第十話 はじめての夜

 真っ暗な密室に灯る白色の片隅で、勢いよく水が流れる。

 理由はわからないが、水道は生きてるらしい──コージは便座の底をランタンで照らしながら、流れ再び溜まっていく水を確認し、トイレを出た。


 ランタンの灯りの許、トイレを出て、風呂場の脱衣所で手を洗う。やや大きめなTシャツとジーパンに着替え直してはいたが、浴槽から漂ってくる湿った血の臭いは、これまでの出来事を嫌でも思い出させた。


 病院のトイレで目覚め、出会った女性三人とともに肉塊ゾンビと戦い、妙な男二人とすれ違い、そして廃墟での一昼夜を経て、三人が隠れ家とする場所に辿り着いた。

 那智さん、オミナさん、スーさんの三人が隠れ家としていたのは、住宅街の一角にある、どこにでもあるような一軒家だった。もっとも、窓は雨戸が閉められ、玄関には警官の屍体が見せしめのように転がってはいた。


「トイレちゃんと流せたー?」

 無数のランタンや懐中電灯が灯るリビングから、オミナさんの能天気な声が聞こえてくる。

 その声の方向にランタンを向ける。すると、いきなり真新しいブラジャーと白い肌が浮かび上がり、コージは思わず目を逸らした。

「家の中だからって油断し過ぎだぞ、オミナさん。子供の目の前でみっともない」

 ヘラヘラ笑うオミナさんの横で軽機関銃ライトマシンガンを分解しながら、那智さんが口を尖らせる。こちらは、血塗れになった迷彩服から、黒のタンクトップと軍用ハーフパンツに着替え済である。

「コージ君。銃の点検をしておけ。道具は私のを使っていいから」

 そう言って、那智さんが弾倉マガジンの外れた国防軍のアサルトライフルを手渡してくる。

 コージは手に取った銃をフローリングの床に置き、見よう見まねで分解しようとしたものの、何もできなかった。

「何だ? 射撃訓練があるなら、フィールドストリッピングも習うはずだろう?」

 恐る恐る窺った那智さんの顔は、怪訝な表情を浮かべていた。

「どうも君は授業をちゃんと受けていない気がするな。まぁ分解清掃なんて退屈だから、私が学生のときも聞いてない奴は多かったが」

 那智さんは軽機関銃ライトマシンガンを手早く組み立て直すと、やれやれといった顔でコージから銃を取り、慣れた手つきで国防軍のアサルトライフルも分解していった。


 その間、コージは少し居心地が悪かった。

 那智さんは美人で強い兵士だが、少し性格がきつい気もした。

 確かに銃は好きで、映画やゲームで得た知識、洛陽2033などのゲームで磨いた腕は実戦でも使えたが、自分はまだ中学二年の年齢である。子供扱いしておきながら、大人同様の知識と技術を求められるのは、少しおかしいと思った。

 そもそも、銃が分解できることを初めて知った。洛陽2033などのゲームでも銃のカスタマイズこそすれ、点検なんてしなくてもずっと使えていたのに、なぜする必要があるのかとすら思った。


 コージが居場所なく座っていると、着替えのため部屋を外していたオミナさんが、真新しいアジダス社のジャージに着替え戻ってきた。微妙に柄は違うが、頑なに魚のロゴを着るその姿に、コージは強い拘りを見た。

 合わせて、ガスコンロの火が灯るキッチンの方から、おいしい匂いが流れ込んでくる。

 やや大きめな男性物の服に着替えたスーさんが、携行食料や戦闘糧食レーションを用意し運んでくる。お盆には、湯気を立てるスープが四人分乗せられている。

「わーい! 台湾ラーメンだ!」

 明らかに麺はないのに、オミナさんが素っ頓狂な声で歓喜する。

「いつもありがとうスーさん。それじゃあ、夕食にしよう」

 那智さんがお礼を言うと、スーさんは小声で「どうも」と言い、恥ずかしそうに頭を下げた。


「スーさんは愛知の台湾料理屋で修行した、本場の料理人なんだよー」

 本当かどうかよくわからないオミナさんの情報とともに、食事が始まる。

 隠れ家で食べた食事は、温かかった。それは今までの十四年間で食べた食事の中で、一番美味しかった。

 色々思うこともあるし、よくわからないことも多い。しかし、コージはこの三人の女性たちが好きだった。何より、この人たちと過ごす終末が楽しかった。

 三人の女性たちと、隠れ家ではじめての夜を迎える。

 そして、この夜の哲学的な体験は、生涯忘れることはないだろう。

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