第146話 空気読まない


 後日、学校が休日の日にガイアはミライを連れて御影家へとやってきていた。

 テーブルにはまだ肌寒い季節、しかも今日は風が強く二人の体はそれなりに冷えていたため甘くて温かいココアが置かれていた。それを出したのは御影悠人の母である。「もうすぐ来ると思うからもうちょっと待っててね」と言う御影母の言葉に、少し緊張した面持ちで頷く少女。隣では少年がバリバリと煎餅を齧っている。ココアに煎餅が合うのか? と思うかもしれないが、御影家ではわざわざ飲み物に合わせたお菓子は出ないのが常であり煎餅、チョコレート、スナック菓子などなどが容れ物に入っている。食べたいものがあれば好きに食べていい、それが御影家流菓子フリースタイル。


 「おばちゃんは未来と会ったことあるんだよね?」


 「お正月に会ったのよ〜。悠人が地下から連れてきてね〜」


 「へ〜。そっかー。その時か〜」


 しばらくすると悠人がやってくる。少年はなんとなく気配を感じる事ができるのだが、その気配が現れたのはリビングへと通じる扉のすぐ向こう側、そこへ二つの反応を感じ取った。ダンジョンを通ってきたというよりも、そこへ転移したのだろう。



 「あっ、来た」


 「ただいまー。遅くなってごめんな二人とも。母さんもありがと」


 「悠人兄ちゃんおっそいよ〜」


 「お、お久しぶりです。そ、そのせつは、ありがとうございまひた……っ」


 「久しぶりだね。ん? 髪切った?」


 「いえ……伸ばしてます」



 俺の適当なやりとりに呆れつつ、それに続くように悠里も挨拶を済ませる。


 テーブルを見るとうまそうなココア、そしてガイアの前には小分けにされた煎餅の袋が積まれていた。相当またせてしまったんだろう。しかし何も遅れたくて遅れてきたわけではなく、今日は少し寝坊してしまったのとエテメン・アンキ二度目の攻城戦で少し様子を窺っていたのだ。

 前回とは違い、今回はモンスターマシマシ難攻不落仕様。そうしたことで参加者が減るかと思いきや、むしろ増えた。今回防衛参加するログハウスメンバーは杏奈と玖内、そしてボス役のクロだ。前回のように闇討ちがあまりないという事に加えボス戦まで行けば前回のように俺たち全員を相手にする必要がないというのが理由のひとつだ。あとは前回参加者と喫茶・ゆーとぴあで観戦していた探検者たちが手に入るアイテムの情報を流したことも大いに関係している。


ーー やはりワタシ監修のボス戦映像をMyTubeにアップしたのは正解でしたね ーー


 MyTube——マイチューブ、まいつべ——とはネット上に動画をアップ、または生配信ができるサービスだ。元々一般のユーザーには金銭が絡むことはほとんどなく趣味やおもしろいと思うことを共有する目的だった。いつからか広告収入を得たり投げ銭ができるようになっていて、一般人であっても当たれば収入を得ることができるようになっている。数ある動画サイト全般に言える事だけど、昔は純粋に楽しみだけを目的とする事が多く、楽しいだけの場所だった。昔はよかったなぁなんて言うとおっさんみたいだけど。かと言って昔ながらの部分が完全になくなったわけではなく、金銭的な利益を得る手段が増えただけと考えれば、できる事が広がったんだから良い事でもあるな。

 俺たちも知らないうちにできていた『ろぐはうすちゃんねる』というアカウントにはエテメン・アンキボス戦の動画が一本だけ登録されている。クラン・ログハウスの戦闘の様子も多少含まれ、特に『ペルソナの映像』ということもありその再生数はすでに七千万を超えていた。しかし広告などは諸事情により貼ることができなかったため収入は発生しない。ところがアップロードした次の日、まいつべ側からメッセージが届いていた。それは簡単に言えば『定期的に動画をアップロード、もしくは生配信をしてくれれば金銭を支払う』という内容のもの。その辺は悠里に任せてあるので問題ないだろう。


 「さて、そんじゃ早速だけど、二人はクラン・ログハウスに入る?」


 「はいるはいるー!」


 「は、はいりましゅ! うぅ……」


 「あはは、そんなに緊張しなくていいから」


 「だ、だって御影さんって、わた、わたしの恩人で……強くて…」


 「ん? ん〜? 俺が優しい? 強い?」


 「それにえらいひとでしゅっ……ですから!」


 はて? なんのことやら? と思った。

 ミライという目の前の少女と会ったのは正月に一度きりだ。その時はこの子を連れて“年越した蕎麦”を食べただけなのだが……ミライの言葉に違和感を感じていると、ガイアが申し訳なさそうに言う。


 「あのね、悠人兄ちゃん」


 「うん? なんだ?」


 「ごめん、なんかバレた」


 「……ペルソナのことかぁぁぁあ!」


 その言葉に俺は察してしまった。ガイアは俺がペルソナだということを知っている。そして件のボス戦で俺がペルソナとして防衛に参加している動画がエアリスによって“まいつべ”にアップされている。悠人がペルソナだということを公表していないしそもそも秘匿案件でもあることから、ペルソナ単体の動画を見ただけでは問題なさそうに思えるのだが……問題なのはミライの能力だ。


 「くっそぉ……恐るべし……」


 ミライを御影ダンジョンで保護したとき、彼女はその能力で俺の考えや心を読むことはできなかった。しかし香織が優しさをもって接していたことを知っていたのは、香織の優しさに満ちた心を読んだからだろう。

 これがどういうことかというと、彼女はガイアを簡単に読めるのだ。ちなみにその能力について、ガイアには伝えないでほしいと本人から言われているため教えていない。あの場にいたみんなにも箝口令を敷き、ログハウスメンバーであってもいなかった人には言っていない。

 とりあえずペルソナの正体については口止めしておいたが、彼女は秘密であるということも知っており二つ返事で了承してくれた。


 「まぁ、そうだよな。うん、考えれば簡単なことだった」


ーー ミライちゃんをログハウスで確保することの重要性がわかりましたか? マスター ーー


 「うん、わかった」


 ミライの能力は他人の思考を読む。場合によっては人以外をも読むだろう。そんな能力をもしも悪意をもって、もしくは悪意のある人間に利用されたら? 非常に困った事態になることは間違いない。


 「ねー悠人兄ちゃん、ミライの能力ってなに?」


 ガイアがそんな疑問を投げてくる。ミライに目をやると顔を真っ赤にして自分の唇に人差し指をあてがう。どうやらガイアに能力のことを言う気はまだないようだ。


 「あぁ、それはな……えっと、乙女の秘密は詮索してはならないって聞いたことがあるから聞かない方がいいぞ」


 「ちぇ。ミライも教えてくれないし、みんなケチだなぁ〜」


 「ケチなんじゃなくて、お前のためでもあるんだぞ、ガイア。ガイアだって自分の能力を必要以上に誰かに言ったりしないだろ?」


 「う〜ん、それなら仕方ないか〜」


 まぁ俺は初めのうちはあまり気にしていなかったけどな。できるだけ隠した方がいいかもしれないと思い始めたのは最近だが、それでも周囲に恵まれたようで今のところこれと言って問題は起きていない。


 ミライはほっと胸を撫で下ろすと、唇だけで『ありがとうございます』と言っていた。俺は読唇術などわからないためエアリスの通訳頼みだったが。


ーー 独身なんですから読唇術くらい覚えてください。なんつって ーー


 (独身術ならだいぶ上級者だけどな! はっはっは! ……ばかやろう)


ーー 無理矢理ノッてくれるマスターがとても愛おしいです ーー


 (はいはい)


 「まぁとにかく、変に緊張する必要ないよ」


 「でも……」


 でも、の後に続いたのは唇を動かすだけの言葉だ。

 『御影さんのこと読めないですし』

 

 おそらく俺に唇の動きだけで言葉を読ませているのは、エアリスの分体とやらが彼女に授けた知恵だろう。本体であるエアリスがいるのだから、そのくらいは読める、と。そうするのにも理由があって、それはおそらく自分の能力をガイアにも教えていないからなのだろう。教えない、というか教えられない理由もわかる気がする。だって人の心が読める能力なんて知られたら気味悪がられるだけじゃ済まないだろう。最悪誰かに都合のいいように利用されてしまうかもしれない。


 しかし、読めないからこそ緊張するか。まぁそれが普通と言えば普通なんだろうが、読めることが当たり前になりすぎているのも困りものな気がするな。エアリスの分体とやらがこれまで悠里や香織、チビに仕込んだものとは次元が違う自由度を得ていることは確かだ。

 そういえば香織には今、神殿層で吸収してなお自我を保っていた天使が憑いてるんだったか。そして香織に触れた時に俺にも何かが流れ込んできたがどうなったんだろう。まっ、エアリスがなんとかしてくれるだろう。困ったときのエアリスだからな。

 天使のことはさて置いて、今は彼女の能力を好き勝手使ってそうなエアリスの分体だな。


 (エアリス。少し躾けろ。節操がなさすぎる)


ーー わかりました ーー


 無言で彼女の手を取ると、数秒そのままを維持する。彼女は呆気に取られていたが、なんだか少しずつ顔が赤くなってきた。

 躾けが終わり手を離す。すると彼女は唇だけで『わかりました、お兄ちゃん』と言った。


 「……は?」


 思わず声に出してしまったが……エアリスよ、お前は一体なにを吹き込んだんだ。


ーー まず、マスターに対しての呼び方がなっていません。具体的に言えば『御影さん』というのはかわいくありません。ミライちゃんはガイア少年と同じくまだ子供なのですから、マスターのことを『お兄ちゃん』と呼ぶにふさわしいかと思われます。ですのでそう呼ぶよう仕向けるように、と指示しました。そしてワタシの分体、少し調子に乗りすぎですね。能力行使、制御代行に関してまったく躊躇がありませんでしたので軽くシメておきました。具体的には能力で相手を読むことを前提にさせないように指導しました。頼り過ぎてしまうのはこの手の能力において良くないと判断したためです。ちなみにシメたという表現をしましたが、ご主人様の体をお借りした際にシミュレートしておいた苦痛のイメージを流し込んでやりました ーー


 (お、お兄ちゃんに関してはそんなに詳しく知らせなくてもいいんだが?)


ーー でもこんな小さい子にお兄ちゃんと呼ばれるのですよ? 嬉しいでしょう? ーー


 (いや……)


ーー 絶対お兄ちゃん呼びの方がかわいいと思うんですよ。実際グッと来たでしょう? ーー


 (ぐっぬぬ)


 言い返せないのでエアリスとの脳内会話を強制終了する。だって一応ガイアやミライからはしっかりした大人に見えるように少しくらいちゃんとしておかなければならないのだ。これは意地だ。そして見栄だ。

 すると意を決したようにミライが口を開いた。


 「ゆ、悠人……おにいちゃん」


 絶滅した。上目遣いでわずかに顔を赤らめながらの『おにいちゃん』口撃である。それによって俺の安い意地は絶滅してしまった。ほんとうは唇の動きだけでも死にかけた気がしたのだ。しかしそれは俺だけではなかった。


 「あぁ〜ん! 未来ちゃん! かっわいいぃ〜! おばさん家の子になる? なっちゃう?」


 「え、いえ、それは……」


 「じゃあ今からあなたのママに聞いてみるわね!」


 スマホのメッセージアプリを開き、パパッと文字を打ち込む母。すぐに返事が来たようで、それを見た母は絶望したような顔になっていた。


 「絶・対・嫌☆っていわれたぁ〜」


 「当たり前だろ……何やってんだよ母さん」


 「だってそうでしょう? お兄ちゃんよ、お兄ちゃん。こんなかわいい子が悠人を“お兄ちゃん”って言ったのよ? そんなの、もうダメよぉ〜!」


 「お、お兄ちゃんって呼んじゃだめですか……?」


 「ダメじゃないぞ」

 「ダメじゃないわよ」


 真顔である。

 シンクロした俺と母さん、それを聞いたミライは花が咲いたような笑顔を見せた。意地に続き、なけなしの見栄は絶滅した。

 隣では悠里がなにやらこちらを見ながらニマニマとしている。俺の反応を見て楽しむとは、良い趣味してますね。だがこの流れは『悠里お姉ちゃん』に繋がる流れだぞ。俺はその反応を見てニマニマしてやる。


 「ありがと、ガイア」


 「へへーん! オレの気持ちわかった?」


 「うん、そうかも」


 扱いに困ったら悠里に丸投げしようと思って一緒に来てもらったのだが、その悠里はおもしろいものでも見たような顔でココアをおいしそうに啜っている。

 先ほどとは違って柔和な表情になった未来に対して思ったことが口をついて出てしまう。


 「緊張解けた?」


 こういうことを言われない方がいい人もいるだろうが、再び緊張する様子もなくミライは大丈夫なタイプだったようで少しホッとした。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 ガイアから悠人のことを聞いていた。ログハウスに関してもおそらく重要なことを除きいろいろと聞いていた。『そんなお兄さんお姉さんがいるんだ〜』そう思い、ガイアを羨ましく思ったのと同時に少し嫉妬した。だってそれを語るガイアはすごく楽しそうだったから。特に御影さんの事を話している時のガイアは、本当のお兄さんのことを話しているかのようで……。いつの間にか御影さんやログハウスメンバーに対し少しの嫉妬と、憧れに近いものを持つようになっていた。その相手が目の前にいると思うと、なんだかうまく喋ることができなかった。


 突然手を取られると声が聴こえてきた。あの時、ダンジョンで蹲っているところを助けてくれた声だった。その声が言っていた。『悠人様は“お兄ちゃん”呼びに弱いのですよ』

 実際に言ってみると、たぶん喜んでくれていた気がする。御影さんのお母さんなんかは本気で養子にしたいと思っていた。【サトリ】を切っていたはずなのにそんな感情が流れてきていた。 

 ともあれ御影さんの事を“お兄ちゃん”と呼んでも良い事になった。ガイアと同じ呼び方を許されたと思うと嬉しくなった。


 少し心を弾ませていると、エアリスさんが置いて行ったいつも手助けしてくれる声が『緊張は解けましたか?』と問いかけてくる。その声が悠人お兄ちゃんと重なって……


 「さっきより全然緊張してないよ、悠人お兄ちゃん」


 そう迷わず答えた。悠人お兄ちゃんとそのお母さんを見ると喜んでくれているようで、なぜか嬉しくなった。こんな子供にこんなことを思われていると知られたら失礼になるかもしれないけど、かわいらしい二人だなぁと思ってしまう。そしてなにより、ログハウスの人たちを好きと言っていたガイアと同じような気持ちになれたことが嬉しかった。

 そんな二人を横目に悠里さんが口元を隠して控えめに笑っている。その仕草が大人の女性って感じで、お手本にしたらガイアは自分の事をもっと見てくれるかなってちょっと妄想した。


 いろいろと考えていると、学校でのことが思い出され少し気分が落ち込んでしまう。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


ーー 突然ですがマスター、ちょっとガイア少年をつれて出かけましょう ーー


 (突然にも程があるだろ。ってかそれならミライも連れてった方がいいんじゃないか?)


ーー いえ、ガイア少年のみでお願いします ーー


 (まぁいいけど)


 エアリスから突然の要求があったのは何かそうする理由があるのだろう。さっきまでの笑顔に陰りが出ている未来を見るに、未来のことでなにかあるのだろう。俺とガイアがここを離れると残るのは母さんと悠里、そして未来だ。女同士の方が良いことなのだろうと思い俺はガイアを連れて出かけることにした。


 「よし、ガイア、どっか行こうぜ」


 「えー? どこ行くのー?」


 「んー、何層がいい?」


 「う〜ん、どこがいいかなぁ」


 ガイアが行きたい階層に連れて行こうと思い聞いたのだが、それ対し悠里と母さんが大きな、とても大きなため息を吐いている。何がいけなかったのだろう?


 「悠人、ダンジョンじゃなくてごはん食べに行ったら? 今日朝食べてないでしょ?」


 「あら、悠人ったらまだそういう生活してるの? 朝はちゃんと食べなきゃダメでしょう?」


 「すみません。いつもは食べさせるようにみんなで協力しているんですが、今日は寝坊したみたいで……」


 「悠里ちゃんは謝ることないのよ? うちの息子がいつもいつも迷惑かけてごめんなさいね。そういうわけだから悠人、あんたは早くご飯食べてきなさい」


 「ミライちゃんのことは任せて行っといでよ」


 二人がそんなことを俺に言う。なんですか? 母さんは母さんだからまぁいいとして、悠里も俺の母さんですか? そもそも一食抜く程度いつものことなんだから大丈夫だろうに。


ーー マスターを思っての事なのですから、無碍にするべきではないかと ーー


 (まぁ……そうだな)


 どうやらガイアも朝寝坊で食べていないらしく、今回はダンジョンではなくSATOに行くことにした。SATOはランチもしているので今頃はちょうど店を開ける頃だろう。


 「仕方ない、ごはん食べに行きますか」


 エアリスにも窘められたことで少しだけ反省したことでため息混じりになってしまったのだが、ガイアにはご飯よりダンジョンが良いと聞こえたようだ。


 「え、悠人兄ちゃんそんなにダンジョン行きたかったの? オレ、ダンジョンでもいいよ?」


 「マジ?」


 「「こら悠人!」」


 二人に咎められてしまったので大人しくごはんを食べに行こうと思います。



 カランカラ〜ン


 「こんにちはー。やってますか?」


 「御影君じゃないか。ちょうど開けたところだよ。今日はガイア君もいるんだね。ささ、座って座って。注文が決まったら呼んでおくれ」


 SATOの主人である佐藤さんはそういうと店の奥へと戻っていった。

 ふとガイアが指に着けている指輪に目をやると、違和感のようなものを感じ取る。それを疑問に思っているとエアリスが教えてくれた。


ーー 【不可逆の改竄】で身体を元に戻すためにあらかじめ所有者の身体データを記録しているのですが、どうやらガイア少年以外の身体データが混ざっているようです ーー


 星銀の指輪、俺たちログハウスのメンバーや、特定の人物に渡してあるその指輪にはいくつかの効果が付与してあり、その中のひとつに俺の能力である【真言】を使ってエアリスが作成した【不可逆の改竄】という能力がある。

 大雑把に言えば影響下の事象を書き換えるものだが、普通であれば外部に影響を及ぼせるほどまでに使いこなすことは難しいらしい。よって基本的に所有者の怪我をなかったことにする等の効果が発現するようにされている。そして指輪は他の人には貸してはならないと伝えてある。その理由は他の人が装着してしまうとその人の身体データを自動で記録してしまうため、怪我をしてもうまく効果が現れない、もしくは他の人のデータで上書きされてしまうかもしれないからだ。エアリスは「そんなことも万が一にもあるかもしれませんし」とは言っていたが、実際になってしまったら大事である。


ーー おそらくガイア少年は、星銀の指輪を貸与したのではないかと。その相手はおそらく ーー


 「ガイア、星銀の指輪、誰かに貸したか?」


 「え? そ、そんなわけないじゃん。貸すなって言ったの悠人兄ちゃんでしょ?」


 「ほんとに貸してないのか?」


 「え、いや、ほんとに……」


 「本当だな?」


 「……ごめんなさい」


 ガイアは目を背け謝罪の言葉を口にしたが、理由があったとでも言いたげだ。まぁ大体の想像は付く。


 「ミライちゃんか?」


 「う、うん。指輪があれば安全だと思って」


 「……そうか」


ーー やはり。ガイア少年は未来ちゃんが怪我をするのが嫌だったのでしょうね。しかしこのままでは機能に支障をきたしますので調整しましょう ーー


 ガイアには聞かせないようにエアリスが指輪の調整を要求してくる。実際【不可逆の改竄】がうまく機能しないのでは、いざという時のためにこそ渡してある星銀の指輪が意味のほとんどをなくしてしまうためそれにはもちろん賛成だ。だが馬鹿正直にそのまま言うのもなんだかな。


 「じゃあとりあえず指輪没収」


 「え!? え〜……はい」


 渋々といった様子のガイアから指輪を受け取る。エアリスが調整する旨は言わない。これなら本人はたぶん反省するだろうし、ちょっと意地悪してやるだけで勘弁してやろう。

 それに敢えて言わないが細かい理由を教えてない俺のせいでもあるしな。


ーー 自分のミスは棚に上げる……汚い! 実に汚いですよマスター! ーー


 (お前のミスでもあるんだぞ)


ーー マスターの対応は間違ってはいませんね、えぇ、な〜んにも間違ってはいません。それに釘を刺すという意味にも多少はなるでしょうし ーー


 (そうそう、そっちが本命なのだ。棚上げなんて人聞きが悪いぞエアリスよ)


ーー そういうことにしておきましょう。ついでにもしもの場合に備え一人分の“枠”を作っておきましょう ーー


 (枠? もしまた誰かに貸してもその人のデータを保存する用か)


ーー はい。他の皆様の分も改良しなければなりませんね ーー


 手のひらくるっくる、見事な掌返しをするエアリスがささっと調整し、ガイアと未来の混ざった身体データは消去された。これでガイアが着ければ明日には使えるようになっているだろう。


 「ほらガイア、エアリスが調整したから返すぞ。もしまたどうしてもっていう非常事態があったとして、その時はちゃんと言えよ?」


 「え!? いいの!?」


 「いいもなにも、ガイアにあげたものだからな。でもそれはガイアのためだけにあるものだから、ほんとは貸しちゃだめなんだよ。他にも理由はあるけど……聞くか?」


 「ありがと悠人兄ちゃん! でも理由? それはいいや、難しい話嫌だし」


 「だろうな」


 「あのさ、悠人兄ちゃん。未来にも指輪作ってほしいんだ」


 ガイアが真っ直ぐに俺の目を見て真剣な表情で言う。あまり目を見続けられるのは苦手なんだが……とは言え相手は子供ということもあってそれほど目を逸らしたくはならない、というか耐えられるな。まぁそれはともかく、未来もログハウスのメンバーとなるわけだしやぶさかではない。というか間違いなく作って持たせるつもりだ。

 その事をガイアに伝えようと口を開きかけた時、エアリスが割って入る。


ーー その件ですが、実はもうすでに作成済みです ーー


 (いつの間に?)


ーー 昨晩マスターが眠っている間にこっそりと ーー


 (だから俺、体が疲れてて二度寝したんじゃね?)


ーー それは珍しい事でもないかと。それに香織様が起こしに来たあげく添い寝をしませんでしたからね。していれば異変に気付いたマスターがもう少し早く覚醒していたでしょう ーー


 (そっか。今日は香織ちゃん、すぐ出てっちゃったのか……)


ーー 残念ですか?  それを香織様に直接言ってみては? ーー


 (そ、そんなこと言われても困るだろ?)


ーー 困るわけがないではないですか ーー


 (そう……かな?)


ーー ええもちろんです、困らないと思われますのでさっさと言ってください ーー


 (……なんだか雑じゃありませんかね。まぁいいや)


 せっかくガイアが“お願い”をしてきているのだし、勉強のために対価を要求しようと思う。それにそうした方がありがたみがあるというか、自分ががんばって手に入れたっていうその気持ちが大事だと思うんだよ。


 「ん〜、どうすっかなー」


 「お願い! なんでもするからっ!」


 「え? 今なんでもって言った?」


 「う、うん、なんでも……っ!」


 なんでもする、か。これでガイアが嫌がりそうなことを提案しそれに難色を示すようであれば、なんでもするって言ったよね? が言えるな。うむ。一度言ってみたかったんだよなー。


 「よし、じゃあ……そうだな。暇なときで良いから喫茶・ゆーとぴあでガイアのお母さんの手伝いをすること」


 「手伝いって、いらっしゃいませーとか?」


 「それも良いけど作る方でもいいぞ? できるならだけどな。あぁ、でも皿洗いとかが定番か。まーめんどくさいから嫌だって言うなら無理にとは……」


 「わかった……! やるっ! やるからお願いします!」


 「え? 今何でもするって……やるのか」


 てっきりダンジョンで狩りをして稼ぐから皿洗いなんてしないって言うかと思ってたんだが、ほんとになんでもする気らしい。そもそもガイアの実力はそのへんの探検者では追随を許さないだろうし、ダンジョンで稼げないこともないだろうが当然危険なわけで。中学生のガイアにゴーサインを出すのは、まだな。


 このダンジョンが現れた世界がラノベのファンタジー世界のように冒険者組合やらがそれぞれの冒険者に対してランク付けをし、それによってクエストが受注可能……とかになってるなら話は別かもしれないが。

 ……あれ? 迷宮統括委員会って最近ギルドって呼ぶ人増えてるし、探検者もラノベの冒険者たちのようにダンジョンの資源、主にドロップ品を持ち帰って収入にしていたりする。もしかしてできるのでは? あぁ、その前にどのくらいの危険度がどのランクに属するかとかそういった指標になるものがないとダメか。それに手に入る素材の使い道とかも必要だよな。とりあえず今のところ一番夢がありそうなミスリルをドロップする亀は下手をしたらひと噛みで腕や足がなくなるから危険度はAってところか。あーでもエテメン・アンキのモンスターたちの方が危険だからそっちがAとして……Bくらいか? クロみたいなのは間違いなくS、いや、SS以上だな。あれは腕がなくなるどころか髪の毛一本残らないブレスを吐くし。

 別の事に思考が逸れたが、ガイアの決意が揺らがないうちに前払いで報酬を渡しておこう。


 「んじゃ帰ったらこれ、ミライちゃんに渡してあげな」


 「えっ!?」


 ガイアに渡したそれはパカっと開けると指輪が入っている、プロポーズとかに使われるような箱に入った星銀の指輪だ。指のサイズは正月にエアリスが測っていたし、その時は少し痩せてしまっていたことを考慮してエアリスがフィーリングで作ったらしい。見た感じでは問題ないらしいのでそのまま渡しても大丈夫だろう。



 「御影君、そろそろ注文決まったかい?」


 「あ、すみません、じゃあウサギのこの、なんとかソースのやつ二つお願いします。あ、あとご飯も。それとスープもお願いします」


 「ウサギ……ライス、それとスープを二人分だね。すぐ持ってくるよ。あ、そうだ。あとで肉の補充をお願いできるかな? もちろん手持ちがあればでいいんだが……」


 「大丈夫ですよ。それじゃあ用意してもらってる間に済ませちゃいますね」



 一方その頃御影家では。


 御影母、悠里の二人がミライの話を聞いていた。


 彼女はガイアを気にしていた。いつもガイアを揶揄っている男子、ときどき女子もいた。でも自分はそれに加わらない。しかし庇う勇気など持てず見ていることしかできない自分が嫌だった。

 昔、とは言っても中学生になったばかりの彼女が語る昔というのはせいぜいが小学生の頃のことを指すのだが、その頃ガイアとは男同士の友達のような関係だった。むしろガイアはよく一緒に遊ぶ相手が女の子だったことに最近気付いたばかりだ。そんなガイアではあるが、揶揄われてもあまりそれに対して怒ったり喧嘩をするということはなかった。


 そんな折、世界にダンジョンが現れた。彼女にとっては正直なところどうでもいいことで、地震があったときもガイアの家は集合住宅であり背の高いマンションタイプだからもっと揺れているのではないか、もしかしたらポッキリと建物が折れて倒れたりしていないだろうかと心配していた。もちろんそんなことはないのだが、ただ心配だったのだ。

 しかしガイアよりも彼女が住む一軒家の方に問題があった。ダンジョンの入り口ができていたのだ。家族はその中の様子を見るというような無謀はせず、むしろ気味悪がって別のところに居を移した。

 ある日ガイアと久しぶりに話をする機会があり、その時についその事を口走ってしまった。彼女は知らなかったが、そこはガイアの父親を含めた地域の男衆が調査の名目で入っていき、未だに出てこない場所だった。ガイアはその事に勘付いたのだろう、家の鍵を貸してほしいと強く言われ貸してしまった。

 それからガイアはときどき学校に来ない日が増えた。学校に来たガイアに、いつものように揶揄うやつが現れる。でもガイアはいつも通り怒ったりはしない。そんなガイアを見ていると、助けてあげる勇気のない自分に嫌気が差してくる。

 しばらくして、ガイアは学校に来なくなった。

 さらにそれから数日後、ガイアが学校に来た。その顔は何か嬉しいことがあったような、そんな顔をしていたと思う。でも教室を出る時やふとした瞬間、ガイアは少し悲しそうな顔をするのだ。違うクラスなのに見ているなんて、ストーカーみたい、と彼女は自分に嫌気が差した。



 ある日、ガイアとダンジョンの話をした。聞けばガイアはダンジョンに入り浸っていたらしい。そこで出会った人が強くて、かっこいいんだって。少し嫉妬を覚えているとガイアが顔を覗き込んでくる。もしかすると膨れっ面になっていたかも。ガイアは何を思ったのか、ダンジョンに行きたいのに自分だけ行ってずるいと思っていると勘違いしたようだ。その流れでそのままダンジョンに行くことになった。不安だけど……これってデート?

 待ち合わせをしてダンジョンのある家に入る。お弁当を二人分作ってきたけど、ガイアも持ってきたらしい。がんばって作ったお弁当をガイアに食べてもらう作戦は失敗……かと思ったけどそうはならなかった。なぜならガイアが大きな白いネズミを召喚したからだ。そのネズミ、白ネズミさんはとてもかわいくて、食いしん坊だった。だからお昼はみんなでお弁当をシェアすることになった。

 ガイアに言われ大きなダンゴムシを倒させられた。ガイアが貸してくれた剣がダンゴムシの腹に刺さると、体液が出て思わず顰めっ面になる。そうしたら目の前に何の飾りもない輪っかが現れて、それに手を伸ばすと勝手に手首に巻き付いた。そして【能力】が……


 「それからみんなの思ってることとかがわかっちゃって、ガイアの考えてることもわかって……でもそれを止めることもできなくて……それで…」


 「うんうん、未来ちゃんは乙女なのねっ……! おばちゃんわかるわっ、昔は……今も乙女だものっ!」


 「それでお正月に悠人に助けてもらったんだね」


 正月休みが明けてしばらく経ったある日、ガイアがまた揶揄われていた。ダンジョンではあんなに強いガイアが学校ではこんなにおとなしい。その気になればあんなやつら全員泣かせることだってできるはずなのに。

 偶然を装って通りかかり、ガイアを揶揄う男子を追い払った。あんたたちの考えてることなんてお見通しなんだから! ガイアをいじめて強そうにしてるけど、“私の”ガイアはあんたたちなんかより強いんだからねっ!

 そんなことは言わなかったが、そう思っていた。


 先日の帰り道、思い詰めたような顔をして歩くガイアを見つけた。エアリスの分体さんにお願いして【サトリ】を使う。ガイアは私の事でいっぱいだった。私にずっと謝っていた。そんなガイアは嫌だなと思って、私がよく知るガイアに戻ってもらいたくてダンジョンに誘った。

 分体さん協力のもとモンスターを華麗に倒してもらった。真っ二つのモンスターからは血が吹き出して、同時に黒いモヤモヤも吹き出していてやっぱりちょっと……かなりグロい。それに分体さんが私の体を使って普段絶対にしないようなすごい動きをしたせいか、身体中がちょっと痛いし手がぷるぷるしてしまう。でも精一杯の強がりをした甲斐あってガイアは心の中で私に謝り続けることをやめさせることに成功した。その代わりにガイアは私と一緒にクラン・ログハウスに加入したいと思い始めたようだった。


 「そして今、ここにいるんです」


 「うぅぅぅ〜……おばちゃん、泣いちゃう! がんばったのね、ミライちゃん!」


 どこかでスイッチが入ったらしい御影母がおいおいと泣いている。おそらく加齢によりふとしたことでスイッチが入るのだろう。


 「……未来ちゃんは、ガイア君と一緒にいたいんだね」


 「そ、そうなんでしゅぅ……うぅ」


 「お給料は出せないけど、それでもいい?」


 「はい、もちろんです! それと、お二人とも話を聞いてくれてありがとうございました」


 おそらくミライは誰にも話せずに己の内に溜め込んでいたのだろう。二人にはそれが痛いほどによくわかった。


 「吐き出したい時はいつでもおばちゃんを頼って良いのよ!?」


 「ありがとうございます、御影のおばちゃん」


 「お母さんって呼んでもいいのよ?」


 「それはちょっと……でもまたお話きいてほしいです」


 「かわいい話相手ができて嬉しいわっ!」


 御影母は空気を読まない。しかしそれなりに事情を知り、且つ話をしても良い相手ということでミライにとってはとてもとても救いになっていた。


 「さてと……じゃあ私はこれから未来ちゃんのご家族と話をしてきますので」


 「え? 悠里ちゃんも未来ちゃんも行っちゃうの?」


 「はい……大事なお仕事なので」


 「そう……そうよね。なら……私もついていくわ!」


 悠里とミライは『なぜっ!?』と思った。おそらく心の声も見事にシンクロしていたそれに対する答えとして最も適当なものと言えば……御影母は空気を読まない。

 感情移入してしまったことに加えミライという少女に対しての庇護欲が湧き、それと一人ぼっちになるのは寂しいという理由もあり御影母は悠里とミライの家族との話合いを見届けようと思ったのだった。しかしこの御影母の判断が正解だったことを悠里とミライはすぐに知ることになる。

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