第49話 28日目

 ひとたび生まれた負の感情というものは、本人に近ければ近いほどそうやすやすと消し去れるものではない。

 いつもなら持ち前の前向きさとこれまでの人生経験でやりくりできるはずだった。

 しかし、一番デカい鉱脈にあたってしまったのだ。

 ――『死』に。

 未来永劫続くと思われたこの今が、小石で終わってしまうことへの恐れなのか。

 それとも生そのものへの執着か。

 やり直しなどできないのだ。

 考えれば考えるほど深みにはまっていくので、身近なことに気をそらした。

「ソム」

 !!!

 名前で呼ばれたからびっくりしたが、この妖精ならできそうなことだ。

 ちっちゃな手で先を指差している。

 今は休みながらも自動走行雲で少しずつ進んでいるのだが、どうも何かあるらしい。

「邪小飛竜の大群」

 なんだ、それは?

 小さくてもドラゴン。厄介な相手。いやらしいヤツ。

 迂回できないのか?

 すっご〜〜〜〜い遠回り。

 突っ切っていくしか……。

 攻撃を受けると危険。魂を削られる。

 その言葉を聞いた途端、押さえ込んでいた感情がぶり返した。

 無いはずの心臓が跳ね上がった。

 急速に過ストレスに追い込まれ、身体(?)に異常が出る。

 汗がぶあっと吹き出てきて、肩で息をしている、絶え絶えの状態だ。

 大丈夫?

 何度も何度も深呼吸する。

 ……大丈夫じゃないがどうにかしないといけない。

 これまでのことを思い返す。

 洞窟の謎の装置。

 妖精を出したから、変事がおこった?

 謎の女性に、何が起こったのか?

 大いなる疑問だった。

 質問といっていい。

 世界が働きかけているのか?

 なあアンタ、俺に何をさせたいんだ?

 これは形のないものをわざと擬人化させて対話するメソッドだ。

 相手は自分より上であればあるほうがいい。

 同じ程度だとただの往来の繰り返しになってしまうからだ。

 なかなか対話に乗ってこない。

 これはカラダの節々から発する"なんとなくモヤモヤする"感覚から始める。

 幸いなことに俺はまだ自分のボディイメージを保持している。

 メタな操作になるのだが、この自覚したカラダのうちにある、これまで受け取ってきたものをコロコロと転がしてみる。

 山道の途中。

 スカイダイビング。

 ネビュラさんの住処。

 ……と重ねていき、何かが動き始めるまで続ける。

 腹のあたりからほんのり感じる。

 無理強いはしない。

 そのまま、時間と身体に任せていく。

 手のひらから、押される感覚。

 掌か。

 今の俺には無いが、随分と関わりを持った。

 手の連なりから使いこなしに至るまで、複層のイメージが俺を浸し透過させていく。

 いやいや、これだけじゃ足りない。

 相手は超弩級なのだ、深みに入るだけでは話には乗ってこない。

 ギリギリまで自分を変革しなければならない。

 それには今のボディ、猫そのものに近づかなければ。

 自分のボディイメージを保留し、猫と成っていく。

 自分の意識を徐々に交わらせ反応を起こさせる。

 一点に不動の『俺』を楔を打ち込んでおく。

 自分の好きなもの、かたちづくってきたもののエッセンスだ。

 複雑系の構造が混沌を呈し、自分を見失いそうになる。

 世界の始まりに思えた。

 言葉が言葉として結び付かなく、うねりの物理現象で触れてきた。

 なんだこれは?

 単なるメソッド的操作なのか、別の何かなのかが見分けがつかない。

 これは意識の奥に潜んでいるものか?

 一触即発の警報を知覚している。

 徐々に自分を立たせていく。

 我々はひとつの世界に住み、高みまで昇るとそこは閉じているという。

 そんな閉じた世界が、離れてたくさんあるというのだ。

 それを星と呼んだりもする。

 あいだにあるのはあるのにないという、空気のない空間。

 俺はそこに頼りげなく漂っているようだった。

 引っ張られそうにもなる。

 どこまでも拡がっていくイメージも沸き起こる。

 小さく小さくなくなっていきそうな恐怖心も襲い掛かる。

 身体も意識もばらばらに狂ったダンスをしている。

 嵐の中というより、崩れ落ちる塔を見た。

 流れに任せられもせず、かといって自分で決められもせず。

 全くのお手上げ状態だった。

 これほどのクライシスに落ち合ったことは無い。

 縋りつく思いで、自分の幹と思われる部分、記憶を握っていた。

 それでもダメだ。

 記憶ももろく吹きすさんでいく。

 なら、なにになら。

 何もかも失っていく最中おいて、何もない。

 意識が持ちそうになかった。

 もがいて、もがきつく。

 もはや自分が何をしているかも把握できていない。

 手をバタバタと掻いた。

 伸ばして、思うままに任せた先に、

 手。

 二つ。

 ふたつだ。

 俺の腕を掴んでくれた。

 メルスだ。

 それと……これは俺の手?

 2人で懸命に掴み、引き上げてくれる。

 そのまま光の速さで昇ってゆく。

 耳元で囁く声。

「お前と彼女はもつれているのだ」

「互いの特異性が相補性と歪みと高みを引き起こしている」

「巻き込まれたものは物語の地平線をこえる」

 待ってくれ!アンタは誰だ!

 まさか、「世界」か?!

 応えはない。

 沈黙が多くを語っていた。

 その場が、全感覚を通して会話してきている。

 会話は始まったかのように終わっていた。

 始まりにして終わり、だったのだ。

 28日目、続くぞ。


 

 



 


 

 

 

 

 

 

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