下井の顔が見たい 


帰り際に見た小山田さんの表情が頭にこびりついていて、消し去りたいと念じても叶わず、夢にまで出て来てうなされて目が覚める。


そうなると夜中、目が冴えてしまって、色々な考えがグルグルとわたしの周りでうごめき出す。



  小山田さん、本気っぽかった……


  実際のところ、わたしはあんな風に思え

  るかな……  二の足を踏んでしまうよ

  ね……多分


  裕泰くんは、どう思ったんだろう……


  心配をしてくれている美樹は、本音では

  もうこのゴタゴタに関わりたくないか

  な……



ここ数日は毎晩のように同じ事を何度も考えて、そして眠りにつく。来週からは本格的に新学期が始まるのに大丈夫かなと自分でも気が重くなる。

さらに金曜日には裕泰くんの誕生日が控えていて、どんな顔をして会えば良いのか平常心を保てるか……など、普通で良いんだけれど、今のわたしにはそれが一番難しい。




月曜日は日中の気温が23℃近くまで上がり、上着が要らないような陽気だったのに、昨日、今日と急激に気温が下がってきて、水曜の朝には4月なのに雪が散らつく程に冷えていた。


天気予報で前もって聞いていたので、火曜の夕方からは、サモサを家の中に避難させてある。アルバイトはお休みだったので、パパが居ない間、多くの時間をサモサと過ごす。わたしがこんな心境の時、本当にサモサは癒しになってくれて、毛並みに顔をうずめて抱っこしたり手を撫でたりと、幸せな時間を全うする。


その日の夜、寝る前の軽いストレッチを終える頃にメッセージが届く。下井くんからだった。


 『この間 親父に謝りに来たんだって?』



  あの事か……



“この間” と言っても、もう2週間くらい前の事で、その間に何回か加世子にメールを入れようとはしていたが、戸惑っては止めていた。


届いて暫くしてから、返信するのではなく直接電話を鳴らす。


「寺田さんが自分のせいだって言ってたって親父は話してたけど、どういう意味?」


「…………理由は言えない」


「……そっか」


「……どうなの、あれからうまくいってるの?」


裕泰くんとの仲を心配してくれている。思い起こせば、下井くんとは有陽ちゃんとごはんに連れていって貰った帰りの、突如裕泰くんが迎えに来たあの夜以来、直後に1度だけメールを送っただけで、話はしていなかった。


「…………」


うまくいっていないわけではないのだけれど、今の心持ちを言葉には出来ず黙りこむ。


「……色々あるんだな……。元気出せよ」


「…………」


優しい言葉をもらうと心に染み入ってきて、思わず泣いてしまいそうになり、会話の途中で電話を切ってしまう。





布団の上にスマホを置いて、両手で顔を覆っていると、すぐさま折り返しのコールが鳴った。バイブレーションの振動と手でうまく掴めなかったのとで床に落としてしまい、今度はその拍子に電話が切れてしまっていた。


良識的にはわたしの方から、再度折り返さないといけないとわかってはいても、今日のわたしは拾い上げたスマホをじっと見てから布団の中へ取り込んで、そのまま何もせず横になる。


その後はもう向こうから掛かっては来ず、もし鳴ったらどうしようと思っていたので、ちょっとだけ安堵しながら潜り込んでじっとする。


時計の表示は1時半近くになり、そろそろ眠れるかなと、布団から目までを出して天井を向いていた時、スマホが震え出す。左手で探って顔元まで持ってくると、着信は下井くんからだった。


「うわっ」


反射的にベッドの上で上体を起こして応答する。


「……もしもし」


「まだ起きてた?」


「起きてた。……さっきはごめんね、電話切ってしまって……」


「そうだよ。その後すぐかけ直しても出てくれないし」


「……ほんと、ごめん」


「今、外見れる?っていうか、部屋どこ?」


少し笑いながらわたしにそう言ってくる。


「え?見れるよ。どうして?」


スマホを耳に当てながら窓際まで来てカーテンをめくり辺りを見回すと、格子状のデザインの出窓の一枠から家のすぐそばに軽トラが止まっていて、その車の外には誰かが立って手を振っている姿が確認出来た。


「見えた?」


「えっ?……えぇっ?! 下井くん?」


「電話切るし出ないし何かあったのかなって思って」


「元気ならそれで良いよ」


「ちょっと待ってて、すぐ下りるから」


「止めといた方が良いんじゃない? 家の人に見つかるとマズいでしょ?」


「……まぁ……」


「じゃあな。早く寝ろよ……って俺が邪魔してんだけど」


話しながら下井くんは車の中に乗り込んでいて、わたしが窓を開け終わった頃には既に走り去っていた。頬に当たる空気の冷たさがまともには感じないような、何となく宙に浮いているような不思議な感覚で、その夜はどうやって窓を閉めてベッドに戻って眠りについたか、という記憶が全く無くなっていた。





2日後の金曜日、裕泰くんのお誕生日。ここ数年はわたしにとって、パパとママとサモサの誕生日の次に大切な日になっている。この事をわたしが高校2年生になったばかりの、付き合い出してからは初めての春に話した時には、「犬より下なのはちょっと複雑」って笑って言われたのをよく覚えていて、正直、そのラインは今は明白でないのは確かだと言えるのかも知れない。


迎えに来ると言ってくれたけれど、予備試験を来月に控えている裕泰くんの勉強の邪魔を極力したくなくて代沢付近のお店を予約したので、授業初日、仮だけれど3コマ連続で取った授業の後、一旦家に帰り、バスで三軒茶屋まで行ってそこからは歩いて待ち合わせ場所のお店の前まで向かう。


去年のお誕生日には、クリスマスに貰っていたバッグを持って行ったので、今年も同じようにしたかったところを、やっぱり “小山田さんが選んだかも知れない” ブレスレットは、正直、目にするのも避けたいくらいなので触らずに置いてきた。


5分くらいわたしの方が先に着いて、外観からは学生には少し敷居が高いような雰囲気の入口に一緒に足を踏み入れて、カウンターの席に着く。


店内は特徴のあるデザインの椅子や壁に木があしらわれているせいか、思いの外温かくて柔らかい印象を受けてひと安心した。オープン後すぐに入ったので、先客は無く、店内を自由に見渡せたり、他の人の視線を感じなくて済んだのも好都合だった。


フレンチっぽいけどイタリアンも扱われていたりしてメニュー選びが楽しい。ワインが豊富に用意されている中で裕泰くんは今日はグラス一杯だけに留めている。前菜やメインを美味しく頂いて少しまったりしてきた頃に誕生日プレゼントを手渡し、締めにオーダーしていたデザートのアップルパイを食べて、長居しない内にお店を出る。





裕泰くんの家に着くと、まずはおばさまにも21才おめでとうの挨拶をして、部屋へ上がる。緩めに暖房を付けたままにしてあったので、入った瞬間暖かい。机の上には、あの写真が飾られていて、そう言えば前に裕泰くんの椅子に座らせてもらった時は無かったんじゃないかなと考えたりしていた。


「開けていい?」


紙袋を肩辺りまで持ち上げて尋ねている。目の前でプレゼントを開けられる瞬間は誰の時も少しの恥ずかしさが芽生える。


「良いじゃん」


「そう?良かった」


クリーム色に白の文字が入ったしっかりした生地のトレーナーっぽいパーカを選んだ。


「Sサイズがあったら同じのを買いたかったんだけど売り切れてたんだよね……」


「ネイビーと迷ったんだけど、春っぽいし、持って無さそうな色だったからこっちにしたの」


「そっか、ありがと。新学期の初日はこれ着てこうかな」


部屋に鏡を置いていない所が、わたしの思う男らしい感じがして、裕泰くんの好きな所のひとつでもある。


「お誕生日おめでとう」


ベッドに腰掛ける裕泰くんの隣に座って、胸元に顔を埋め、両手を背中に回して改めてそう呟く。小山田さんと会って以来、顔を合わせていなかった事もあり、安心感を求めて少し甘えてしまった。


「ありがとう。……来年も、その先も、ずっとこうしてられるかな」


裕泰くんを包み込んでいる両手をぎゅっとする。


「取りあえず俺は勉強頑張らないとな」


今度は裕泰くんがわたしに押さえられていた手をさっと引き抜いて、逆にわたしを包み込む。何分かそのままの状態でいた後、髪を撫でて名前を呼ばれると、そこでようやく裕泰くんと見つめ合ってキスをする。そしていつしかベッドに横たわり、その手がスカートの中の太ももに触れた時、何故か急に、頭の中全体に下井くんの顔がぱっと浮かび上がった。



「あ、そうだ、今日ダメな日だった……」


咄嗟にそんな事を口走って身体を起こそうとしてみても、


「構わないけど……」

 

と言う裕泰くんの動きは止まらなかった。


それでも思い切って強めに上体を横にずらしながら起きて立ち上がり、不意なわたしの行動を呆然と眺める裕泰くんに、


「パパにも早く帰るように言われてたんだった……。今日は、帰るね」


と、あたふたしたように告げると鞄とコートを手に取り、玄関ではブーツのファスナーを完全に上げ切らないで、まるで逃げるように裕泰くんの家を飛び出していた。



  裕泰くんのことは大好きなのに、なんで

  だろう……


  どうして出てきてしまったんだろう……


  嘘までついて……



片手にコートを抱え、斜め掛け用の小さなバッグもチェーン部分をぐちゃぐちゃにしたまま手のひらに収め、下を向いてひたすら歩き進んでいた。勉強の邪魔にならないように、会うのは時々にして帰宅は早めにと春休みに入ってから言われているのは事実ではあるけれど、何となく後ろめたい気持ちでとにかく足を進めた。




北沢川緑道に差しかかると中の道へ入って行き、暗くなったこの時間には遊具で遊ぶ子供の姿も無く、すれ違う人すら殆ど無い小道を速度を落としてぼちぼちと歩く。街灯のあかりでベンチの上には桜の花びら2枚がぼんやりと落ちているのが目に入り、それらをコートを持つ反対側の手に取って、ゆっくりと腰掛けた。


見上げる木々にはもう桜の花は残っていない。先週にうちの近くで裕泰くんと見た桜の印象とはまるで正反対で、人々を魅了して止まなかった満開の花々が、こんな短期間のうちに舞い散って、笑顔を落胆の顔に変えてしまう自然の果敢はかさを目の当たりにする。何事に左右されずとも移ろう季節には、時に安定感を与えられ、時に容赦のない冷淡さを知らしめられる事さえある。


  

  元気出せよ



背筋は伸ばしたまま枝越しに空を見上げていると、下井くんの顔と言葉が思い起こされる。



  顔が見たい……



数時間前、レストランで裕泰くんに消しても良いか確認をしてOKをもらった追跡アプリを、自分でも意外なくらい冷静にアンインストールして、駅へと急いだ。



  まだ間に合うかな……?



身体は繁華街の外れへと向かって動き出す。


 

  確かこの辺りで合ってると思うけど……



金曜日の夜は普段に増して人が多くて、何回も来たことがあるわけではないけれど、街の感じも少し違って見えて、不安になってくる。初めは建物の影から伺っていたのを、段々と道の真ん中に立ってキョロキョロと探し始めていた。


そうしている内に背後から肩をたたかれる。振り返ると知らない男の人が話しかけてきた。


「可愛い! 何してるの?ひとり?待ち合わせ? すぐそこのカフェでちょっと何か飲まない?ごはん行っても良いけど」


両手をポケットに入れたまま、必要以上に近距離から早口で捲し立てられる。


「いえ、いいです……」


その場から離れようとしたけれど、何だかんだ一方的に話しながら道を塞ごうとしてくるその人に、


「本当に、すみません」


と言った後、それまでのガツガツした感じが嘘のように急に静かになったかと思うと、


「何だ、そういう事ね」


とわたしの後ろをチラッと見て、後ろ歩きをしながら両手でわたしの方を指差し、軽い感じで去って行った。良く理解出来ずに、何となく今の人が見ていた左後ろを振り向くと、そこには下井くんが立っていた。


「そんな短いスカート履いてるからだぞ」


「えっ、あ、これ……」


意味無くスカートをさする。


「何かの帰り?」


「えっと……ちょっと近くまで来て……そう、帰るところ」


必死で動揺を隠しながら答える。





立ち話をしているわたし達の向こうで、下井くんパパが大きな声を出しているのが耳に入ってきた。


「優斗、駅まで送ってやれ」


若干離れた所にいる下井くんパパに頭を下げる。


「そこまで送るよ」


有り難いけれど、甘えていられないのですぐに歩き出そうとしたのを止められる。


「いい、いいよ、大丈夫だから」


「またさっきみたいなのに声かけられたら、ちゃんと断れる?」


「それは……」


嘘でも「大丈夫」と言えば良いのに、やっぱりどこか一人では怖いという思いがあって、上手に答えられないでいると、実際には時間に余裕の無い下井くんは「行こっ」と言わんばかりに身体を駅方面に向けている。


「おとといはありがとね。すごく驚いた」


「そうか?」


「すごく寒い日だったけど、風邪引かなかった?」


「風邪なんてここ何年か引いた覚えが無いわ。ほら……天才は風邪引かない、とか言うだろ?」


 “下井くんジョーク” に笑顔になって、通りのお店の前で固まっている団体を避けたりしながら、来なくて良いのに駅への入口が、もうすぐそこまで近寄っていた。


「じゃあ」


階段の入口で下井くんを見送ろうとすると、

わたしの背後の階段を顎で指すように一度顔を動かして、目で合図を送ってきたので、それに従い背中を向けて数段降りる。気になって、その数段を上がって通りを見ると、小さくなっていく後ろ姿がかろうじて見え、完全に視界から消えるまでじっと見つめていた。







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