第十一話 マッドシティ ~血塗れのハーレム~

 ひび割れたアスファルトの上、松戸と書かれた道路標識が、血に浸る。


 何でこんなことをしなければいけないのか──隙間から血を流し、ガタガタと音を立て揺れるリアカーを牽きながら、コージは恨めし気に空を見上げた。

 黒煙を上げる廃墟の空、燃え落ちた街路樹、動かない車、ぽつりぽつりと点在する屍体。何もかもが夢見た黄昏の終焉の風景であるにも関わらず、今日は苛立ちの方が大きかった。

 折角の終末なのに、どうして肉体労働なんてしなければいけないのだ──蓋の被さったリアカーの中で、拘束したにも関わらずバタバタと蠢く肉塊ゾンビに怒りを向けながら、コージは独りごちる。

 今日は、気の合うオミナさんの雑談も、スーさんの沈黙も、周囲を警戒しリアカー牽きを手伝わない那智さんも、気に喰わなかった。時折、地雷原と化した江戸川河川敷の方角から聞こえてくる爆発音と悲鳴さえも、耳障りだった。

 特に、那智さんと妙に馴れ馴れしく接する監視者ウォッチャーには、ことさらムカついていた。

 この何も考えてなさそうなチャラ男は、ただ一人、日常的に個人認証端末スマートフォンを使い、どういうわけか、国防軍や中国軍の動向、米軍の補給物資の投下地点、各地域の武装勢力にまで精通し、知った風な顔で終末を闊歩している。那智さんたちもその情報に頼り切りである。


 ここは文明が崩壊した終末の日本なのに、こんなチートみたいな奴がいるなんて、全くおかしな話である。


「ようこそ。マッドシティへ!」

 しばらく歩いていると、不貞腐れるコージの頭上から、厳めしい筋肉モリモリの男の一声が聞こえてきた。

 そこでは、終末前と変わらぬ人影が蠢く。

 人がすし詰めにされた真っ赤なバス、そのバスが停まるターミナルに並ぶ血塗れの行列。階段の欄干から吊り下げられた人影と、それを重しのように支える肉の塊。破損した看板に埋め込まれた無数の顔と、その下に無造作に転がる首のない屍体。そして、肉塊ゾンビの群れに国防軍の装甲車が突っ込んだ交通事故の現場。

 この終末日本において、一見すれば、ここだけは血塗れながらも活気に満ちていた。

 ただし、存在するのは動けないよう拘束された肉塊ゾンビで、それらは全て若い女性と思しき肉塊ゾンビだった。


 血塗れのハーレムと化した、JR松戸駅と書かれた駅前ロータリーに、リアカーの屍体を転がす。

 すると、歩道橋の上から、線路に向かい重機関銃ヘビーマシンガンを撃っていた筋肉男が、「ありがとう」と頭を上げながら、コージらが連れてきた屍体を嬉しそうに見分し始めた。


 監視者ウォッチャー曰く、この街の屍体の装飾は、筋肉モリモリの男がほぼ独りで始めたことらしい。コージは初めて来たときに理由を聞いたが、「知らない。特に意味はない」と言われた。筋肉モリモリの男には、何をされるかわかったものではないので、もちろん質問していない。

 コージは仲間の二人にも質問してみた。那智さん曰く、屍体を飾るのは周囲の武装勢力に対する威嚇であり、オミナさん曰く、ただの趣味らしい。スーさんは日本語が話せないので訊いていないが、この風景を見るたび怯えているので、少なくとも快く思ってはいなさそうである。


 一方で、那智さんらが女性の屍体をここに運んでくるのには理由がある。

 これは一種の物々交換である。屍体を用意すると、筋肉モリモリの男が弾薬や日用品などを交換してくれる。那智さん、オミナさん、スーさんの三人にとっては、それ以上でもそれ以下でもない、終末を生きるための、日常的生活の一部分なのである。

 しかし、コージにとっては、気に入らない男の悪趣味に付き合わされるだけの労働にしか思えず、つまらなかった。


 物々交換の最中、また独り居場所のないコージは、バスのロータリーをぶらぶらと歩いた。

 街に飾られているのは、やはり女性の肉塊ゾンビばかりだった。服を着ていたり、裸だったり、内臓が飛び出していたり、その恰好は様々である。屍体によって、尻や胸、陰部などが強調された、猥褻物陳列罪で公安が激怒不可避なその光景は、しかしどれも血に染まっており、性的には全く興奮しなかった。

 どの肉塊ゾンビも、目が合うと襲いかかってこようとするが、そこは厳重に拘束されており、ジタバタと蠢くだけである。悪趣味と思う反面、身動きできないそれらを見ている分には、少し面白くもあった。


 ふと、頭上から滴る血を見上げ、コージは足を止めた。

 半壊した電柱に逆さ吊りにされた、血塗れの女の顔が、こちらを見ている。その下には、口から尻を鉄パイプに貫かれ、串刺しにされた裸の少女が、牛丼屋に飾られている。

 その二つを見比べ、そしてコージは戦慄した。

 親の顔より見た顔──その二つの顔は、確かに見覚えがあった。というよりも、本能に刻まれていたと言っても過言ではないだろう。

 吊るされた女は母であり、そして串刺しにされた少女は、小学六年になる妹だった。

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