第四話 灰の世界

 薄暗い灰色の中、影が蠢く。静まり返った病院内に、かすかな足音が響いては消える。


 国防軍の女性兵士、那智さんを先頭に、金属バットを握り締めるスーさん、妙な構えで国防軍アサルトライフルを携行するオミナさんが、一列縦隊となり病院内を進んでいく。

 最後尾のコージは、足音を殺し、必死になってそれに追従した。途中でスリッパを拾って履いたものの、いつ襲われるとも知れぬ崩壊した病棟の中では、やはり心許なかった。手に持つ武器も、折れたビニール傘である。


 先ほどの銃撃戦とは打って変わって、病院内は静寂に包まれていた。時折、肉塊ゾンビと呼ばれる腐った屍体が、血を撒き散らした状態で転がっていたりもするが、動き回るそれは、今は影も形もなかった。


 そのうちの一体を横目に、コージはオミナさんに訊ねた。

「あの、さっき肉塊ゾンビって言ってたこれって、一体何なんですか?」

「さぁ? 動く屍体? 他に何て呼べばいいかわかんないから、肉塊ゾンビって言ってるだけで、誰も何もよくわかってないっすな」

 オミナさんが、どこか間の抜けた声で答える。

「那智さんも知らないんですか? 軍なら何か掴んでるんじゃ……」

「軍も何も把握できてないよ。今の国防軍には、調査できるほどの余力も残っていないだろう」

 周囲に目を配りながら、軽機関銃ライトマシンガンを構える那智さんが静かに答える。国防軍の人ならと何か知っているのではと思ったが、その答えも期待したものではなく、コージは落胆する。

「少なくとも、こいつらは戦争後に現れた。はっきりしてるのはそれだけだよ」

「あの、戦争って?」

「君、中学二年って言ってたっけ? ちゃんと勉強してたのか? 中国以外に、どこと戦争をする?」

 中国、戦争──その単語が、コージの記憶の水底で揺らめく。

「西日本や東北、北海道では今も戦闘が続いているらしいが、首都近郊はもうダメだ。陸軍主力だけでなく、政府機関も米軍も撤退して、残ってるのは私たちみたいな少数の生き残りと、あとは肉塊ゾンビだけだよ」

 ──そうだ。少しずつ思い出してきた。ネットニュースでは、うんざりするほどトップページに記事が掲載されていたし、テレビでも連日報道するのもそれだった。世界的なSNS、〈囁きの森ウィスパーズ〉のトレンドもそれだった。退屈な国防の授業でも、確かに先生は中国との緊張が高まっていると言っていた。


 だが、喧伝されるそれらがあまりにも鬱陶しくて、コージはずっと目を塞いでいた。


 コージたちが話し合う間、ほとんど日本語が通じないスーさんは、終始黙っていた。中国語を話す台湾人ならば何か知ってそうなものだが、敵性言語は情報統制で遮断されていたため、一般人で理解できる者は皆無だった。コージや他の二人も例外ではなく、スーさんが覚えた僅かな日本語を除けば、コミュニケーションの取りようがなかった。


 取り留めのない会話を続けながら、廊下から階段を伝い、やがて四人は屋上に出た。

 病院の屋上には、緑色のパラシュートの布を被ったコンテナが放置されていた。側面にはアメリカの国旗と、『Relief Supplies』という英語が表記されている。

 那智さんがまずコンテナ周りを警戒し、続いてオミナさんとスーさんがコンテナを開けようと近づいていく。

 やれやれと一息つくと、コージは空を見上げた。

 空は、先ほどよりも少しだけ近く見えた。濁った空からは雪のような灰が舞い落ち、それに包まれる廃墟の街は、まるで眠っているかのように静かだった。


 ここが異世界で、自分は転生したのだとしたら、どれだけ良かっただろうか──若い女性三人の背中を見ながら、コージはふと思った。

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