… 22

補講日に挟まれた通常授業のある水曜日は、最高気温が3℃予想の東京に於いて極寒と言える1日となった。


「サモサ、お早う。寒いね、大丈夫?」


庭に下りてサモサの体調をチェックする。普段と変わった様子は無く、寒さに強い犬種ではあるけれど、ママの許可をもらって家の中へ連れて入った。以前同じような時には「暖房の届かない場所で」とパパが言っていたのを思い出し、廊下にお歳暮が届けられた時の段ボール箱を広げてそこへ寝かせた。風や雪がしのげるだけでも、これで安心して学校へ行ける。


裕泰くんとの事は、いつもの3人で既に色んな話を終えていて、美樹も聡子ももうこの話題には触れてこない。しんどいことを考えるのを止めて、試験期間の後の春休みの予定を話したりしていた。


この日はアルバイトが入ってなく、バイオリンの先生は寒い上に雪が雨に変わった中でも来て下さったので、夕食前は気分転換がてら練習に打ち込んだ。嬉しいことにパパも早くに帰宅する知らせを受けていたママは、こんな日に3人揃ったということで、盛りだくさんの野菜と冷凍庫にあった蟹の棒肉でお鍋をしてくれた。


「裕泰くんも呼んでやれよ」


「本当だ。加世子、連絡してみてくれる?」


「……え? 外雨降ってて、寒いよ」


「だから呼ぶんだろうが」


その頃、裕泰は部屋にいて、勉強をしながらも加世子と早くちゃんと話をしないといけないけど、どんな風に説明すれば良いか頭を悩ませていた時に電話が鳴った。


「裕泰くん?突然ごめんね。あの、今日お鍋をするんだけど、裕泰くんも来られないかなって……」


「いいの?」


「うん、みんな喜ぶ」


車が着いたとわかればママとパパまでもが玄関まで迎えに出て、中に入るとサモサも嬉しそうにしっぽを大きく2回振って立ち上がり、撫でてもらっている。裕泰はすぐに家を出たので電話を切って30分経たない内には鍋を囲んでいた。


「折角の家族団らんに呼んで頂いてすみません」


「遠慮するなよ、裕泰くんは家族みたいなものなんだから」


上機嫌でパパが笑いながらビールを注いでもらっている。確かに父と子の二人暮らしで、お互いが忙しい男性同士となると自炊はあまりしないだろうし、現に裕泰くんからインスタントで簡単に出来るものをよく食べているという話を聞いている。


「冗談抜きで本当にいつでも食事に来て良いんだぞ。勝功さんに許可取っておこうか?」


遠慮がちにパパの提案をやんわりと断っている。機嫌を損ねない上手な言い方はさすが裕泰くんだなと感心するし、パパはそんな裕泰くんの気遣いを察知しているのか否かはわからないけれど、とにかく楽しそうにまずはアルコールを口にしながらみんなが食べる姿を見ている。



  わたしが料理が出来たら、作ってあげら

  れるのかな…… やっぱり料理の出来る

  人の方が良いのかな……


  小山田さんは、作れるのかな……



少しだけぼーっと、余計な事を考えてしまっていた。

 

向かい側に座っていても、あまり目を合わそうとしない加世子を前に裕泰は複雑な心境になっていて、美味しいはずのお鍋の味も感じる余裕の無いほどだった。






雨はまだ止まない。パパ達はコーヒーを、ママとわたしは紅茶を飲んでリビングで過ごした後、恒例のサモサタイムに入る。



  気まずいな……


  今日は強引にパパが行くって言ってくれ

  ないかな……



思わず無謀と思われる事も期待してしまう。


「結構まだ雨が降ってるので、今日は僕一人で行って来ます」


まさかの裕泰くんからの発言だった。急ぎ足で歩いて早々に戻る方がサモサにとっても良い事なので、両親共に甘えてお願いをしている。



  実は裕泰くん自身も今わたしと二人きり

  になるのは気まずいのかな、それとも都

  合が悪いのかな……



「なんか、悪いね……」


「大丈夫です」と笑顔をパパに向けてサモサと出て行き、15分弱で戻った裕泰くんにまずママがバスタオルを手渡し、わたしはサモサを出迎えて顔と体を素早く丁寧に拭く。玄関前でパシャパシャッと水滴を払わせてくれていたので、家に入ってからは大人しくされるがままで顔を覆うようにタオルを被せても、じっとしているサモサはやっぱりいとおしい。最後に足をきれいにして、また元居た場所へ戻す。


お風呂でも入って一層の事泊まって行くかと聞かれていたけれど、そうはしないようで、パパがお風呂に入っている間、わたしの部屋に上がり、とうとうふたりで話すことになった。





「身体冷えちゃったでしょ。せっかくお鍋で温まった後なのに」


わたしの問いかけに対して全く反応せず、いきなり本題を切り出す。


「加世子の友達から聞いた……」


「……うん……」


加世子が小山田さんの話だという事を理解して頷いた後、少し間をおいて意を決したように裕泰はあらゆる事実を喋り出した。


「彼女と付き合ってた」


唐突に何てことを言うのだと一瞬目をぎゅっとつむり、斜め下を向くと、立て続けにこう言った。


「でももう……別れた」


どうにか裕泰くんの顔に目を向けられた時には、言葉が出てこず暫く黙り込む。そして、こんな時に思い出してしまった……、確かめるのが究極に恐く、そして、避けて通ってきた真相の追求……。


「…………じゃあ、……あの記念日は?」


わたしにとって、この状況では “勇気を出して” というレベル以上の事を1分足らずの沈黙の後に口から絞り出していた。


「一緒に居た…………あいつと」


うつ向いて深く呼吸をした後、わたしから目を逸らすこと無く、小さい声ではあったけれど確かに、はっきりそう言った。




その瞬間、自分でも感情のコントロールをどうすれば良いのかわからなくなって、どこから湧き出てきたかわからない涙がすごい早さでわたしの目の中にいっぱいになる。うつむくと溢れてしまうのがわかっているけど、上を向くと裕泰くんに顔を見られるし、結局は裕泰くんに背中を向けて泣いてしまっていた。


「加世子……今は、今はもう違うから……」


呼吸がしづらい中、辛い、わたしにとって裕泰くんの口からは1番聞きたくなくて、到底受け入れるのも嫌な、辛くて、辛くてたまらない質問をする覚悟を決める。


「……裕泰くんが、誤解だって、ずっと誤解だって言ってた事は……全部、嘘だったの?」


「…………ごめん」


ダメだ……涙が止まらない……。裕泰くんの前でこんなにも感情的に泣いたことは今まで無かったし、こんな姿、見せたくないのにどうしても止まらない……止められない……。


「今は違うって何?」


さっきスルーした事を蒸し返すような、女性特有の、というか、わたしがこんなネチネチした言い方で聞き返すなんて予想だにしなかった。


「そんな簡単に気持ち、切り替えられる? 結局、裕泰くんが一緒にいて楽しくて、大切にしたいのは……」


「わたしじゃなくて、小山田さんでしょ」


最後の一言は、自分で言うには情けなさすぎて、こんなひねくれた事を口にしてしまうと、益々裕泰くんの気持ちが離れて行くのが手に取るようにわかるはずなのに、もう……どう仕様もなかった。


裕泰の気持ちとしては、ただ正直に加世子に本当の事を伝えて謝りたい一心だった。加世子ときちんと向き合って、以前のように、仲良くしたいというのは本心からの願いでもある。







「おい加世子、裕泰くん帰るぞ」


階段の下からパパの呼ぶ声が聞こえる。


「あ、いいんです……」


「気ままなところがあるからな……面倒かけるなぁ、裕泰くん」


車が去った音がした後、ママが部屋に上がってきた。散歩から戻った後、わたしと裕泰くんに何か温かい飲み物を持って上がると言っていたけれど届けられていないという事は、きっとママはわたしたちの会話を聞いてしまって、入るに入れなかったのだと推測出来る。食事中だって、わたし達が口を利かない様子をおかしいと気付いていただろうし、ママと目が合った時には心配そうな顔をしていたような気もする。


「これを飲んで、暖まって」


裕泰くんの冷えた身体が早く暖まればと、いつもより温度設定を高くしたままのこの部屋は、決して寒くはない。わたしの心が冷えきっているのを見透かしていたのだと思う。


わたしの右肩にそっと手を添えてからママが部屋を出た後に飲むレモネードが、身体と心にどんどん染み渡り、乾いていた涙がまた頬を伝っていた。














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