帰り道クエスト
大和麻也
帰り道クエスト
特に意味もなく、最寄りのひとつ手前で下車した。
やるべきことはたくさんある。早く家に帰ったほうが自分のためだ。
それなのに、何かきっかけがあったわけでもなく、電車に乗っていつもと同じ駅で下りたくないと直感してしまった。こう感じてしまったなら、もう、そうするほかない。冒険心がはやっているようだ。
気持ちは焦る。時間を浪費する行動だ。
でも、きっと後悔しないという確信も持ち合わせている。
最寄り駅で下りても、下りた記憶を失うのがオチだから。
エスカレータを下りて、橋梁化された駅舎から出る。
この駅も、普段の最寄り駅も、見上げても線路は見えない。
幼いころは、電車に乗るまで五段くらいしか段差がなかった。駐輪場でもないのに木造駅舎の脇に自転車を停めて、路線図を見ながら券売機で切符を買い、駅員にそれを渡して出かけるのだ。
券売機のある場所のすぐ脇を電車が駆け抜け、目線の高さにちょうど車両の下の機関部分が見えていた。そこから腕を突きだして轢かれたらどうしよう、という意味不明な杞憂は、ほかでは得がたい甘美な興奮だった。
いまでも疼く衝動は、駅から拾ってきたものだ。
駅前のスーパーは、すっかり寂れてしまった。
七、八年前に大きなスーパーができたので、普段使いしなくなった店である。
店先には野菜のほかに、子ども向けの安いおもちゃも売られていた。そこでお母さんに買ってもらったビー玉やおはじきは、いったいどこに片づけてしまったのだろうか。たぶん、捨てていないと思うのだけど。家になければ、近所の赤ちゃんに譲ったのかもしれない。
お店とともに、売られている商品も年齢を重ねた。
冬物のセールと称して売られているニット帽は、自分なら被りたくない。
でも、お母さんにならプレゼントしたいと思う。
他意はない。
坂道を下っていく。
坂道の両サイドで膨らんでいく三角形が好きだ。坂を下るのは後回しにして、三角形の真っ直ぐな辺を伝っていきたくなる。そうして五歩も進めば高さがついてくるので、高くなりすぎないうちに、斜辺へと飛び降りる。
上と下の景観の違いも面白かった。右には畑、左にはコンクリートの海。飛び降りてからもう一度右を見ると、土や雑草の詰まった排水パイプ。コンクリートで補強された法面は、いつか大きくなったら登れるだろうと思っていた。
当時想像していたより、自分は大きな身体に育った。
よじ登ろうと思うほど、高い壁ではないとわかった。
かつて「遠くの公園」と呼んだそこは、案外家に近い。
家のすぐ近くに公園があったので、子どもの足で徒歩一〇分を超えるこの場所には、お父さんかお母さんと一緒でないと来られない約束であった。「遠くの」と枕詞がつくだけで、そこはかとなく心が躍ったものだ。
近所の公園よりも、「遠くの公園」のほうが小ぢんまりとしている。四阿も、砂場も、公衆トイレも、半分ほどの大きさしかない。
それでもこの場所が好きだったのは、大きな滑り台があったからだ。しかも、登り棒や梯子、網など、アトラクションに富んでいた。大きなパイプの通路もある。黄色いそのパイプが一番のお気に入り。
たぶん、前世がハムスターだったのだろう。
田んぼだったはずのそこには、一軒家が建っていた。
家の近くの田畑がなくなっていることにはよく気がつくけれど、少し離れた場所にあるそれらには鈍感なものだ。田畑が目の前で消えてしまっても何とも思わないのに、足を運んだ先で消えたものには、なぜか惜しい気持ちが起こる。
田畑の持ち主も、大変な仕事に疲れたのだろう。お疲れさまです。
それにしても、ここに住んでいたカエルやミミズは、どこへ引っ越したのだろうか。正直、それらのぬるぬるした小動物は嫌いだった。誤ってスニーカーで踏んづけてしまったときの、「ぐに」という感触が気色悪かったし、踏みつけたあとの亡骸があまりにも痛ましかった。
足元に不注意な子どもに踏まれなくなって、ほっとしているのかも。
住宅街は「迷い込む」場所だ。
知らない住宅街に足を踏み入れると、さっきまで自分がどこにいたのかわからなくなる。頭の中で描いた地図に自分のいる位置を表示しようとしても、そもそも地図が真っ白でわけがわからない。どこが行き止まりかわからない道など、道とは思えなくなってくる。迷路ですらないその空間は、ひどく心細い。
不思議なもので、近所のよく見知った住宅街なら、絶対に迷わない。それどころか、幹線道路と変わらない太さで頭の中に道が示される。
知っている道にひょいと踏み出すと、脳内の地図に新しい道が刻まれた。
比較的大きな道路沿いの植え込みには、いろいろなゴミが落ちている。
近頃は、コンビニのホットスナックの包装紙が枝に引っかかっていることが多い。ゴミを見ているだけでも、あの脂っこくて塩気の強いそれがにわかに恋しくなってしまうのだから、恐ろしい代物である。
以前のように、雑誌の類は散らかされなくなったらしい。缶コーヒーは、変わらず捨てられている。怪しいお店の名刺も、このごろ見なくなった。ハンガーが転がっているのは、カラスの仕業だろうか。煙草の吸殻と買い物レシートは、いつの時代もポイ捨てのチャンピオン。
ゴミとは、誰かが欲しいものの成れの果て。
これは自分なりの哲学だ。
レトロな街中華が閉店し、道路を挟んだ反対側にインド料理店がオープンしていた。
まだ小さな取り皿とスプーンで食事をしていたころに、何度かその中華料理屋で食事をした。その当時から、よぼよぼの老夫婦が切り盛りする店だった気がする。結局、その店の料理をひとりで一品注文して食べたことはなかった。
入れ替わるようにできたインド料理店は、ネパール出身の男の人が開いた店だという。彼の人柄や料理の評判はあまり聞かれないから、未だに地元に馴染めていないのかもしれない。偏見を持たずに飛び込んでみれば、きっと良いことがあるのに。
がんばれ、応援しているよ。
本格的なカレーをいつか食べようと思って、二年くらいが過ぎてしまったのだけれど。
隣の学区の小学校を通り過ぎる。
正門にはたくさんの自転車が並んでいて、一度下校してから改めて集った子どもたちが校庭を駆けまわっている。どうしてか、他所の学校のグラウンドは広く見えてしまう。隣の芝は青い。
芝といえば、母校の校庭は芝生化されていた。自分のころに芝生化されていたら、と羨ましく思う。砂のグラウンドで転んでできる擦り傷は、とても痛い。涙を流すくらい痛い。なんなら、治療して絆創膏を貼ってからも痛い。
でも、これからの子どもたちは、芝生の上を駆けまわるのが当然なのだ。
常識が違うだけなのに「いまの子は」などとやっかむのは筋違いだ。
そもそも。
人工芝で擦りむいたら、これもまた痛むに違いない。
橋の名前が刻まれた柱を見つけた。
足元を、かつて小川が流れていたようだ。
あえて道を外れて、現在は暗渠になっている流れの上を歩いてみる。
川幅に合わせて被せられたコンクリートは、身体を乗せると両端の金具が揺れて「ぽこん」と間抜けな音を出す。これがたまらなく気持ちがいい。幼いころにも、同じようなところを見つけては、ぽこぽこと踏みつけて楽しんでいた。
ということは、と、いくつかの場所が思い浮かぶ。
あそこも、あそこも、あそこも、小川を暗渠にしてできた道だったのか。
いまは当たり前に流れている用水路も、いつか塞がれるのかもしれない。もしそうなったら、一番にそこを訪れて、パカパカと踏み鳴らしてやろう。
その角には、かつて駄菓子屋さんがあった。
おばあちゃんが趣味で経営しているような店で、もう閉店してから五、六年経っただろうか。お店を開いていた建物は取り壊されて、ガレージ付きの三階建て住宅に置き換わっている。確か、おばあちゃんの息子の家族が暮らしているはずだ。
この学区の子どもたちなら、誰もが一度はこの駄菓子屋を利用したことがある。放課後になけなしの小遣いである小銭を握って、馳せ参じるのだ。甘かったり、しょっぱかったりする、チープな味わいを愛していた。
ふとしたときに駄菓子と出会うと、必ず「こんなのあったよね」「久しぶりに食べるね」などと語らう。どんな味かは知っているし、それがさほど美味しくはないこともわかっているのに、美味い、美味いと言って大きくなった子どもたちは食らう。
そのような、否定しようもない美味しさは、思い出の為せる業である。
でも、駄菓子屋でお菓子を買ったことは、実は一度もない。
遠回りをして、河川敷沿いの道を歩む。
土手の上のサイクリングロードを、重そうな荷物を背負った野球少年たちが自転車で駆けている。
春先には、土手の上から美しい桜を鑑賞することができる。お花見の定番のスポットで、レジャーシートを広げ、親戚で揃ってお弁当を囲ったこともある。そのときの思い出は、強烈に脳裏に刻まれている。
芝生に転がった唐揚げに涙したことは、決して忘れない。
本当は、川沿いに並んだマンションのほうが美しいと思っている。
黄色いよだれ掛け、小学生の紅白帽子、水色のスモック――入居者が思い浮かぶような洗濯物たちは、桜色にしか能のない桜の木に比べて、ずっとカラフルでにぎやかだ。
時々空き部屋も見つける。それもまた一興。
団地の広場で、子どもたちが花壇に腰掛けてゲームをしていた。
この団地には友達が住んでいたから、ゲームに興じるその子たちと同じように、この広場に遊びにきたことがある。時には、秘密基地を作って遊んでいた。
団地という場所は、二階建ての木造家屋で育った自分にとって、不思議に満ちたレジャーランドだった。
階段はいくつあるのだろう。各部屋はどのような間取りなのだろう。花壇の世話は誰がしているのだろう。そこら中にある「非常用」と書かれた箱は、何が入っているのだろう。二階建ての駐車場からどうやって車を下ろすのだろう。
そんなワクワクを放っておいてしまうのだから、いまも昔も、子どもは子どもだ。
それならば、ゲームに興じる子どもたちは賢いのではないか。彼ら彼女らは、ゲームと秘密基地との二択において、ゲームを取ったのだ。秘密基地など、遊び方としては面白くもなんともない。
川を跨ぐ橋脚をくぐると、自宅近くの生活圏に戻ってくる。
市役所の分所は、とても刺激的な遊び場であった。
併設された体育館でバドミントンに興じたり、ふと立ち寄って自販機のジュースを買ったり。夏にはプールで遊ぶこともできたし、地域の児童会のお祭りがあると屋台が並んだ。冬には焼き芋の販売車がよく停まったので、何度か買いに来た。
ロビーの椅子も愛おしかった。勢いをつけて座るとギシギシ音を立てるのが楽しかった。てろてろしたビニールの革を、手が黒くなるほど撫でていた。黄色いスポンジが飛びだす穴に指を突っ込んだ。
エントランスも遊び場だ。車いすの来客用のスロープを駆けて、正面から階段を上るのとどちらが早いかを競った。生垣や駐輪場は、缶蹴りやかくれんぼにも適していた。
最後にここを訪れたのは、確か、市議会議員選挙のとき。
同級生の家もちらほら見当たる街を歩く。
気になっていたクラスメイトの家。かつて、あえて目の前を通るように道を選んでいたものだ。いまとなっては、むしろ避けるようになった。
苦手だった友達の家。かつて、その近くには行かないようにしていたし、前を通らざるをえないときは注意深く駆け抜けた。いまとなっては、毎日のように利用する生活道路である。
いずれにしても、いまならもう少し上手くできただろう。
かつての通学路にある自動販売機。
この自販機のラインアップは、買いもしないのに気になってしまう。
スーパーで買ったほうが安いとお母さんに叱られるので、この自販機で飲み物を買ったことはほとんどない。
一度だけ、制服のポケットに隠して小銭を持ち歩き、帰り道にミルクセーキをこっそり買ったことがある。きょうに似た、冬の入り口の寒い日だったから、温かくて美味しかった。あの日、制服を着た帰り道でなかったら、甘ったるくて不味いと感じたことだろう。
ミルクセーキは、もう売られていなかった。
あと五〇メートルもしない先に、自宅が待っている。
街を歩いて、家が近づいてくるたび、つくづく思う。
この街はつまらない。
歩きなれた道は、歩いた記憶に残らない。数分前の景色や、数秒前にすれ違った人の顔が、脳内で保存されない。建物が変わったり、お店が閉店したりしても、「なくなったなぁ」という感想だけが空っぽの胸の中を転がるばかり。
でも、このくだらない街が紛れもなく思い出なのだ。
見栄っ張りな嘘を吐いて、野山や清流をふるさとと言い張るつもりはない。
無味乾燥な懐かしさに騙されて、変わらないでいてほしいと願いはしない。
絶えず変わってくれないと、コンクリートまみれの街は退屈すぎる。
そこにいるだけで穏やかになるようなところに、思い出は宿らない。
いつだって心は、優しい羽根でくすぐられていたいのだ。
帰り道クエスト 大和麻也 @maya-yamato
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