第四章二幕 女神カグヤ

「後五分もしないうちに転送開始よ。準備はいいの」


 いつものようにダイニングでお茶をしながら来たるべき時を待っていた。


 今日は他のメンツはいない。邪魔をしたら悪いからと顔見せしただけで直ぐに帰っていったからだ。


「ここに来て慌ててもしょうがないだろうしな。えっと万事塞翁が馬って奴だ」


 嘘だ。三度目であるためある程度はマシではあるが、緊張は消えていない。相手の神はイヴに関わりがあると知っているだけに、尚更半端なことはできないと自分で追い込んでしまっているが、こればっかりは性分なようで回避しようがなかった。


「あのー、もしかして人事を尽くして天命を待つ、でしょうか」


「……そ、そうともいうかもしれないな」


 完璧に言い間違いをしてしまい、恥ずかしい事この上ない。赤面してしまっているのが顔に触れなくてもわかるくらいには熱く、格好つけて言わなければよかったと試合前から後悔していた。


 シモーヌが日本のことわざを知っているのは、転生者側の出身に合わせて届いた言葉が変換されるというシステムがあるためだ。ためではあるが、やはり恥ずかしいものは恥ずかしいのである。


「そうとしか言わないのよマヌケ。本当に大丈夫かしら」


 疑いの目をイヴに向けられるが、こればっかりは自分のせいであるため否定できる要素はない。


 二日酔いなどはないのか、シモーヌは昨夜のような積極的な行動はないものの、笑みを浮かべており、こっ恥ずかしさは尚更加速するが、彼女の笑顔に元気も貰っているためプラスとマイナスで帳消しだと思うよう心がける。


「じ、人事は尽くしたんだしいいだろっ」


「はい。十樹さんは大変努力されました」


「そうお? 人事を尽くすほど努力してたようには見えなかったけど。ブリトニーのおっぱいに触れてたまににやけてたくらいよこの変態」


「ば、俺から触ったみたいに言うな! ち、違うからなシモーヌ。たまたま触れることがあっただけで別にやましい感情で触ったわけじゃ」


 まだ戦いも始まっていないのに唐突に襲われた寒気に、反射でシモーヌへ謝罪を並べる。どうしてかはわからない。でも言わなくてはならない衝動にかられていた。


「へぇ、十樹さんそんなことをされていたんですね」


 シモーヌはあいも変わらず笑みは浮かべてくれている。でもその目は酷く冷めており、ひょっとしてまだ酒が抜けていないのではと勘ぐるほどに、今日まで見たことのない顔をしていた。


「だから違うだって」


「そうね。わざとコケるように見せかけておっぱいを鷲掴みもしてたわ。しかもその夜に────」


「だーもー黙れよこのくそ女神!」


 年齢イコール交際経験無し。それも初めて胸を揉んでしまったのだ。年頃の男としてそれだけは仕方のないことだ。だというのにそれを気になる女の子の前でバラされるとか拷問以外のなんだというのだ。しかも言った本人は愉快そうにしている辺り、実に悪魔的でお似合いだった。


「十樹さんって軟派なんですね。知りませんでした。そういえばジェイミーさんとも」


「本当に悪気はなかったんだ。偶然な産物で故意にやったわけじゃ────」


「ふふ、ふふふふふ」


「シモーヌ?」


 テンパって言い訳を並べていると、シモーヌがいきなり口元に手を当てて笑い出した。


「ぶはっこいつまだ気付いてないでやんの。あーはははははははははは」


「イヴも何、が……まさか!」


「はい。十樹さんがそんなことを狙ってする方だとは思っていませんよ。でも、ふふふ、あんなに一生懸命弁解をなされるからつい可笑しくって、すみません」


 謝罪はするも、笑いのツボは刺激されたままなのか、シモーヌは笑ってしまうのを懸命にこらえているのが見ていてわかる。イヴは隠すことなく笑っているが。


「……んだよ二人して。これからって時に人を弄り倒して……」


 せっかく自分は戦いを目前にしても落ち着いているのだと思い込もうとしていたのに、これでは落ち着く以前の問題だ。しかし、


「でも緊張は解れたでしょ」


「起きてからずっと気を張っておられましたから」


「イヴ、シモーヌ……」


 二人は自分事を気遣ってのからかいだったようだ。事実心の中にあった重圧は消え失せ、鼓動も穏やかだった。


「そういうことなら早く言えよ」


 緊張しているところに人の優しさに触れたことで思わず泣きそうになる。周りの温かさをこれまで受けたことが果たしてあっただろうか。


──あぁでも発表会の前に友人に馬鹿話されて緊張が解れたこととかあったっけか。


 懐かしい記憶を掘り起こした気分になるが、もう戻れない過去を思っても仕方ないと割り切る。


「すみません十樹さん。イヴ様がどうしてもとおっしゃるもので」


「口で言ってもこいつは無理よ。変に理屈っぽいから。だからこういうサプライズの方が効果抜群なのよ。もしシモーヌもその気があるなら不意打ちの方がこいつは流されやすいわよ」


「な、ななな、何を仰るんですかイヴ様!」


「あーら何でしょうね」


 人に優しさをくれたかと思えば置いてけぼりにし、忙しい二人だとつくづく思う。


 これで勝てれば賞金が金貨百枚。もし負けたら金貨は二十五枚。


 シモーヌの給料のためにも是が非でも勝ちたい一戦である。


「そろそろ時間だな」


 手首に巻いた腕時計で時間を確認すると、午前九時の十秒前だった。


「十樹さん頑張ってください。私も頑張って応援しますね」


「カグヤのことはいいから、あんたは戦うことだけ考えなさい」


 頷くと同時に周囲の景色は変わり、視界が広がる。


「あれ、ここって……」


 過去二度の戦いは見たこともない路地裏だとか通りだったはずが、今回は見覚えがあった。何度かそこを通っているため間違いない。


「ギルド本部がある広場、だよな」


「はい……そのようですね」


 シモーヌも同意しているのだからまず間違いはないだろう。ギルド本部がある広場は広く円形に作られている。直線距離でも五十メートルはあり、中央には噴水がある。なんでもその噴水がエルシドの町の真ん中を示しているのだとか。そこから十字に広い道が伸びているが、そこには今は人だかりができていた。


「言ったでしょ。能闘士の集いサバトが行われるのは実際この世界にある場所を参考に創られているって」


 そうだったと思い出す。能闘士の集いサバトで転移した先はこの星にある場所をベースに、専用に作られた別の小さな世界はこにわなのだとか。そのため元々の世界には影響がなく、観客以外は普段どおりの生活を行っているそうなのだが、今日はやけに多かった。


「ど忘れしてた。というか観客多すぎないか?」


 周囲を見渡せば人だらけ。二度の戦いで見た数の優に十倍はいるのではと錯覚するほどに。


 建物内も満室らしく、一人の少女と目があい手を振られもした。そのようなアクションはこれまで経験はないためドギマギする。


「あぁそのことね。これが今回の最終戦は知っての通りだけど、あんたと相手でどちらも二勝してる。ここまで言えばわかるでしょ」


「これで一番強い人がわかるんですね」


「最終戦であり決勝戦ってわけか」


「そういうこと。おかげで規定通りの報酬も期待できるわけ。しかも注目されているから今後依頼を受けるようになるなら、ここほどアピールする場所はない。ちっとは気合入った?」


「おかげさまでまた緊張してきたよ」


「軽口がきけるなら上等」


 実際本当に緊張がぶり返してきたのだが、虚勢だけは何とか張れた。


「久しぶりねイヴ。まさか本当に追いかけてくるだなんて」


 そうこうしている内に相手方も来たのか話しかけてきた。


 聞こえた方へ視線を向けると、そこには神と思しき存在がいた。


 イヴと同じ長いブロンドヘアーを垂らし、その間から白いウサギの耳が空に向かって伸びている。衣服は重ね着をした着物を着崩しているのか、豊満な胸をこれでもかと見せつけていた。


「えぇ来てやったわこんなところまでね。どっかの誰かさんがクソ面倒くさいことをやらかすから」


「人のせいにするとか、これが元私の上役だったなんて臍で茶が沸くわ」


──想像通りの関係だな……。


 想定はしていたが、やはりイヴとカグヤは犬猿の仲なのか、顔を見るなり毒を吐き合う。


「黙れ絞めて皮剥ぐぞ」


 パチンといつものように指を弾いたイヴだが、カグヤは涼しい顔をしており、続いてしたり顔を浮かべていた。


「あーらこの女神は今の自分の実力もわかっていないご様子。これは傑作ね」


「ちっ、このくそアマが、調子に乗るなよ」


 これまで見たこともない怒りを顕にするイヴ。眉間にシワが寄っており、歯を見せるほどに食いしばっている。


──前言撤回だ。想像以上のようだ。それよりももしかしてカグヤにはイヴの力が効かないのか? でもイヴの方が格上で……。


 そこまで考えてカグヤの元、という言葉を思い出し、尋ねようとしたところで邪魔が入った。


「カグヤ。べらべら喋るな」


「ご、ごめんなさいトゥーレ」


 カグヤの前に出てきたのは一人の男だった。鈴木に聞いてはいたが、情報通り自分より少し下のように見える。身長も一六〇センチ台だろうか、低く見えるが、それよりも重要なのは見た目だった。


 生まれつきだろうか、白い髪にやや切れ目の長い目をしているが、顔立ちがいいだけに威圧感よりも格好良さが前に押し出されている。格好はこの世界には合わせておらず、制服なのか上下真っ黒の服を着ていた。上着は前がファスナーなようだが、しっかりと上まで上げている辺り真面目なのだろうか。


「たく、お前は何故いつも僕の前に立つ。従者はお前だろうが」


「そ、そんなつもりはないのよ。あの女があんまり無様だったから」


「無様なのは貴様だこの豚が」


 しかし見た目とは裏腹に中々に毒を吐いている。しかも気のせいだろうか、言われた側であるカグヤの方は喜んでいるようにも見える。


 おまけに神であるカグヤがトゥーレと呼ばれた男に傅いているとしか思えないやり取りはどういうことなのだろうか。


「なぁイヴ」


「黙れ私から言うことは何もない」


 まだご立腹な様子で、噛み付くようにカグヤを睨んでいるだけで視線すらこちらに向けることはない。


「ふふ、人間相手に当たるとかこれがかつて最上位の神とは思えないわ」


「誰が喋っていいと言った」


「ごめんなさい……」


 睨みつけて黙らせている辺り、上下関係がメチャクチャだ。


──どういうことなんだ? どう足掻いても神のほうが上だろうに。というかかつてって言ったか。さっきから過去形が多すぎるな。でも……。


 イヴに尋ねたかったがどうやら聞いてくれるような状態ではなく、致し方なく事情を知っているカグヤに聞くことにした。


「なぁ、あんた月の女神カグヤなんだろ」


「はぁ? 人間ごときが何タメ口でえっらそうに話しかけてきてるの。消すわよ」


──イヴそっくりな物言いだな。見た目も近いし双子なんじゃないのか? 


 一卵性ほどは似てないものの、二卵性と言われたら思わず納得してしまうくらいには近寄っていた。おかげで恐れを抱くよりも懐かしさに思わず頬を緩めてしまう。


「ちょっと止めてよそいつと肉親みたいな扱いしないでキモすぎ。しかもその顔、童貞臭すぎるわ」


「童貞は関係ないだろ!」


 油断すればこれだ。


──人の心をずけずけと読んでくるわ童貞だとけなしてくるわ、やってることは一緒じゃねーか。


 読心されていることをいいことにあえて口にせずに言ってやった。やはりと言うべきか、イヴよりは単純なのか容易に誘いに乗ってくる。


「だから一緒にするな。いい加減その口塞いでやろうかしら」


「黙るのはお前だカグヤ」


「でもあいつが私のことを」


「僕は黙れと言ったんだ。それに聞いていればなんだ。人間如きと言ったか? つまり僕にもそういう態度を取るわけか」


「ち、違うのよ。私はあの童貞にだけ言っただけで」


「ほぉ、奇遇だな、僕も童貞だ。つまりお前は僕にはそう言いたいわけだな」


「そんなつもりはないのよ。トゥーレにそんなこと言うわけないじゃない。それに初めてなら私が相手になっても」


「お前を相手にするとでも思っているのか? 少しは自分の鏡で見ることだな。あぁ言わなくてはわからないかそうだよな。神でも人でも客観視というのはできないらしい。お前みたいな痴女じみた格好をしているやつを誰が好む」


「えぇ、だってこれはトゥーレがこういう格好が好きだからって」


「一言も言わなかったぞ。お前が着ているのが馬鹿みたいで面白いからそうしろと言っただけだ」


「そ、そんな~……」


 何の漫才をしているのかわからないが、少なくともカグヤはあのトゥーレという男のことにゾッコンのようだ。しかし完全に遊ばれているのが十樹ですらわかるほどに酷かった。カグヤは薄っすら涙目になっている辺り、その手のに弱い十樹は気になって仕方がなかった。


「やるわ、あいつ」


 険しい顔こそあまり変わらないが、イヴも感心していた。


「中々にいいサディストの才能を持っているようね。思わず私が感心してしまったわ」


「なんだそのどうしようもない才能は」


「あら有益よ。ふん、見てみなさいあのカグヤの顔を」


 言われてカグヤを見てみると、


「お前のセンスは壊滅的だな。今回の戦いが終わったら見繕ってやるから感謝しろ」


「えぇえぇ、楽しみにしてるわ」


 少し前に涙目を浮かべていたカグヤは満面の笑みを浮かべており、実に体の良いおもちゃと化していた。


「貶しながらも相手が欲しいところしっかり拾っている。これは天才だわ」


「お前何感心してるんだよ。これから戦う相手だぞ」


「……わかってるわよ」


 イヴが気を取り戻したところで向こうも落ち着いたようだ。

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