… 20

おばさまの生前のご希望で、仏壇は置かれていない。残される家族の負担を少しでも減らしたかったのではないかとママは話していた。


リビングボードの中央にはおばさまの写真が飾られていて、隣には可憐なプリンセチアの小さな鉢植えが供えられてあった。裕泰くんが買ってきたものらしい。ソファの正面に置かれているのでいつも一緒にいるように思えて、今日もご挨拶を済ませる。


お湯が沸き、裕泰くんが紅茶を入れ終わると、部屋へ移動した。2段ほど先に上がった裕泰くんは後ろを振り返り、わたしの方へ手を伸ばすと、そっと手を掴んで優しく連れて行った。今日はわたしに合わせて裕泰くんも紅茶を煎れていて、同じものを飲みながらたわいもない話をし、数時間前にわたしが嘘をついて布田駅前にいた理由をこのまま聞かれなければスルーしてしまえるかなと思ったりもしたけれど、やっぱりそう上手くは行かずに理由を聞かれて、今日あったことを一から説明をした。


「省略して話すとわたしの場合、上手く伝えられないかなって……ごめんなさい」


ちょっとしたハプニングがあっただけの何でもない出来事だったのをわかってくれたようで、クリスマスイブに少し突入した頃には眠ることにした。


翌朝には1階でおじさまと顔を合わせる。意外にというか、あまり裕泰くん宅にお泊まりをした経験がないので、何となく気まずい感じがする。


「女性ものの靴が車庫に見えたから、裕泰が誰か連れ込んでるなって思ってたよ」


「加世子ちゃんしかいないけど」


帰宅が深夜だったという疲れは微塵も感じさせない元気さで明るく笑って、あと少しで食べ終わるトーストの残りを口に入れ、コーヒーカップを流し台へささっと慣れた手つきで運ばれる。


「ごめんね、せわしなくて。普段はこんなんじゃないからね」


おじさまを見送ると、裕泰くんがわたしたちの朝食を用意してくれていた。ほとんどコーヒーは口にしない上に、朝からなんて飲んだことは無かったけれど、今朝はわたしが裕泰くんに合わせて、甘め特注のオーダーで ”人生初の朝コーヒー” を堪能し、アルバイト先まで車で送ってもらった。


昨日の予行練習はとても生ぬるいものだったと、今日になって体感することになる。17時頃になると次第にお客さんは増え始め、その30分後から約1時間くらいの間、クリスマスケーキの予約客が引換券を持って次々と交換に来られた。狭い通路を通って保管場所と表とを行ったり来たりの繰り返し。わたしの勤務は19時までだったというか、デートの予定を入れるつもりだったので、時間指定をして希望を出していたからそうなったのであって、今日は閉店までいる有陽ちゃんとは話せる機会は無いまま店を後にした。






  今頃はゼミのみなさんと楽しく盛り上が

  っているのかなぁ……



着替えの場所も今日は荷物置き場となっていたため早々にお店を出たので、スマホをチェックしたのは駅のホームに上がってからだった。鞄から取り出すと、意外なメッセージが目に飛び込む。


 『結局 家にいます』


夕方頃に裕泰くんから送られていた。入ってきた電車を乗り過ごし、ホームの隅で電話をかけてみると暫くコールを鳴らした後に、元気無さげな声で周りの音にかき消されてしまうような、恐らく「はい」という第一声が届いた気がした。朝は何とも無かったけれど、どうやら熱があり風邪をひいてしまったらしかった。


反対側のホームに上がり、渋谷まで出て、下北沢駅へとさらに乗り継ぐ。途中ママに、予定よりも遅く帰ることを伝え、おかゆの作り方を送信してもらう。玄関の鍵は開けておくと言っていた通りになっていたので、着くとそのまま裕泰くんの部屋へ向かうと、真っ暗な部屋の中横になっているシルエットが何となく見えた。


「電気つけて良いよ」


近寄っておでこに手を当てると、触れてすぐ熱いとわかった。


「手が冷たくて気持ちいいわ」


横向きで目を閉じたまま熱は38.5℃だと教えてくれるとそのまま眠りについてしまった。


わたしは明かりを消して1階に下りキッチンをお借りする。テーブルの上には蓋の開いた風邪薬の箱が置いてあったので裕泰くんが服用済なのはわかった。そしてまずはママに言われた通り、今のわたしの運命を左右すると言っても過言ではない炊飯器の中を見て、おかゆと書かれた線があるか確認をした。助かった、あった。


手を洗って、お米の置場所を詮索させてもらうとすぐに見つかってこちらも助かった。1合を計り取り、おそるおそるお米を洗って線の通りにお水を合わせ、コンビニで買ってきた梅干しを投入してなんとか、おかゆモードにボタンをセットした。コンセントがささっているかもちゃんと確認をした。ここまでで30分以上かかっている。それからは裕泰くんが眠る部屋に戻り、スタンドライトだけを点灯して、床に座ってじっとしていた。




普段、じっくりと見渡すことのない裕泰くんの部屋は綺麗に整頓されていて、勉強に使っているデスクの周りには法律に関する本や参考書がずらりと並んでいた。おじさまからの期待がとても大きいのは知っている。裕泰くんも色んなプレッシャーと闘いながら頑張っているのかなと、それらを眺めながらしみじみ感じていた。


22時を目前にして、暖房の効いていない部屋にいるとだんだん冷えてきてしまい思わずくしゃみをして、手にしていたスマホを床に落としてしまった。その音で裕泰くんが目を覚ます。


「ごめん、起こしちゃった……」


「……ん?」


「くしゃみ、しちゃって……」


直後、すぐにエアコンを付けるように言われて、裕泰くんは起き上がり、自分で熱を測っている。


「37.3℃」


大分と下がっていて、とりあえずはひと安心出来た。


「悪かったな、来てもらって。15時頃から薬飲んで寝てたから下がって当たり前なんだけどな」


結果論ではそうだけれど、大事に至らずに本当に良かった。その気持ちは伝えた後、ちゃんと出来上がっているのか確認をしていないおかゆの具合を見に行き、器に移して引出しで見つけた木製のスプーンを持って戻り、いざ、試してもらった。


乱れた髪のまま、ひと口味わった後、「美味しい」と言ってくれた。そう、わたしは裕泰くんのママ譲りというか、この優しい笑顔が大好きだ。久しぶりに見せてくれた気がして、とても嬉しい気持ちになる。とにかく、おかゆが上手く出来上がって有り難い。ただ洗ってセットしただけで上手い具合に調整して保温までしてくれていた。文明よありがとう。発明者に感謝。普通に使っている人から見れば、凄く大袈裟な事を言っているのだとわかってはいるけれど本心からそう思う。


「今日も、居てくれるの?……なんてな」


どこか照れたようにそう言って器に目を落とし、あと少しで食べ終わるおかゆをスプーンですくう。


「あぁ……」


少し迷ったような返事をすると、お陰で良くなったからわたしのことを家まで送ると言い出した。


「ダメだよ、それは。せっかくここまで良くなったのに……」


「…………」


「今日は来て良かった。良くなって良かった」


それまで膝まずいて話していたわたしはベッドに浅く腰をかけてそう言うと、裕泰くんは後ろからわたしをそっと抱きしめて「ありがとう」と小さく呟いた。


「パーティー、行けなかったね」


裕泰が無言でいると、サイドテーブルに置かれてあったスマホに着信があった。画面には “Aさん” と表示されている。


「出なくていいの?」


小山田晶からだった。

 

昨日は会っている途中で裕泰が突然いなくなり、今日は二人で過ごす予定をメールひとつで急遽キャンセルされた彼女の怒りと不安は頂点に達していた。


「ゼミの人だ、掛け直すからいい」


「AさんとかBさんとかって呼び合うの? 裕泰くんは何さんになるの?」


何の疑いもなく率直な疑問をぶつける加世子に対して、裕泰は何も答えなかった。


「タクシー呼ぶわ」


「えっ?」


「こんな時間にひとりで帰らせらんない」


スマホを手にした裕泰の動きを両手で止め、


「やっぱり今日は裕泰くんの側にいたい。まだ完全に治ったわけじゃないし…………良い?」


少し驚いた表情を見せたけれど、わたしさえ良いのならという事で、2日連続でお泊まりすることに決め、早速ママにはわたしの携帯から裕泰くんが電話をしてくれた。


「風邪、移らなきゃ良いけど」


洋服のままだと綺麗ではないかな、とわたしはベッド脇で仮眠しようと思っていたら、裕泰くんが「構わない」と言ったので、お布団に入らせてもらう。年末に風邪はちょっとキツいなという考えも過ったけれど、裕泰くんのならもらっても良いかな、なんて思いにふけていた。裕泰くんがわたしに寄り添うように眠っていると、おばさまが言った言葉が脳裏に浮かんできた。『あの子が甘える相手は……』。

おばさまがいなくなった今、この言葉はわたしの中で初めに聞いた時よりも格段に重みが増している。

 





「見たよー、加世子」


店内の仕切りと装飾の葉っぱ等に遮られ、お互いの顔がはっきり見えていない段階で聡子がわたしの名前を呼びながら急ぎ足でやって来る。24日は休校だったため連休になっていて、実質的にはもう少し前からな感覚だけれど、一応今日は冬休み初日で聡子、美樹の3人で映画を観に行く約束をしていた。


2、30秒程度の差で美樹も加わり、それぞれがランチメニューを決め、オーダーすると、聡子が言いたそうにしていた話の続きをすぐさま始めた。


クリスマスイブの正午前、わたしのバイト時間まで少し時間があったので、目黒通りのカフェでお茶をするためにコインパーキングに車を停めた後、通りの横断歩道を渡るところを、芸大生のお友達数人とアンティークショップへ向かう途中に、偶然見ていたという内容だった。


「山中さんのこと、友達がめっちゃ格好いいって興奮してたわ」


「結局、上手くいってるんだね、安心したよ」


そこで早速、なんだかんだで大変だったクリスマス前の話を二人に聞いてもらった。


「それって、おかしくない? 居場所、知られてるじゃん」


聡子がそう言うとすぐに、美樹はわたしのスマホを取り上げ、何やら探している様子。


「やっぱり……。追跡アプリ、入れられてるよ」


「……どういうこと?」


デスクトップに表示されていたわけもなく、全く気付かなかった。


「……っていうかさ、どうして居場所がわかったかは追求しなかったの?」


言われてみればそうだ。冷静に考えるとあの時間あの場所に裕泰くんがいるのはたまたまだと言うには無理が有りすぎる。でもわたしは自分が嘘をついてしまった事に引け目を感じていて、一瞬おかしいとは思ったものの裕泰くんの行動に疑いをかけるまで頭が回らなかったし忘れてさえいたのだった。





「あの後、本当に二人にして大丈夫だった?」


23日の夜の事を有陽ちゃんはずっと気にしてくれていた。今年も今日で終わり。受験に始まって慌ただしい1年だったけれど充実した大学1年生生活を過ごしたと思う。締めくくりの日が有陽ちゃんと一緒だと何となく嬉しい。ただ、いつ聞こうか、どうやって切り出そうか、と考えて、結果的に “追跡アプリ” の件に関して裕泰くんにいまだ聞けていないのが心に引っ掛かっている。裕泰くんの風邪はあの日ですっかり治り、予定通り年末年始はスノーボードをしに長野へと出発していて、わたしは嬉しいのか悲しいのか風邪をもらった形跡は全く無く、平凡に家族と過ごす年越しになる。


各所で賑やかにカウントダウンのイベントが行われている最中、我が家は閑寂とした新年を迎えた。パパは早々に床につき、わたしも元旦には氏神さまにお参りをし、パパの実家へ行って夜は外食をするというここ数年恒例となっている予定の数々を考慮して、ママに続き早い内に眠る準備に入る。スマホを持ちベッドに潜んでいくつかの着信をチェックすると、年が明けて最初に届いたメールは聡子からのものだった。盛り上がっている様子の動画付きのもので、布団の中で見るにはボリュームが大きすぎたのと、自分との温度差を冷静に『すごいなぁ』なんて、感心していた。


そろそろ寝ようとして、今日は着信音を消しておこうと操作している時に、裕泰くんからメッセージが届く。新年おめでとうという事と、男の子の友達らと楽しく過ごしているという報告が入っていた。今回 “は” というべきか、本当に男の子達だけで行っているようだった。すぐに返信をして、念のため、


 『ナンパはしないと信じてる』

 『声かけられても着いて行っちゃダメだよ』


とも付け加えておいた。


  『子供か』


という3文字にクスッとして、暖かい気持ちになり、いつしか眠りについていた。




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