第132話 公民館ダンジョン


 年越しを実家で過ごし、そのまま俺たちはログハウスへと戻った。

 翌日、家出少女・未来は無事家族の元へと戻り白ネズミもガイアのところへ戻っていった。それを見送り自分で転移して戻ってきたチビは、家出少女が引き取られるまで見守るという任務を完遂し誇らしげな顔をしていた。


 「たっだいまー!」


 エテメン・アンキにいたクロがログハウスに帰ってくると服が所々破れていた。どうやら人化状態で戦う練習をしていたようだ。セクレトとも戦ったらしいが、今クロが着ている服は普通の素材でできた黒いゴスロリ服だ。エアリスの手が入っていないその服で戦い、多少破れているところがある程度。クロは人化状態でも結構強いのかもしれない。

 耐久性を重視してエアリスが補修したことで見た目は元通りになりクロは喜んでいた。そして思い出したように服を脱ぎ放り投げると、おそらく俺たちが普段着ている服兼防具よりも多くのミスリル糸が編み込まれているであろうゴスロリ服がドサリと重そうな音を立てていた。一矢纏わぬクロがそのまま「おっふろー♪」と駆けて行く。眼福なのでいいのだが、早く誰か常識を教えてあげた方が良いと思う。


 ところで俺を精神的に追い詰めた幻層だが、国は拠点を置く事を諦めたらしい。コストだけが嵩み維持する程度の利益すら生み出さないと判断されたからだそうだが、フェリシアは「これでようやく無駄にしていたエッセンスを節約できるよ〜」と喜んでいた。無駄ならなぜそんなものを作ったのだろう。


 「え? そりゃもちろん悠人ちゃんのために決まってるじゃ〜ん! うれしい? うれしいね?」


 「いいえ、特に嬉しくないです」


 なかなか心を折られかけたし、辛いだけの修行みたいな事はまっぴら御免だ。それに俺のためとは言っているがフェリシアの予定では他にももっと多く育てられるはずだったらしい。予想していたのとは違い隔離された人間を助けるために実際に動いたのは俺たちだけだったことが想定外。結果としてはログハウスのメンバー、俺が特に育ったと言えるようで、それだけでも一定の収穫はあったと言えるから問題はないと言っていた。問題なのはその後も人間が居座ろうとしたことで、幻層を維持する必要がなくなったことで憂いはなくなったのだと。強制的に追い出すこともできそうだし、そもそも人間じゃないフェリシアだ、人間もとろも消去……なんて事もできたんじゃないかと思う。でもそうはしなかったんだよな。


 「フェリが何を考えてるのか、未だにわからんな」


 「ミステリアス・レディでしょ? 惹かれる? 惹かれるよね?」


 レディというよりガールな見た目のフェリシアを適当にあしらい、さくらの話に意識を向ける。


 「軍曹がね、今日エテメン・アンキの調査・検証をするらしいわよ?」


 「今日? 正月だっていうのにブラックだねぇ」


 「自衛隊が普通の人と同じく休んでたらダメじゃない?」


 「それもそうか。じゃあとりあえず結果待ちかな? ということは誰かが生贄になるのか……」


 (エアリス、不備はないよな?)


ーー はい、問題ありません。おそらくメズキ・ゴブリン連合階層で復活が実証されるでしょう ーー


 (死の宣告とか恐ろしすぎん?)


ーー 再起の宣告でもあるので問題ありません ーー


 (ちなみにそれって何階?)


ーー 3階です ーー


 (はぁー。クロがいる6階にはしばらく誰も行けなそうだな。暇してそうだな)


ーー そうでもないかもしれませんよ? 7階……元2階にいたドワーフやほぼヒトと言える存在たちが最上階に建設中の居住区を散歩しているようですし、モンスターたちの居住区を兼ねる地下闘技場にもちょくちょく遊びに行っているようですから ーー


 活発なクロには住み良い環境のようだ。食事はどうしているのかはわからないが、攻略した時はそれらしい店のようなものもたくさんあったし実はいろいろあるのかもしれない。今度みんなで観光にでも……観光か。


 「あ、そうか。観光っていうのもアリなのか……?」


 「悠人、どこか観光に行きたいとこあるの?」


 「あぁ、エテメン・アンキな。居住区っていうか、見慣れない種族? 的なのとかいろいろいただろ? それに店みたいなのもあったし。武器屋もあったしな」


 「なるほどね〜。観光目的の入場料を稼げるって考えたわけだ?」


 「目指せ不労所得だからな」


 実際、ウロボロス・システムにもエネルギーとしてエッセンスが必要になる。エテメン・アンキ内だけに限れば完全循環も可能なようだが、そこに外部、人間が介入することでそのバランスが崩れてしまう。よってその不足分を補う方法として、そこでダンジョン産品を何かしらの方法で買取ってエッセンスに変換するシステムを追加すればある程度解決されるとエアリスは言っている。迷宮統括委員会(ギルド)から何か言われそうではあるが、それも考慮しておいて損はないかもしれない。


 (あれ? もしかしてそれまでは補給する必要があるのか?)


ーー 場合によっては必要になります ーー


 (どういう場合?)


ーー 放出する攻撃、例えばルクス・マグナのようなものをエテメン・アンキ内で使用すると、最終的にウロボロス・システムがエネルギーを回収します。しかしそういったものがない場合、復活が滞る可能性があります ーー


 (復活が滞る? そういえばそんな状況になってたよな)


ーー はい。シグマが、本来復活に回す分のエッセンスを独占していたことが原因ですね ーー


 (そういうことだったのか。何にしても時々補充が必要かもしれないってことだけは覚えておこう)


ーー ちなみにクロは“外部”扱いなのでドラゴンブレスを景気良く撃ってくれれば問題ありません ーー


 (クロのところまで辿り着ける探検者がいればな。さてそれじゃ今日は……)


 ダンジョンが統合されたという事なので、実家周辺のダンジョンがどうなっているかを見に行くことにする。たしか一番近いのがおそらくもうなくなっているガイアが行っていたダンジョン、次に近いのが公民館にできたダンジョンだったはずだ。そこがまだ残っているなら少し潜ってみようと思っている。そのついでにSATOに少し肉を補充しておくことも忘れない。自衛隊が主な活動場所としているところや、迷宮統括委員会の地下にもあるが……黒いカサカサ動くやつの超絶巨大版がいるからな、気が進まないので考えない事にしている。


 誰か一緒に行かないかと誘ってみると、リビングのソファーに座っていた香織が「ご一緒します!」と手を挙げる。ということで香織とチビを連れ御影ダンジョンに転移、そこから徒歩で向かうことにした。道中では正月早々ダンジョンに向かう探検者の多いこと……ひとのことは言えないけどな。


 「これから向かうダンジョンって、どんなところにあるんですか?」


 「公民館にあるよ。あんまり使う人がいなかったから不良がたむろしてたんだけど、今はどうなってるかわからない。でもたぶんダンジョンはあるみたいだね。同じ方に向かってる人がいっぱいいるしさ」


 「そうですね。武器になりそうなものを持ってる人がたくさんいますね」


 香織の言う通り、何かを背負ったり大きなバッグや棒状のものを布で包んだものを持っている人がほとんどを占めている。ちょっと前では考えられないな、下手したら全員職質対象だろう。


 「一応風呂敷で包んでたり、リュックに無理やり入れてるから大丈夫なんだっけ。特別措置法とかそういうのだったかな」


 「その人たちから見たら、香織と悠人さんはデートしてるみたいに見えるんですかね?」


 「香織ちゃんの薙刀も俺が保存袋に仕舞ってるからこれからダンジョンに行くようには見えないかも。チビもいるし夫婦で犬の散歩してるみたいに見えたりしてねー、なんつって。冗談だから怒らないでね?」


 「お、怒りませんよ!? むしろ……ふぅ…ふ……」


 「あっ、そうだ。ここ人が多いからフード被っておいた方がいいかも。香織ちゃんは俺と違って有名人だからさ」


 「最近取材もされてないし大丈夫だとは思いますよ?」


 「それでも一応ね」


 「わかりました」


 チビは本来の大きさではなく普通の大型犬程度になるようにサイズダウンしてもらっている。一応リードをつけているし、散歩する恋人同士に見えたりしてな。……なんだか意識したら急に照れ臭くなってきたぞ。

 隣り合って歩く香織を見ると俺が変な冗談を言ったからか、ふぅ…ふぅ…と息をしているような音が聞こえる。怒って鼻息が荒くなっているのかと思いさりげなく覗き込むと、フードを目深に被って俯いているためほとんど見えないが、その顔は少し赤いように思えた。というかかなり赤い。そんなに長い距離を歩いたわけではないのだが、疲れてしまったのかもしれないな。もしくは速く歩きすぎたかもしれない。とはいえ車で行くわけには行かないんだよな。車を有りにしてしまうと周辺の道路が路駐だらけになってしまうかもしれない事から、そのダンジョンへ入る場合は公民館の駐車場を使用禁止ということになっているからだ。

 それから少し歩き、依然として呼吸が荒い香織を気遣い歩速を緩めると、香織が手を繋いできた。両手でしっかり握っている様子から、やはり少し速かったらしいな。『ちょっと歩くの速いから待ってぇ〜』という感じだろう。


 ゆっくり歩いて向かい道路を曲がると、目的地の公民館に続々と探検者らしき人たちが入っていくのが見て取れる。その中に、なんとなく見たことがあるような顔を見つけた。しかし誰かを思い出せずに見ていると向こうがこちらに気付き駆けてきた。


 「あっ! 御影さん! お久しぶりです!」


 「えっと……どちら様でしたっけ? あ、いや、あのどこかで会ったような気はするんですけど、ちょっと思い出せなくてですね」


 しどろもどろな俺を見たその女性は一瞬キョトンとしたかと思うと吹き出し、「すみません、わかりませんよね?」と言いながら自己紹介した。


 「私、レイナですよ? お店では服装も髪型も違いますしそれにもうちょっと、ほんのちょお〜っとだけ化粧が濃いんでわからなかったんだと思いますけど」


 「え? レイナってキャバ嬢のレイナちゃん?」


 「そうです、本名は玲那(レナ)っていうんですけど、良い源氏名を思いつかなかったのでレイナにしてました」


 「そうなんだ、それは単純……ごほん、俺も似たようなネーミングセンスだから言えないか」


 「ところでそちらは……もしかして彼女さんですか? ……はぁ、彼女いないって言ってたのに、やっぱりいるんじゃないですか〜」


 「いや、そうじゃなくて」


 「えっ!? 違うんですか!? じゃ、じゃあ……手を繋いでるし妹さん、とか?」


 「それもちがくて」


 「えぇっ!? まさかのお姉さん!?」


 「そうでもなくて」


 「えぇぇ!? ま、まさか……まさかまさか……お、お母様だったり?」


 「まずは人の話を聞こうか」


 暴走するレイナは誤解が解けるとペコペコと高速謝罪を始めた。腰を九十度に折る動作を繰り返すだけで微風を起こし少し良い香りと共に涼しさも提供するなんて、接客業の鏡ではないだろうか、なんて思ってた事は本人には言わないでおこう。良い匂いなんて思ってた事を知られたら気持ち悪がられそうだ。


 「ご、ごめんなさいごめんなさい! わ、私ったらまた突っ走っちゃって」


 「誤解が解けてよかったよ。ね、香織ちゃん」


 「はい、少し残念ですけど、よかったです」


 なぜ香織が誤解が解けて残念がっているのかはわからないが、よかったとも言ってるしよかったんだろう。


 「すみませんすみません、残念ですみません!」


 「あっ、残念っていうのはレイナさんのことじゃなくて……えっとその」


 「うぅ〜。両親にもよく言われてたんですけどねー……思い込みが激しくて突っ走る癖をなおせって」


 なるほど。それでも直らないとなるとなかなか根が深いのだろう。そういえば昔……小学校の頃だったか、当時友達だったやつが愚痴ってたな、妹が『アレ、おにいちゃんのカノジョ?』ってすぐ聞いてくるって。俺も何度か会った事はあるが、そんな様子はなかったように思う……まぁ本当の兄妹ってのは他人からは見えないものなんだろうな。


 「ところでどうしてダンジョンに?」


 「あっ、私、お店がなくなっちゃって無職になったので、時代の最先端を行けるかもしれないと思って探検者になったんですよ! 免許もほら!」


 「おぉふ……それは大変だったね……」


 「でも今の方がなんだか楽しいという……あっ、モンスターをぶっころすのが楽しいとかそんな野蛮人じゃないですからね!? 誤解しないでくださいね!?」


 ぶっころすという言葉自体がもう野蛮では? という議論が俺の脳内で繰り広げられたが『乙女にはイロイロあるのでしょう』というエアリスの言葉で締め括られた。


 「う、うん。それで、誰か待たせてたりしないの?」


 「はぇ? なんでですか?」


 「だって一人でダンジョンに潜ってるわけじゃないでしょ? 他の人たちも待ち合わせて一緒に入ってるみたいだし」


 「……ひ、一人で潜ってます」


 「え……危ないよ?」


 「で、でも……探検者の人たちってなんか怖いし、それに話すのってあんまり得意じゃないっていうか。女性も多いですけど大抵男性と組んでますし」


 「店では普通に話してたじゃん。それに今だって」


 「そ、それは御影さんが知り合いだからですし、それにお店ではお化粧で見た目が全然違うので別人になったみたいで、堂々としていられるんですよ」


 「俺とだって二回しか会ったこともないと思うんだけど」


 「そ、そうですけど、御影さんはナンパから助けてくれた良い人ですし……お店でもお触りしない紳士でしたし」


 「あの……悠人さん。せっかくですし」


 道端で話し込んでしまっていた事を思い出し香織を見ると、かわいそうオーラが出ているのを感じ取り何を言わんとしているかを察し頷きを返す。

 モンスターをぶっころすために来ているらしいレイナだが、せっかくだし誘ってみるのも悪くないかもしれない。


 「レイナさん、俺たちここのダンジョンに初めて来たんだけど、よかったら一緒に潜ってくれません?」


 それまでの少し沈んだ空気から一変、レイナは満面の笑みで快諾した。……どうして今まで一人だったんだろう。レイナは顔も性格もたぶん良いと思うし、誘われる事だってあっただろうに。まぁ変な男が寄ってくるとかだったのかもしれないけどな。もしそうなら俺は変な男とは思われてないって事だろうし……いや、香織ちゃんがいるからだな、間違いない。犬を連れてダンジョンに入ろうなんて変なやつ、俺の他にはいないみたいだしな。


 「そういえば御影さんって結構前からダンジョンに潜ってるんでしたよね?」


 「うん、できたその日から」


 「ほゎぁ〜、大先輩ですね! 香織さんはいつ頃からですか?」


 「数日経ってから友達とですね」


 「ほぁぁ〜、これまた大先輩ですね! じゃあ私がいつも狩ってるところに行っても大丈夫そうですね」


 先輩と呼ばれ、香織は少し鼻が高くなっていた。


 俺たちはレイナの案内で彼女の行きつけの狩り場へと向かう。公民館ダンジョンに通う探検者たちは地図の売り買いもしているようで、地図を作ることを専門にしている人もいるらしい。未だに地図屋が成り立っているのには訳があり、その理由の一つが単純に広いからだが、もう一つ他にもあるらしい。


 「でもですね、地図なんてなくても次の階には行くのは簡単なんですよ。ほぼ一本道を進むと階段なので」


 「へぇ。それでも地図屋が成り立つ他の理由って?」


 「それがですね、階段と階段を繋ぐ本道から横道に入るといくつも部屋があって、モンスターが出てくる穴があるんです。その穴に入ろうとしてもなにかに遮られてるように入れないんですけど、そこからモンスターが出てくるんです。でもですね、その穴からモンスターが出てくるかどうかは、定期的に変わるんです。昨日まで出てきてたのに今日は出てこないとかそういうのが定期的に起こるんですよ。それを更新し続けるのも地図屋の仕事です」


 「定期的って、どのくらいのスパンかっていうのは」


 「一週間、ちょうど七日、百六十八時間ですね!」


 「レイナさん、すごいですね。詳しいです」


 「私が調べたわけじゃないので……あ、あとお二人とも敬称も敬語もいらないですよ? 大先輩に畏まられるというのも……」


 「う、うん、じゃあレイナも同じように」


 「それはできない相談です!」


 「先輩だから?」


 「それもそうなんですけど、香織さんは特に……かわいいし肌綺麗だし、それに……ばいんばいんですし」


 身体的な特徴を言われ赤面する香織。自分の胸を手で押さえるようにしているレイナの肩を、恥ずかしげな香織がパシンと軽く叩いていたが、予想以上に痛かったらしくレイナは変な声を出していた。


 「というわけでですね……崇拝しちゃいたい気持ちが溢れちゃうので私はこのまま行かせてもらいます」


 キャバ嬢だったレイナはどうやら上下関係について体育会系のようだ。それにしても香織がかわいいのは認めるし肌も確かに綺麗だ。さらにバインバインである。とはいえそれが敬語を使う理由になってしまうレイナのことがよくわからない。というか俺より圧倒的に若いのに“ばいんばいん”という言葉が出てきたことに驚きを隠せなかったが気にしないよう努力し、時々休憩しつつ次、そして次と降りて行った。

 レイナの言っていた通りほぼ一本道の長い洞窟をゆっくりと進み三十分ほどで次の階へ着く。横道がいくつもあり、時折その奥からパーティで戦っている音と声も聴こえていた。

 その道中、香織が小声で聞いてくる。


 「悠人さん、気付いてます?」


 「うん。エアリスがさっきから実況してくれてるよ」


 かなり小さな声だったはずだがレイナには聞こえていたようだ。耳がいいだろうか。そういえばレイナが以前働いていた店は常に少しうるさいくらいに何かの音楽が流れていたし、その中でお客の声を聞き取る事ができるんだから少し小さいくらいの声は聞き取れてしまうのかもしれないな。それはそうとエアリスのことは適当にアレとかソレとか言っておけばいいだろう。


 「ほぇ? エアリス……さん? ですか?」


 「あ、それはまぁなんというか、アレですアレ」


 「アレ……? よくわかりませんけど、“気付いてる”っていうのは?」


 「んーと、ここに入ってからずっとつけてる人たちがいるんだよ」


 「えっ……まさか」


 「心当たりある?」


 「は、はい。今日は見当たらなかったので大丈夫かなって思ったんですけど、狩りをしてると……しつこい人がいるんです」


 「レイナは美人だからかな?」と香織が言うとレイナは一瞬時間が止まり途端に恥ずかしがっている。


 「うっ……そんな私なんてせめて化粧しないとダメダメですしぃ」


 「そんなことないよ? 悠人さんも薄化粧のレイナも綺麗だと思いますよね?」


 「え? あ、うん。濃い化粧より薄い方が好きだよ」


 「す、すきぃ!? うぅ〜、はずかしい。でも……にひひ」


 褒められて恥ずかしい気分にさせたレイナに対し小さな復讐を遂げたらしい香織はちょっと満足げな顔をしていたと思ったが、話を振られたからフォローした俺が香織に『これで良かったか』という確認を込めて見やると、なぜか頬を膨らませていた。俺なにか変な事言っちゃっただろうか、と思っていると、香織は「悠人さんですもんね」と言った。なぜか諦められたような表情を向けられ、やっぱり何か変な事を言ってしまったのだろうと反省した。

 一方レイナは赤くなった顔を俯かせていた。俺からは後頭部しか見えないためまったく表情がわからないが、褒められて恥ずかしくなったんだろうな。


 それからエアリスによる追跡者実況を聞きつつしばらく歩き早めの昼食、そしてまた歩く。昼を過ぎた頃に10層へとやってきた。どうやらこの階層がレイナの狩場らしい。


 「ここを曲がって三つ目の部屋が私の今の狩場です」


 部屋に入るとさらに先の部屋から鹿のモンスターがこちらへ突進してくる。しかし短い通路へと出る前に何かに阻まれている。どうやら部屋ごとに結界のようなものがあり、モンスターは自分がいる部屋から出ることはできないようだ。

 乱入やモンスターを引き連れてすれ違う探検者になすりつける……ネットゲーム用語ではあるが、所謂トレインからのMPKをされる心配がないという事だろう。なるほど確かにモンスターが出てくる状態になっている部屋やどんなモンスターが出てくるかを記した地図はあるとお目当ての部屋に辿り着きやすく、他の探検者とも狩場が被り難いという意味で便利なのかもしれない。


 「来るときにモンスターに会わなかったのはそういう理由なのか」


 「さすが先輩探検者ですね。そうです、穴から出てきたモンスターはなぜかその部屋から外に出ることができないんです」


ーー 部屋ごとの結界ですか。ひょんなことから結界が薄れて大量のモンスターが溢れ出てくる、スタンピードが起きたりしそうですねぇ ーー


 (やめろ、フラグにしか聞こえない)


 部屋を見回してみると一角に大型犬がギリギリ通れそうな穴がある。ここからモンスターが湧いて出るのか? レイナに確認すると頷きを返してきた。


 「その穴から出てくるんです。この部屋の穴は小さいので鹿とか牛みたいなのは出てこないんですよ」


 「じゃあ何が出てくるの?」


 「少し待てば来ると思います」


 少し待つと、額に石ころのようなものを貼り付けたウサギが出てきた。


 「あっ、悠人さん、森にいるうさぎにそっくりなのが出てきましたよ!」


 「そっくりだね〜。でもあっちは小さいながらもツノだったけど、ここのは歪な石ころ? いや、もしかしてこいつが成長するとアレになるのかな?」


 「体も一回り小さいですしそうかもしれませんね」


 俺と香織の呑気な雰囲気を感じ取り油断しないようにと促してくるレイナ。その表情は真剣なもので、ここに出入りしている探検者たちにとって、死にはしないが青痣くらいならいくらでも作られた相手なのかもしれないな。


 「あ、あのあの、見た目はとてもキュートですけど頭突きしてきますよ?」


 「へ〜。攻撃方法も同じなんだな」


 「まずは私が倒しちゃいますんで、お二人は応援しててください!」


 腰からサバイバルナイフを抜き、レイナがウサギに向けて走る。するとウサギはレイナを敵と認識し、頭突きの体勢になった。レイナはウサギが飛びかかって来ると同時に急停止からのバックステップをし、滞空しているウサギを両手で持ったサバイバルナイフで下から突き上げるように刺す。その一撃は見事にウサギの首に刺さり、少しピクピクと痙攣、やがて動かなくなった。


 「どうですか!? 上手にできたと思うんです!」


 ログハウスがある21層の森にいるウサギほどの速さはないが、一瞬で数メートルを埋める速度だ。その速さで突進してくる小さな的であるウサギをそのまま刺すよりも、タイミングを合わせて下がり相対速度を下げることで狙いやすく、もし失敗して頭突きされても衝撃は和らぐといったところだろうか。最初に走って近づいたのは、一定距離まで近付くと反射的に飛びかかってしまうウサギの習性を利用したのだろう。単純に上手いやり方だなと感心したと同時に、実際にやってしまえるレイナのセンスが良いのかもしれないと思い褒めると、嬉しそうに血だらけのサバイバルナイフを持ったまま手をぶんぶんと振っていた。


 「えへへ……褒められちゃった。あ、でもお肉は出ませんでしたね」


 「肉出るの?」


 「はい、時々ですけど出ますよ?」


 ここはまだ肉が手に入り難い階層のはずだ。それでも肉が出るというのは、御影ダンジョンとは違うということか。もしかするとダンジョン毎に個性が……まぁ見た目も違うし穴から一定周期で出て来るなんて初めて聞いたしな、あるんだろうな、個性。

 ごく自然にエッセンスを腕輪に吸収し、ウサギが空気に溶けるように消えていく。しかしドロップ品はよく出る黒い“星石”だけ。レイナは残念そうにしていた。


 「あ、黒い石。これもちゃんと取っておかなきゃ」


 「星石、腕輪に吸収しないの?」


 「星石? この黒い石のことですか? これ、腕輪に吸収したからって何が変わるのかわからないんですよね。でも百円で買い取ってくれる人がいるので、現在無職の私にとってはお持ち帰り必須なんですよ〜。黒いもやもやは、モンスターの死体が消えるのでそうするものだっていうのが世間の常識だから、かな?」


 「え。百円? 安すぎ……」


 「えっ!? そうなんですか!?」


 「詳しくは言えないけど、百円で売るくらいならちゃんと腕輪に吸収した方がいいよ」


 「そ、そうなんですか……? ち、ちなみに御影さんが買い取るならおいくらだったりします?」


 「うーん。それは考えたことなかったなぁ。でも百円は安いかなぁ」


 「わかりました。それじゃあこれは売らないで取っておこうと思います」


 できるだけステータスとか能力を育てる事優先の方が良いよな、そうエアリスに言うと同意が返って来る。加えて詳しく教えても良かったと思うが、エアリスが言っていた事を思い出したからな。


ーー その理由をマスターが言ってしまうのではないかと思っていました ーー


 (エアリスが言ったんだろ? 知り合いでも言わない方が良いかもしれないって)


ーー はい。ですが、それは言っても問題ないかと ーー


 (あ、そうなの?)


ーー はい。むしろ悪意を持った人間が気付いた場合に知らずに売ってしまう事が減るので世界平和に貢献できる可能性が微レ存かと ーー


 (微レ存……)


ーー そもそもワタシのような者でなければ腕輪の餌にしかならないでしょう ーー


 (じゃあそうだな、追跡してきてるやつがずっと隣の部屋から覗いてるから、そいつに聞かれないようにこっそり教えてあげればいいか)


ーー 聴かれても問題ないのでは? ーー


 (いや、ただなんとなく気に入らないから聴かれたくないだけ)


ーー そうですか。なるほどな理由ですね ーー


 追跡者に聴こえないように教えると、レイナは取っておくと言っていた星石を取り出し、すぐに腕輪に吸収させていた。それからしばらくレイナの狩りを見ていたのだが、ほんとうに楽しそうにウサギにサバイバルナイフを突き立てている。そう、楽しそうに……ちょっと怖い。


 「はぁ。少し疲れました」


 「じゃあ休憩してていいよ。その間俺が狩らせてもらう」


 「わかりました。見学させていただきます!」


 保存袋から銀刀を取り出すとレイナは目を丸くしていた。ついうっかりとはいえやばいかもしれないとは思ったが、香織が口元に人差し指をあてて口止めをしているようなので大丈夫だろう。


 少し待つと穴から出てきたウサギに“剣閃”を飛ばして斬る。そのまま銀刀を鞘に納め、ドロップ品を確認するとウサギの肉がちょうどいいサイズの葉っぱの上に載っていた。ここでは葉っぱの上に載った状態でドロップするらしく、やっぱり個性があるようだ。それを回収し、次々と穴から出てくるウサギを狩っていく。途中、ウサギ肉がこれでもかとドロップするのが普通じゃないことを思い出し、少し脳内会議をした。その結果、進化によって効果が高まった【真言】を使い肉がドロップしたのを気付かせない速度で保存袋に吸い込めるように改良した。そしてその改良に要した時間は、エアリスもなぜか高性能になっていることも相まってほんの数秒程度だった。


ーー 悪事を隠しているようで、なんだかドキドキしますね! ーー


 (悪事ではないけど、普通に考えて普通の人にとってはほぼ毎回ウサギ肉がドロップしてる光景は目の毒だろうしな。ってかほんと【真言】とエアリスの組み合わせはチートだな)


ーー ふふふ。マスターはもうワタシなしではいられないはずです ーー


 (この便利さはなぁ。というかエアリスがいないと【真言】が勝手に発動してまずいことにもなりそうだしな)


ーー 寝ぼけて世界を滅ぼしてしまう気がします ーー


 (さすがにそんなことはできないだろ。……できないよな?)



 悠人とエアリスがそんな会話をしている一方で、香織とレイナも会話をしていた。


 「あの、香織さん」


 「なぁに?」


 「どうして御影さんが元の位置に戻って姿がブレたかと思うとウサギが真っ二つになるんでしょうか……」


 「えっと……(見えてないんだ。なんて説明しよう)」


 「もしかして、私が見えてないだけで斬ってたりするんですか?」


 「う、うん。悠人さん、すごく速いから」


 「す、す、すごい人と知り合いだったのかも」


 「うん、ほんとにね」


 どうやって誤魔化そうかと考えていた香織だったが、レイナは自分の実力不足により悠人の動きを捉えられていないという事に気付いた。変にプライドを持ってしまっていればそれを認めない事で成長を阻害したかもしれないが、素直に受け入れる事ができるレイナにその心配はないだろう。香織もレイナの様子になぜか満足感を得ていたが、香織自身それがなぜかはわかっていなかった。


 それから少し経ち。


 「ふぅ。肉補充完了」


 「み、御影さん最初の方……お肉たくさん出てませんでした!?」


 「あっ……今日はレイナと会ったおかげで運がよかったんじゃないかな〜……あはは」


 「えっ!? わ、私もしかして……御影さんにとっての幸運の女神……? それにしてもお肉いっぱいだったような…」


 「そ、そうそう、そうかも。せっかくなんで、はい、お裾分け」


 追求を躱すべく取り出したビニール袋に調理済みのウサギ肉をいくつか入れ渡すと、レイナの頭からウサギ肉大量ドロップの件について問い質したい気持ちは無事忘れ去られたようだ。ウサギ肉が余程嬉しかったのだろうか、表情筋が崩壊したレイナが顔を両手でむにむにとしていた。

 ダンジョンのウサギ肉はうまいからなぁ。その気持ちはよくわかる。



 そしてその時、香織は後悔していた。先輩と呼ばれ少し気分が良かったとはいえ、ライバルを増やしてしまったのではないか、と。しかしそんな気持ちもすぐに晴れ、悠人の周囲に女性がたくさんいる事をあまり気にしていない事を自覚する。香織にとっての悠人は、どこまでいっても悠人であればそれで良いと思える存在でもあるのだった。


 さらにその時、これまで動かずこちらを窺っていた追跡者が動く。一人で覗いていたはずの追跡者は俺がウサギを狩っている間に三人になっており、最初から覗いていた一人を先頭にこちらの部屋へと足を踏み入れていた。

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