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「加世子、これ持って行って」


火曜日は週の内、いちばん授業を多く取っている曜日なので、わたしなりに気合いを入れないといけない。そんな日の朝にママがお手製のサンドイッチを持たせてくれた。


お昼休みに開けてみると、メッセージカードが添えられているのを見つける。


「何それ?」


食べる前に小さな紙を凝視するわたしに聡子が聞いてくる。


「こんな感じ」


小文に目を通し終えて聡子にそのカードを差し出すと、食事しながら横目でそれを見つめ、箸を置いて受け取った。


 “気持ちが整ってきたらまた話を聞かせてね”

 “今日は授業が長いけど、頑張って☺”


内容はこうだった。


「良いママだねー」


目を通すとそのまま向かい側に座る美樹へと回す。


「仲良しだね」


学校にいる間にママとやり取りをするような時は二人に言ったりしているので、関係性は良好だとわかっていたようだけれど、今日の件でその事をより知らしめさせられたらしい。



  ママ、ありがと……


 

戻ってきたメッセージカードを大切にしまい、お手拭きで手をきれいにして、細く切られたキャベツがこぼれ落ちないようそっと拾い上げ、頬ばる。


“気持ちが整ってきたら” とあったので、そこに関して二人に触れられ、これまでの経緯いきさつを説明をし、お昼休憩を終えた。




 

授業を終えるとどこにも立ち寄らず20時前には家に帰り、食事をとる。


「サンドイッチありがとう。美味しかった」


もちろん、メッセージカードのお礼も言うとママは少し照れ臭そうな仕草を見せ、キッチンとテーブルを行き来している。


パパが帰宅して少しすると、わたしは部屋へ上がり、明日のレッスンに備えてバイオリンを触る。これまでは何かあると集中出来なくなることが多かった中、ここ最近は色々あったけれど、自分でも意外な程にほぼ毎日短時間ではあるものの、打ち込んで練習をしていた。


 

松脂まつやにを弓毛に塗っていると、随分と前に、新品の物を取り出した時、鼈甲べっこう色のヤニを見た裕泰くんが、 「美味しそう」 と笑って話していた事や、初めてピッツィカートをして見せた時は、「凄い!」と気に入ってくれて、何回かお願いをされて披露というほどではないけれど、楽しんでもらった想い出が昨日の事のように浮かんでくる。



  良いんだよね……これで……



最後にもう一度短めに演奏をして、粉の様子と弾き具合を確かめ、少しゆっくりする。


美樹や聡子とやり取りをしていると、サモサからパパが帰って来て、お風呂に入ったのがわかった。それからわたしは下井くんにメールを送ってみる。


 『お仕事 がんばってね』


タイミングに恵まれたのか、1分も経たない内に『ありがとう』と返信がきたので、少しホッとして、暫くの間、机に上半身だけ寝そべるようにしなから、やり取りをした画面をただじっと見つめていた。




 

20150626(金)  ☁→☔ 27は☔→☁

 


今週は長かった……。


やっと週末、金曜日がきた。日曜日に下井くんに会えるのが楽しみで、今までに経験の無いくらい、日が経つのが遅く感じられる。


有陽ちゃんと一緒に入れるのは、あの月曜日以来で、こちらも中3日は、短いようで待ち遠しかった。


自分が余計な事をしていなかったか心配で、有陽は下井に加世子が大変そうだとメールを送ってしまった事を告げる。


「有陽ちゃんが言ってくれてたんだね……」


「突然連絡がきて、おかしいなって思ったけど、気付かなかった。余計な事なんかじゃ全然無かったよ。むしろお礼を言わないと……」


加世子は有陽が気を回してくれたことが本当に嬉しかった。そのおかげで明後日に下井と会えるようになったのは間違いないと確信をしている。




 

前日の土曜日、アルバイトは無く、昨日の夜からの雨が止んでいないので家の中で過ごす。

お昼前には雨は上がり、待ってましたと言わんばかりに早速パパがサモサの散歩へと出て行く。


小一時間程は恐らく戻って来ないので、この間に、ママに話す時間を割いてもらった。


「ママ、あのね、この前他に好きな人が出来たって話したでしょ? ……それって、下井くんなの」


「あ……」と言った後、2、3度頷いて、


「そうなの……」


と返事があった。


満面の笑みには程遠いけれど、優しく微笑んで、理解してくれたようには感じる。


考え方がしっかりしていて、わたしの事を気にかけてくれたり心配してくれたり、さりげない優しさをもらっている事や、わたしが思う下井くんの良い所を聞いてもらった。


「加世子……」


わたしの名前を小さく呼んで、少し躊躇いためらいを見せた後、


「もう言わない……この質問はこれっきりにするけど……」


「ママは裕泰くんだって、とてもしっかりしていて、加世子の事を大切に考えてくれていたと信じているというか……そう思っているんだけど、…………やっぱり、裕泰くんじゃダメなのかな……」


ずっとわたしの目を見て訴えかけるように話した。


後になって思えば、ママは同級生で親友だった裕泰くんのママの御生前に、わたし達の将来を語り合った事もきっとあったのだろうと想像がつくので、ママが重ねてきた想いというものが、抑えられない気持ちも痛いほどわかる。


「ママは……ママはやっぱり、わたしと裕泰くんがずっと付き合っていくのが良い?」


何度か瞬きまばたきをして、下を向く。


現実に、ママがこんな切なそうな表情をわたしの前で見せたような記憶は無い。


  

  ママを悲しませるのは本当に嫌……


  悲しませるくらいなら一層の事、もう一

  度裕泰くんと……



ママの何とも言えない複雑そうな面持ちを目の前にすると、真剣にそんな思いが立ち込めて来て、それを言い出そうとした時、先にママが口火を切った。


「ママは……ママが一番に願うのは、加世子に幸せでいてほしいって事なの。パパやママの為に本当の気持ちを隠してしまうような真似だけはさせたくない」

「加世子が選んだ人が…………たとえ裕泰くんじゃなくても、ママは加世子のことを応援したいと思ってる」


 

泣いてしまった。


もうすぐ二十歳はたちにもなろうとする娘が、ママの胸の中でわんわん泣いている。背中をさすられて落ち着いてくるなんて、小さな子供のようで情けないけれど、わたしはこれで良い。他の人にどう思われようと、これが誤魔化しのきかないわたしだ。



パパがくつろぐ同じリビングの隅で、会えるのを明日に控え、下井くんにメールを送る。


 『お店の前まで迎えに来て欲しいんだけど……』


無いとは思うけれど、もし裕泰くんがお店の前で待っていたりしたら、どうして良いかわからなくなるのでそんな風にお願いをした。それと、下井くんもせっかくのお休みくらいは車の運転から離れてもらいたいし、前のようにお知り合いから車を借りるという面倒も掛けたくなかったので、電車で着て欲しい旨も伝える。




             


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