… 17


駅から離れていくとそこは閑静な住宅街に変わり、大きなおうちが目立つようになる。


「なんだか凄い。この付近って高級住宅街?」


小さく首を縦に振りながら下井もきいている。


「部類的にはそうだと思う。けど、ウチは少々訳ありで、相場の半値くらいの家賃で借りてるの」


一瞬、ついこの間テレビで観た “訳あり物件” の事を思い出した。前に住んでいた人が自ら命を絶ったとか殺人事件が起こったとかそういった賃貸物件が特集されていた。



  なんだか、怖い……


 

と足がすくみそうになって顔もきっと強こわばっていたと自分でも認識する程だったけれど、


「元父親の両親が住んでた家を借りてるの」


という補足があり、安堵感に救われて自己完結出来た。“元父親“ という部分だったり、 “お祖父じいちゃんとかお祖母ばあちゃんって言わないんだ” とか引っかかる表現は幾つかあったのが少し気になったのだけれど。


10分ちょっとは歩いただろうか、高台にある有陽ちゃんのお宅にとうとうたどり着いた。アプローチの突き当たりは3階が玄関になっているらしかった。最後は少し早足で前に出て自転車を停めた有陽ちゃんが玄関横の壁に回り込み何やらチェックしている。


「えっ、無い……」


珍しく焦った様子を見せる。


「今日、出掛けにお母さんが家の鍵が無いって喚わめいてたから、わたしのを置いて来たんだけど、そういう時は閉めたら保管する場所を決めてて……。いつもは大丈夫なんだけど……」


「せっかくここまで坂道を歩いて来てくれたのに、ほんと、ごめん……」


閉まっている玄関のドアをカタカタと押したり引いたりしている有陽ちゃんのがっかり感がこちらにも伝わってきて掛けるべき言葉が見つからない。


「そうかぁ……でも仕方無いよな……」


「……良かったらだけど、俺んち来る?」


少し間を置きながら下井くんが助け舟を出した。


「えっ……」


急激に疲れきってしまったような表情をしている有陽ちゃんは小さく驚きを見せる。もちろんわたしもびっくりしていると、下井くんはもう戻るつもりで歩き出しているのでわたしたちは何だか頼もしく見えた下井くんの背中を追った。






「京王線なんだけど、新宿から乗ろうと思ってて。それで良い?」


駅近くまで戻ると下井くんはそう尋ねてきた。わたしたちは、もう下井くんにお任せという感じで着いていく。わたしとしては、心優しい飼い主に拾われて自宅までされるがままに連行される子犬か子猫になったような気分になっていたけれど、お母さんとのやり取りを凝視している有陽ちゃんにはまだそんな余裕は無いらしかった。


電車を乗り継ぎ、調布方面へ向かう。明大前を過ぎる頃には、徐々に元気を取り戻してきた有陽ちゃんとすっかり暗くなった窓の外の景色を普段乗ることのない路線ということで、一緒に楽しんでいた。下井くんは下井くんで向かい側の席に座って誰かにメッセージを送っている様子が見える。


いよいよ近くまで来ているようで、予め教えてくれた駅名がアナウンスされると、それまでソワソワしていたわたしと有陽ちゃんはじっとして行儀よく膝を揃え、下井くんの方を見て座りなおした。


「それはそうと、急にお邪魔して大丈夫なのかな」


改札を出た後、無頓着なわたしは今さら下井くんに確認を入れてみる。ご両親、それから兄弟がいるとすれば、何人か知らないけれどその人たちもいるかも知れないし、もしかして独り暮らし?……有陽ちゃんが一緒とはいえ、電車内でのワクワク感とは反対に何だか緊張してきた。


交通量はそこそこ多いけれど、暗めな道を進んで7、8分過ぎた頃にあったコンビニを通り過ぎると中道へ入り、少し行くと ‘下井家’ 前に到着した。


「狭いよ。二人からしたら考えられないかも知れないよ」


半分笑いながらアパートの階段を指差して誘導してくれる。駅前で感じていた緊張感とは別物の、何か違った不思議な感覚を抱いて後に続いて昇る。

2階に上がって何軒か通り過ぎた所にあるお宅の玄関の鍵は開いていて、下井くんがドアを開けると昼白色の明るい蛍光灯に照らされた男性が部屋の中から笑顔でわたしたちを出迎えてくれた。


「親父」


わたしたちの方を振り返り紹介するようにそう言って靴を脱ぎ、その ‘下井くんパパ’ の横をすり抜け中へ入っていく。






「よく来たね。上がって」


優しい笑顔のままわたしたちをお宅の中へと促してくれたので、きっと有陽ちゃんも抱いていたであろうちょっとした不安感のようなものはその場で吹き飛ばされ、コートを脱いで遠慮無くお邪魔させてもらった。


入るとすぐの部屋ではお鍋の準備が整っていて、長方形の座卓には、わたしと下井くんが横並びで有陽ちゃんと下井くんパパが向かい合うような形で座った。玄関横の台所から下井くん親子がおろしポン酢とごはんを運んで来てくれるのをごく自然に有陽ちゃんが手伝っている。こんな時出遅れてただ先に出されたお茶をすすって皆の動きを目で追っているだけの何も出来ない自分に今日も情けなさを感じてしまう。


「狭い家で皆が動くと大変だから座っててよ」 


膝をついて半分腰を上げた状態のわたしを気遣ってか、下井くんパパがまたも優しく声かけしてくれた。


あっという間に用意が出来、初めの一杯目は下井くん親子がわたしたち二人の分を器に取ってくれて、同時に「いただきます」をする。カセットコンロにかかる鍋はグツグツと煮たっていて熱々の白菜やお豆腐が冷えた身体に染みて何とも美味しい。

 

「優斗が女の子、それも二人も連れてくるなんて珍しいな。盆と正月がいっぺんに来たみたいだ」


「やっぱり下の名前 “ゆうと” っていうんですね」

 

有陽ちゃんが下井くんパパに確認をして、取り皿を右手に持ちながら本人にどんな漢字を書くのか聞いている。


「人偏のゆうに、とは北斗のと」


「人偏のゆうって優しいっていう字?」


優しいとか優秀のゆうって言った方が伝わり易いと思うのに、あえて “人偏の” とかって言ってしまうのは謙遜というのとは違うだろうけれどどこか照れるのかな……と思いながら聞いていた。


「どなたが付けたんですか?」


名前に興味があるのか有陽ちゃんが続けざまに尋ねると、ご自分の背部の壁際に置いてある写真を指差して、


「母親だよ」


と下井くんパパが答えてくれた。


御供え物がされてあったので、それは一目で遺影だとわかり、僅かながら気まずい雰囲気が漂って、有陽ちゃんが余計な事を聞いてごめんなさいと謝っている。


下井くん親子はそんな流れを全く気にしていないようで、亡くなった時期とか理由をわたしたちに簡潔に教えた後、話題は自然と変わっていった。


テレビではバラエティー番組が流れていることもあって、食卓の場はとても賑やかで和やかでもあり、狭い空間で正座をしながら皆で寄ってお鍋をつつくのも、決して悪い意味では無くて、楽しいなと心から思えた。


そんな中、お宅へ上がらせてもらった時に、いつの間にか有陽ちゃんが冷凍庫に入れておいて欲しいとお願いしていたというバイト先のアイスクリームが運んでこられた。


「夜にね食べようと思って買ってきてたの」


さすが有陽ちゃん。実際にはわたしと、加えても有陽ちゃんママとで食べることになっていたであろうアイスを今ここで、しかもお鍋の後という絶妙のタイミングで食べられる幸せを「友よ本当にありがとう」と言いたい気分に浸る。


食事中も気になっていた御遺影に、わたし一番のお気に入りのアイスを供えてお線香をあげさせてもらう。続けて有陽ちゃんも。写真の中の女性、下井くんママはすごく綺麗で穏やかな笑顔をされていた。


その事を二人に伝えると、


「上手いこと騙だましやがって」


と下井くんが下井くんパパをからかっている姿も何だか面白かった。





21時近くになって、有陽ちゃんママがもうすぐ帰宅するという知らせが入る。わたしもスマホを取り出して見てみると、裕泰くんから何度かメールが届いているのに気付き、慌てて一気に打ち込む。


  『今は有陽ちゃんのお宅にいます 話し込んでて気が付かなかった ごめんね』


それから片付けの微々たるお手伝いをし、おいとまする事になった。

 

帰り際、台所に立つ下井くんパパに、


「タイミングが悪くてすみません。御供えにして頂ければと思います」


と、谷岡家宛てにと鞄に入れていた菓子袋をこっそり手渡した。本来なら伺った時点でお渡ししないといけなかったはずなのに、今日の事をママに話すと絶対に 「御礼しなくちゃ」と言い出すのが突然目に浮かび、ややこしくなるなという思いが過ったこともあり、遅れ馳せながら受け取って頂いて帰ることにしたのだった。

 

その後、加世子が遺影に挨拶をしている姿を優斗は壁にもたれながらもしっかりと見守っていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る