第三話 肉塊と戦う者たち

 廃墟の街を前に、茫然とするコージの背中を、金属バットを持った小柄な女性が急かすように叩いた。

 それに押し出される形で、コージは窓の外の足場に両足を降ろし、壁伝いに体を這わせた。

 生暖かい風が、足元を吹き抜ける。入院着の裾はひらひらと煽られ、思わず下半身に悪寒が走る。

 トイレがあるのは三階、もしくは四階だろうか。少なくとも、飛び降りて無事で済む高さではない。

 コージに続き、小柄な女性、ジャージの女性、そして国防軍の女性兵士が窓辺から身を乗り出す。窓の外の梁は、辛うじて人が壁伝いに進めるスペースはあるが、人が四人もいては、さすがに身動きが取れなかった。


 その間も、唸り声は止まず、そしてそれは確実に近づいていた。

 国防軍の女性兵士は声を潜めるよう人差し指を唇に当てると、軽機関銃ライトマシンガンを背負い、腰のベルトから鋭いピッケルを抜き、手に握る。


 どれほどの時間が空いたのか。やがて空白は終わり、そしてそれが目の前に現れる。


 禿げ散らかった長い髪の毛が、窓辺の風に揺れる。窓枠の縁にかかる手は血塗れで、所々白い繊維のようなものも見える。

 そして、唸り声の主がゆっくりとその表情を現す。

 窓の外を覗き込んできたその顔は、腐っていた。

 ──その瞬間だった。女性兵士は壁に体を預けた状態でピッケルを振り抜き、覗き込んできたその頭を貫くや否や、そのまま肉塊ゾンビを空中に投げ飛ばした。


 腐った肉の塊が宙を舞い、夥しい血が濁った空に刹那の虹を作る。

 すぐにアスファルトと肉の塊がぶつかり、何かが潰れるような生々しい音が鳴った。

 コージは恐る恐る階下を覗いた。枯れ木の街路樹に突っ込んだ廃車の横で、大の字になって血溜まりを作るその屍体は、ピクピクと手足を震わせ蠢いていた。

 コージと同じように、全員が眼下の屍体を確認し、そして安堵した。

 みなが一息つく中、血に濡れたピッケルを手にする国防軍の女性兵士だけは、息を殺して窓の内側を覗き込んでいた。

「オミナさん、何人ぐらい群れを倒せた?」

「あー……、えーっと、五匹くらいは転がしたと思いますけど……。まだいます?」

「ここから目視する限りでは、見当たらない」

「ここから壁伝いに降りれませんかね?」

「ここまで来たんだ。弾はまだあるし、このまま進もう」

 その言葉に、ジャージの女性から嫌そうな声が漏れる。

「計画通り、屋上にある投下物資を確保したら、旧病棟伝いに離脱する」

 気乗りしなそうな二人の女性を差し置き、国防軍の女性兵士は窓の縁に足を掛けると、そのままトイレの室内に戻っていった。


 国防軍の女性兵士に続いて、コージら三人もトイレの室内に戻る。

 トイレの室内はボロボロではあるものの、不安定な足場からしっかりとした床に足が着くと、思わず安堵の溜息が漏れた。


 軽機関銃ライトマシンガンを構える国防軍の女性兵士がトイレの外を窺う間、ジャージの女性はどこか落ち着かない様子でコージを見ていた。

 それがしばらく続いたあと、ジャージの女性は意を決したような表情でコージに向き合った。

「あのー……、えっと……、ボク? 名前は?」

 覚悟の表情とは裏腹に、その声は上擦っていた。

「あの、宮田浩治です……。その、助けてくれてありがとうございました……」

 コージは反射的にお辞儀したが、ジャージの女性はすぐに視線を逸らしてしまった。コージもあまり人当たりが良い方ではないが、この人の人見知りの激しさに比べれば、かなりマシに思えた。

「まぁ、これも何かの縁ってことで……。よろしくね、コージくん」

 挨拶のあとも、交わされる視線はお互いにどぎまぎしていて、何だか気まずかった。

「うちのことはオミナって呼んで。まぁ本名じゃなくて、〈囁きの森ウィスパーズ〉のアカウント名なんだけどね……。で、あっちの厳つい国防軍の人は、那智友恵さん。こっちのコージ君と同じくらいの背の女の子は、スーさん。台湾から来たんだって」

 オミナさんの自己紹介のあと、スーさんと呼ばれた小柄な女性がいそいそとお辞儀し、続いて国防軍兵士の那智さんが、後ろ手で手を振って挨拶に応えた。

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