第9話 弱り目に祟り目


 朝の満員電車は日本の風物詩といっても過言じゃないと思うのは俺だけだろうか。偶然にも同じ車両には稲森さんがいる。小さく身をしぼめてバッグを胸に抱きしめている姿は大変そうだ。


 駅に着き人がはけた瞬間を狙って稲森の近くへ行き後ろから声をかけるといつも通り「ひゃ、ひゃい!」と驚いている。



「おはよ。朝の通勤はあいかわず地獄だよな」


「お、おはようございます。田舎からでてきて満員電車だけは未だになれません」


「そういえば稲森さんは青森が出身だったな……ふわぁ」



 思わずあくびが飛び出てしまう。



「眠そうですね。昨日は寝れなかったんですか?」


「おう、ちょっと悩み事がな」



 さすがに新城さんからの返信が来なくて寝れませんでしたは恥ずかしいからな。濁して返答しておく。



「あの、悩みごとだったらいつでも聞きますから」


「俺は後輩に恵まれてんなぁ。ありがとな。そう言ってくれるだけで嬉しいよ」


「は、はい」



 乗り降りの激しい満員電車は強引な人間が多い。乗車率100%を超えてんのに無理やり詰めてくるやつのせいで、稲森さんは体勢を崩してしまう。

 とっさに手を伸ばして支えるが、なんだか抱きしめているような体制になってしまう。

 やべえ、これでセクハラって訴えられらどうしよう。そんな心配をよそに稲森さんの方を見ると、顔を真っ赤にして目をぎゅっとつぶっていた。



「すまん、嫌だろうけど次の駅で到着だから我慢してくれ]



「い、いえ。別にこのままでも……]




 と、蚊が鳴くような声で返答される。

 うーむ、そんな苦しい状態なのか。はやくどいてやんないとな。


 電車の扉が開きようやく、すし詰め状態から解放される。

 これがなければ東京っていい都市なんだけどな。朝から早速、体力ゲージが真っ赤だだよ。


 隣で歩く稲森さんは未だに顔が赤い。しゃあない。冷たい飲み物でもご馳走してやろう。

 駅から離れ会社に行く道中に自販機がある。そこで俺の分も含めて缶コーヒーを購入だ。


 時計を見ればまだ始業時刻まで余裕がある。ここで一休みするのも気楽でいいだろう。

 ベンチに腰掛け稲森さんに微糖の缶コーヒーを渡す。



「そんな悪いです。お金払いますから」


「いいよいいよ120円くらい。それよりもここでちょっと休んでいこうぜ。

ゆとりの時間があるとないとじゃ仕事の気分も大違いだからな」


「え、えと。それじゃあお言葉に甘えて」



 すすす、っと隣に座る稲森さんはなぜか緊張ぎみ。なんだか受け持ちの後輩として紹介された時よりも距離を感じるのは俺だけだろうか。


 空は晴天。雲1つなし。でも俺の心は暗雲だらけ。はやく佐藤に相談して解決しなきゃな。



「あの、前から思っていたんですが。秋山先輩は佐藤先輩のことを呼び捨てするのに。どうして私はさん付けするんでしょうか」



 目を合わさずに稲森さんが喋りかけてきた。

 なんでって言われてもなあ。同性の気安さと、あんまり女性の後輩になれなれしいと嫌がってる場合もあるらしいからなんだけど。


 もしかしてそれで俺に嫌われてるとか思ってしまったんだろうか。

 そんなことは1ミリもない。稲森さんは真面目だし仕事に熱心だ。笑顔も絶やさないし職場の空気を明るくしてくれるいい子だ。

 むしろ俺が助けられてる部分もあるってのに。

 よし、決めた。せっかくだし距離を詰めてみようかな。



「さん付けを外すタイミングを見失ったからかな。んじゃ、今日から稲森って呼んでいい?」


「――っはい! どんどん呼んでください秋山先輩!」


「ははは、愛いやつだな稲森。今度、佐藤も呼んで3人で飲みに行くか!」


「もちろんご一緒します!」



 おうおう、なんだよ。最近、悪い流れだったけどいいこともあるじゃないか。

 新城さんについての悩みを稲森に相談してもいいな。同性だからわかる視点もあるだろうし。

 今夜飲みに行けたらすぐに相談しよう。


 噂をしたからか、駅の方から佐藤が歩いてくる。大きく手を振ってやると小走りにこっちへ近寄ってきた。



「往来でそんなことされたら恥ずかしいっすからやめてくださいよ。

 って、あれ? 稲森ちゃんもいるんすか。珍しい」


「電車で偶然会ってな。先輩と後輩の熱い交流を重ねてたところだ」


「はあ。それでなにか変わったんすか?」


「稲森さんのことを稲森と呼ぶことにした! どうよ。大きな進歩だろ」



 まーた、佐藤は呆れた顔をしている。隣にいる稲森はちょっと自慢げだというに。



「そんなことよりもそろそろ会社へ向かった方がいい時間っすよ」


「あ、ほんとです。もう8時半ですね」



 稲森は腕時計を見て教えてくれる。



「なぬ。んじゃ楽しいコーヒータイムは終了だな。よし、じゃあ今日も仕事がんばるか」



 3人でぞろぞろと会社への道を歩き始める。冬の青空ってなんか気持ちいいんだよな。

 そんな穏やかな気分を佐藤はぶち壊してきた。こっそり俺の耳元でこう告げたのだ。



「先輩、申し訳ないすけど僕はもう婚活手伝いませんから」」


「へ? な、なんだよ急に。俺なんかしたか? 今が1番困ってる時なんだけど!?」


「いや別に先輩はなにも悪くないんすけどね。ある約束で今後一切の協力はしませんすから。

 というか童貞の先輩にその新城って女の人を扱いきれると思わないんですよね。 

 むしろ身近に相性バッチリな子がいるんではやく目を覚ましてください」



 こいつは急になに意味不明なことを言ってんだ。身近に結婚相手がいたら苦労せんわ!

 それに……まだ新城さんのことを諦められない俺がいるんだ。


 佐藤はさっさと先に歩いて行ってしまう。ああ、くそ!これじゃ頼れるやつがいねーじゃねえか。

 稲森に聞くってのもありだけど、いきなりじゃなあ。


 困った。実に困ったな。そう思った時、1人思い当たるやつがいることに気づく。

そうだよ。今は勉強で忙しいかもしんないけど頼るならあいつしかいない。


 仕事が終わったらダッシュで帰宅して電話するっきゃねえ。そう決心した俺は佐藤と稲森を追いかけるのであった。




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