第2話 彼女の事情


 女医と聞いて世の男性はなにをイメージするだろうか。お堅い?それとも不愛想な女?

 眼科や耳鼻科みたいな内科系の楽な仕事しかしていないとバカにする人すらいる。

 結局、男社会に進出した女というのは大なり小なり性別の壁というのを味わうことになるのだ。医療の世界は未だ男社会なのだから。


 私、新城茜は20代という人生において大事な期間を全て仕事に費やした。その結果が外科医としての確固たる地位を確立したとは思う。


 だけど28歳のクリスマスが近づいていることに気づいた時、私は1人なんだと実感してしまった。

 恋人なんてもちろんいない。片親で勉強だけを武器にのし上がってきた私に、気のおける友達は片手で数えるほどしかないのだ。


 しかもその友達は全員結婚済み。各々の幸せな家庭でクリスマスを過ごすことは明白だった。

 寂しい。めっちゃくちゃ寂しい。そう思うことが増えてきた。


 30歳を目の前にして孤独感に苛まれる。なんて弱い女だろうと自分で思ってしまうほどに。

 でも結婚をするつもりはなかった。母親はギャンブル好きで暴力を振るう父に苦労してたし。

 路上の喧嘩で父が死んだと聞いた時はせいせいしたほど。だから男なんていらない。負けたくない。

 そう思ってアプローチしてきた男を全て切り捨ててきた。



「茜はさあ。もっと肩の力を抜いたほうがいいよ。そのまま突っ走ったら壊れちゃうぞ。

 男嫌いなの知ってるけど甘えられる人を見つけたほうが人生楽になるしさ」



 学生時代からの親友はそう言う。だけど甘える相手なんてどうやって見つければいいのか。経験のない私にはさっぱりわからない。


 そんな悩みを抱えている時、私は変な酔っ払いに出会った。

 緊急オペを終え、車ではなく気晴らしに徒歩で帰っている時にマンション近くのゴミ捨て場にサラリーマンが捨てられているのだ。


 命を救う医療者として放っておけない。ただそれだけで声をかけて水をあげただけなのに。



「好きです、俺と結婚してください」



 生まれて初めて言われた言葉。

 短髪でどこにでもいる普通な顔のサラリーマンに特別な魅力はない。むしろ酔っ払い要素がマイナスでしかない。


 それなのに私はときめいてしまったんだ。10代の乙女のように。

 でもとっさに出てしまった言葉は



「ふざけないで。その水あげるからさっさと家に帰ることね」



 そう冷たく言い放ってしまったのだ。

 酔っ払いは悲しそうに目を伏せ黙り込んでしまう。いたたまれなくなった私は、その場を去ることしかできなかった。



「もっと別の言葉をかけるべきだったかしら」



 後悔しても遅いのに。家についてシャワーを浴びながら考えてしまう。

 なんであの場所で、あの状態で告白なんかするのよ。あんなの誰だって頷くわけない。もう少しやり方ってもんがあるじゃない、と。


 名も知らない酔っ払いに対し、しだいに文句しか出てこなくなってくる。

 連絡先は当然知らないし、ここらへんに住んでるかも知らない。大都市東京で連絡もとらずに再会できる可能性なんてゼロに等しい。


 もう2度と会うことはないだろう。そう頭では理解していた。


 髪を乾かしビールを飲みながらスマホをいじる。通知には親友の美奈子かショートメッセージが来ていた。



『久しぶり! 元気してた? いつでもいいから電話かけてね』



 可愛いカエルさんスタンプ付きで、くすりと笑ってしまう。時刻は12時。もう寝てるかもしれないけど連絡しておこう。


 通話ボタンを押して2コールもしないうちに美奈子は出た。



「おっひさ〜。どう? 元気にしてた?」


「元気にしてたわよ。太樹くんもう3歳でしょ。大きくなったんじゃない」


「もち! 赤ん坊の頃は猿みたいだったのにね。今じゃ自分で歩いてよく喋るの。可愛いよねえ」



 美奈子の声は明るい。どうやら家庭の方は順調のようだった。



「で? 用件は何よ。連絡くれるなんて珍しいじゃない」


「茜は絶対に自分から連絡しないから、私からしてあげてるんじゃない、もう。

 どうせまだ彼氏できてないんでしょ? 旦那の同僚でいい男がいんのよ。どう? 会ってみない?」


「いらない。仕事忙しいし」


「ま〜た、それ。いつもその口実じゃん」



 正直、面倒くさかった。紹介された男がを振る時は周りの人間関係も気にしなきゃならない。

 そういうのが嫌でしょうがないんだ。



「このまま1人でしわくちゃ婆さんになっても知らないよ〜。誰も介護なんてしてくれないんだから」


「いいわよ。高級老人ホーム行くから」


「むう。これだから独身貴族は。

 ねね、なんか出会いないの? 運命的な出会いとかさ」



 運命的。その言葉を聞いてさっきの酔っ払いのことが頭をよぎる。



「あ、その間はなんかあったでしょ。白状しなさいよこのモテ女」


「別にモテてないって。変な酔っ払いにプロポーズされただけ」


「へ?」



 美奈子に事情を説明してあげる。反応はもちろん酔っ払いに対する文句だった。



「それで正解だよ茜。今のご時世、変な奴に関わるとろくなことがないから」


「そうね……正解よね」



 魚の小骨のように酔っ払いのことが頭にちらつく。私の心はどう思ってるんだろう。



「そんな酔っ払いよりさ。婚活パーティー行こうよ。25日にやるんだって」


「絶対に嫌」


「そういうと思った。今回は私も同伴するからさ。特別に行こうよ」


「旦那と子供はどうする気よ」



 へっへーん。と美奈子は自慢げに言った。



「私の旦那が子供の面倒1日だけ全部見てくれんの。いつも家事頑張ってるからクリスマスプレゼントだって」


「いい旦那さんねほんと」


「でしょ! だからその貴重な休みを親友の将来のために使ってあげようって言ってんの。いやぁ私って出来た親友だなぁ」


「そうね。ここまで気を使ってくれるのは美奈子ぐらい」



 けど迷う。婚活なんて行きたくないけど、もしかしたら奇跡的に相性のいい男がいるかもしれない。

 そんな迷ってる私に美奈子は。



「いいじゃない。どうせ今年も寂しいクリスマスを過ごすんでしょ? たまには楽しまなきゃ!」


「ああもうわかったわよ。行けばいいんでしょ行けば!」


「はい、言質とった。約束だからね。25日新宿駅に18時集合だから」



 細かい必要な物とかの話をして、通話を切った。なんだかどっと疲れた私はスマホをベッドに放り投げてしまう。



「なによ婚活エントリーシートって。バッカみたい」



 当日までに埋めなきゃならない年齢や収入。趣味に家族構成。プライバシーな世の中で、なぜここまで赤裸々に教えないと行けないのか。


 めんどくさい。今日はもう寝てしまおう。布団を頭に上まで被っても思い出すのはあの酔っ払いのこと。

 ゴミ捨て場ではなくチャペルで酔っ払いにプロポーズされる夢を見たのは、美奈子には絶対に秘密にしようと心に誓うことにした。


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