第四章一幕 人の心神の心
最終戦前日の夜。
明日は朝から対戦が決定されており、前祝いとしてこちらの世界で知り合った人たちが集まってくれた。
シモーヌ、ジェイミー、鈴木、サイス、ブリトニー。
鈴木は昨日最終戦だったそうで、なんとか一勝は勝ち取れたそうだ。
そのためこの席は半分鈴木の戦勝会も兼ねていた。
「うふふー、とおきー、のんでるー」
「おま、鈴木酒臭いぞ」
「おれはー、ハタチだからもんだーい、ありませぇん!」
どうでもいい情報と一緒に肩を捕まれ、逃さないようにしてきた。いつもしているフードは降ろされ、イヤホンも首にかけた状態で絡んでくる。
明日が明日でなければ多少は付き合えたのだが、今はただただ鬱陶しいだけ。
「そーだぞ。十樹も飲も飲も」
「いやいや、ブリトニーだって今日はほどほどにして寝とけって言ってたろ」
「えーそんなこといったっけーっヒック。あー、もしかして年齢のこと気にしてるー? ここじゃあ十八歳じゃあないと飲めないからってー」
「え、そうなのか? ならギリ飲めるな」
そこまで言ってしまったと口に手をやったが既に遅かった。
「んふふー。聞いたかフレイムー」
「あぁきいたともさまどもあぜる。これはのますしかないなー」
左右をがっしり捕まれ、逃げ場を失った状態で無理矢理飲ましに来た。
「はいはい二人共その辺にね。それにブリトニーは人に迷惑かけているようじゃ自警団失格でしょ」
しかしそこへジェイミーの助け舟が入る。
二人はぶーたれつつもすごすごと離れ、仲良く酒を酌み交わしていた。先日鈴木がブリトニーから逃げたのが嘘のようである。
絡み酒の人間から開放されたことで、改めてジェイミーへ礼を言おうとすると、何故かすり寄ってきていた。
「ねぇ、おじゃま虫もいなくなったことだしぃ」
しかも口は徐々に上がってき、頬を舐めるように唇が進むと、最後には耳元で囁いてきた。
「二人でどっかに出かけない?」
途端に背筋へ電流が走る。イヴのイタズラとか静電気などではなく、ジェイミーの色気によって発生させられたものだった。
腕に胸を押し当て、何か香水を使っているのか酒に混じっていい匂いがしており、頭がクラクラし始める。
このままではいけないと座り直そうと小さく動くと、腕にあたっていた柔い感触が、より深く感じられ、
「あん。もう、積極的ね」
甘い声にのぼせ上がる思いだった。
自分が赤面していたのは知っているが、今は実際に燃えているんじゃないかと思う程度には顔全体が熱かった。吐息の感じる耳と腕には全神経を集中しており、背中を走るゾクゾク感は、得も言えぬ快感。
この後どうなるんだろうと妄想し、目線が一度胸元へ行くも、即座に反らしてさまよう。すると別の人と目がかち合った。
「し、シモーヌっ。あの、これは……」
「十樹さんっておモテになるんですね」
これまで聞いたこともない冷ややかな物言いに、胸の感触だとか耳の吐息だとか、全部吹き飛んでしまった。
「ち、違うんだ。俺は別に」
何が違うのか十樹自身知らない。
浮気現場を見られた人がつい口にしてしまうようなフレーズを、まさか自分で言うことになるとは思いもしなかったが、意外と自然に出るものなんだなと、頭の何処かだけは冷静に考えていた。
「へえ、どのへんがですか。ジェイミーさんにデレデレして」
「あら~シモーヌのヤキモチ? 可愛いけどでもざーんねん。十樹は私が貰うわ」
「ジェイミーさんもジェイミーさんです! それに貰うだなんて、十樹さんは物じゃありません!」
「ならシモーヌのものでもないでしょ? だったら私と一緒にいてもシモーヌが怒る権利はないんじゃないかしら」
「あ、あります。私にだって権利が」
何を根拠に言ってるのか、シモーヌらしからぬムキのなりように、小さな違和感を覚えた。それが何なのかを知る前に、シモーヌは叫ぶ。
「私は十樹さんのサポートです。身の回りのお世話は私がするんです。私だけなんです!」
「あらあらお熱いわね。これは私は退散しなくちゃいけないかしら」
そういってジェイミーは残念そうな顔をしてから頬にキスをして離れていった。
「ジェイミーさん!」
「頬だけよ。口にはしてないから安心して」
シモーヌらしなからぬ目線。ジト目でジェイミーを牽制している辺りらしくなかった。自分以外は全員お酒を飲んでいるが、流石に異常だった。
「十樹さんっ」
「は、はい!」
とはいえ普段聞き慣れないシモーヌの強い口調は思考を吹っ飛ばすには十分で、簡単に塗りつぶされてしまった。
「ここ、座ってください」
「なんでだ?」
「いいから早く!」
強い口調だが、イヴほど気迫は感じられない。だというのに言うことを聞かなければならないと思うのは何故だろうか。
「座ったけどどうするんだ」
「こっちに頭を倒してください」
どうやってと言うよりも先に、頭を捕まれ無理矢理に倒されてしまった。
「あ、あの~シモーヌさん。これは所謂膝枕と言うやつでは……?」
少々強引ではあったが、今シモーヌにやられているのは紛れもなく膝枕だった。左側頭部へ伝わる柔らかい太ももの感触。酒の影響で温まった体温。シモーヌの柔らかいオレンジのような香り。
これはまるで夢のようだ。
先程まで怒っていたシモーヌの顔も穏やかとなり、優しく頭を撫でてくれた。
他所は騒がしいのに、どこか遠くに聞こえてくるくらいには安心し、徐々に瞼が重くなっていきかけ、無理矢理起き上がった。
「え、嫌でしたか……」
シモーヌは悲しそうに視線を向けてくる。
何か落ち度があったろうかと探しているのだろう。だが、シモーヌには何もない。あるのは自分ともう一人の存在だ。
「ありがとうシモーヌ。よかったらまたやってくれ」
そう言い残し、十樹は急いで家から出ていった。
開け放たれた戸の先は大通りからはずれているため、夜になると不気味なくらいには薄暗く、何も見えなかった。
しかしいることだけはわかる。
「イヴ、いるんだろ」
「あら、せっかく幸せな時間だったでしょうに、もういいの」
「あれ、お前の仕業だろ」
「仕業とはご挨拶ね。あんたに気を使ったのよ。幸せなまま眠れたほうが翌日のパフォーマンスがいいんだから」
「そりゃどうも。危うくもう少しで寝るところだったよ。あ、いや、シモーヌの膝枕だからぐっすり眠れただろうけど」
「そういうデリカシーのないところが童貞よね」
「い、今は関係ないだろ! それにお前には言われたくないぞ」
どの辺がデリカシーに欠ける発言だったかはわからないが、少なくともイヴとて人の言われたくないことを、ペラペラと話すのだから百歩譲ってもお互い様のはずである。だというのに、イヴは重い溜息を吐いて哀れみの目を向けてきた。
「あんたはそれだから彼女の一人もできないのよ」
普段はなじってくるような言い方なのに、今日は哀れみの目で見てくるため、同じような言葉なのに胸にあるのは苛立ちよりも焦りだった。そんなに自分は駄目な反応をしたのだろうかと。
「ま、この世界じゃこれからも女絡みの話は出るだろうから、そこで学びなさい」
「偉い上から目線だな」
「女神だもの」
「そうだった」
暫しの沈黙。
夜なこともあってややひんやりする空気ではあったが、幸いシモーヌのくれた衣服のおかげで殆ど寒さは感じられない。だが、隣を見るとイヴはずっとヴェールのような衣服で佇んでいる。正直寒くないのかと心配になるほどに。肌は陶器のように白く艷やかで、穢れは一つもない。嫌味なしに美しい姿をしていた。
故に意を決し尋ねてみようと口を開いたところで、
「なぁ」「ねぇ」
綺麗にブッキングしてしまった。
「お前からどうぞ」
「あんたから言えば」
「お前────いや時間の無駄だな……なぁ、イヴ。お前寒くはないか」
「何かと思えばそんなことか。お生憎だけど私は寒さも暑さとも無縁よ。どうせこの見た目のことで言ってるのは目に見えているけど、あんた不思議には思わなかった? シモーヌがあんたの服には口出ししたのに私にはしなかったことを」
「言われてみれば……」
「あれは私の衣服がその世界に合わせて見えるようにできてるのよ。ま、あんたが私の他の格好を見てみたいって言うんならたまには変えてやるわ。気が向いたらだけど」
「そうだな、是非見たいからそのうち見せてくれ」
正直な感想だった。
イヴが普通な女の子の格好をしたらそれはさぞかし可愛いことだろう。素材は良いのだから間違いないはずだ。だというのに当人はパチクリと目をしばたかせているだけだった。
「……あんたそのうち女泣かせそうね」
「なんでそういう話になったよ」
「女神の勘よ」
「女と神両方の勘ってわけか、そいつは凄そうだ」
息を吐きだしながら空を見上げる。
明かりが殆どないことから月が出ているが星も見えており、実に綺麗な夜空だった。
「最近はどう。この世界には慣れた?」
空を眺めているとイヴが切り出してくる。
「そうだな、正直まだだと思う。これからも一杯驚くことはあるだろうし、学ぶことも多そうだ」
「そう」
「でもお前がいてくれたおかげで助かったよ。鈴木に聞いたけどサイスは家は作れるけど内装とか好き勝手いじれないんだってな。電気もガスも水道もうちはあるけど、向こうはないそうだし」
「少しは私のことを敬う気にはなった?」
「あぁ。出会いはあまり褒められたもんじゃなかったけど、でも助けられているのも事実だしな」
「それでいいのよ」
そう言ったっきりイヴは黙り込み口を開くことはない。でも何となくわかった。今の内容が話したかったものではないことに。
イヴが隠し事を幾つかしているのもわかる。何に対してと言われると困るし、具体的に説明しろと投げかけられても勘としか言いようがない。
だからといって信用がないわけではない。
話せないことなんて誰でもあるのだから。しかもイヴは神だ。人間では踏み込めない領域の話もあるだろう。
だけど、
「で、カグヤの件は話す気になったか」
聞かなければ何もわからない。
今度話すと言われて以来、イヴからカグヤのことを口にすることは一度たりともなく、気配もなかった。
「目ざといわねあんた」
だからこそもし話す気になるならばこの瞬間だろうと思い切り出したが、どうやら正解だったようだ。
「えぇそうよ、カグヤの件。と言ってもあんたに言えることなんて高々知れてるけどね」
神でもストレスは溜まるんじゃないのかと口を挟みかけたが、今はじっとこらえて次を待つ。
「…………あのくそ女には借りがあるのよ。私の個人的な借りがね。でもあんたを巻き込むつもりはないから安心しなさい」
「巻き込むも何も既に巻き込まれてるだろ。だってそいつが転生させたやつと明日戦うんだぜ」
「言われてみればそうね、悪かったわ────何その顔」
失礼なのは承知だが、イヴが素直に謝ってきたことが意外すぎて驚いてしまった。シモーヌに諭されてならばまだわかるがここにはいない。完璧にイヴが謝ろうとして出た謝罪の言葉なのだから驚かないはずはなかった。
「すまん。ちょっと予想外過ぎた」
「はぁ、あんた聞く気はあんの」
「だよな。悪かった」
一度居住まいを但し、イヴの言葉に耳を傾けた。
「カグヤは月の神。地球の衛星だからあいつも私の配下だけど、その中でも高位に立つ存在でね、まぁことある事に私に楯突く存在なのよ」
「怖いもの知らずだな」
「周りからも同じこと言われてたけど止めなかったのよ、あいつは。まぁ私もイジメがいがあって楽しかったからつい構ってやってたのよね。そしたらなんやかんやあって、気付いたらこんなところに来る羽目になったわけ」
「なんやかんやってアバウトだなおい」
「そこは私のプライベートなことだから無理」
「人のことは知ってるくせになんだよそれ……」
唇を尖らせ、無駄とは知りつつもわざとらしく不機嫌に見せてみる。それが面白かったのか、イヴは愉快そうに見てくる。
「ま、わざわざ私がこの世界に来た理由はカグヤにあるってことよ」
「だろうな。だってお前強くなる必要ないのに来てるんだしおかしいとは思ってたんだ」
イヴは前に言っていた。私はもう強くなりすぎていると。これ以上のレベルは上がらないと。そして神が転生させるのはレベル上げをするため。
ならばなんでと思ってはいたが、カグヤのことを聞いてある程度把握できた。内容までは知らないが、追いかけてこなければいけないほど、イヴにとって重要なことなのだと。
「あんた落ち着いてる時だけは頭が働くわね。全環境下でもそうできるようにしたら? 結構武器になるものよ。特にあんたの能力を考えたら」
「確かに時を止めるだとか動かすタイミングを緻密に考えれば、生命力の消費も少なくて済むし試す価値はあるけど、もっと戦闘経験がないと難しいな」
「最初はさっさと戦いたいとか言ってたやつの発言とは思えないわ」
「言うな。それは俺も若干後悔してるんだから……」
粋がっていた頃の自分をぶん殴りたい。
ハッキリ言えば時を止める能力と時を動かす能力があれば大体の相手は倒せるだろう。しかし能力には使える時間に制限があり、今の十樹には万全な状態でも十六秒が精々だ。それ以降は問答無用で倒れてしまうから調整が必須で、最強には程遠かった。
イヴ曰く時間への干渉は実際最強クラスだそうだが、それに至るには自分の力が足りないのと、人間でそこまでのことをやるにはほぼ不可能だそうだ。
──ごく普通な時間という概念に縛られる人じゃできない、か。まぁそれ以前に生命力が保たないとか言われたっけ。
言葉が抽象的すぎて何を言わんとしているのかサッパリだったが、少なくとももっと鍛錬すれば強くなれると太鼓判を押されていることは間違いないため、まずは明日の戦いに勝つことを胸に誓った。
「そろそろあんたも休みなさい。休息は生物にとって必須な行動よ」
「寝不足の結果負けましたじゃ格好がつかないしな」
自室に戻って寝るかと思い戸を開いた瞬間、ダイニングの方から大きな声が上がっていた。
「俺はこの世界で生きていく、ずっと。お前を守りゆく、きっと」
「悪いけどー。あたしは軟弱な男はきらいよー」
「フレイムは僕何かと違って強いんだぞ。馬鹿にするな!」
「ねぇシモーヌ。私がアタックしてもいいでしょ」
「だめれす。それはいけましぇん!」
最早かしましいなんてレベルは超えて、騒音と化していた。
「そういやあれ、お前の仕業だったな」
「あんたの息抜きになるかと思って酒を飲んだら変わるように調整しておいたのよ。どうせあんたは意気地なしだから飲まないだろうし。ただちょーっと加減ミスったようね」
「危ない薬とかじゃ」
「なわけないでしょ。ちょっと気持ちがハイになるようにしたのと、あんたに意識を向きやすくしてるだけよ。ここにいる女は上玉なんだし嬉しいでしょ?」
「過激すぎて心臓に悪かったわ!」
「これだから童貞は。その程度捌けないようじゃ暫く彼女の一人も作れそうにないわ」
諸悪の根源はイヴではあったが、事実持て余していただけに言い返す言葉は思い浮かばず、イヴが指を弾いたことで騒がしさが落ち着いたことに安堵だけした。
「もういい時間だしそろそろお開くよ」
イヴの声を耳にしながらも自室へと退避する。虎穴に入る理由などないからだ。
ベッドで横になると睡魔が隠れていたのか、一気にやってくる。
もう少し明日の作戦を見直したい気もするが眠気には抗えそうもなく、大人しく微睡みの世界へと落ちていった。
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