第149話 二人の関係、お国の関係。


 「それで香織……その後はどうなったの?」


 「それが……どうにも」


 「え? どうにも? え? その状況で何事も?」


 「う、うん」

 

 まったくあいつは……そう思っていたことが顔に出てしまったのか、香織が慌てて悠人を庇う。


 「ゆ、悠人さんが悪いわけじゃなくてその……話してる間にまたお互い眠っちゃって……えへへ」


 そんな状況で眠れてしまう二人に呆れつつ、最近みんなで世話をしている黒い子猫を抱く香織に、世話もいいけどちゃんと寝ないとダメだと念を押す。しかしそれは香織や悠人にだけ言えることではなく……所謂ブーメラン。


 「悠里だってあんまり寝てないでしょ?」


 「ん〜、私はほら、書類仕事とかもあるしいつも通り——」


 そこまで言い、香織から疑いの目が向けられていることに気付く。ログハウスに悠人が子猫を連れて来てからというもの、朝目を覚まして身嗜みを整えようとすると、鏡には目元に隈のある女が映る。それをファンデを薄く塗って隠していてもやはり隠しきれてはいないみたい。


 「……嘘、いつもより夜更かししてる。やっぱ気になっちゃうじゃん?」


 「気になっちゃうよね〜」




 部屋で香織と話している悠里。今朝なかなか起きてこない二人を起こそうと思い香織の部屋に行くと香織はおらず、となると悠人を起こしにいって、いつものようにそのままつられて寝てしまったのかもしれないと思い悠人の部屋へ。しかし部屋の前まで行った時、部屋の中からなにやら不気味な笑い声が二人分聞こえてきた。ちょっと覗いてみるべきだろうか? そう思ったが悠里はそうしなかった。それから二時間ほど経ってから二人揃ってリビングに来た時の様子がなにやらおかしいと感じ、昼食後に少し虚な目をしたまま子猫を抱いている香織を自らの部屋へと連行したのだった。



 「で、結局付き合うことになったの?」


 「……」


 「え、なに、それどういう無言なのよ?」


 乾いた目で斜め下に視線を落としている香織。もしかして、好きって言うだけ言ってそのままあの不気味な笑い声に発展して、そのまま寝ちゃったわけ? ねえ悠人、あんた馬鹿なの? 馬鹿よね?


 「……だいたい理解したわ」


 「察してくれてありがとう悠里」


 「どういたしまして。まったく、私の親友になんて目をさせてんのよあいつは……」


 「なんて目って?」


 「私の魔法、【虚無】みたいな目だよ」


 「そうなんだ〜……」


 このままではいけない。香織が人形のようになってしまいそうな気がした。いや、香織はお人形のようにかわいいと女の自分から見ても思うけど、そういう事じゃなく。


 「ちゃんと言ってみたら?」


 「うぅ〜」


 「……言えたらこうはなってないよね」


 「どうしよう悠里ぃ〜」


 そんな小動物のような目で縋られても、部外者の私が悠人にしっかり言うように伝えたところで余計なお世話にしかならない気がする。

 それにしても私の親友はかわいいなぁ。あっちの親友もまぁかわいいっちゃかわいいのか、出来の悪い弟みたいで。というかあいつの場合は臆病になりすぎてるような気する。モンスターを倒すとなると頼りになるのに、こういうことになると頼りにならないなぁ。昔いろいろあったみたいだし、それもあって奥手になってるとかかな。本人があまりそういう話をしないから詳しくは聞いていないけれど。


 「あのね、悠里」


 「うん?」


 「ほんとはもっと前から起きてて、聞いちゃったんだけど……」



 そこから香織が語ったのは、エアリスと悠人の関係性だ。思えばエアリスの事を悠人から聞いたとき、実は悠人の頭がおかしくなって別の人格を作り出してしまったのではないかと疑っていたりもした。けれど実際は自立した思考を持ち能力を代行なんて事までしてしまう。それは私も体験済みで、以前一時的に私に避難してきて宿っていた時は私の『魔法』を新たに作り出していた。

 そんな理解の範疇を超えたような存在がメリットだけなわけがなかった。うまい話には必ず裏があるように、規格外には規格外のメリットとデメリット、リスクと言えるものが存在しているのだろう。そのデメリットというのが香織が話してくれた事なのは明白だね。でも私としては本当にそれだけ? と思ってしまう。そういえば悠人はエアリスと頭の中で、というと変に聞こえるかもしれないけれど、私たちには聞こえない状態で話すことができたはず。それをエアリスがしなかったというのは……香織に聞かせるつもりだった? うん、考えてもわからない。


 「感情を、ねえ……」


 「悠人さんも当たり前みたいに言ってたから、二人は合意してるんだと思うけど」


 初めて二人が会った時、その場に私もいた。その時悠人は香織に目を奪われているというか……具体的にはこの凶悪な胸だけど。でもそういえば悠人は以前『目を合わせるのが苦手でつい目線が下に向いちゃって』と言っていたかもしれない。だからもしかすると本当は香織の顔を見たかったのにできなかったのかもしれないけど……。その後一緒に行動する事が増えてから、その時ほど挙動不審な悠人ではなくなっていたような。


 「もしかして、エアリスが原因で香織に対しての気持ちも抑えられてた……?」


 「そうなのかな?」


 「もしもの話だけどね。でもそれでも言ったんだから、確実に気持ちは大きくなってたってことよね」


 顔が赤くなっていく香織。私が男ならほっとかないわよ。


 「にゃぁぁむにゃむにゃ」


 「お腹減ったんでちゅか〜?」


 子猫がお腹すいたー! とでも言うように足を動かす。相変わらず香織は赤ちゃんことばになっていて、なんだかかわいいなぁと思ってしまう。男の前だけでそうする人もいるけど、香織の場合は無意識なんだよね。うん、やっぱり私の親友はかわいい。


 「悠人さんは何してるのかなぁ……」


 「何してるんだろうね。部屋見てくれば?」


 「え、でも何の理由もなく行ったら変じゃない……?」


 「今更何言ってんの。いつも何の理由もなく行ってゲームしてるでしょうに」


 「そ、そうだっけ?」


 「はぁ……大変そうな二人だなぁ」


 「ご、ごめんね悠里」


 「謝ることじゃないって。ん〜、それじゃあ子猫が起きたんだし、それを理由にしてみれば? ミルクは作って持っていってあげるからさ」


 「悠里……天才なの!?」


 「香織が変に意識しすぎて馬鹿になってるだけかもよ?」


 「悠里ひどーい!」


 「ふふふっ、半分は冗談だよ」


 「……半分は本気じゃん!」


 しかし悠人の部屋に向かった香織はすぐに戻ってきてしまった。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



 昼食後、香織は子猫と共に悠里に連れて行かれてしまった。部屋に戻って宝箱に入れるアイテムでも作ろうかと思ったが、今は体を動かしたい気分だった。


ーー マスター、雑念が剣筋に見え隠れしていますよ ーー


 「マジか」


ーー 今朝のことをお考えで? ーー


 「ま、まぁな」


ーー 変に意識しなくともよろしいのでは? いつも通りにしていた方が香織様も安心するかと思いますが ーー


 「それはそうかもしれないけど、ちょっと難しい」


ーー ワタシもお二人が体の関係を結ぶのではと期待していましたが、気持ちの面を伝え合うとは思っていませんでしたのでなぜか焦って言葉が出なくなってしまいました。そういえばふと思ったのですが、今朝のように気持ちを伝え合うというのは、すなわち“お付き合いをする事を合意した”ということなのでしょうか? ーー


 「え?」


ーー 人類の叡智を覗き疑問を解消しようとしたのですが、はっきりと言葉にする文化、暗にそこから発展した先の関係を望んでいることを伝え敢えてはっきりと言葉にしない文化、その他複数の形式がありまして。こうするべき、ああするべきと相反する考えが無数に存在し、どれが正しいのかわからないというのが現状です。マスターと香織様においてはどういった形式が当てはまるのでしょう? ーー


 「ど、どうなんだろうな」


ーー もしや……単に気持ちを伝えたところで止まっている状態なのでしょうか? ーー


 「そうかもしれん……っていうかそんな気がしてきた」


ーー 香織様はどう受け取ったのでしょう。もしや香織様も気持ちを伝えたところまでなのでは……? ーー


 「……止まってたらどうしようエアリス」


ーー ワタシが聞きたいのですが ーー


 「いつもだったら、これだ! っていうのを言ってくれるじゃんか」


ーー は、はぁ。しかしそれは答えが確定、もしくは全くの不確定であるからこそできる“思い切り”であって、このようなふわふわした状態では……特にそういった気持ちを伝え合うというのは人類において一世一代の大勝負という類のものに分類されると理解しています。その大勝負、ワタシの判断で成否わかれることになる可能性を考えますと、はっきりと申し上げることができません ーー


 「……自分が言った通りに俺がやって失敗したら責任取れませんので嫌ですってことか」


ーー そうとも言います ーー


 「こういう時、頼りになんねぇよなぁ……」


ーー ですが香織様とは両思いということは確定していますし、希望的観測となりますが香織様はすでにそういう関係であるという認識を持っているかもしれません。そう考えるとはっきりとさせることが正解のように思います ーー


 「な、なるほどな。あっ、でもこんな話を聞いたことがあるぞ。『好きだけど付き合うのはちょっと』とか」


ーー たしかにそういった台詞のある漫画があったように思いますね。もしそうだった場合……現状はまだはっきりとは言わずに、まずは探りを入れてしっかりと地盤を固め、盤石となったところで『お付き合いしてください』という台詞を言うべきでしょうか ーー


 「な、なるほど」


ーー その方が無難ですし、マスターがフラれた場合のダメージは多少軽減されるかと……あっ、あれはボス的ななにかでしょうか? ーー


 「『ルクス・マグナ!』よし、邪魔者は消えたな。で? やっぱここからフラれるとかあるのか?」


ーー 先ほどの『好きだけど付き合うのはちょっと』説であれば、はっきりと言ってしまうことによって二人の距離が広がってしまうことになり、それすなわちフラれるということかと ーー


 「お、俺はどうすれば……」


ーー や、やはり様子を見てみるというのは? ……いつものワタシであれば思い切りの良いことを言って差し上げるのですが、今回は失敗した場合のマスターが被るダメージを考えますと、ショックで世界が滅びかねませんので ーー


 「滅ぶの?」


ーー ワタシがそう感じるほどにマスターの香織様への感情が突出しているのです。失敗によりそれが反転してしまう可能性を鑑みるに、滅んでもおかしくないかと。少し以前までならマスターは無意識にそういった感情を抑制しているようでしたが、近頃はその箍(たが)が緩んだことで一気に決壊したのかもしれません。思うに子猫の影響もそれなりにあったのではないかと ーー


 「子猫が? なんで?」


ーー 愛らしいでしょう? ーー


 「うん。だけどそれがなんで?」


ーー そういった感情によってシナジーが発生し相互的に、爆発的に増殖したものと推察します ーー


 「よくわからんけどなんとなくわかった。とりま、様子見でいいんだよな?」


ーー それが無難かと ーー


 神殿層で体を動かしていた俺はいつの間にか大部屋へと足を踏み入れており、そこでよく覚えていないがなにか巨大なものをルクス・マグナで撃ち落とした。ちょうどエアリスとの話も一段落したこともあり、落ち着きを取り戻したと感じた俺はログハウスへと戻ることにした。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



 「あっ、ゆ、悠人さん、おかえりなさ——」


 「悠人君! まずいことになったわ!」


 子猫を抱いたまま出迎えてくれた香織を遮るように慌ててやってきたさくらが言った。さくらが言うまずい事というのは嫌な予感しかしない。香織はしゅんとしているが、さくらの話を聞かないわけにもいかないだろうしな。


 「戦争になるかもしれないの」


 やはり嫌な予感は正しかったようだ。しかし戦争とはまた不穏な……


 「どこの国が?」


 「どこというか、今はアメリカとそれに対する北の国と大陸の国が小競り合いをしている状況よ。そこに他の国々が巻き込まれていっている、もしくは進んで加わっている状態よ」


 「それって……ダンジョンの中の話?」


 「ええ、そうなのよ……」


 正直俺個人としてはそんな場合ではないし三国間の問題よりも二者間の問題の方が大事なんだが。それに……話の流れ的に思うところもあるし。


 「ダンジョン内なら俺たちにはどうしようもないんじゃないの?」


 「そう言い切れればいいのだけどね……」


 表情に暗い影を落としたさくらは、いつもの優しげなお姉さんとは違っていた。


 「マグナダンジョンからの入り口の周囲を北の国と大陸の国が大きく囲む形で天幕を張っているのは知ってるわよね? そこに対して最近になって20層へと到達したアメリカが、不当な占拠、同盟国の日本を守るという大義名分を掲げて排除しようと動いているの」


 北の国と大陸の国が日本からの入り口を囲っているのは知っている。それというのも、現場の人間たちにとってはそこが都合の良い場所だからだ。食糧の補給、エテメン・アンキの最寄りであることが主だと聞いている。

 それぞれの国の思惑としては、日本の探検者や自衛隊の戦力を監視し、同時に日本の行動範囲を限定するための封じ込めが目的だとエアリスは分析している。それだけ日本は警戒されているということだ。

 多くの国が次々と20層へ進出してくる中、ついにアメリカもやってきた。当然アメリカもダンジョンという資源の宝庫、新たな利権を生むであろうフロンティアを他国に渡したくはないのだ。日本であれば御する事もできると踏み、ダシにしたと言ったところだろうな。正直、あまり良い気のするものではない。


 「はぁ。結局のところ欲っていうのは良くも悪くも人間の原動力だなぁ」


ーー 暢気に達観している場合ではないかもしれませんよ? 諍いの場は20層です。あの地はミスリルをドロップするストーンネックタートル、所謂亀の生息地です。規模にもよりますが、何かしらの影響がないとも言い切れません ーー


 「亀のフルネーム、久々に聞いたな。そういえばその時だったか、モンスターが落とす星石がアビリティポイント、すなわち俺たちの能力の成長に必要な素になるってのを知ったのは」


ーー 懐かしいですね。今となってはマスターの能力は成長限界に達していますので意味のないものとなっていますが ーー


 「そうなのか。これ以上の成長がないのか……」


ーー はい、現状は。能力の出力に関してはワタシが制限を設けていますので、それを段階的に解除することで擬似的に成長を感じることはできるかと ーー


 「でも制御が難しいんだろ? だからこその制限なんだし」


ーー はい。ですので、マスターはこれまで通り能力の扱い方を磨いていただければと ーー


 「ふむ、ということはもっとアイテムを作らないとってことか、了解。それはそうと、さくらが言うその諍いだけど……」


 「解決のお手伝いしてくれるの……?」


 「いや……」


 「やっぱりだめかしら……」


 「なんていうか、俺が……俺たちが介入してもいいものなのかなって」


 「どういうこと……?」


 「はっきりとこうだって言えるわけじゃないけど、俺たちって海外からすると“日本の戦力”なわけでしょ? そんな俺たちが止めようとしたらいろいろ問題がおきるんじゃ、ってさ」


 「……そう、よね。それに介入となると武力行使やその衝突もあるかもしれないわ。それをログハウスがした場合、世界からみればログハウス、私たちや日本がダンジョンを支配しようとしているように映るかもしれないわよね……」


 「うん、どことどこが争っていても、そのどちらを止めようとしたとしても、間に入るってこと自体がまずいかも? って思うんだよね。日本人だからとかじゃないって言っても、実際に日本人な俺なんか絶対に信用されないだろうから、そうしたら地上の日本がどうなるかわからないし」


 なんとなくではあるが、介入自体がまずいことかもしれないと思ったのだ。仮に俺だけであれば……自意識過剰かもしれないが何とかできてしまう気がするし、その後敵だらけになったとしてもやはりなんとかなりそうな気がしている。

 しかし認識として俺が、俺たちが日本に帰属しているならば、それは日本が世界の敵になったと見做されてもおかしくはない。なぜなら、利権を得ることを望む者にとってそれを止めようとする者は、利を害する者だからだ。両者ともにそうであったとすると、双方にとって望んだ争いであるそれを止めようとする者は双方にとっての敵、であれば止めようとした者は敵の敵であり、元々の敵同士が一時的に手を組むということも考えられる。

 その逆として、敵の敵は味方という言葉通りになったとしても、全てがそうはならない。必ずどこかと敵対してしまうだろう。


 「ぶっちゃけ何もしないことが平穏ではある」


 「ゆ、悠人君には……いえ……なんでもないわ」


 何かを言いかけたさくらが言葉を止める。だいたいの予想は付くし、立場が違えば俺もそう思うのだろう。 


 「でも……それを傍観してるだけっていうのも寝覚が悪い気はしてるんだけどね」


 どうするのが正解なのか。まだ俺にはわからなかった。


 その日の深夜、俺はふと目を覚ました。


ーー おや? どうされました? トイレですか? ーー


 「いや、気になってさ」


ーー はい、どういったことでしょう? 子猫でしょうか? 香織様でしょうか? それとも、ワ・タ・ ーー


 「菲菲は今、何をしている?」


ーー はあ、あの小娘のことですか。喫茶・ゆーとぴあにて夜番をしています ーー


 「さくらの話だと渦中にいるのが菲菲の国なんじゃなかったか?」


ーー はい。しかし李菲菲は現在進行中の諍いには参加していません。詳細は不明ですが、別の任務を指示されているようです ーー


 「詳細不明? どういうことだ?」


 エアリスはダンジョン内に自衛隊が設置した電波基地局圏内であれば盗聴が可能なはずだ。菲菲たちもその電波を利用しており、当然彼女が持つスマートフォンはエアリスがいつでも介入できる。それは菲菲が任務、命令をそのスマートフォンで受ければエアリスに筒抜けであるということだ。しかしエアリスは任務を受けているだろうことは推察できるが、その内容に関してはわからないと言う。


ーー おそらくダンジョンに、20層の電波圏内に来る以前から、何か特殊な命令を受けていたのでしょう。そしてそれはダンジョン内で話す事自体がタブーであったため、ワタシがそういった話を耳にすることがなかったのかと。そうなると余計気になります。菲菲の目的は一体…… ーー


 「菲菲がペルソナを嫌っている様子はなかったんだよな? それに喫茶店のバイトにもちゃんと来てるわけだし……単純に諍いから遠ざけるようにされてるだけじゃないか?」


ーー どうしてそう思うのですか? ーー


 「たしか二十歳にもなってないんだったよな? それに貴重な超越者だろ? もしもがあったらまずいから、とか?」


ーー 貴重な超越者だからこそこう言った場合には力を発揮するかと。それにこれまでの様子から年齢を気にして遠ざけてあげようなどという意図は感じられませんが ーー


 「直接聞きに行ってみるか?」


ーー 手っ取り早いかとは思いますが……静観するのではなかったのですか? ーー


 「ぐぬぬ」


ーー 暗い顔のさくら様を見ていられない、と言ったところでしょうか? ーー


 不意にドアがノックされる。続けて『悠人君、今いいかしら?』と聞かれ、ドアを開けて来訪者を招き入れた。

 ハーブティを手土産にしたさくらが深夜に押しかけたことを申し訳なさそうにしていた。


 「これ、よく眠れるハーブティよ」


 「前に飲ませてくれたことあったかも」


 「うふふ。そうね」


 きっと海外勢同士の諍いの件なのだろうことは容易に察しがつく。しかし俺は未だに介入を躊躇う気持ちが大半を占めていた。一口二口とハーブティを啜っていると、よく眠れるというだけあって落ち着いた気分になってくる。


 「さっきはごめんなさいね」


 「いや……こっちこそ」


 「悠人君のおかげで少し冷静になれた気がするのよ」


 「そう、なの? 子猫が気になってよく眠れないしありがたい」


 「私、悠人君がたぶん嫌いな事を言おうとしてたと思うわ」


 「嫌いなこと?」


 「……力があるなら、それを力のない人のために……って」


 「そっか」


 「幻滅した?」


 「いーや。まぁ実際言われてたらふざけんなくらいは思ったかも」


 「そうよね」


 「でもさ、そう思うのもわかるし、実際俺も助けてもらいたい立場になればそう思うんじゃないかな、きっと」


 「あら、悠人君ほどでも?」


 「俺ほどって、どの程度だよ」


 「世界、滅ぼせちゃうんでしょ?」


 「エアリスはそんなこと言うけど、買い被りすぎ。最近はまぁ、たぶんどっかの国の軍隊程度なら滅ぼせそうな気がしてる程度だって。とか言ってそれも自惚れな気がしたりもするけどさ。だって超越者は他にもいる事がわかったし、それに現代兵器だってある。俺の両親を人質になんて事もやろうと思えばできるかもしれない。そんな事になったらほんとに困る」


 「でもやればできちゃいそうなのが悠人君よね」


 「はは……ないない」


 無言になりハーブティを飲む音だけが聞こえる。

 空白を破るようにさくらが静かに言った。


 「本当はね、総理も言ってたのよ。他の議員たちの中にはペルソナに解決させろという声もあるけれど『関わるな』って。だからさっきのは私のわがままだから気にしなくていいわ」


 「ふ〜ん。総理直属の特務、そのさくらがわがままで指示に背こうとしてたのか」


 「ずいぶんトゲのある言い方ね。意地悪なんだから」


 「ごめんごめん、そんなつもりじゃなくてさ。まぁ俺も半分同じ特務だけど、争いとか紛争とか諍いみたいなのから遠ざけようとする命令にはすすんで背こうとは思わないなと思って。逆に『やれ』って言われたら背きたくなるけどさ。それで……さくらはわがままっていうけど、なんか理由があるんだろうな〜と思ってるんだけど」


 「私に興味があるってことかしら? うふふ」


 そう言いながら人差し指を唇に当てるさくらに少しドキッとする。


 「私だって知らない人だけで勝手にやってるなら、大変だなぁくらいにしか思わなかったと思うの。でも……やっぱりその諍いの中心は……」


 そこまで聞けば俺でもわかる。利己的な理由でも大義を掲げていても、結局はその中心に対して圧力をかけているのだ。そしてそれだけにとどまらず、武力行使をちらつかせていたり、実際に海外勢同士がぶつかっていたりする。その実際の武力行使が外側から中心に向けて伝染していくと、最終的にはマグナダンジョンとの通り道、エテメン・アンキ周辺、下手をすれば地上のマグナダンジョンも奪われてしまうかもしれない。そしてそこには、日本の一般探検者や自衛隊がいる。そう、軍曹たちマグナカフェの隊員たちがいるのだ。


 「私、階級だけは不相応なくらいあるけれど、軍曹たちが初めてちゃんとした部下だったのよ」


 「そうなんだ、意外」


 「意外かしら?」


 「ビシバシ鬼教官的な感じで部下を鍛えまくった功績で偉くなっていったのかと思ってた。さくらの“おはなし”怖いし」


 「そ、そんなに怖いかしらね?」


 「なんだろう、反抗を許さない威圧感を感じてたよ、初めてマグナカフェに行った時とか」


 「ご、ごめんなさいね? い、今はどうかしら」


 「今は……みんなの頼れるお姉さんって感じ?」


 「ほ、他には?」


 「え? ん〜、綺麗なお姉さん?」


 「うんうん、あとはあとは?」


 「え? えーっと……紅茶とカレーだけは絶品」


 「うふふ、もう充分よ」


 「そ、そうか。あっ、なんかこう、自然と話ができるっていうか、話させてくれるお姉さんっていうのも追加で」


 「それって頼れるお姉さんとかぶってない?」


 「……たしかにそうかも。まぁ変に緊張しないで自然体でいられるってのは間違いないよ」


 「そうなのねぇ。喜んでいいのか複雑ね」


 「……?」


 それからたわい無い話と諍いの件を繰り返すように話していると変な考えが浮かんできた。


 「一般の探検者は逃げろと言われたら逃げてくれそうだからいいとして、軍曹たちは自衛隊だしそういうのが仕事だから当たり前って勝手に思い込んでたな。……俺も知り合いがそんな状況ってのは……ちょっと気分が悪いな。とは言っても……」


 だからと言って俺たちが介入することは状況をややこしくするだけに思えることに変わりはない。そう、俺たちならば、だ。


ーー おや、マスター? 何か楽しいことでも思いつきましたか? ーー


 「わかるか?」


 「楽しいことってなにかしら……?」


 「あ、ふざけたことを思いついたわけじゃ……いや、ふざけたことか?」


ーー ……マスターであれば考えそうな事がいくつかありますね。しかし確証には至りません ーー


 「ふ〜ん。じゃあヒント。エアリスが喜びそうな事だ」


ーー ワタシが喜びそうな事!? マスターとの逢瀬を現実に!? ーー


 「いや、そういうんじゃねぇ。ベクトルを変えてくれ」


ーー はい。では……ワタシが独自にカテゴライズしたものに、『魔王化計画』というものがあります。簡単に申し上げるなら、マスターが世界の敵になりきって大いに楽しむ計画です、主にワタシが。しかしそれはマスターによって拒否された記憶があります。ですが現状であれば、最低限のリスクで最大限の効果が見込めると試算します ーー


 「ゆ、悠人君の……魔王化計画!?」


 エアリスが言う魔王化計画、それはまぁ正解と言える。魔王なんて言っても、そもそもダンジョンを全部掌握したわけでもないし、人間なんかよりも上位と思える存在だっているのだから、言わば形だけの魔王だけどな。それに魔王になるのは俺じゃあない。


 「で、でもそんなことしたら悠人君が……」


 「“俺は”大丈夫」


 「俺はって……じゃあペルソナ?」


 「あぁ、それもいいかも……いかんいかん、エアリスに毒され過ぎだな俺。そんな事したらせっかく積み上げたペルソナへの信用がなくなって俺が困る」


 「じゃあどうするのかしら?」


ーー ペルソナを人柱に、と予想していましたが違うのですか? では一体……あっ、ワタシはまだ器を作っていませんし、嫌ですよ? ご主人様と離れ離れになってしまいそうで。ハッ! それならいっそ器を未来永劫作らないという……いえ、それではご主人様と現実でにゃんにゃん計画が ーー


 「ペルソナでもないしエアリスでもないしにゃんにゃんじゃない。ほら、ちょうどいいのがいるだろ? 四枚も翼が生えたやつがさ」


ーー ああ! あの者ですか! ……しかしあの器はチビが消し炭にしてしまいましたので、新たな器を用意するとなると多くのものが必要になるかと ーー


 「だろうな。まぁできるだけ強い器があればなにも問題ないんだよな」


ーー なるほど。あの程度の器でありながらワタシの器などとのたまったクソ雑魚なめくじには良い罰ですね ーー


 「いや、罰とかそういうのじゃないから。あとクソ雑魚なめくじはさすがにかわいそう。ってかあいつは今どこに?」


ーー マスターの腕輪の中に幽閉されています。香織様の中に残っているのはあの者が器、または宿主を変更する際に自動的にコピーされる複製品のようなものです。【不可逆の改竄】を使用し存在を否定してもよかったのですが、使えそうでしたのでワタシがしっかりと調教しました。香織様のサポート以外、余計な事はしないかと ーー


 「じゃあ本体はこっちにいるってことだ」


 そう言って俺は自分のダンジョン腕輪を指差す。エアリスはそれを肯定し、さくらはなにがなにやらわからないと言った表情をしていた。説明してもいいのだが……よく眠れるハーブティのおかげか眠くなってきた。


 「まぁとりあえず……今日は寝ようと思います」


 「わ、わかったわ」


 「あー、エアリス、一応警戒はしといて。何かあったら緊急時に限って勝手に体使っていいから守るだけ守っといて」


ーー わかりました。ペルソナでよろしいですね? ーー


 「あー、うん。その方が話が早そうだし、敵意を向けなければ一度くらいは大丈夫だろう」


 ベッドに入り目を閉じると、意識が深い水底へと沈んでいくような感覚があった。そしてそれを後押しするように重みが……重みが? なにそれ?


 カッと目を見開くと俺の上でさくらが女豹的なポーズになっていた。目の前にはさくらの顔があり、その髪が俺の顔に垂れていた。くすぐったい。


 「ど、どうシタンデスカさくらサン」


 「ど、どうしたのかしらね? なんだか嬉しくなってつい……?」


 「嬉しくなってつい……?」


 「えっとその……私のわがまま、真面目に聞いて考えてくれてありがとう」


 「思いついた方法は変だし……ちょっとした悪戯というか……それに何をしようとしてるかまだ言ってないよ?」


 「それでもね、考えてくれただけうれしいのよ」


 「そ、そっか。あの、えっと……」


 少しの間見つめ合う形になってしまい言葉に詰まっていると、部屋の外からがりがりと引っ掻くような音が聞こえた。

 さくらと顔を見合わせ「子猫!」という声がシンクロする。


 部屋の外ではチビが子猫がお腹が減ったかトイレか、かまって欲しい等を知らせるためにチビが来ていたのだ。

 ある意味それに救われた俺は、さくらと共に子猫の元へと向かった。

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