライガーの毛皮か。ってことはあれか、最近MyTubeで人気らしい『ケモミミ団』の装備品用の素材か」


ーー それもあります。宝箱に納めるアイテムであれば期限はないのですが、今回の場合は依頼ですので ーー


 「そうだな。それにしても玖内、やってくれたな」


ーー お仕置きは考えておきましょう。ですが、受けてしまったものは仕方ありません ーー


 元々俺は装備品を作ってしまえることを外部に対しては秘匿するようにしていた。しかし玖内が知り合いに『制作できる人がいる』ということを漏らしてしまったらしい。経緯については本人も迂闊だったと言って反省もしていたし、すぐさまエアリスが脅し……もといお願いのメッセージを送ったことで『ケモミミ団』から広まることはないと思われる。しかしそれでも不安は拭えないため、制作後は俺が直接届けにいくことになっている。そしてその場で口止めをするつもりだ。


ーー 口止めではなく口封じをしてしまえば簡単なのですが ーー


 「相変わらず物騒だな。でもそういうわけにもいかないだろ。まぁ裁縫が得意な人がいるっていうし、その人に……ミスリル糸とかは教えられないにしても、基本的な加工の仕方を教えておけばあとは勝手にやるだろう」


ーー 素材だけを渡してしまうだけでも良いとは思うのですが ーー


 「それだと玖内の顔を潰す気がするからな。それに玖内にもお願いされちゃったわけだし。それにエアリスだって自分が作ったものを褒められてまんざらでもないんだろ?」


ーー ワタシの作ったものを褒めるのは当然ですが、見る目があるかもしれませんし? それに仮にもログハウスメンバーである玖内様のお願いでもありますし? マスターの平穏を妨げることになる可能性は秘めていますが、そこはなんとかしますし? ま、まぁ仕方なくですよ。ええ、仕方なくです。褒められたからとかじゃないです ーー


 「嬉しいんだな」


 玖内からその話を聞いた際のことを思い出す。本人も焦っているようで、やっちまった感をかなり感じた。

 いつも玖内が潜っているダンジョンで再開した旧友が『ケモミミ団』だったようで、着ている服を褒められたことに気分を良くした玖内がついつい、とは言え肝心なところはなんとなくボカして自慢してしまったのだ。そして強くお願いされた玖内は断りきれず俺に泣きついて来たというわけだ。

 確かに玖内は押しに強いとは言い難い。とは言え玖内は彼らのことを悪いやつではなくむしろ気持ちの良い奴らなんですとも言っていたし……そこまで言うならということで仕方なく作ることにした。

 クラン・ログハウスの社長となっている悠里は、公式的にではないなら問題ないだろうと言っていて渋々ではあるが了承した。公式でなければ問題ない、というところに若干の疑問と違和感を感じたが、まぁ悠里が言いエアリスも何も言及しないのであれば問題ないのだろう。


 ということで神殿層へとやってきた。しばらく進みながらライガー、蛇、亀、ヘイローを狩っていく。


 「み、御影さん、やっぱり怒ってます?」


 「いや、怒ってないけど? 『吹っ飛べ』」


 「で、でも今日銀刀抜いてないですよね?」


 「面倒だからな『ぶっ飛べ』」


 「ほ、ほんとうにスミマセン」


 「まぁいいさ。俺も口を滑らすことなんてよくあるしな。次から気をつけてくれればそれでいいよ」


 「は、はい、肝に銘じます」


 会話をしながら現れるモンスターを吹き飛ばしていく。神殿層は広い通路タイプであり壁がある。よって吹き飛ばして壁に当てれば俺にとってはそれだけで進めるのだ。必然的にモンスターの死骸は壁際、しかしエアリスによって普通であればダンジョン腕輪を近付けなければ吸収できないところを遠距離でも可能にしている。どうしてできるのかは知らないが、できるのだからいいだろう。その際ドロップアイテムも同時に回収する。

 玖内を連れて来たのは、玖内自身の希望だ。俺に投げっぱなしにするということを彼自身が良しとしない性格であり、なにか手伝いになればということなのだろうこともわかっている。しかし今はできるだけ早く済ませたい。


 「う……やっぱり御影さんの能力、デタラメすぎますって。通るだけで全部ミンチじゃないですか。やっぱり怒って」


 「いや、ほんとに怒ってるわけじゃないんだ。これにはふか〜い理由があってな」


 かわいいかわいい子猫の話に移る。どうしてだろうな、話しているだけで心が満たされる気がするぞ。


 「というわけでさ、もうなんていうかすんごいかわいいんだよ」


 「は、はぁ」


 「犬派、猫派とかあるじゃん? 俺ってどっちってわけじゃなかったんだけど、今に関して言えば猫派かもしれん」


 「そうなんですか。でもチビ君って犬……」


 「いや、チビは狼だからな? あれはあれで別枠だ」


 「な、なるほど……? じゃあクロは……ドラゴンですよね?」


 「うーむ。でもクロはほとんど人化してるし……ドラゴン枠っていうにはドラゴン成分がな」


 「いやいやいや、普段は髪の毛で隠してますけど角とか尻尾とか翼まであるじゃないですか。人化しててもそこだけは残ってますし」


 「言われてみればたしかに。でも慣れれば気にならないな」


 「そういうものなんですかね……」


 「まぁそういうわけで、早く済ませて帰りたい。玖内もやるなら能力を使うよりも殴り飛ばした方が早いと思うからおすすめだぞ」


 「さ、さすがにここのモンスターは少し時間かかりますって……」


 結局玖内が一匹も狩らないまま狩りは終了した。


 ログハウスに帰り女性陣にちやほやされる目の開いていない子猫を気にしつつ、MyTubeの動画を見ながら『ケモミミ団』の衣装を作っていく。名前の通りケモミミが必須で、ヘアバンドに耳をつけたようなものやフードに耳を付けたものにする。動画とみんなの意見も参考にしつつ他の部位も希望に添うよう作っていくと、漫画やゲームでよく見るような獣人的衣装ができあがっていく。

 『ケモミミ団』とは、獣人になりきってダンジョンに潜っていて、その様子を動画にしてMyTubeに載せるパーティなのだ。その戦闘の様子もそれなりに獣人っぽさがあり、結構リアルだったりする。近頃ではアニメの制作数が減っていることもあり、そういった類の番組に飢えた者が人気を後押ししているようだった。


ーー 完成ですね。思っていたよりも簡単にできました ーー


 「一人分が一時間くらいか。三人分で三時間。これでいくらなんだっけ?」


ーー 素材が未だに希少ではあるためこちらが設定するのであればもっとお高くなりますが、今回は依頼主が買取価格を設定しています。三十万円以内で三人分という依頼でしたので、一着あたり十万円です ーー


 「うーわ、高いな」


ーー いえ、ダンジョンができる以前であっても、凝った衣装であればもっとお高い場合もあったかと ーー


 「じゃあ今はまだ珍しいライガーの毛皮が使われてると考えれば破格なのか」


ーー はい。それどころかほぼ材料費の計算になりますね。むしろ要所にはミスリル糸を使用していますし、正直割に合っていません ーー


 「とはいえ高いよなぁ」


ーー ですが彼らはマイチューバーとしての収入が結構な額ですし、探検者としてもなかなか優秀なようです。しかしコスチュームが破損してしまうことが多く、壊れにくいものが欲しかったようですね ーー


 「なるほどな。じゃあ今までのコスチュームの耐久面はどんな感じなんだ?」


ーー 彼らの主な活動場所は御影ダンジョンで言えば18階層、複数の獣型モンスターが徘徊しています。19階層での狩りも可能なようですが、遭遇する数が多いため複数との戦闘になりやすく衣装の破損がしやすいため避けているようです。ですので、この衣装を手に入れた彼らは19階層でも問題なく狩れ、近いうちに20階層へと進出することでしょう。ちなみにケモミミ団が通うダンジョンには、ポータルのようなものが存在しているとのことです ーー


 「ふむふむ、ポータルがあるから18とか19層に気軽に行けるわけか。じゃあ都合の合う日にでも届けることにして……ところでアレの準備はできてるのか?」


ーー はい、完璧です。完の璧です ーー


 「なんかイラッとする言い方だがまぁいい。よし、子猫を愛でるか!」


 しかし子猫は眠っているようだ。下手に構って起こしてしまってはいけない。寝る子は育つ、だからな。

 とは言ってもここに来て数日経つが未だに目が開かない。寝転がったまま戯れたような動きをしたりするが、その動きは緩慢で、なんというかいつも寝ぼけているようにも見える。

 子猫が来てから、夜の間はチビが見守っているのだが俺たちは眠れぬ夜をすごしていたりする。夜中に子猫がお腹を空かせてしまった場合はチビが起きている気配を察知して誰かに知らせに行き、誰も起きていない時は俺のところに来るようだ。となると、夜中は子猫に構いたいログハウスメンバー全員にとってある意味ボーナスタイムなわけで、気になって仕方ないのだ。

 ただ起きているだけというのも手持ち無沙汰であり、せっかくだしケモミミ団の面々が使えそうな、地上産よりも耐久性がある武器も作ってみようと思って作業する。MyTube動画を参考にした勝手なイメージとエアリスがそれぞれの動きを見て扱えそうだと思える武器を作る。

 体格の良いリーダーの男には両手で振り回すための棍棒、他のメンバーは片手剣に小盾、爪が飛び出すガントレット、ナックルガード付きの短剣とかが良さそうだ。あとは変に目立って警察のお世話にならないよう注意することを忘れなければいいだろう。


 そうしているうちにいつの間にか眠ってしまっていた。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



 またあの景色だ。倒壊しかけたビル、灰色の空、隣では女が碧い瞳をこちらに向けている。

 歩こうとしたが、体が重い。遠く、視線を向けた先、街だったものの残骸に見えるところに大勢の人が見えた。

 突如薄い雲を突き抜けるようにして街だったものへ向けて何かが落ちてくる。

 隣の女が『お守りします』と。

 時の流れが緩慢になり、より一層色を失った世界で『俺』は思考する。

 距離はある、それでも守る必要がある? そんなものがあそこに落ちたら……

 「あそこを守る」

 『だめよ』

 「だが」

 『もう間に合わないし魔力も残ってないわよ』

 「それなら魂を糧に転ーー」

 『それは許さない……っ』

 女がそう告げると“それ”が地面に突き刺さり衝撃を生む。同時、視界は光に包まれた。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



 そして今日も子猫の様子が気がかりで少し早めに目が覚めてしまったようだ。昨日はその子猫が気がかりで少し寝付くまで時間がかかってしまった。寝起きでぼーっとするため瞼は閉じたままだが控えめに欠伸をし、意識があることを当然知っているエアリスと話をする。


 「夢を見てた気がするなぁ……ふぁあ」


ーー ふぁぁ……なぜでしょう、ワタシすごく惰眠を貪ったような感覚です。思えばあの猫が来てから十日ほどですか。ご主人様の感情を揺さぶってくれるおかげで、ワタシ、毎日お腹いっぱいで嬉しい限りです ーー


 「そういえばエアリスは俺の感情を食べてるんだったか。ふと思ったけど、それってデメリットあるのか?」


ーー 無い、とは言えないのでしょうね。基本的にワタシが制御……我慢をすることで過度に感情を吸収しないようにしていますが〜、それでも実はいくら制限をしようとしても吸収してしまう分があるのですよ ーー


 「あー、寝てても消費するカロリーみたいなもんかぁ。でもそれって問題か?」


ーー ご主人様が問題ないと感じるのであれば問題ないのでしょうが、もしもご主人様の感情が最低限度以下に希薄な場合、全て吸収し尽くしてしまうかもしれません。枯渇することで相乗効果による発生自体を抑制してしまい、最悪の場合感情が戻らない可能性が ーー


 「それって……廃人になるってことか?」


ーー いえ、感情だけですので、思考能力に関しては問題ないかと〜。しかし、心が無いという言葉の通りになってしまうかもしれませんねぇ ーー


 「でも今のところそんな感じは全く無いよな?」


ーー はい。それはひとえにログハウスの皆様、特に香織様の存在が大きいかと思われます ーー


 「香織ちゃん? なんでそこで香織ちゃんの名前が出てくるんだ?」


ーー ワタシはご主人様の夜の相手をご主人様の夢の中という形でしているとお伝えしたかと思いますが…… ーー


 「あぁ、ほんと夢みたいな感覚だから覚えてなかったり覚えててもすぐ忘れるんだけどな」


ーー 実際はワタシがそうすることにより刺激されたご主人様から生まれた感情、そういった本能から来る感情を喰らうことによってご主人様の欲求やそれに伴う感情は抑制、発散されたのと同様の結果となります。身体面に関してもそれに見合うよう調整をすることで矛盾を軽減しています。そしてご主人様にはその間、夢としてそういった情景を見ていただいているのです。この一連の流れによりわずかではありますがご主人様の感情が増幅され、それを喰らっておりました ーー


 「ふむ。以前に聞いたのとはちょっと違うけど、まぁ似たようなもんだな。でも感情を喰らうっていうのを最初の時に聞いてたら、今みたいには受け取れなかったかもな。もしかして、だから言わなかったのか?」


ーー はい。申し訳ありません。ご主人様は自分では自覚がないようですし周囲もそれほど気付いてはいないようでしたが、元々感情が少々希薄でした。表向きはそう見えないかもしれませんが、心底からの感情というのが希薄なのです。ですので、その貴重な感情を喰らってしまうワタシはそのままではご主人様にとって、おそらく害なのです ーー


 「いいよいいよ。んなこと今更気にしない。それにしてもいつもならここまで話さないのにどうしたんだ?」


ーー 申し訳ありません。久方ぶりに“眠気”というものを感じていまして話し過ぎてしまいましたでしょうか。いえ、良い機会と捉えるべきでしょうか。……実は、その最低ラインが近頃増えていましていずれお伝えしなければと思っていた次第です。ワタシが増幅してさしあげられる程度をわずかに超えることが増えていました ーー


 「でも問題なさそうじゃないか?」


ーー ……ご主人様は、香織様を以前よりも意識するように感じませんか? ーー


 「まぁ……」


ーー 以前であれば他者に頼らずワタシがご主人様の感情を刺激しておけば良いと考えていたのです。しかしそれだけではいずれ補えなくなるであろうことは明白。そんな折、ご主人様は香織様に対して以前よりも強く感情を抱くようになっていきました。それは良いことなのですが…… ーー


 「……それも喰らってる、と?」


ーー はい、不足分を補っておりました。香織様や子猫の相乗効果によりそれ以上に増幅されているためご主人様はお気づきではないようですが ーー


 「そうだったか」


ーー 怒らないのですか? せっかくの素晴らしい感情を喰い荒らしてしまっているというのに ーー


 「怒るとして、何に怒れと? 逆に言えば、エアリスに必要な分を補っても有り余るくらいには……俺の人間性みたいなものは残ってるってことだろ? 人間性とかいいつつ最近は……まぁ防衛はモンスターたちに任せてるけど、攻城戦に出たら人を相手に容赦無く殺せる気がしてるから正しいかはわからんけど」


ーー あのぉ……ご主人様? ーー


 「それに香織ちゃんが毎朝起こしに来てくれて正直ドキドキしちゃうんだよ。エアリスが感情を喰ってるってのは少し前に聞いてたから、もしかしたらそのおかげで自分でもびっくりなくらい落ち着いていられるんじゃないかとも思ってるんだよなぁ。じゃないと隣で添い寝状態になってる時なんて……俺も男なんだぞ、一応。今のログハウスが居心地良いから壊したく無いってのもあるし、でもそんなの関係なく襲っちゃうぞ、つってね」


 「襲ってもいいですよ……?」


 うん? 幻聴かな? なんか、香織ちゃんの声が聴こえた気がする。まぁ頭がはっきりとしてないから願望というか妄想というか、そんなのが漏れ出したんだろうな。ふっ、我ながら自分の妄想力と脳内再現力に脱帽するぜ。


 「ん〜、起きたと思ったけどこれ夢か……香織ちゃんの声が聴こえた気がするし。よし、寝るか。夢で眠れば起きるだろ、知らんけど」


 「夢じゃ、ないです」


 「そっかぁ夢じゃないかぁ……」


 何やら腕に柔らかな感触が。そして胸のあたりにくすぐるような感覚があった。うーん、これってもしかして。


 「夢じゃないの……?」


 「はい」


 一瞬で寝姿勢から飛び上がりベッドに正座した。それはもう見事なジャンピング正座だ。しかも寝転がった状態からの。これは紛れもなくステータスの恩恵だろう。なにせ体の背面と指先だけを使ったバク宙込みの正座だからな、フハハ! いや、そんなことはどうでもいい。


 「か、か、香織ちゃん……?」


 「は、はいぃ……」


 起こしに来てくれた香織は時折こうやってベッドに潜り込んで眠っている。それを俺が逆に起こすということが稀によくあるのだが、今日はまったく気付いていなかった。


 「あの……俺何か言ってた……よね?」


 「はい……」


 声に出してたような気がしたのは、気がしたからじゃなかった。実際に声に出ていた。いや、しかしまだだ。どこから聞いてたかによってはごまかせるのでは? なんでごまかすのかって、そりゃあんな欲望丸出しみたいなのを聞かれたら引かれるに決まってるだろう。そのくらい俺でもわかるわっ!

 

 「どこから……?」


 「えと……ま、毎日起こしに来て……のところです」


 全部ぅぅ!? 終わった? 終わってしまった? なぜ声に出してエアリスと話していた!?

 ってかあれだ、どこからもなにもどこから聞かれてても結果聞かれたらまずいところが最後の部分なわけで、どっからでもダメじゃんか。だって最後が『襲っちゃうぞ』とか言ったもんな。それで……それで? 襲ってもいいですよ、だと? あれ?


 「襲ってもいいっていうのは……さすがに幻聴?」


 「幻聴じゃないです……えいっ!」


 そう言って俺の腕を掴んだ香織は、そのまま俺を引き倒した。目の前に香織の顔がある。

 少し見つめ合う形になってしまい、顔を真っ赤にした香織が俺の胸に耳を付けるような形で寄り添ってくる。

 やばい、心臓が爆発しそうだ。


 「ふふっ」


 「ど、どうしたの?」


 「悠人さん、心臓すごいです」


 わかる。自分でもよくわかる。心臓に最速ドラマーが近所迷惑を顧みず朝練してるんじゃないかってくらい、早鐘どころじゃない心音連打が俺にも聞こえている。これまでもこういうシチュエーションがなかったわけではないが、今ほど心臓が爆速に感じたことがあっただろうか、否、無い。それを耳を当てられて聞かれている? やだ、恥ずかしい。

 というか、この状況、どうすればいいんだ?


 (香織ちゃんがいたなら教えてくれよエアリス!)


ーー ど、どうやら寝ぼけていたようです。しかし気付いた時点でお伝えしようとはしたのですが ーー


 (エアリスが寝ぼけ? それはそうと、どどどどうしようこの状況)


ーー す、据え膳ですよ。食ーわねーばそんっそんっ! かと! ーー


 (韻踏んでる場合かエアリッスぅぅぅ!?)


ーー 心配しなくとも先ほどお話しした件もありますし、たとえ香織様と契りを交わしてもワタシはいつでもオーケーですので! むしろバッチ来いです! ーー


 (んな心配しとらんわっ!)


ーー おや? 心配せずともワタシがご主人様に全て捧げる自信がお有りと? まったくぅ、大正解です! ーー


 (そういうことじゃねぇのですよねぇぇぇぇ!!)


ーー はぁ……なーにをテンパってるんですかねぇ。とりあえず抱きしめ返せばいいのですよ。ほら、はよ ーー


 (そ、そうか。じゃ、じゃあ失礼して……)


ーー はぁ……これまでも何度も香織様と触れ合っていますでしょうに。体の関係くらいで何を今更……あっ、ワタシがご主人様の滾る心を奪っていたようなものでしたね。申し訳ありません ーー


 むしろ今こそやってくれと思いつつも、そっと寄り添う香織を両腕で包み込むようにする。触れる瞬間、手が震えたかもしれん。かっこつかねぇ。

 それに返事をするかのように体を押し付けるようにしてくる香織から、仄かに甘い香りが……香織の香り……何を考えてるんだ。



 「どうしたんですか‥?」


 「いや、なんでも……ないよ」


 「そうなんですか? おもしろいこと思いついたような顔してますよ?」


 「……香織ちゃんから良い匂いがして……香織の香りとか考えて……」


 自分のにおいと言われた香織は形容し難い気持ちを覚え、悠人の胸に顔を埋めるようにして隠しながらも悠人の言ったことを反芻する。


 「香織の……香り……ふっ…ふふふ」


 「ふふふふ……」


 おもしろいというほどのことでは決してないだろう。しかしこの時の極限まで緊張した二人にとっては、このくらいのことでも笑えてしまうのだった。

 しばらく抱き合った形のまま二人で笑い合っていると、足音が扉の前までやってきた。二人で気味悪く笑い合っている声が聞こえたのかはわからないが、聴き慣れた足音はそのまま踵を返したようだった。


 「そういえば、前もこんなことがあった気がする」


 「はい、ありました。あの時悠里が来なかったら……そのまま」


 「ねぇ香織ちゃん」


 「はい?」


 俺は今湧き上がっている、おそらく普段からあったであろうものをより意識してしまうことで定義できた感情、それによって自覚してしまった気持ちを伝えざるを得なかった。今じゃなきゃ、エアリスの餌になっちゃうかもしれないしな。エアリスも『想いをぶつけるなら今です』とか『感情と論理的思考のバランスが』とかワケのわからない事まで言い出すし。だけど、まぁ……今だろう。


 「俺、香織ちゃんのことが好きなんだと思う」


 「っ!!!」


ーー ッ!!? ま、まさか本当に伝えるとは…… ーー


 エアリスはただ煽っていただけなのか? いや、驚いているフリをしてそれも計算なんて事もないとは言えないしな。そんなエアリスの事は今はいい。


 「最初は……危ないところを助けたみたいになったからそれで……それを気にして俺に構ってくれてるんだと思ってたんだけどさ。いつも気にかけてくれて、でもそれは……それもただ香織ちゃんが優しいからだと思ってたんだけど」


 こんな時、どういう言葉が正しいのかなどわからない。器用にもできる自信はない。

 だからただ思ったことを言う。


 「そうだったとして香織ちゃんが俺と同じように思ってのことじゃなくても、好きなんだ……と思う」


 少しの静寂に包まれて後、それに対する言葉が返ってくる。


 「……たしかに同じじゃないかもしれません」


 「そ、そう、だよね」


 香織の背中に回す手から少し力が抜けていく。

 その反面、香織が俺の背に回した腕はより強く俺を締め付けていた。


 「だって……好きの気持ちは香織の方が大きいですから。結構自信あるんですよ? ふふっ」


 ドキリと心臓が跳ねた気がした。というか跳ねた。それを指摘され、また笑い出してしまう。二人で、二人だけにしかわからないように。そうしている間に緊張の糸が切れてしまい、体から力が抜けていった。


 ともあれ悪い意味でプライスレスな言葉でしか気持ちを伝える事しかできなかった俺は、この先ずっとこの女性には敵わないだろう。


 「……できればちゃんと言い切って欲しかったなぁって。だと思うじゃなくて……」


 「はは……すみません。好きです」


 「ふふっ……ふぅ……ふぅ……」


 ーー お、おや? 眠ってしまったようですね? ……ご主人様もですか。よもや気持ちを伝え合う現場を見てしまうことになるとは……ワタシとしたことが想定外の出来事に焦ってしまいました。それにしても……お突き合いには発展しませんでしたが、これはお付き合いの契約が成されたと見て良いのでしょうか。むむむ……ヒトにはいろいろな形があるのですね。ではこの場合は……“友達以上恋人未満”というには少々……。むむむ……ふぅ。検索しても可能性の域を出ませんか。ご主人様に聞くしかありませんね。早く目覚めないでしょうか…… ーー


 気持ちを伝え、しかしそれに対する返事ははっきりと関係を表すものではなかった。そんな二人が今現在どのような関係であるのかを“人類の叡智”と呼ぶインターネット、電脳世界へと悠人のスマートフォンを通して潜り探すエアリス。しかし明確な答えに行き着くことができず、モヤモヤとするしかなかった。


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