… 23

数時間前に聞いた裕泰くんの言葉全てが何度も頭の中でリピートされる。雨が窓に当たる音が追いうちをかけるように、やるせなさを倍増させていく。



  誰かに話してしまわないと、このまま一

  人でこの気持ちを抱えたままだと壊れて

  しまいそう……


  でも誰も聞きたくないだろうな、こんな

  話……  



メッセージを打っては消し、30分以上が経っている。早くに眠ってしまった方が良いのに、暗い部屋で明るい画面を凝視していると目も冴えてきてしまって悪循環に陥る。


誰かに電話をかけようかと、電話帳を少しずつ確認していき、これもまた、名前と番号を暫く見つめては発信せずに前に戻って、何度も同じ画面をスクロールする。


そしてその中で加世子の目に留まったのが下井の連絡先だった。



  友達じゃ重すぎる内容だし、無難か

  な……



軽はずみにただそう思って深夜1時半近くに電話を鳴らした。


         





「はい」


出た。

 

電話が繋がったのはもちろん耳元にスマホを置いているからわかるのだけれど、なんとなくもう気力が残っていなくて、ベッドの中、横になり、目をつむってじっとしてしまっていた。


「イタ電ですか」


「……寺田です……」


それはわかってると言いたいところ、そのまま耳を傾けている。



「何かあった?」


5分位過ぎても加世子が何も言ってこないので仕方なく自分から聞き出す事にしたのは良いが、加世子からの返答は無い。


さらに10分……と時間は過ぎていくだけで変わらずそのままの状態が続く。そこで下井がスマホを持ち変えようとした音に、加世子が焦りを見せる。


「切らないで……お願い……」


誰かと繋がっているこの安心感は、今の加世子にとって何よりも失いたくないものだった。


時計は確認していなかったもののそれから4、50分は起きていた記憶のある加世子だったが、いつの間にか疲れきって眠りに落ちていた。翌朝何気なく夜中の通話記録を確認すると、そこには通話時間 “3時間16分” と表示された画面が加世子の目に飛び込んできた。





2015 0122(木)


翌日の木曜、3限の補講授業が終わった後に、一旦は3人で駅へ向かおうとしたけれど、自習をして帰ると言って二人を見送ることにした。やっぱり、朝からずっと気になっていた下井くんにお詫びしなくちゃと電話を掛けると決め、人の少ない廊下の隅でスマホを触る。



  ……繋がらない……


  留守電にもならなかった……



自分から電話を掛けておいて黙り込み、その上、電話を切らないようにお願いをして、挙げ句の果てには勝手に寝てしまっているという、普通に考えればすごく勝手なことだとわかるのに、あの時のわたしは本当に無気力で、思考すらもどうにかしてしまっていたのかも知れない。



  怒るよね、やっぱり……



スマホを握ったまま、ずっと降り続いている雨の飛沫しぶきを建物の隙間から見上げて、諦め半分で校舎内に戻ることにした。カフェで一呼吸置いてから帰ろうと席についた時、オーダー前に下井から折り返しの電話があった。


「ごめん、さっき出られなくて」


「……ごめんはこっちの台詞なの。昨日はごめんなさい……」


「あぁ、あのイタ電か」


そう言われるとすぐに、今どこにいるのか下井の居場所を尋ねると学校からそれ程には離れていない場所だったので、加世子はそこへ行くと伝える。


「すぐ移動するし、別にいいよ」


会って謝りたいけれど、それはそれでお仕事の邪魔になってしまうし、返事に困っていると、


「俺がそっちまで行こうか?」


と言ってきてくれた。校門前に15:40頃には着けると言うのでそこから20分ちょっとの間、時間までそのままここで講義ノートの見直しをする。少し早いけれどそろそろ向かおうと席を立とうとした時、同じくカフェ利用に入って来た裕泰くんに呼び止められた。





「加世子? ……何してるの?」


「これから帰るところで……」


そそくさと出口の方へ歩き出すと、一緒にカフェに入って来たもうひとりの人に「すみません、日を改めてもらえますか」と慌てたように伝えてわたしの側へ寄り、


「車、取ってくるから校門の前で待ってて」


と言い放ったまま開いていた扉を抜け、走って出て行ってしまった。


  

  これはどういう状況?


  ……もしかして、まずいことになって

  る?



怖々に傘を両手で差しながら門を出るとまだどちらも来ていない。



  このまま隠れれば良いのか、ダメ、それ

  をするともっと大変な事になってしま

  う、そうだ下井くんに断りの電話を入れ

  れば良いんだ……



携帯を取り出した段階で、時すでに遅しで、裕泰くんの車が僅かの差で先に到着し、その後方に軽トラックが停まる。


裕泰くんは後ろに止まった車には気付いていないというか、まさか下井くんの車が有るとは思ってもいないだろうし、関心の無い様子でわたしが助手席に乗り込むのを待っているようだった。


念のため軽トラックの運転席を確認すると、雨ではっきりと顔は見えないけれど、こちらの様子を伺っている下井くんらしきシルエットは認識出来る。


なかなか入って来ようとしないのを見て、裕泰くんが窓を開けて自信の無さそうに名前を呼ぶ。同時くらいに裕泰くんの方へ顔を向けると、入れ違うようにようやく視線の先を今までわたしが見ていた方向へと移し、バックミラーでも確かめている。


そんな流れの中、わたしの身体は白の軽トラックに向けて動き出していて、傘を閉じ、不意を突かれたような動きで運転席側から身体を伸ばして半ドアにしてくれた所を躊躇無く乗り込み、細かいことは説明せずとりあえず車を出してもらった。


「良いの?」


もちろん、前に停まっていた車が裕泰くんのものだというのを把握していた下井くんは少し走った所でそう聞いてきたけれど、わたしは「うん、良いの」と自分でも意外なくらい冷静に答えて、濡れた傘を巻き始めている。




あの、野球を見に行った日のように、あからさまに自分の気持ちばかりを全面に出して不機嫌な姿にはもうなりたくないと同時に、成長した自分でいたかったという思いもどこかにあった。


「停められる場所で止まってくれれば良いよ」


「自宅?バイト先?それともどこか?」


信号待ちで唐突に聞かれたので、どこにも寄らないつもりだと答えると、


「どこかに停めて話す間に家まで行けるから、雨だし送るわ」


そう言って首都高へ上がって行った。


昨晩の失態を謝りたくて会おうとしたことが、結局ただ、下井家の邪魔をしてしまうだけに終わるようで、走行中も気が気では無かった。


「近所までで良いから適当な場所で降ろしてもらえる?」


30分もしない内にとうとう高速を下りて家の側へ近づいている。以前、近所に住むご婦人が、家の前にトラックが止まって下井くんが降りてきた様子を見ていたらしく、ママに対して「軽トラックから出てきた不良じみた人とは知り合いなのか」と問われているのを立ち聞きして知っていたので、今回は失礼を承知ながら、少し離れた所に停めてもらった。


「本当に昨日はごめんなさい……それから今日も、結局こんな所まで来てもらって……」


やっと、ちゃんと身体を下井くんの方に向けて正面からじっくりと言葉を並べることが出来た。


「良いよ別に。今日のは俺が勝手に決めた事だし」




雨のせいで視界が悪く、明るくない車内でしばし沈黙し、心の中を整理する。償いではないけれど、あんな風に電話をしてしまった理由をちゃんと話しておかないといけないという気持ちが強くなっていく。


「好きな人がいたんだって……他に」


「昨日、全部打ち明けられちゃった……」


「ダメだね……知りたくないと思って逃げてたら、まとめてダメージを被って……」


情けない自分の笑顔を下井くんに向けた。


「助かったよ、昨日は。誰かと繋がってると思うと気持ちが落ち着いたというか……。あ、通話記録を見たら3時間以上になってたけど、ずっと起きててくれたの?」


「……いつか話し出すのかなと思って」


  

  やっぱり……。



「じゃあ、そろそろ戻んないと」


車が見えなくなるまで見送って家へと戻り、一応今日いっぱいは家の中にいる予定のサモサと戯れて過ごす。少しだけにするつもりが、家の中にサモサがいて、廊下だけど地べたに座って遊べるチャンスは滅多と無いので、一方的に話したり撫でたり太い足を触ったり抱きついて寝転んだりしている内に夕食の時間となり、ママがサモサのエサを運んで来てそれを知らせてくれる。


昨日とはうって変わって静かな二人だけの食事時間だ。かろうじてテレビがつけてあるのでお天気のことなど話題には尽きない。


「昨日は気を遣わせちゃってごめんね」


口角を上げて、カボチャの煮物を箸で切りながらママは聞いている。


「男の人は困ったものね。あれかしら、男子校で育った子は大学生になって急に周りに女の子が増えると目移りしちゃうものなのかな」


わたしは何と答えて良いかわからず、黙々と食べ続けていた。


「ママは……駄目なことだと思うし、加世子がショックを受けるのもわかる……気はする。だけど正直に言って謝るってことは、これからはちゃんと加世子と向き合っていきたいって思ってるんじゃないのかな」






  そうなの……かな……


  

  だけどわたしが最後に言った事に反論し

  なかった……



「加世子の気持ちが裕泰くんから離れてしまったのなら何も言えないけど、もし完全にそうだと言い切れないなら、もう少し様子を見てあげても良いかも知れないね。裕泰くんに言い分があるのならそれも聞いてあげて……」


終始にこやかにアドバイスされると、本当にその通りだと惹き付けられる思いが芽生える。


明日から試験期間に突入する。食事を済ませると早速部屋へ上がることにした。


「サモサ、勉強してくるね」


しつこいと思われてもまたサモサにハグをしてから階段をのぼる。


  

  とりあえず今は携帯電話を触るのはやめ

  ておこう……



机の隅っこにスマホを追いやった時、ふと夕方の雨の中の事を思い出した。



  ひどいことしちゃったかな……



確か、誰かとの約束を断ってまでわたしのために車を回して来てくれていたのに、あんな形で去ってしまったなんて、いくら昨日の今日で裕泰くんに対して心を閉ざしていたとしても、何も言わずにその場を離れたのは良くなかったと次第に反省をしだす。


このままだとまた気が重くなる一方だと思い立ち、パッとスマホを手に取った。


ベッドに横になり追跡アプリで加世子が家にいるのを確認した後、ちょうど今日の事を振り返っていたところだった裕泰は、加世子からの電話にすぐ反応して起き上がる。


「……特に話す事は無いんだけど、今日何も言わずに帰ってしまったことは謝ろうと思って……」


「ごめんなさい……それじゃ」


本当に今は、直接電話でなんて他に話すつもりも無いので、淡々と話して1秒でも早く切ろうとすると、裕泰はそれを必死に止めた。


「ちょっと待って……。俺と会ったり話したりしたくないなら、メールは、送っても良い?」


「…………良いけど、すぐには見ないかも知れない」


少し考えてそう答えると、それでも良いと納得をした裕泰くんは、まるで保存していた文章があったかのように、そこそこの長文メールを電話を切って1分以内に送ってきた。すぐには開かなかったのでそれが “長文” で、心を揺るがされる内容だったとわかるのは数日後の事実になる。   

          

         




 『テスト前にごめん』


 『バイト終わりに下井くんに会って 今日はメール送れるように友達追加してもらったから知らせるね』


 『早い方が良いと思って』

 『下井くんに許可は取ってます』


お風呂から上がってスマホを見ると有陽ちゃんからメッセージが届いていた。携帯の番号は前にわたしが先に知った後、下井くんに承諾を得てから有陽ちゃんに教えた経緯があったけれど、今回は逆パターンになった。有陽ちゃんには昨日から今日にかけての一連の流れを何ひとつ伝えていないのに、すごいタイミングだなと多少の驚きがあった。


 『ありがと。』


 『試験が落ち着けば また色々話聞いてね』


最後にはお互いおやすみを送り合って終える。


何もしないでおこうかとも思ったのだけれど、下井くんには有陽ちゃんが連絡をしてくれた事をお知らせしてから、一文だけプラスして送ることにした。


 『今日は眠れそうです、ご安心を』

 

その後続けて『じゃあ寝ます』と送信したのを最後にきっとまだ仕事から帰っていないだろうと考えてそのまま充電器にセットし、床についた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る