第47話赤猿のイタズラ
朝目が覚めると、柔らかいモノに抱きついていた。
この香りはジョエルだ。
いつの間にここを訪れたのだろうか。
昨日は寝床に案内され、警護としてフェリクスとワイドが一緒の部屋にいたはずだが、今部屋の中にはジョエルだけだ。
「ジョエルおはよう。いつの間にこの森に来てたの?」
ジョエルはニコリと微笑むと、抱きしめてくれていた腕を緩めて頭を撫でてくれる。
「ユーリアおはよう。昨日の晩に着いたのよ。記憶はないのかしら?」
昨日の記憶にあるのは、ワイドの傷を寝る前に治そうとしたところまでである。傷を治さずに寝てしまったのだろうか。
「んー。寝床に入ってワイドの傷を治そうとしたところまでは覚えているんだけど、傷治さずに寝ちゃったのかな。朝一で治さなきゃ!」
ユーリアは起き上がり、身支度を整える。
ジョエルはクスクスと笑うと、あらと言う。
「大丈夫よ。ユーリア。あなたは傷を治してからきちんと寝ていたわ。自分の目で確かめてみるといいわ。寝床の外にワイドはいるわ」
外に出てみると、ジョエルだけでなくエドガーも来ていたようで、フェリクスと狼達と朝から激しく鍛錬を行なっている。
ワイドは寝床の入り口で狼型で丸くなっていた。
「ワイド! 傷は大丈夫?」
ユーリアはそっとワイドの腹にふれると、ワイドがビクッと飛び起きた。
「ユーリア様、だ、大丈夫です! 昨晩に治療していただいております」
ワイドは狼型のまま頭を下げ、伏せをしている。
なんだか距離感を感じる。
ウルトがユーリアが起きた事に気づき、こちらへとやってきた。
「ユーリア様おはようございます。昨晩は失礼しました。
朝食の準備に取りかかりますので、ジョエル殿と泉で水浴びでもしてくるといい、案内役にはこのモノ達を行かせます」
昨晩は急な来訪にも関わらず、十分もてなしてくれたのだが、なにを失礼したのだろか?
ウルトは有無を言わせず、狼を数匹つけてくれた。それから子どもの狼もついてくるようだ。
泉に着くと、とても澄んだ水でジョエルと共に水浴びをする。
「ジョエルなんだか、皆の距離感が開いた気がするんだけど、私が寝てから何かあったのかな?」
ジョエルは少し目を伏せると、口を開いた。
「特には何もないのよ。少しワイドとフェリクスがユーリアの事を知っただけ。
エドガーに至ってはいつもの事だから気にしないでちょうだい」
何か隠されている気がするが、子ども達の泉を泳ぐ姿を見て癒された。
タオルを羽織り、体をふくと、子ども達がブルブルと体を震わせて水を飛ばしてくるので、キャッキャと言いながら布で拭いてやる。
ワンワンと言いながら、腹を出して懐いてくる姿が可愛い。
「ん、この匂いは……狼たち警戒態勢!」
ジョエルが急に獣型になり、神経を研ぎ澄ませている。
「お、こんな所に人がいるじゃねえか……狼ども隠してやがったな……」
木の上から何かの木の実が投げられた。
すると狼たちがクゥーンと吠えて、その場に倒れてしまう。
「お前たちの嗅覚じゃこれはキツいだろう。ドロリアンだ。ケッケッケッケッケー!!」
人間であるユーリアですら臭い。せっかく体を綺麗にしたのに最悪である。
ジョエルは顔をしかめ牙を剥き出しにしながら、木の影に隠れているモノに警戒している。
「流石は、ジャグールの森をしめていた女帝だぜ。このくらいの匂いじゃなんともないか……なんで主人じゃない人間の女なんて守ってんのか知らんが、これでどうだ?」
木の影から再び木の実が投げられる。ジョエルは投げられたモノを切り裂くと、中から粉末が飛び出す。
「くっ……」
ジョエルは猫のようにゴロゴロと転がりながら、木の実に戯れ始めた。
「アハハハ、これで黒ジャガーもただの猫だ。女来い」
ジョエルが我に返るよりも早く、木の影から飛び出してきたモノに、ユーリアは抱き抱えられる。
そのまま木の上を縦横無尽に渡っていくと、泉や狼の集落から遠ざかって行く……
「離しなさい! あなた一体なんなのよ!」
ユーリアは火魔法を放つ。敵意がそれほどないので、攻撃はしなかったのだが、流石に戻れなくなる。
「俺に火魔法かよ。人間って奴は阿呆だな。この程度じゃ怪我にもなんねえよ」
「怪我にならないようにしてるんじゃない。それとも氷漬けにした方がいい?」
ユーリアは手から冷気を放つと、加減をして魔獣に氷魔法をかける。
「こんなのきかねえよ」
身を熱して凍えた部分を溶かす。
ユーリアは口を尖らせ、魔獣の胸をどんどんと叩く。
「離しなさいって言ってるでしょ。痛い思いしても知らないから」
ユーリアは指を強く噛むと、血を使い捕縛の魔法を唱え、魔獣の額に血を押し付ける。
魔獣は痛みに悶絶すると、ユーリアを抱える手を離した。
ユーリアは高い木から真っ逆さまに落ちる。
「きゃっ!」
ユーリアは猿型になった魔獣に再度抱えられ、そのまま下に落ちた。
「ゴホッ!」
魔獣は強い衝撃にむせ返ると、口から血を吐く。
「あなた何? なんで、庇ったのよ」
魔獣の呼吸は荒く話すことができない。ヒューヒューという呼吸音だけが聞こえる。
ユーリアは血の捕縛を解き、魔獣を癒していく。
話す力が戻ってきたのか魔獣は、咳き込みながら、話しかけてくる。
「あんたこそ、何者だ? まさかあの方の血縁者か?」
ユーリアはむすっとする。
「皆母さん母さんってどんだけ顔広いのよ。あの母親は……」
魔獣は豪快に笑い始め、もう治療は大丈夫だと言う。
「ダメ。魔獣だっていざって時怪我してたら響くでしょ? ただでさえ血の捕縛で体力も魔力も削ってるってのに、せめて怪我くらい治させて」
ユーリアの言葉に大きな手で、ガシガシと頭を撫でると、満足そうに治療を続けている。
「すまんな。女。ジョエルとはちとばかし、因縁があって軽く戯れるつもりだったのだ。
人間なんかに仕えているんだ。護衛している奴を掻っ攫えば、大目玉だろ?」
ジョエルとの因縁に巻き込まれたようだ。何でも話を聞くに、人間の男に惚れて長の娘という立場を捨ててついていき、自分ではなくその男に尽くしているのが、気に食わないそうだ。
ジョエルは魔獣たちの事も、魅了していたらしい。
「それならそうと言ってよ! こっちも魔獣たちが暴れている件で気が立ってるんだから!」
魔獣は笑うのをやめ、治療しているユーリアの手を振り払った。
そして、人型へなる。
「女よ。お前は人側につくのか?」
真剣な眼差しでユーリアを見つめる。ユーリアはどう返答するか迷ったが、魔獣を見つめ返す。
「私はどちらにもつかない。明らかに今回は人が悪いわ。だけれども魔獣が人を襲うのは許さない。双方にとって損害は多いはずよ。
私は今回の件で動いている者の裏を探り、魔獣の子たちを探す。
それで解決しないのは分かっているけど、悪い奴に唆されてこれ以上被害が出るのは嫌なの」
「ほう……まあ、我々は子さえ帰ってくれば……これ以上群れの数を減らすわけにもいかん。皆のものを納得させる事も出来なくはないか……だが、赤猪は止まらんぞ?」
魔獣の言葉に俯く。猪達は話を聞くような連中ではない事は、分かっている。
「女。迎えが来たようだ。まあ、人側の情報が入った時には我々にも教えろ。白狼とも仲がいいのであろう?」
森から白狼とジョエルが走ってくる。
「アモン。その血はなんだ? ユーリアに怪我はなにでしょうね?」
アモンは頭をかきながら目を逸らす。ユーリアは首を横に振る。
「私は怪我をしていないわ。アモンが代わりに大怪我してしまったの。
治療はしたけど、完治はしていないの」
ジョエルはアモンを見下ろすと、ふんと鼻をならす。
「当然の事よ。ユーリアに勝とうとするのが間違っているわ。アモン、ユーリアには今後一切絡まないでちょうだい」
「そんなの分かっているさ」
アモンはあぐらをかくと頬杖をつき、そっぽを向いている。
「ユーリア様!」
空からは鳥型をとったフェリクスが、エドガーを連れてやってきた。
「フェリクスの最速は流石の俺でもキツいな……」
エドガーは少しげっそりとしながら、フェリクスの背を降りる。
アモンはフェリクスを見ると驚き、再び目を逸らした。
「げっ、マジで娘なのかよ……フェリクス様までいるし……」
「アモン殿。ユーリア様が血の捕縛魔法を行使されるなど、何をなされたのですか?
それに、あなたのお供は、今白狼の集落で、顔を青くして待っていらっしゃいますよ」
アモンは立ち上がり舌打ちすると、木の上へと登った。
「悪かった」
アモンはユーリアを見下ろしながら、謝るとさっさと白狼の集落へと向かってしまった。
フェリクスはユーリアの体を隅々見回す。
「私がついていながら、お怪我をされたとなれば、テディ様になんと言われるか分かりません。赤猿の血に塗れて……。ジョエル様申し訳ありませんが、再度泉でユーリア様の体を清めさせたいのです。お付き合いいただけませんか?」
ジョエルはユーリアを抱き上げると泉まで向かい、フェリクスとエドガーは集落へと向かった。
泉で体を清めていると、白狼が着替えとタオルを持ってきてくれる。
再度綺麗に体を洗い直し、ジョエルに連れられ、集落へと向かう。
「ユーリア、ごめんなさいね。変なやつのイタズラに付き合わせて、またたびで不意を突かれるなんて……まだまだだわ」
よくよくジョエルを見ると、腕に怪我を負っている。
「ジョエル怪我をしているのね。今、治癒魔法をかける」
「手っ取り早く自分を戻すのに、自分で牙を立てちゃったの。あいつよりにもよって粉末のマタタビを用意してるなんて……だから猿は嫌いなのよ」
アモンに脈は全く無いようだ。ジョエルはすごい剣幕だった。
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