第8話 ボタンのかけちがい


 タバコと酒と焼き鳥の匂いで居酒屋の中は埋め尽くされていた。

 俺の周りには懐かしい大学時代のサークル仲間たち。隣には俺を誘った張本人、八代が座っていた。


 そう、八代からの誘いはただのサークル同窓会で深い意味はなかったのだ。

 誘いを一度は断った俺だが『残念。ひさびさに大学時代の友達みんなも会いたがってたのに』との返信に思わずやっぱ行くと言ってしまった。


 大学生活は楽しい4年間だったし、会いたい友達も大勢いたしな。

 みんなもう30前後だけど、あんまり見た目は変わってない。一緒に酒を飲んでるとあの頃と同じなんじゃないかと錯覚するほどだ。


 もちろん隣に座る八代のことを除いてだが。

 あいかわらずどういう神経をしているんだこの女はと、思わなくもないがせっかくの楽しい席だ。

 俺は表面上は気にせずに飲み会を楽しんでいた。


 八代は女子たちと結婚について話してるのが聞こえてくる。



「ねね、美月ってあのIT社長と結婚するんでしょ。凄いじゃん。やっぱ局アナだと出会える男のレベルが違うよね」


「そんなことないよ。幸人さんは街中で出会って声をかけられたから」


「えええ、なにそれぇ! 最初っから美月を狙ってたってことじゃん。うらやまし~い」



 おい、急に酒がまずくなってきたぞ。ったく、やっぱ男は金持ちじゃないと評価されねえんだろうな。

 この場にいるやつはフリーターや非正規もいるけど立派に働いてるだけでも俺は偉いと思うんだがな。


 そういえばスマホに新城さんから返信があった。簡素な内容だけど、ある意味イメージ通りかもしれない。

 次はデートの約束とかとりつけていいんだよな。連絡先を教えてくれたってそういうことだし。でも心配だから明日、佐藤に聞いてからにしようと思ってる。


 色恋沙汰で騒いでいた友人たちが俺にも話題を振ってきた。

 


「孝之は今、彼女いんの?」


「あん? いねえよ。わかってて聞いてんだろ」



 新城さんはまだ彼女じゃないもんな。どういう存在なのかって聞かれてもなかなかに答えずらい対象だ。



「わはは、お前奥手だもんな。でも元カノが結婚すんだしお前もはやくしたほうがいいんじゃね?」


「……」


「お、おい。孝之にそういう話はやめろって」


「あれから何年も経ってんだから大丈夫だろって、この空気じゃダメか」



 口を滑らせた友人のおかげで場が凍ってしまう。

 さっきまで美月と喋っていた女友達が、とりあえず喋ろうとする。



「でもさ、性格の不一致で別れるなんてもったいなかったよね。孝之君と美月ってお似合いだったし」


「それな! 贅沢なこといわないで付き合ってればお前も今頃、局アナと結婚できたんだぜ」


「ううん。私が孝之くんにわがまま言っちゃったから」


「いやいや、美月ちゃんは悪くないって!」



 俺を置いてけぼりにして周囲は勝手に盛り上がる。

 美月が浮気していたことを俺は誰にも教えなかった。男のちっぽけなプライドがそうさせなかったのか。それとも美月の今後の大学生活を考えてあえて言わなかったのか。

 あの時の俺はどうして言わなかったんだっけな。


 あーあ、つまんね。これなら佐藤と飲んでる時の方が百倍楽しいぜ。



「勘定ここに置いとくから。帰るわ」


「お、おい孝之。待てって」



 金を机に置いて去る俺を呼び止める声が聞こえるが無視だ、無視。どうせ明日も仕事だしな。

 これ以上いたら金と時間の無駄だ。


 店を出ると外は凍えるように寒い。年末の冬ほど寒いものはないね。だからこういう時、カップルってやつは身を寄せ合うのだろうか。

 俺もいつか新城さんと隣り合って歩く日が来てほしい。そう思いながら歩いているとコートの袖を誰かに引っ張られる。



「あいかわず歩くのはやいね。息がきれ切れちゃった」


「八代……」


「ああいう話、困っちゃうよね。悪いのは私なのに。みんなバカみたい」



 そう呟いた八代の顔は能面のように冷たい。こっちがこの女の本性なのかもしれないな。

 俺と別れ話をするときもこんな顔してたっけ。


 なんて返事していいかわからない俺は黙って駅へ歩くことにした。それに付き従ってくる八代。何を考えているのだろう。俺と一緒にいたって1ミリもいいことないのに。


 まばらな人通りは時間帯のせいだろう。お互い無言のせいでえらく長く感じる道中。

 八代を完全に忘れたくて、婆ちゃんの言葉が頭をよぎって始めた婚活だけど。なぜかまた一緒に隣を歩いているこの状況は本当に意味が分からない。


 このまま黙ってたら俺が未だに別れたことを気にしている小さな男みたいになっちまうしな。適当に話題を提供してやる。



「幸人だっけ? 今日は迎えに来てくれないのか?」


「雪之丞幸人さん。彼は今、アメリカにいるんだ。仕事の関係でね」


「芸名ってくらいできた名前だなおい。おまけにアメリカか。生きてる世界が違うな」



 そうだねっと言って笑う八代はどっちの立場での言葉なのだろう。俺からしたら君も十分あちら側の存在なんだが。



「孝之くんは今、幸せ?」


「質問の意味が分からんけど。まあまあ幸せなんじゃないか。病気もないし仕事もブラックじゃないしな」


「そうなんだ。羨ましいな」



 いやいや。そっちのほうが絵に描いたような幸せな生活しているだろ。



「私はいくらやっても満たされないんだ。自慢できる職業や結婚相手を見つけても心は空っぽなまま。

 孝之くんと付き合ってた時が1番幸せだったかも」



 上目づかいにこちらを見つめてくる瞳にはなんの意味があるのか。思わせぶりな言葉に童貞の俺はどうしていいかさっぱりわからない。

 八代と付き合ってる頃は俺も幸せだった。人生で一番の絶頂期といってもいいくらいに。


 だから大切にした。手を握るのだって1ヶ月かかったし、キスは半年だ。でもデートはたくさん重ねた。いっぱい考えて楽しませようと努力してきた。

 それなのにあの時。アパートに住む美月の家へ訪ねた時、知らない男と寝ていたことはいまだに鮮明に覚えている。


 こういう時、怒れれば楽なんだろうな。どの口が言ってんだって。でも俺は好きだった女に罵詈雑言をぶつけたくはなかった。



「俺も付き合ってた頃は楽しかったよ。いつもドキドキしてたしな。でも今は雪之丞ってのがいるんだろ。

 そいつが八代を幸せにしてくれる相手だといいな」


「……うん。やっぱり好きだな。そういうとこ」



 だからそういう思わせぶりな言葉ほんとやめてくんないかな!? 頭が混乱するっての!

 ああもうさっさと帰ろう。相手してられんわ、と前へ向いたときに見知った顔が視界に入ってしまう。



「あれ……新城さん」



 こげ茶のコートにワインレッドのニット。パンツスタイルの新城さんは婚活パーティーの時とまた違った魅力があって見惚れてしまう。

 隣に立っている八代が「誰この人。孝之くんのお知り合い?」と尋ねてくるがどう答えたもんか。


 俺が結婚したい人って言えたら楽なんだけど新城さんが嫌がるかもしんないし。婚活パーティーのことを触れるわけのもいかない。

 友達っていうにはまだ知り合って日も浅いしな。どういう風に紹介したら当たり障りないだろうか。


 やばい。早く答えないとやましいことがあるみたいだよな。思わず慌ててしまっていると「秋山さんとはただの知り合いなんです。お2人の邪魔をする気はないので。失礼します」



 と言って新城さんは去っていってしまう。待ってくれ、と言っても足が止まることはない。すぐに視界の外へ行ってしまった。

 なんか怒ってる感じだったよな。やっぱり紹介する時、言いよどんだのが悪かったのか。

 ああ、失敗した、なんでこうなっちゃうんだよ。はっきりと伝えればよかったんだよな。あとでお詫びの連絡をしないといけない。


 クスクス、と小さく笑う八代は言った。



「怒っちゃったねあの人。誤解させちゃったかな」


「遅くなったけど教えとく。あの人は新城さん。俺が――結婚したいと思っている人だ」


「っ! そう、なんだ」



 顔を俯かせる八代の表情はわからない。

 結局、俺たちは駅で別れ帰路についた。電車の中で新城さんに連絡したけど、寝る時間になっても返事はない。


 俺は悩める夜を過ごすのであった。

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