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「成績表ってそろそろ出るのかなぁ? 保護者向けに届くのも嫌だなぁ」


うちの大学の規定では、 “特段の理由” を申請しない限り家に送付されてくる事になっている。わたしの場合は学費を100パーセント親が払ってくれているので、勉強をさせてもらっているという気持ちは一応は持っているため納得はしているけれど、少なからずバイト代から学費を工面している有陽ちゃんがそう言いたくなる心情もわかる気がする。


「前期の時みたいに、わたしが先に見つけてしまっておいたら、気付かれずに何も言われなかったのと同じ流れになればいいけど」


“ちょっと悪い有陽ちゃん” が顔を出した。


「来週くらいかな、届くの。だけどそんな心配する程の成績じゃないんじゃないの?有陽ちゃんなら」


昨日までカウンターに出していたひな祭り向け商品のフライヤーを店長が来た時わかるように端に置き、閉店の準備に取りかかる。


「そう言えば最近下井商店さん、見ないよね」


今月に入って、最後までいるのは2回目だけれど、外を覗いて見ると今日も別の業者の方が来られていた。有陽ちゃんは3日連続で閉店までいるらしいけれど、全日見ていないらしい。


 『メール送ってみたら既読にはなったけど返事は無しです』


寝る前に有陽ちゃんからそう連絡があり、ひとまずは元気にしているのなら良いかなと軽く返事だけをして、わたしはどちらかというと最近の裕泰くんの、何と表現すれば良いか、熱の込もっていないメールが引っ掛かっていて、今夜もお休みメールだけをし合うだけに終わり、眠りにつく。





翌日は聡子と会う約束をしていた。SNSで聡子が気になったお店が自由が丘駅近くにも構えられているというわけで、一緒に行くことになった。


襟元から前のボタンまでが肌触りの良さそうなボリュームの有るデザインになった、ピンク色のコートを来て現れた彼女はいつもに増してお嬢様感に溢れていて、手元のお洒落ブランドバッグがさらにそれに輪をかけている。


「髪も綺麗に巻けてるじゃん」


いかにも近所から出て来た風なわたしとは違う雰囲気の聡子だけれど、その元気一杯さが変わらない様子は、見ると安心感すら与えられている。


「試験後に美樹と3人で会ってからだから、1か月振りくらいだね」


ランチセットのピザとパスタをオーダーし、シェアしようと決める。ここはパパやママ、裕泰くんとも何回か来たことがあって、ほんの少し料金をプラスするだけで、パスタを大盛りにしてもらえるため、高校生の時、野球部だった裕泰くんがそうしていたのを覚えている。


「ガラス張りの店内、雰囲気良いね。寒くなければテラス席がいいな」


テーブルにスマホを置いてコートを畳みながら嬉しそうに聡子が話し、早速、わたしに最近行った場所やお店の写真を見せてくれた。


「いっぱい撮ってるね」


わたしはこういうのは苦手なので投稿はしたことがないけれど、聡子は小まめに上げていて、みんなに見てもらえるのも楽しいらしい。


「若い内よ、若い内」


おばあちゃんにでも言われたのだろうか、そんな台詞を吐きながら、わたしに感想を聞いてくる。遊びに行った時のものでは明るい時間帯の写真が多く、あとは友達とのショッピングや映えるスイーツの写真とか、割りと健全に遊んでいる感じが見て取れる。


数多い写真が並ぶ中、また上の方までスクロールして戻っていくと、街灯の灯りが目に付く写真が何枚かあり、その中の1枚が気になってズームしてみると、笑顔の聡子ともう一人のお友達が写る背後に下井商店のものらしい車と、下井くんパパが写り込んでいるのが見えた。それはごく最近、19時前に撮影されたものだった。


「聡子、これどこ?」


サラダを運んできた店員さんに撮影OKかを確認している聡子へ、ガツガツ感を抑えきれずに聞いていた。    


それからデザートも食べ終わり少しまったりした頃、久しぶりに裕泰くんの方からメールが入る。


 『会いたい』


基本的にはテイクアウトに対応されていないお店だけれど、今日はお店のご好意でピザを1枚用意して頂けて、それを大切に両手で抱え、私たちは店を後にした。





こちらから家に向かう事を伝えて裕泰くんの元へと向かう。ママには途中で連絡を済ませた。


「ちょっとだけ、久しぶりだね」


「入って」


ピザは夜に食べると言うので、裕泰くんに手を引かれて2階へと上がる。部屋へ足を踏み入れると今まで勉強をしていたと思われる机の上には参考書とノート、隅にはパソコンが置かれているのが視角に入る。 


「ここ、座っても良い?」


裕泰くんが勉強に使っている椅子に腰掛け、前を眺めると、 “憲法・民法・刑法” と大きな文字で書かれた3冊がまず目に飛び込んで来て、他にも民事や刑事の訴訟問題の本、もちろん六法全書も存在感有り有りに並べられている。


「裕泰くん、本当すごいね。当たり前なんだろうけど、毎日こういうのに目を通してるんだもんね」


「尊敬しちゃう」


そう言い終わるか終わらないくらいの、裕泰くんの方へ振り返ろうとした時、後ろから強く抱き締められた。


「…………俺のこと、好き?」


今まで言われたことの無い、初めてのその言葉に少し動揺をしてしまって、すぐに答えを返せない。


「えっ、…………どうしたの?」


照れ笑いをしながら右肩の方へ向いた時には、裕泰くんの腕はもう離れていて、ベッドに腰かけようとしていた。


裕泰くんのすぐ近くで床に座り、どうしてそんな事を聞くのか尋ねてみると、「何もない、別に」と微笑むように言ってくれたので、そこでわたしも普段通りに戻ったように、ようやく「大好きだよ」とわたしなりの満面の笑顔で返した。


今月から裕泰くんはダブルスクールの受講を始めている。3年生間近で始めるのは遅い方らしいけれど、裕泰くんはおばさまが亡くなった後、勉強どころか試験さえにも上手く取り組めなくなって、現役合格には縁が無かったものの、その後は徐々に集中力を取り戻していき、浪人生活中に、司法試験の為の勉強を開始するというすごい事をして、その本来の優秀さを見せつけていた。大学はもちろん第1志望校に簡単に入学を決め、その時には他の学生よりかは法律に関する知識や勉強のノウハウを沢山得ていたので、このスタートは裕泰くんにとってはきっと遅くはなく、入学時点での計画としても、1、2年生の内は単位を多く取る事と、自主的に勉強を重ねていくという風に決めていて、他で勉強をするのは興味有る授業と必修の科目程度に履修を抑えた3年時からと明確なビジョンを打ち出していたのを、とても良く覚えている。聞かされていた時はわたしは今より増して、ぼーっと高校生生活を過ごしていた頃だったので、どれだけの目標設定だったかというのを全て理解が出来ていなかったように思えるけれど、その気迫というか重みが今になって、裕泰くんの秘めた意識レベルの高さや男気のようなものも合わせて、改めて圧倒されるように感じている。


この時は、先の質問に対して、そんな裕泰くんにも疲れることがあって、弱気になっているのかなくらいにしか考えていなかった。




その日の帰りは、一人で帰ると断りを入れたものの、裕泰くんは家まで送ってくれる。ガレージに降りて車へ乗り込んだ時、咄嗟に裕泰くんが何かエンジ色っぽい光沢の有る包み紙を座席の下に隠すような動きをしたのがわかった。


「今何か隠さなかった?」


「処分しようと思ってた物だよ。忘れて置いたままだった」 


何も無かったかのように車庫から車を出し、走り出す。信号待ちで裕泰くんの横顔を見つめた後、何気にバックミラーに目をやると、猫の飾りに何か小さく光るものが付いているのが確認出来た。何だろうと思って顔を近づけてみると、見覚えのある、着色されたクリスタルっぽい石が小さく揺れている。手を伸ばすと、ピアスが差し込むように引っ掛けられていたのだった。


「何これ?」


走行中だったのであまりじっくりとは見られない裕泰くんに、横からそのピアスをぶらぶらさせて注意を引く。


ちらっと目を向けた裕泰くんは二度見するように確認をすると、


「何だろうな、わかんないわ」


と答えた。


「最近女の人、乗せた?」


「…………」


すぐに何の返答もよこさないのには怪しさが募る。運転席から見えにくい所に付けてあったのが、故意犯的で、単なるイタズラであるのなら良いけれど、深読みをすると、わたしに何かアピールをしているような感覚にもなってしまう。


「あれかな、友達何人かを乗せた時だよ、たぶん。酔ってた子もいたからな」


「ふーん……。それじゃあ片方だけだと困るから返してあげないとね」


そう言って運転席の前にポンと置くと、「うん」と前を向いたまま呟き、そのまま家まで辿り着いた。


裕泰くんの車を見送ると、部屋に上がったわたしはさっきから気になっていたものを引き出しの中から取り出す。 “刺さっていた” ピアスの石と裕泰くんからクリスマスプレゼントに貰ったブレスレットに幾つか付いている石が、色も形状もうりふたつのように思えた。



  流行りものの、人気デザインだったのか

  な……。



そう自分を納得させて、ブレスレットを大事に元の置場所へ戻す。


一方で家に戻った裕泰は、忘れない内にと目の前に置かれた、間違いなく晶の物であるピアスとさっき隠した包み紙を持って車を降りる。そのまま処分しかけたが、何か仕掛けられていたら嫌だと思い、包み紙の中を確認すると、浅めのしっかりした箱にハート型の手作りチョコレートがひとつ入れられていただけだった。表面には、 “My heart will always be with you” との文字が書いてあったが、ピアスをあんな風に車内に残して行った晶に対する腹立たしさで一杯で、そのメッセージに対して何の感情も抱かず、ピアスと共に、躊躇無くキッチンのまだ何も入っていないゴミ箱の底に沈めた。




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