第116話 エテメン・アンキ5階中央2 〜香織〜


 悠人がセクレトとの攻防を繰り返した事で速度には慣れた。しかし香織の能力は直接的な攻撃をするものではない。そこで香織は『惚れた男くらい守れなくて大泉家の嫁が務まるか』とよく言っていた、強くて優しくて大好きなおばあちゃんの姿を瞼の裏に映す。


 おばあちゃんが師範をする道場では主に薙刀を習っていた。居合や古武術も少し教えてもらったが、香織にとっておばあちゃんが薙刀を振るう姿は凛としていて綺麗でとてもかっこよかった。そもそも薙刀を教えて欲しいと請うたのはそんなおばあちゃんの姿を見たからだ。自分もあんな風に……そう思い入門した。

 それまで門下生らは『お嬢、ジュース飲みます?』『お嬢、みんなでおやつ食べません?』などなど可愛がっていた。しかし入門するとなれば話は別だ。それまでのような甘やかしは一切なく、おばあちゃんの門下生は香織の兄・姉弟子となったのだ。

 初めのうちはその厳しさに涙することも多かった。というか毎日だ。兄姉弟子たちについていくのが辛かった、もう辞めようと何度も思った。兄姉弟子たちはそんな香織に対し、心を鬼にしてとまでは言わないが、甘やかす代わりに香織に師範から教わったことをしっかり丁寧に教え、根を上げそうならその小さな背を支えるように常に気を配っていた。そんな日々が続き、いつしか香織は兄姉弟子たちを追い越していく。


 追い越された兄姉弟子たちは喜んだ。この子は強くなった、私たちが上手く手助けできたのだ、と。

 香織は知らないことだが、兄姉弟子たちはいつも不安に思っていたのだ。今日は厳しくしすぎただろうか、明日から来なくなってしまったらどうしようか、また以前のように一緒におやつを食べて休憩時間を過ごしたい、等々。しかしそんないろいろな交錯した想いの結果、香織の才能は花開いた。


 数年経ち全ての兄姉弟子を手合わせで降し、師範から免許皆伝を戴く頃には香織が昔見たおばあちゃんの技をある程度モノにしていた。大会に出て最年少で優勝、そんな事を道場の面々が思っていた矢先、父親の転勤により道場通いを終える事となる。そして転居先で香織は悠里という親友を得たのだった。


 それからしばらく経ち薙刀を持つ事すらなくなっていた香織だったが、ある日世界を大地震が襲いダンジョンが現れた。ゲームなどはあまりやらない香織にとって、ダンジョンというものがどういうものか知らなかった。だがなぜだろう、バイト先の倉庫にぽっかりと口を開けた暗闇に入りたくて仕方なかった。そしてその先に何があるのか見てみたかった。おそらくそれは好奇心。そうでなければ……運命に引き寄せられたのかもしれない。


 バイト先の雑貨屋のオーナーで親友でもある悠里とバイトの後輩の杏奈、この二人と一緒にダンジョンを進む。初めの頃は一日探索して戻っていた。さすがに大きな虫がいるところで野宿なんてしたくはない。それにそんな虫だって人を殺すのだ。


 少し経つとだんだんと慣れ、野宿もできるようになってきた。しかし全員で眠るのはさすがにまずいので見張りを立てた上でだ。それからはダンジョンに滞在している時間が長くなっていった。

 ある日ダンジョンから戻ると、カメラのレンズが向けられていた。悠里が経営している雑貨屋は災害の影響で休業中、そこで三人は炊き出しを不定期だがしていたのだ。家にダンジョンができてしまったり家がリアルに傾いて住めなくなってしまったり、職を失った人もたくさんいるのだ。それに伴い食料事情もお世辞にも良好とは言えない情勢であり、それでも自分たちはなんとかなっている、だからお裾分けくらいはしよう、そう悠里が言ったからだった。

 そしてその日、三人は“雑貨屋連合”という名前でお茶の間デビューした。


 ダンジョン内の牛や鹿などのモンスターはときどき光の粒子になって消えたあとに肉を残す。ある日三人はそれを食べた。食料を多く持って入ることが難しかったため尽きてしまった日の帰り道だったのだが、どうしてもお腹が減っていた三人はその誘惑に抗えず、火をつけた携帯燃料の上に網をのせ肉を焼いた。少し経つと肉の焼ける良い匂いがし出した。小型の折り畳みナイフでなんとか切り分け三人が同時に口にする……「おいしい」、三人とも同じ感想だった。


 悠里の知り合いがダンジョンで手に入れた肉を地上に持って帰って売っているという話を聞いた。雑貨屋連合の三人でモンスターを倒してもなかなかお目にかかれないあのおいしいお肉をだ。そんな貴重なものをいくつもいくつも手に入れているのだという。信じられない。


 テレビに出たことでちやほやされることが多くなり、だんだんと昔のようにお転婆が出しゃばってきていることは自覚していたが、三人ならどこまでも行けそうな気がしていた。

 しかしある日、それが甘い考えだったことを悟る。

 ダンジョンを進んだ先、地上と変わらない空が広がる草原で野宿をする事になった。簡易テントで横になると、それまでの疲れからすぐに寝入ってしまった。


 それからどのくらい経ったか、戦っているような音と悲鳴で目が覚める。眠い目を擦りながらテントから顔を出すとそこには……腕をなくし脇腹のところも真っ赤、血溜まりを作る杏奈と必死の形相の悠里、そしてあり得ないほど大きな亀。その目がこちらへ向き、香織はその場で動けなくなってしまう。周囲の音が消え失せ、目前に迫る死を意識せざるを得なかった。目をギュッと瞑り諦めにも似た覚悟をした。



 「動くな」と、落ち着いた声が聴こえた。



 死神の声だろうか? 振り下ろさんとする鎌を外さないように言っているのだろうか? そうだとしたらまだ上手に鎌を振れない新米死神さんなのかな? ふふっ、じゃあリクエストにお応えして、最期くらい動かないでいてあげる。それにしても、ちょっと好きな声かも。死神って痛くないように良い気分のまま殺してくれるのかな? ふふ、そんなわけないよね。


 実際は一瞬だったが、その時の香織にはとても長く感じた。いつまで待たせるのよ、などと心の中で悪態をつくが、そもそもそんなことを考えていた自分がどうかしていると結論づけた。となると、この“間”はなんだろうか。


 恐る恐る目を開けると、その声の主と思しき人物が、悠里が凍らせてもすぐに砕いて抜け出した亀を再び凍らせ軽く小突くだけで砕いて倒してしまった。悠里と違い表面だけでなく芯から凍らせたんだろうななどと冷静に、いや、冷静だったかはわからないが思っていた。実際、鼓動は早鐘を打つどころではない。先ほどの動くなという声を聴いてからというもの、ドキドキが止まらない。


 その男性は悠里と親しげに話を始めた。事前に聞いていた悠里の彼氏のような人だろうか。悠里は否定してたけど、とても仲が良さそうだ。はたとして杏奈が大変なことになっていたのを思い出し見やる。しかし杏奈に傷はなく、腕もちゃんとあった。ただ、血溜まりと服が破れていた。


 現実に起こったこと…だよね、そうとしか思えない。でもそれならどうして杏奈は無事なの?


 二人の会話を聞いているとどうやらその男性が作ったアクセサリーの効果で杏奈の傷は元通りになったらしい。悠里から渡された、犬の犬歯に紐を通しただけのような、正直言ってかわいくはないと思っていた。それからしばらくの事はゲームみたいな意味不明なアクセサリーとかダンジョンが繋がってる話で混乱してしまってあまり覚えていない。


 胸が高鳴る。自己紹介を促して悠里の彼氏かどうか確認したけど、ちょっと高圧的だったかもしれない。視線を送られる度に心臓が跳ねる。それに驚き、視線を外す。それから彼が和やかに話し、こちらを見る。また跳ねる。つい笑ってしまいそうになりたまらず顔を背け表情が崩れないように力を込める。

 こんなの、助けてもらった相手にする態度じゃない。でも自分を制御できないの。


 その男性は私と杏奈に腕輪を見せるように言ってきた。もっとドキドキしちゃうから、さりげなく手に触れるのもやめてほし……やめなくてもいいけど。


 腕輪を見せてから、なんだか体が軽くなったような感覚があった。どうしてだろう。ドキドキしすぎておかしくなったのかもしれないし、病気だったらどうしよう。帰ったらおばあちゃんに電話しよう。おじいちゃんは仕事柄忙しいと思うしいいかな。


 それから悠里と杏奈と三人でダンジョンから帰った。来る時と違って簡単にモンスターを倒すことができて、想定してたよりも早くダンジョンから出ることができた。おかしい、行く時とは大違い。まるで彼に触れられてからパワーアップしたような。


 男性の名前は悠人さん。悠里の彼氏じゃないし危ないところを助けてくれたところとか、もう白馬の王子様? 馬に乗ってはいないけど。悠里の彼氏じゃないし。これ重要。


 出逢いは命の恩人、今は私の——



 頭を振り最も大事な雑念を追い出す。

 ずいぶん脱線しちゃったけど、教えてもらった技はちゃんと覚えてる。

 

 瞑目を解き、そこに映るは想い人、そしてその敵。ゆっくりと息を吐き——



 そして香織は悠人から贈られた“薙刀・撫子”を握りしめ爪先に力を込めた。


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