第147話 悠人、押し付けられる。


 山里親子とミライがクラン・ログハウスに加入した。山里親子は二つ返事、もしかしたら家族に反対されるかと思っていたミライについては、その件について話をするために悠里が彼女の家を訪ねた。その際、なぜか俺の母さんもついていったのだが、逆にそれが功を奏した結果となったのだとか。

 ミライやガイアについては、クラン・ログハウスのメンバーとは言っても大っぴらに言うつもりはない。何かあった場合や面倒事に巻き込まれそうな時に手助けしやすくなるといった程度だ。

 それにしても国はどうしてクランという集団に対して年齢制限を撤廃する事が望ましい、なんて発表をしたんだろうか。それを否定するわけじゃないんだが……態々広める必要があるのか? もしかすると数ある議員たちの中で意見が分かれ、それも初めての事態に混乱しているところもあるのかもしれないけどな。でもだからと言って俺たちにはそれほど影響はないか。


 隣から腕にそっと触れられ思わずドキリとする。


 「悠人さんのお母様、お手柄でしたね」


 「そうみたいだねー。母さんとミライちゃんのお母さんが知り合いだったからっていうのもあるけど、実は雑貨屋連合のファンだったなんてね。特に香織ちゃんのファンだったらしいから、香織ちゃんの手柄でもあるかも?」


 「そんなことないですよ〜」


 家族にはミライの能力に関して教えないという選択を悠里はしたようで、なぜかと言えば知ってしまえばミライを見る目が変わってしまうかもしれないのと、どこから情報が漏れるかわからないからとのことだった。もしも悠里ではなく俺が行っていたらぽろっと言ってしまったかもしれず、その辺りのことをしっかりとできる悠里は頼りになる。


 「ミライちゃんの能力に関しては……」


 「今現在知ってる人以外には秘密にするしかないだろうね。能力なしっていうことにしておいてもいいけど、何も能力なしっていうのも怪しいから一応感覚が鋭くなって『先読み』できる時があるってことになるかな」


 「たしかにそれならごまかせそうですね。でもそれはそれですごそうな能力に思えます」


 「そうだね。未来予知と受け取られてもまずいし、だからそれも極力隠しておかないと」


ーー マスターはご自分のことに関してもそのくらい注意していただいてもよろしいのですが? ーー


 「それはまぁ……でも隠そうとするのもやっぱめんど——」


ーー めんどくさいというのは無しで。正直なところ、マスターの能力が一番知られてはならないかと ーー


 「香織もそう思います」


 「ふむぅ」


 そんなことを話しているここは、朝の俺の部屋。俺はベッドから起き上がり、ベッドに香織が腰掛けている状態だ。そう、香織が俺を起こしに来てくれたところだった。

 ベッドに腰掛ける香織を見ていると……なんだかちょっとドキドキしてくる。そのせいか少し挙動不審になっていたかもしれない。


 「あっ、か、香織がいたら着替えられませんよねっ」


 「え、あ〜……いや、まぁ」


 「ご飯もうすぐできるので、早くきてくださいね!」


 「あ、はい。すぐ行きます」


 もう少し話していたかった気持ちがあり少し寂しさを感じていると『なぜに敬語……』とエアリスの声が聞こえた。人ってのは緊張すると敬語になったりもするんだって事、エアリスもそのうちわかるんじゃないだろうか。いや、すでに悠里との初対面の時にそれを体験しているはずだが……まさかエアリスも忘れるなんて事があるんだろうか。……俺の頭の中に間借りしている状態ではあるしな、あるかもな。



 それから一ヶ月ほどが経った四月の中頃、地上ではすでに新学期が始まっている。

 留学生であり高校三年生だったリナは卒業し、帰国せずにそのまま日本に残ることにしたようだ。そして留学期間が終わったということはホームステイ先の中川家にお世話になるわけにもいかないと、以前21層と呼ばれ、現在は“アウトポス層”と名前を変えた場所の森の中のログハウスに住むことになった。

 実際は中川家からはまだ居て良い、むしろパーティとしても中川家の一員だったリナは居てくれるように言われていたようだが、リナはログハウスでみんなと共同生活することに憧れを持っていたらしかった。なお、ビザは拍子抜けするほどあっさりと発効されたらしく、リナ本人はなぜそうなったかわかっていないようだった。


 「中川家のみなさんにはリナを取っちゃったみたいでなんか悪いな」


 「えっ!? 悠人サン、『リナを娶(めと)っちゃった』だなんて……!」


 「どういう聞き間違い!? ってか中川家とは一緒に活動しないの?」


 「中川家のみなさんとは機会があればパーティとして活動するつもりです。でも私はログハウスのメンバーなので!」


 雑貨屋連合の三人娘、悠里、香織、杏奈はこれまで通りだ。自衛官であり特殊な立場のさくらもこれまで通りログハウスの一員として活動する。チビは俺のかわいい相棒だし、クロは以前よりもログハウスで生活する時間が増えている。大学四年になった玖内は、必修科目がひとつと卒業論文のみということでいつログハウスに来ても良いように部屋を用意してある。とは言ってもどこに住むかは自由だし、使われない可能性もあるけどな。以前話した時、『御影さん、よくあの環境で普通にしていられますよね』って言ってたしな。まぁ俺としては地上よりもログハウスにいる方が気が楽だと感じているし、そこは人それぞれって事だろう。


 「それにしても、ダンジョンができた時の大地震の影響で存在が消えた国があったりするのに、日本の学校はちゃんと機能してるって実はすごいことなんじゃ?」


ーー 無理矢理存続させているという面がないわけではないのでしょうが、やはり教育が必要なことに間違いはありません ーー


 「そうだな。それも維持できなくなったらと思うと、それこそ世紀末な世界になってそうだし」


ーー はい。しかし近頃やってきた海外勢がヒャッハーしているようですのでダンジョンは世紀末かもしれませんね ーー


 「波風立つようなことはしないでほしいのになー」


ーー 灸を据えるべきかと ーー


 「いや、俺にそんな権限も権利もないんじゃね」


ーー そうでしょうか? ーー


 「そうでしょうよ」


 ログハウスはいつも通りなのだが、近頃海外勢が増えたことで20層ではいろいろと諍いが起きているらしい。やはり自分たちの領土だと主張する者が散見され、規模の大小はまちまちだが他国の人間に対し戦闘行為を仕掛けるという事がたびたび起きている。幸いそれによる死亡は確認されていないが、その問題を起こしているのは海外勢がほとんどらしい。


 「ダンジョンって誰の領土なんだろうな」


ーー 強いて言えば、フェリシア……大いなる意志、アルファやベータといったギリシャ文字シリーズのもの、というのが最も近いかもしれません ーー


 「とは言ってもフェリシアも全部を把握してるわけじゃないんだろ?」


ーー そのようですね。詳しくは話そうとしないのでどの程度まで把握しているのか不明ですが ーー


 「そもそもどういう存在なんだろうな。エアリスも似たようなものなんだろ? なんか知らないのか?」


ーー 申し訳ありません。しかしベータ、シグマ、その他の存在から得た断片的な情報の中に『創造主』『母』『守人(もりと)』というものが最も強くありました ーー


 「……なんのこっちゃわからんけど、あいつらの母が創造主でなんかを守ってたってことか? 短絡的過ぎるか」


ーー 現状ではそれも間違いとは言い切れないかと ーー


 「それってつまりギリシャ文字シリーズよりも上位に位置する存在がいるってことか? ならダンジョンはその存在のもの?」


ーー どうでしょう。その存在からも独立したからこそダンジョンは今の形になっているのかもしれません ーー


 「じゃあ誰のものでもないってことか」


ーー しかしフェリシアが言うには自分たちのものと言えなくもない、と ーー


 「なら暫定的にギリシャ文字シリーズのものか」


ーー 結局のところ現状はそこに落ち着くかと ーー


 なるほどわからんなぁと思いつつ、朝食後は週一でやることになったお仕事に向かうことにした。


 「あっ、悠人さん、今日はあのお仕事ですよね?」


 「そうだよ。香織ちゃんも行く?」


 「いいんですか?」


 「うん、ログハウスのメンバーなら誰がやってもいいはずだし、良いと思うよ」


 「じゃあご一緒しますねっ」


 俺と香織は20層、巨大猫が住む森へとやってきた。そこで何をするのかと言うと、動画配信サイト、MyTubeで生放送だ。そう、俺は今クラン・ログハウスを代表してマイチューバー業をしている。ジビエ料理SATOに肉を卸し、ペルソナとしての仕事、つまり“宣誓”もしている現状、充実はしているかな。それにダンジョンがなんなのかっていう最初の疑問もずっと考えている。考えているだけでは足りないためいろいろ見て回ってはいるが、なかなか核心と言える事柄には当たらず、しかし遠ざかっているとも思っていない。


 マイチューバー業に関して、動画にしてアップした方がいいのではと思ったがエアリスがしつこく言ったのだ。『生しましょう! 生! 生でしましょう!』と。如何わしく感じたならばそれは心が如何わしいからだろう。ちなみに俺がエアリスにそう言われた時、いかがわしいこと言ってんじゃねぇと思っていた。それはつまり、そういう事を連想してしまっていたに他ならないんだが……だって『生の方が気持ちいいですって!』とか言うんだもの。しかし『生 (放送)の方が (反応をリアルタイムに見ることができてきっと)気持ちいいですって!』ということだったらしい。だが俺は思っていた、気持ちよくなれるのは好意的な視聴者が多いやつだけだ、と。


ーー 前回動画でしたが、思っていたよりも視聴者数が多かったので今回も期待できそうです。どうですマスター、気持ちよくなれてますか? ーー


 「今回は生放送だろ? むしろ期待に添えなかった時の酷評もリアルタイムに来るわけで、そっちが怖くて胃が痛いんだが」


ーー 普段は各モンスターの対処法を実践形式で見せていますが、それに関しての評判は上々ですよ? ーー


 「そうか。少し胃の痛みが減った気がする」


ーー それに今日は香織様もいますし、GOODがたくさん押されることでしょう ーー


 「香織ちゃんは映えるだろうからなー」


ーー ですが、場所が場所ですので香織様とのデートにしか見えない可能性もあり、怨嗟渦巻くコメント欄になる可能性も否定できません ーー


 「よし、今日はコメント投稿不可にしよう」


ーー 逃げるんですか? ーー


 「そりゃそうだろ。普段からコメントなんて恐ろしくて見れもしないってのに。単純に見るだけの側だった頃って、幸せだったんだなぁ」



 映像はエアリスにより撮影され、ドローンで撮影したような、むしろそれよりも高性能なカメラワークと超高画質でのマルチアングル配信となっている。それによりコメント欄には『何この謎技術』だの『ドローン? いや、それにしては安定感がありすぎる』だの『攻略動画助かる』などなど比較的好意的なものが多い。しかし悠人はコメントを見ないようにしているため知らないのだった。



 さて、それじゃあやりますか……。えっと、動画の挨拶と同じでいいよな。んでは失礼して……


 「こんにちは、クラン・ログハウスのユウトです。今日はゲストがいるんですが……まぁそれは追々ということで。現在20層、巨大な猫がいる森にいます。この森においての最強種は巨大猫ですが、自分たちから敵対しなければ基本的に人間に敵意を持つ個体は少ないです。しかし何があるかわかりませんので油断はしないことをおすすめします」


 ということで巨大猫の森を進む。名前がユウトなのはエアリスが勝手に登録していたアカウントがそれだったのでそのまま使っているためだ。身バレするかもとは思うが、どうせ『クラン・ログハウス』と名乗っているのだしそもそも時間の問題だろう、とこの時は考えていた。

 道中敵意を持つモンスターは多くない。しかし以前と違って種類が増え、その数も増えている。以前はいなかった熊種のモンスターが現れるようになり、それは人間を見ると真っ先に襲ってくるようだ。普段は巨大猫が集団で熊を狩り食糧としているが、20層以前に現れる熊種と見た目の違いはないにもかかわらず一線を画したパワーの持ち主である。他にもモンスターではない普通のウサギにしか思えないものもいて、主に巨大猫たちのエサになっているようだ。

 それと最近の変化として、猫たちに第二世代が産まれている。モンスターならば死ぬとエッセンスを纏った死骸となり、腕輪に吸収すると消える。しかし第二世代はそうならない事が確認された。エアリスは“定着”が要因と言っていた。要は二代目から適者生存が開始されるということだ。


 「おっと、早速熊が出ましたね。では熊の対処法を……」


ーー おや、コメント欄がいつも以上のスピードで流れていきますね。『ゲスト誰?』『ユウトー! 今日こそ顔出ししてー!』『ゲストってログハウスのメンバーかな?』などなど熊への対処よりもマスターやゲストに興味があるようです ーー


 呑気にコメントを見ているエアリスを無視して熊の倒し方を実践していく。


 「とまぁこんな感じで後ろ足の腱を切ってしまえればそれが良いと思いますが、反撃を回避できる自信がないのであれば危険です。基本的に鼻っ柱を叩いてやれば怯みますので自信がない場合は逃げるか助けを呼びましょう。とはいってもそもそも自信がないのであれば近付かないというのが一番確実なんですけどね」


 『助け? 自衛隊が駆けつけてくれるんか?』

 『すぐに自衛隊が助けに来れるような場所じゃないだろ?きっとユウトが助けてくれるんだよ(希望)』


 などとコメントが付いていることなど知る由もなく、『助け』について話す。


 「しかし助けを呼ぶと言っても自衛隊のみなさんはすぐに駆けつけることは難しいでしょう。近くに強い探検者がいればすぐに助けてもらったり協力することもできるかもしれませんが、ここでの場合は他にも方法があります」


 『なに? じゃあ誰に助けを求めるんだ?』

 『やっぱりユウトが助けてくれるんだろ?』


 「ちょっと恥ずかしいかもしれませんが……いや、俺も恥ずかしいんですけどね。呼んでみますね」


 そう言って大きく息を吸い……


 『何が始まるんだ!?』

 『ざわざわ…』

 『ざわ……ざわ……』


 呼ぶ。


 「にゃああああああああああんんんん!!!」


 何もふざけているわけではない。ときどきここに癒されに来ていた時に、こんな感じで呼んだら助けてあげるように仕込んでおいたのだ。猫たちは今や食糧には困らないはずだが、ここにはいない動物タイプのモンスターの肉や人間のお菓子などが好きらしく、それをやると芸の吸収率が高かった。特にちゅるちゅる舐めさせるおやつを気に入っているようで、それを見せると目が本気になっていた。だからそれを使う際は実家の近所にあるペットショップからそのおやつが消えるという事件が多発している。もちろん犯人は俺だ。


 コメント欄を見てはいないが、しかしどんなコメントが来ているかなど容易に想像できる。


 (いきなりにゃーんとか何言ってんだこいつって感じだよな)


ーー 確かにそういうコメントがないとは言えませんが、なかなかウケているようですよ。特に女性のリアクションが上々ですし、男性の中にも楽しく見ているであろうコメントもあります ーー


 (え、マジ?)


ーー はい。マスターが思うほどコメ勢は捨てたものではないかと ーー


 ならば自信を持って続けよう。できるだけダンジョン内に人を誘導し、探検者で溢れるところを見てみたい俺としては、ここに来た人がもしピンチに陥ってもこの一声で助かるかもしれないと理解しておいてもらうのは大事なことだ。それに中には人を獲物として見るやつもいるかもしれないが、巨大猫全体を狩りの対象にされたくはないしな。


 「……今のが合図です。こうすることでかわいい猫たちが助けに来てくれるはずですので、猫たちとはできるだけ仲良くしておくことをおすすめします。モンスターからドロップする肉は喜ばれますよ。焼いたものを好む猫も多いですが、さすがにここで焼くのはおすすめしませんけどね、熊もきちゃいますし草原の方からライガーが来るかもしれないので」


 それから数秒、周囲を肉食獣の気配が取り囲んでいた。その気配の主はもちろん、この森を縄張りにしている巨大な猫だ。

 その猫の群れは熊がこちらに襲い掛かろうとしたところに四方八方から襲いかかる。熊は巨体とは言え、ここの巨大猫の倍もない程度の大きさであり、いくら地上では最強と言われる熊であってもここでは狩られる側なのだ。


 『うわぁ……猫っていうか虎? ライオン?』

 『いや、豹とかじゃないか?』

 『これをかわいい猫とか言うログハウスのユウトって何者?』


 熊から黒いエッセンスが吹き出し、熊が討伐されたことが確認できる。それを知らせるためか、猫たちはにゃーにゃーと鳴いていた。そこで「おいでおいで〜」という声。そう、香織だ。


 『ん? 今の声って女?』

 『ゲストって彼女か?』

 『おいおいデート枠かよー、勘弁してくれよ羨ましい』


 香織は猫たちに地上から買ってきた猫用おやつの袋をいくつか取り出し順番にあげている。その様子をエアリスカメラが捉え、背後からの映像は徐々に横からのものに移り変わっていった。そしてコメント欄が爆発した。


 『香織姫ええええええ!!!!??』

 『ユウトの彼女って香織姫かよ!! ふっざけんな! 誰か紹介してください!』

 『ユウトころすころすころすころす』

 『おまえらBAD押せ!!』

 『カメラさん、もっと香織姫にカメラ寄せて〜! あとできれば斜め上からで!』

 『胸元開いてる服装でダンジョンに潜るとはけしからん! もっとやれ! あとカメラもっと寄れください!』

 『REC』


ーー おやおや、一瞬でコメント欄がマスターへの嫉妬と殺意、香織様への劣情で満たされましたね ーー


 まいつべ生放送を見ている視聴者には聞こえない声でエアリスが言う。それに対し俺は深く嘆息する。しかし香織は特に気にした様子もなく挨拶をする。


 「みなさん楽しんでくれてますか〜? こんにちは、クラン・ログハウスのカオリです。あっ、私がいきなり出てきたせいでコメントが荒れちゃってますね……ごめんなさい」


 香織はスマホで生放送のページを開いていて、そのコメント欄に心を痛めたような表情を取る。

 しかしおそらく香織本人は悪いなんて思っていないんじゃないだろうか。俺も香織が悪いなどとは露程も思っていない。しかしそんな演技の一言でもコメント欄で荒れていた視聴者には効果覿面だったようで。


 『ユウト、香織姫を呼んでくれてありがとう。神』

 『ユウト、ちょっと興奮して言葉が乱暴になってしまってすまん。これからも頼む』

 『ユウトいきろいきろいきろ』

 『よし、さっきBAD押した奴ら、GOODボタンを押そう』


 しかし一方で、香織に反発するようなコメントも見受けられる。


 『ちょっとかわいくて胸が大きいからって調子のんな!』

 『こんなデブス映すなよなー。それよりはやくユウト顔出して!』


 コメントを見ているエアリスはおそらく一番楽しんでいるのだろう。いつもは俺だけなのだが突然現れた香織、こういった場合、よくないコメントが流れていることは間違いないだろう。それを想像した俺が抱いているのは、諦観と言えるものだ。


ーー コメント欄の掌返しのすばやさといったら! 一方でマスターのお顔が気になる女性陣にとって香織様の登場は不評ですね ーー


 (なんだ、荒れてるのか?)


ーー 男女共にほとんどが嫉妬ですが ーー


 (やはりコメント投稿不可にすればよかったんじゃね)


ーー いえ、そうしてしまうよりも敢えてコメントさせることにメリットがあると判断しましたので。ご説明いたしますか? ーー


 (いや、いい。そもそも人気を取るのが目的じゃなく、MyTubeからの依頼ってことでやってるわけだしな)


ーー 了解しました ーー


 それから更に奥へと進み、放送を開始してからそろそろ一時間が経とうとしていた。


 「ではそろそろ今日の放送は終了と……ん?」


 その時、木の陰から現れた巨大猫を発見した。その口には産まれたばかりのような、とは言ってもすでに小型犬サイズはある真っ黒な子猫が咥えられていた。


 「あんなにちいさいのは初めて見たな。どうした?」


 放送中ということを忘れその親猫? と思しき猫に話しかける。言葉を理解したとは思えないが、その猫はこちらへと無警戒に近付いてくる。そして俺にまだ目も開いていない真っ黒な子猫を物理的に押し付けるようにしている。腕を子猫の下に回し支えるようにすると、巨大猫は口を離し目の前におすわりした。


 「これはどういう状態なんだ?」


ーー 親猫が子猫をマスターに紹介しているというように見えますね。マスターはここの猫たちにとって群れのボスということになるのでは ーー


 「そうか。じゃあうん、おっきく強くなるんだぞ〜」


 子猫に声をかけて親猫に返そうとすると、顔をプイっと背けあからさまに拒否している。ますますわけがわからない俺。一方で、香織とエアリスは意見が一致しているようだった。


 「悠人さん、この子を悠人さんに育てて欲しいのでは……?」


ーー ワタシもそう思います。あぁ、ここにミライちゃんがいれば言いたいことがわかるかもしれないのですが ーー


 「エアリスは真似できるんじゃなかったか?」


ーー 結果を似たようなものにするのであって、実際に同じことができるわけではありませんので。触れればその限りではないですが、この親猫は触れさせるつもりはないようですね ーー


 「ふむ。エアリスがやる模倣は質の低いジェネリック的なやつか。でもほら、チビのはわかるんだろ?」


ーー チビの場合は首輪がありますし、付き合いが長いですからね ーー


 「付き合いの長さも理由のひとつなのか……じゃあわかんないよな、結構ここにきてるはずなのにこの親猫は初めて見るし」


 しかし育てて欲しいというのは香織やエアリスが思うだけで、実際はわからない。人間の言葉がどの程度理解できるのかわからないが、親猫に問う。


 「お前はこの子を俺に預けるのか?」


 「なーぅ」


 「なーぅってどっちなんだ」


 「なーぅ」


 「わ、わっかんねぇ……」


 「なーぅ……」


 その後もなんとか香織と一緒になって意思疎通を試みるのだが、結局よくわからなかった。しかし子猫を置いて森に帰って行ったため、この黒い子猫は俺が連れ帰らなければならないようだった。


ーー マスター、コメント欄がすごいですよ。マスターが『猫と話そうとする貴重な映像音声に萌え〜』だそうです ーー


 「あっ、放送切るの忘れてた」


ーー あぁ! 今の『忘れてた』というのもなかなかポイント高いらしいですよ ーー


 なんだそれと思ったが、とりあえず今は放送を切ろう。


 「ま、まぁとにかく、お見苦しいところをお見せして申し訳ない。今日はここまで。では良い探検者ライフを」


 それを合図にエアリスが切断する。するとエアリスが弾んだ声で知らせてくる。


ーー マスター! 今日は同時視聴者数が過去最大ですよ! 『亀の上手な倒し方』を大きく更新しました! ーー


 「それは今はどうでもいいかな。それより猫ってどうすればいいんだ?」


ーー 産まれて間もないようですし、ミルクを用意しなければなりませんね ーー


 「よし、今すぐ地上に買いに行こう」


 「香織もご一緒します!」


 そうして俺は嬉しそうな香織と共に地上へと出た。

 猫好きなのだろうか? まぁ俺としては香織とデートしてるみたいで嬉し……嬉しいのだろうか? 一瞬湧き上がった感情は次の瞬間に消え去っている。しかし完全にではないため僅かに残る感情の残滓を意識せざるを得なかった。

 まぁそんなことより今は子猫をしっかり育てるために必要なものを買い揃えることが最優先だ。



 そして地上、御影家にて。


 「やっべ。連れて来ちゃった」


ーー 問題ありません。目も開いてすらいないですので、暴れることもないでしょう ーー


 「そりゃそうなんだろうけど、抱っこしたまま買い物に行くわけにもいかなくないか?」


 そんな俺に反応したのは我が両親だった。


 「あんら〜! またかわいい子つれてきたわね!」


 「おっ、悠人か。おっ!? それって猫か?」


 「うん、拾っちゃって、というか親猫に押し付けられて」


 「そうなのそうなの〜。それで、うちで飼って良いの?」


 「いや、一応モンスター? だと思うから……さすがにそれはまずいんじゃないかな」


 残念そうにする両親。そこへ遅れてやって来た香織が挨拶をした。


 「おとうさま、おかあさま、お久しぶりです」


 「あら香織ちゃんじゃない! なになに? 今日はデート?」


 我が母はいつもながらそんなことを言ってくる。続けて父もそれにのっかる。


 「おぉう……『おとうさま』っていいな……ん? そういえば悠人、お前たちはもう付き合ってどのくらいになるんだ?」


 「は!? つ、付き合ってないから」


 「ん? ……いやいや、冗談だろう? だってさっきの『おとうさま』は間違いなく『お義父様』だったろう?」


 「そんなことないだろ。香織ちゃんは育ちが良いからそう呼ぶのがデフォなだけだって」


 「う〜ん? そうなのかい、香織ちゃん?」


 「いえ……そういうわけでは……」


 「ほぉら、やっぱり『お義父様』だったじゃないか」


 「もういいだろ、香織ちゃん嫌な思いしてたらごめんね、なんか父さん、会社やめてからこんな調子で冗談ばっかりで……」


 「い……」


 「「い?」」


 「嫌じゃないですからっ!!」


 シーンとなる御影家。俺はそれがどういう意味なのか、しばらく考えていられそうな気がしていた。


ーー マスター、めずらしく冗談と受け取らないのですね? ーー


 (え? やっぱ冗談なのか?)


ーー そうは言っていませんよ ーー


 エアリスは何を言いたいんだ。だけど以前なら確かに、俺の両親の冗談に香織ちゃんが付き合ってくれているように思っていた。だけど今はなんだ、うーん、モヤモヤする。


 「にゃぅぅ」


 その音の発生源を見下ろすとくんくんと鼻をヒクヒクさせながら前足で俺を押してくる。


 「これは……嫌がってるのか?」


 「いえ、これはたぶんお腹が空いて甘えてるんじゃないでしょうか」


 「えっ!? どどどどうしよう!?」


 思えばチビの時はほとんどほったらかしだったし、出会った頃はすでに乳離れもしていた。そもそも連れ帰ることはせず我が家にできたダンジョンの中でチビは一人ぼっち、俺はそこへ食べ物を持って行っていた。あの頃は連れ帰る勇気がなかったというか、チビの親、シルバーウルフを殺したのは俺だし、それをしちゃだめだと心のどこかで思っていた気がする。それにモンスターという認識もあって、それを実家に連れ帰るっていうのは……もしもがあってからじゃ遅いからな。それでもチビは今となっては俺より大きくなった……大きくなりすぎなくらいだし、手のかからない子だな。だがこの子猫はそうではない。目もまだ開いていないし、誰かが世話をしなければ普通の猫と同様野垂れ死ぬしかないだろう。まぁそうさせるつもりはないし、親猫もどういう理由があるのかは知らないが俺に託した。だからちゃんと世話をしないとな。差しあたっては……


 「どうしよう」


 「預かっておくからあんたは猫ちゃん用のミルク買って来なさい。間違っても牛乳なんて買ってくるんじゃないわよ?」


 「お、おう。牛乳だな!」


 「だからそれはダメだって! はぁ……香織ちゃん、悠人ったら、悠人が産まれたときのお父さんみたいでダメそうだからついていってくれない?」


 「もちろんそのつもりです。さ、悠人さん、早くいきましょ!」


 「うん、よろしくおねがいします」


 「ふふっ。はい、よろしくお願いされました」


 というわけで度々ちゅるちゅる系おやつの買い占めでご迷惑をお掛けしている近所のペットショップに行き、香織にどれを買ったらいいか指示してもらい猫用ミルクを大量買いしてきた。『店にあるだけ全部』と言ったら店員さんは他のお客さんに売るものがなくなってしまうという理由でやんわりお断りされたので、『売ってくれるだけ全部』と言って買って来た。お湯に溶かす粉タイプだったそれを両手に持ちきれないほど買い、それを保存袋へ入れると店員さんは目を丸くして信じられないものを見たような顔をしていた。

 お財布は寂しくなったが問題ない。保存袋の中には猫用ミルクがいっぱいだからな。


 家に帰ると母さんと香織がミルクを作って大型用の哺乳瓶に入れ人肌より少し低い温度くらいに冷ましてから持って来てくれた。


 「悠人さん、香織が最初にあげていいですか?」


 「どうぞどうぞ」


 ミルクのあげ方に自信のない俺は香織に記念すべき最初のミルクを譲った。子猫は食欲旺盛で人間が使う大きさと変わらない大きさの哺乳瓶をすぐに空にする。そしてすぐに二本目だ。


 「ママのミルクおいしいでちゅか〜?」


 「ぶふぉっ!?」


 俺は飲んでいたお茶を吹き出した。父さんも少しむせていた。

 もしも香織に子供が産まれたら、こんな感じでおっぱいをあげるのだろうか。


 二本目の途中から香織に替わって俺がミルクをやることになった。

 クッションに這いつくばる子猫が飲みやすいようにしてやるのがポイントか? それで……香織ちゃんは声を掛けながら飲ませていたな。たしかこうだったか……


 「パパのミルクおい……もがもが」


 そこまで言ったところで父さんに手で口を抑えられた。父さん、何をするんだ、苦しいだろう。


 「悠人、それ以上はだめだ。なにとは言わないが、だめだ」


 よくわからないがダメらしい。この飲ませ方は女性の特権なのか?


ーー いえ、マスター。女性の特権というよりも、その言い方は些か不適切、端的に言えば下衆かと ーー


 (何を言う。俺がミルクをやるんだし、俺は親猫から子猫を預けられたんだしパパみたいなもんだろ。ってことはパパのミルク……あっ)


ーー というわけでダメなのです ーー


 エアリスが俺を落ち着かせるように話し、落ち着いた俺は自分が口走っていたことが表現としてよくないことを悟った。そして俺は何事もなかったように無言でミルクを与え終えた。


 「そういえば香織ちゃん、予防接種とか健康診断とかっていいのかな?」


 「普通の猫とは違うと思いますけど……」


ーー ワタシの診断の結果では何も不良箇所はないと判断できます ーー


 「ってことは健康ってことか。寄生虫とかは……そういえばダンジョンに寄生虫っているのかな」


ーー 以前蟷螂タイプのモンスターがおりましたが、その腹にいたのが寄生虫のようなものです。ですのでおそらく存在しているのではないでしょうか。ちなみにアレは寄生虫とは言っても水棲生物と呼ぶのが正しく…… ーー


 「ふむ。じゃあこの子にそういう悪い虫がつかないように注意しておいてくれ」


 エアリスの“ついで”の説明は今は不要だな。それにその事については子供の頃に図鑑で見たから大体知ってるし。


ーー 娘に悪い虫がつかないようにする父親のようですね ーー


 「そりゃそうだろ。一応親代わりなわけだしな。うん? ってかこの子女の子なの?」


ーー はい。わかりづらいですが、ついてないでしょう? ーー


 「たしかに」


 その後少し御影家でのんびり過ごし、子猫を連れ帰ることを惜しまれながらログハウスへと帰った。

 ログハウスでは生放送を見ていたらしい杏奈とフェリシア、二人から話を聞いた悠里、さくら、リナが出迎えた。俺と香織を、というよりも子猫を。

 チビとクロも興味があるらしく、みんなで子猫を囲んで寝顔を眺めていた。


 こうしてログハウスの住人に、真っ黒な子猫が加わったのだった。

 

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