… 16

今週で授業が終わり、冬休みに入る。嬉しいなんて浮かれてはいられない。年が明けると早々に後期末の試験があるからだ。


月曜日の2限目が休講になるのは先週から発表されていて、美樹は元々1限目の授業は取っていなくて、聡子は「2限目が無いなら3限目から行く」ということで、ひとりで学内のカフェに来て、のんびり過ごしていた。


 『空きコマ中です』

 『クリスマス キャンセルされました』


スタンプのウサギが 悲し ‘エーン’ と泣いている。

ふくれっ面の 怒り ‘ぶぅ’ バージョンにした方が良かったかな……などと考える余裕があるだけまだマシか、と思ったりしながら手にしていたスマホをテーブルの上に置く。


何か食べようかなと考えていたら間を置かず、有陽ちゃんからの返信が画面に通知される。偶然にも有陽ちゃんも2限目が休講になっていたようで、今は学生部へ寄っていたらしかった。


入口の方へ向くように席を座り直し、有陽ちゃんが手を振りながら入ってくるのを立って迎える。


「滅多に無いよね、こんなチャンス。嬉しい」


そう言うわたしに有陽ちゃんも笑顔で答えてくれる。


「学生部って、何しに行ってたの? やらなきゃいけない手続きあったっけ?」


何か忘れていたらいけないと気になり、一緒にオーダーしたサンドイッチ用のウェットティッシュを開けながら有陽ちゃんに尋ねてみる。


「あぁ……。奨学金の申請に、ね」



  奨学金……



知らなかった。有陽ちゃんが奨学金を受けている事実は今日、初めて耳にした。


「わたし、ひとり親じゃない?だから利用できる制度ものは使いたいなと思って……。申請通れば良いんだけど。ま、大丈夫とは思うけど……」


最初こそ、少し言いにくそうにはしていたけれど、すぐにあっけらかんと打ち明けてくれた。確かに家庭の事情とか、親に迷惑をかけないようにとかで奨学金を受けている学生は世の中に沢山いるという話は知っていたし、特別恥ずかしい事ではないというのもわかってはいたけれど、身近な人に受けている人はいなかったのでちょっとだけ驚いた。

 

有陽ちゃんからすると、年中温泉に浸かっているような状態のわたしに対しては言いにくい部分があったかなと想像しつつ、無言でサンドイッチを頬張る。


「本当は先週の内に提出したかったんだけど、書類を揃えなくちゃいけなくて……。無意味かも知れないけど早めに出してやる気だけはアピールしておかないとね」

 

笑ってそう言った直後に「この話、もういいか」と有陽ちゃん自らピリオドを打ち、週末に起こったわたしの話に切り替えようとしてくれた。




「そうかぁ……ゼミの集まりかぁ。ゼミによっては団結力が強いとかいう話は聞いた事があるけど……。そんな感じなんだろうね」


紙パックのオレンジジュースを飲み干した有陽ちゃんがそう言った。


日曜日に、ママと一緒に買いに行った裕泰くんへのプレゼントは結局、いつ渡せば良いのか、クリスマスプレゼントなのにまさかの年明け?……年末はスノボをしに行くとか言ってなかったっけ……等と有陽ちゃんと話す中で様々な事を頭の中で考えてしまっていた。そしてわたしがぼんやりして、ちょっとだけ沈黙の時間があった時に、すかさず有陽ちゃんから、


「もし良かったらだけど、明日の祝日、うちに泊まりに来ない?」


という思いがけない提案があった。


「加世子も確か明日は早上がりだったよね?わたしも夕方までだし、どうかな」



  友達のお宅にお泊まり……



高3に上がる前の春休み以来だ。ディズニーランドに行く前日に数人がひとりの子の家に泊まったことがあった。


ひとつ返事で行きたいと申し出て、ママに確認のメールを入れる。わたしの家には1度来たことがあって、有陽ちゃんとは面識があるし大丈夫とは思うけれど念のため聞いておく。肝心のパパがOKを出すかは “ママの説明具合” が大きく左右するので、その辺りも期待したいところだ。


  『パパにも確認してみるね』


案の定、メッセージの最後にはそう付け加えられていて、その結果が聞けるのは暫く後に持ち越しとなる。有陽ちゃんに後で連絡を入れる事を約束し、お互い次の授業へと向かった。


そして3限が終わるのを見計らったようなタイミングでママからお知らせが入る。


 『パパ、OKだって♪ 帰ったら詳しく聞かせてね』




 

「今日はパパ、午前様になるって。 ‘今日も’ って言った方が良いかしら」


やっぱり師走の月末近く、そして連休前となるとスケジュールが目一杯なのだろうけれど、身体が心配になる。ママもからだにやさしい朝食メニューを思案したり、パパのために頑張っているのがよくわかる。


 「そこはわたしに行かせて」


リビングでただくつろいでいただけのわたしに夕食の準備途中のママがサモサの散歩に行ってくると言うので、さすがにこんなわたしでも身体が勝手に動いた。


外はもう真っ暗で風も冷たく、去年から使っているふわもこな耳当てを装着してリードを手にする。十分に老犬と言えるサモサは大丈夫なのだろうか。不安に思い立ち止まってサモサを見ると、わたしの足元で笑ったような顔をしてこちらを見上げゆっくりしっぽを振ったのがわかり、少し安心感を抱く事が出来てそのまま散歩を楽しんだ。


よく頑張ったとサモサを褒めて、触ってもじっとしているのをいいことに、大きめではあるけれど中型犬寄りなサイズの身体を抱きしめたり撫でたりして、大袈裟だけどこの寒空の中、出歩いた事を労う。親バカと言われても良い、本当にサモサは可愛い。……可愛い。


サモサにごはんをあげた後は、ママと明日の事を話しながら夕食をとる。


「ママもたまには休息取ってよ」


パパが留守な事が多くてもわたしがいる限りママは食事の用意をしてくれるわけで、愚痴ひとつこぼさず、百貨店でお総菜を買ってくることはあっても完全に手を抜いていると思わせるような事は無く、そういうのが高校生まではごく当たり前だと無意識に根付いていたわけだけれど、最近になってやっと主婦業に専念するママの凄さがわかってきて、尊敬もするようになっている。


「優しいこと言ってくれるのね。良い子だわね。どこの子かしら?……ウチの子でした~」


ミルフィーユ風に重ねて揚げられた豚カツにバルサミコ酢が入ったお手製のソースをフライパンから流しかけながら、おどけてそんな風に言っているのは、内容的にそれほど面白くは無いんだけれど、やっぱり癒しの空間になる。





「じゃあ、行ってきます」


「行っちゃうのね……」


まるで今日から離れ離れになってしまうような表現と表情をわたしに向けて送ってくる。


「淋しいなぁ」


「明日の夜には帰って来るから、少しの間だけだよ。見送りはここで良いからね」


スニーカーを履きながら背中を向けて会話をしたのはちょっと冷たかったかなと省みながら、ママが持たせてくれた御菓子が入ったいつもより大きめの鞄を肩に掛けて家を出る。寒い朝に変わりはないけれど、駅までの道のりは心持ちか穏やかで明るい空気に包まれている気がした。


1時間遅れで有陽ちゃんが出勤。終業時間はわたしが15時で、有陽ちゃんは16時半だ。クリスマスイブの前日で年末も近い祝日、となると行き交う人の数も多く、商店街はいつもの休日より活気があるように思える。そんな中、お買い物途中の小さいお子さんを連れたファミリー層をメインに、可愛い毛糸の帽子を身につけておられるおばあちゃんや、仲良さそうな親子らしき二人組など様々な客層に対応するのが楽しかった。時々、クリスマスケーキを引き取りに来る方もいて、明日の本番の予行練習のようなものも出来て、充実した時間だったと思う。





一足早くアルバイトを終えたわたしは、早速待ち合わせ場所の五反田駅へ先に向かうことにした。五反田はママいわく、子供の頃に行ったことがあるらしいけれど、記憶からは消え去ってしまっているので未開の地へ降り立つような気分でワクワクしながら、いつもと反対側の戸越銀座駅へ向かう足取りも軽い。


想像以上に人がとても多く、改札を出ると商業施設が直結していて、人の流れもあり、そちらへ入ってみることにした。洋服や雑貨、階を変えてコスメなど色々見て回る。そうこうしている間に時間はすぐに過ぎていき、有陽ちゃんが仕事を終える時間くらいになると東出入口前へ行こうと下へ降りる。

 

ここへ来るとまた今までとは違った空気感が漂っていて、近くには電車が走り、川もあって、高い建物もそびえているというすごく活気に充ち溢れた場所だなぁとひとりぼーっとあたりを見渡していた。これを完全な “おのぼりさん状態” と呼ぶのだろうか。


  『今から向かいます』


  『気をつけて 急がなくて大丈夫だよ』


中原街道を有陽ちゃんが自転車を飛ばしてくる姿が目に浮かぶ。無事到着しますようにと祈り、しばしの間じっとして待つ。


10分経つか経たないかほどで高架の下から、手袋をはめた手でハンドルを握り、自転車を押しながら走ってくる有陽ちゃんの姿が見えた。


「あー、暑い」


お待たせの次の言葉がこれだった。やっぱり全力で自転車をこいできてくれたのが伝わってくる。笑顔で顔を手で扇ぐ有陽ちゃんが落ち着くまで少し立ち話をする。


「あれっ?」


いよいよお宅に向けて歩き出してすぐ、有陽ちゃんがそう言ったので、わたしも何気なく有陽ちゃんの視線と同じ斜め前方に目をやってみると、見覚えのあるシルエットと顔が駅方向の、わたしたちがいる向こう側の入口へ歩いて行くのが視界に入ってきた。



「下井くん……だよね?」


二人で顔を見合わせて驚いているのも束の間、


「行っちゃう、行っちゃう……」


有陽ちゃんがすかさず自転車の位置を少しずらし、大きな声で下井くんを呼ぶ。そしてその声はひたすら駅に向かってややうつむき加減で歩いていた下井くんに届いたようで、立ち止まったと同時に何か探すように目線をこちらの方へ向けた。


5秒くらい静止した後、目の前の人が通り過ぎるとポケットに入れていた両手を出してわたしたちの方へ小走りで向かって来た。







「何やってんの?」


「それはこっちの台詞だよぉ。わたしは家がこの近くだから」


有陽ちゃんは笑ってそう言うと、右側の奥、まさに下井くんが歩いて来たと思われる方向を見て、そのまま下井くんの顔に目線を移すと、下井くんは何かを察したように、


「風俗じゃないからな」


と落ち着いた感じで微笑んで、有陽ちゃんのことを見ている。


わたしはふたりの間で一体何がやりとりされているのかがあまり理解できず「ん?」という感じで有陽ちゃんの方を見ると、


「ほら、あそこ。‘五反田有楽街‘ って書いてあるでしょ」


あぁ、なるほど。そういう冗談かと二人からかなり遅れて状況を把握した。


下井くんの説明によると、高校生の時のお友達がこの近くの鉄板焼屋さんで働いているのをちょっと覗きに来たらしい。


「今からはもう帰るの?」


「そのつもりだけど」


そう答える下井くんを前に、有陽ちゃんはわたしの顔を見て小さな声で「呼ぶ?」と聞いてきた。

 

「あぁ……」


そうするんだ、という風に思って、ふんふんと頷くと、今わたしたちがどうしてここにいるのかという事を話しつつ下井くんを誘ってみている。


「いいの?」


もしかしたら断るんじゃないかなと思いながら聞いていたらあっさりと意外な返事が帰ってきて、そんなことから、わたしたち3人は有陽ちゃんのお宅へ向けて歩き出した。



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