3

秘書課の女性達に引っ張られ、わたしは部屋の奥の扉の前に立たせられた。


『社長室』


…イヤな汗が、背筋を落ちる。


いやいや! 秘書課なんて移動することを考えれば、いっそ退職した方が良いのかもしれない。


事務経験3年、しかも子供さえも知っているこの超有名企業にいたという武器にすれば、再就職も難しくないかもしれない。


よし、後ろ向きな希望が持てた!


わたしは思い切って、扉を叩いた。


「社長、失礼します。事務の藤壺ゆかりです」


「ああ、入れ」


うっ…! くっくじけるな!


「失礼します!」


扉を勢い良く開けて、………3秒で閉めた。


「あら、どうしたの? 課長も社長もいたでしょう?」


…確かにいましたよ。いましたけどね。


わたしの閉じた瞼の裏に、さっきの光景が浮かび上がる。


イスに座っていたのは我が社の社長。


まだ38歳という若さで、一代でこの会社をここまで成長させたスゴイ人。


…の膝の上に、一度は見かけたことのある秘書課の課長が乗っていた。


……見てはならぬ現場だったのだろうか?


いや、でも社長は返事をした。だから入った。


入るのが…早かっただろうか?


「おい、何をしている?」


「はっはいっ!」


再び社長室の扉を開けてしまう、わたし。


…悲しい平社員のサガだ。上の権力には逆らえない。


しかし再び扉を開けた先には、さっきと全く変わらぬ光景があった。


もう…いいや。深く考えるのはよそう。


「失礼します。あの、今朝人事異動のことを知りまして、お話しに来ました。わたし、何か事務で失態をしましたか?」


「いや、お前は非常に優秀だ。通常、8時間する仕事を3時間で片付けるんだからな」


どこでその情報をっ!?


確かにわたしは残業をしたことがない。


それどころか毎日、他の人の仕事を手伝っているぐらいだ。


でもそれは事務の人間しか知らないはず!


「頭のキレも良いし、見た目も悪くない」


頭のてっぺんからつま先まで見られ、思わず体が固まる。


「なら俺の側にいろ」


「理由がよく分かりません! そもそもわたしは秘書なんて華やかな仕事は似合いません。地味で目立たない事務が似合っているんです。戻してください!」


「勢い良いな」


社長と課長はおかしそうにクスクス笑っている。


かっからかわれてる?


「とっとにかく! 事務に戻してくれないのなら、辞職します!」


「社長を脅すのか?」


「それだけ事務の仕事を愛しているんです! 事務がやれないなら、ここにいる意味などありません!」


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