… 29


夕食をとった後、リビングでくつろぎながら聡子が上げた写真を自分のスマホに取り込み、拡大したりして眺めていた。



  どう見てもそうだよね……



この事を有陽ちゃんにメールで伝えると、仕事を終えた頃に返信が届く。


  『本当だ 似てる』


しばしやり取りをしていると、有陽ちゃんは明日アルバイトはお休みだけれど、17時上がりのわたしに合わせて出てくると送ってきて、一緒にその場所へ行ってみようと予定を組んだ。


その頃下井は、あまり自分が関わっていない方が、加世子にとって良いのではないかと考え始めていた時期で、これを機会に疎遠になっても仕方がないと、有陽からのメールに返事をしないままでいた。





翌日、決行の日。その場所には撮影がされた時間より少し早めに行って、実際に来るかどうかも未確定な二人を人通りが少なくない道で、キョロキョロしながら辺りを見回していた。


「探偵になった気分」


コートのポケットに両手を入れ、首をすぼめて身体を左右に揺らしながら有陽ちゃんがそんな風に言う。


「本当だね。だけど、動きがわかりやす過ぎて商売にはならなそうだね」


30分近くはその場に居ただろうか、通りの奥に1台の白いトラックが止まったのを二人が見つける。


「絶対そうだ」


20メートル以上は離れている距離でも、車から降りてきた二人のシルエットや動きを見るとすぐに間違いが無いと確信をし、お互いの顔を見合わせながら少しずつ近くへ寄っていく。


「下井くん……」


まずは遠慮がちに有陽ちゃんが声を掛ける。

私たちに全く気付く様子の無かった下井くんはとても驚いた表情を見せ、一瞬段ボールを動かす手を止めた。


「えっ、どうしたの?」


「来るんじゃないかと思って待ってたの」


止めていた手をすぐさま動かし出し、素早い動きに一呼吸を置いた時にわたし達の方へ2、3歩歩み寄る。と同時にその片足を少し引きずりながら歩いているのが見て取れた。


「足、どうしたの?」


二人が揃って質問すると、酔っ払いの人と接触をして足を少しくじいてしまったと説明を受ける。長め丈のコートを折り畳んで下井くんの足元にしゃがみ、捻挫したらしき足を「あぁあ……」と言いながら凝視していると、背後から裕泰くんの声が聞こえてきた。


「加世子、何してるの、こんな所で」


まさかと思ってもやっぱりそうで、両手拳を握りしめ、仁王立ちするような格好で裕泰くんがこちらを見下ろしている。さっと振り向きながら立ち上がりはしたけれど、何と言って良いものか、思わず言葉に迷う。


「……何って、バイトの帰りにちょっと寄っただけ。ね、有陽ちゃん」


思わず助けを求めるようにして、有陽ちゃんにすがりつく。


「帰り道じゃないじゃん」


「わたしが誘ってしまって……ごめんなさ……」


「加世子、1月31日、どこで何してた?」


有陽ちゃんが最後まで言い終わる前に、裕泰くんはわたしに詰め寄って問いただした。


「1月31日……? えーっと……」


もうひと月以上も前の事だし、何があったっけ、と必死に思い出そうとすると、1月最後の土曜日の、下井くんと二人で外出をした日の事が甦ってきた。


「答えて」


うつ向いてうろたえていると、下井くんが口を開いた。


「責める相手、間違ってるんじゃないか? 俺と居たのをわかって聞いてんだろ?」


この発言で裕泰くんの闘争心なのか何なのかに火が点いてしまって、下井くんの胸ぐらを勢い良く掴み出す。


「格好つけてんじゃねーぞ」


迫られても下井くんはやけに冷静で、睨み合っている途中で、


「離せ」


と、ひと言静かに裕泰くんの目をじっと見て言い放つ。


裕泰くんが突き放すようにして手を離すと、下井くんは少し後ろによろめいてしまい、さっきまで後退りして若干の距離を保っていたわたしは、瞬発的に下井くんを支えようと駆け寄っていた。


「下井くん、怪我してるから……」


裕泰くんを悲しい目で見て言ってしまう。


「……そいつのこと、かばうのかよ」


わたし以上に悲愴な面持ちでそう言うと、雑踏の中へ向かってその場から立ち去って行く。


下井くんのすぐ側でその後ろ姿を目で追っていると、


「行った方が良いんじゃないの?」


と背中を押され、有陽ちゃんにも「ごめん」と言い残して走って裕泰くんを追いかけた。





「裕泰くん、待って。ちゃんと話、しよっ」


腕を掴もうとするけれど、力強く歩き進める身体をそう簡単には止められない。


「ねぇ、裕泰くん」


小走りにならないと着いていけないわたしが必死に静止させようと斜め後ろから話し掛けていると、急に裕泰くんは立ち止まり、ぶつかりそうになった。


「なんで、こそこそ会ったりするの?」


「こそこそって……」


私自身も、信じてもらえていない事に、多少の苛立ちが混じった情けなさと悔しい思いが感情として生まれ始める。


「もしかして追跡アプリ入ってるの知ってて、わざと携帯置いていったの?」


何年も一緒にいる裕泰くんは、わたしが上手に嘘をつけない事をよくわかっているし、焦った様子も見逃すことなど絶対に無い。そんな事は百も承知なのに、上手く目を合わせられない内に、裕泰くんの姿は人混みにまみれ、見えなくなっていた。





 『裕泰くん ごめん』


 『追跡アプリの事は気付いてました』


 『あの日は置いていってしまったけど やましい事は何もないからずっとそのままにしてあるの』


 『電話しても良い?』『返事が欲しいです』


帰り道でも家に着いてからも、メールを送り続けたけれど、その内既読にすらならなくなって、もちろん向こうからは何の連絡も入らなかった。心配をしてくれる有陽ちゃんには、あの後の事を説明して、急に帰ってしまったのに対しても謝りを入れる。


 『下井くんとは あれからすぐに別れたから どうして担当が変わったかとか 返信をくれない理由とか全然聞けなかった。せっかく行ったのにごめん それから何も考えず行ってみようって誘ってごめん』


 『わたしも下井商店さんの行方は知りたかったから行くって言ったんだよ』


 『有陽ちゃんが気にする必要なんて全く無いから』


前にも同じような事があって、今回も有陽ちゃんにはすごく気を遣わせてしまっているのを本当に反省しないといけないと見に染みて感じていた。




今週末にはもうホワイトデーがやってくる。毎年楽しみにしている日なのに、今年は憂鬱な思いしかない。



「久しぶり。こんにちは」


家を出る時に連絡を入れて、母純香は加世子には内緒で山中宅へ向かっていた。予備試験対策は通塾せずにインターネットで受講していると聞いていたので、一か八か家まで行ってみる。


「在宅中で良かったわ。ここで良いよ。すぐに帰るから」


今までに無いような、どこか覇気のない裕泰とたわいもない立ち話をして、持参した手作りのサンドイッチや惣菜が入った紙袋を手渡して帰ろうとするが、その前にどうしても伝えたい事があった。


「あのね、裕泰くん……」


「加世子に連絡をしてあげて貰えないかな……。メール一文でも良いの。最近元気も食欲も無くて心配で……。余計な事だとわかってるんだけど、お願い出来ないかな……」


裕泰は頷くわけでも無く、会釈をして頭を下げ、純香が立ち去るのを見送るとそっと玄関のドアを閉めた。


 



その日の夜も相変わらず加世子は心ここに在らずな感じが見受けられ、純香の想いはあいにくまだ叶ってはいないようだった。



  自然消滅ってこんな感じなのかな……



  こんなにも簡単に、あっけなく終わって

  しまうものなのかな……



週末の間ずっと降っていた雨は上がったのに、わたしの内側はどうして晴れないままなんだろう……暗い部屋、ベッドの中……目を閉じてみる。



  長い夢であって欲しい



  明日の朝目覚めたら、前みたいに普通に

  メールし合って、笑い合って、すぐ側で

  声が聞けて…… 



願望が欲望になりすぎて、本気で “もしかしたら” がリアルに起こり得るのではないかというある種落ちぶれた思考に覆われていくのを、自ら容認している自分がいる。


後悔・自責の念・もどかしさ・やりきれなさ・切なさを通り越した悲哀……心の中央で縮こまったそれらの感情を、今なお拭い去れない愛おしさが真の中心から押し出すようにして膨らんでいく。全てを粉砕させた時、わたしはこの儚く抱く想いから解放されるのだろうか。それはわたしが本当に望んでいる、そして望んで良い事なのだろうか……。大粒の涙が1度、何かを悟ったかのように枕へと伝っていった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る