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秘書達に笑顔で見送られ、再び手を掴まれ、連行。


「何を食べに行くんですか?」


エレベーターで2人っきりになると、わたしは秘書としての顔を止めた。


「お前の秘書課移動祝いだ。何が食いたい?」


と言うことは、社長のオゴリで、わたしの好きなのを選んで良いってことか。


「お寿司が良いです! マグロが美味しいところの」


なら遠慮なく、奢られよう!


「分かった。マグロが美味い寿司屋だな」


社長の優しい微笑みは、上司として浮かべる顔ではない。


彼も今だけは、社長の顔を止めている。


彼もまた、わたしを妹のように感じてくれているんだろうか?


それならば、素直に嬉しい。


わたしは一人っ子で、人見知りするタイプだった。


だから甘えられる人は、なかなかできなかった。


彼のような存在は、どこか安心できる。頼りになるからだろうか?


その夜、高いお寿司とお酒をご馳走になって、家まで送ってもらった。


次の日からは、目まぐるしく仕事に追われた。


秘書課では前以て言われていた通り、事務系の仕事を任せられた。


けれど本当に今までの秘書達はこういう仕事が苦手だったらしく、わたしは引き継ぎのこと以外のことで、事務に戻ることが多かった。


地下一階と最上階を移動する日々。


だけど秘書課の人達は優しく、わたしをまるで年下の妹のように可愛がってくれた。


それに社長のお供やら、接客の仕事が回ってこなかったので、わたしも安心していた。


しばらくは忙しい日々を送り、でも時々社長から食事に誘われ、息抜きもできた。


そんなある日。


「ゆかり、今度の休日は予定あるか?」


「家でゆっくり読書やDVD観賞をする予定です」


「なら俺と海に行こう」


「潮干狩りですか?」


「…地味なことを言うな。クルーザーで海に出ないかという誘いだ」


「天気悪かったらどうするんです? 普通に海岸近くのお店で海の物を食べたいです」


海岸沿いのお店は、海産物が美味しいし安い。


海に出るより、食べ歩きでもした方が私は良い。


「ったく…。お前は普通の女じゃないな」


「自覚はあります。ですからそういうのは課長達とでも行ってください」


「去年行ったさ。アイツらは喜んでいたぞ?」


「なら今年も連れて行ってあげてください。わたしは遠慮します」


高級焼肉店でお肉を焼きながら、わたしと社長は話をしていた。


今日も例のごとく、社長の定時過ぎのお付き合いをしていた。


そもそも『社長とのお食事』に焼肉屋を選び、ビールを大ジョッキで頼むような女に、普通の女性の感覚を求められても困る。


「海産物のバーベキューが主役ならば、お付き合いしますよ♪」


「じゃあそれで妥協しよう。明日、朝迎えに行く」


「はい♪ 知り合いのレストランがあるんですか?」


「正確にはホテルだ」


「ホテル…」

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